海の見える理髪店

書影

著 者:荻原浩
出版社:集英社
出版日:2016年3月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 先月に発表された2016年上半期の直木賞受賞作品。

 表題作の他、「いつか来た道」「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「時のない時計」「成人式」の計6編を収めた短編集。6編に共通しているのは、「家族」を描いていること。それも「欠落」を抱えた家族を描いていること。

 表題作「海の見える理髪店」は、海辺の小さな町にある理髪店が舞台。そこの大きな鏡には背後の海が、鏡一杯に広がって映る。大物俳優や政財界の名士が通いつめたという店。そこにきた若者に、店主が自分の来し方を語る。

 「いつか来た道」は、母娘の話。反発して家を飛び出した娘が16年ぶりに母を訪ねる。弟に「いま会わないと後悔する」と言われて..。「遠くから来た手紙」は、夫婦の話。夫への不満を募らせた主人公が実家に帰って来て暮らす。「空は今日もスカイ」は、小学生の家出。神社で出会った風変わりな少年と海を目指す。

 「時のない時計」は、時計店の主人と、そこに父の形見の時計を修理に持って行った男性との会話。時計屋の主人は家族の思い出と暮らしていた。「成人式」は、娘を亡くした夫婦の話。二人の元に娘の成人式の案内が届く。

 冒頭に書いたように全て家族の物語。そこに大小の欠落がある。二十年以上も前に別れた妻子、理解し合えなかった母娘、引き裂かれた夫婦、愛が必要な子ども、子どもを亡くした親。その欠落は他のものでは埋められない。しかし「こんな風に少しは楽になることもある」。そんな物語だった。

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オールド・テロリスト

書影

著 者:村上龍
出版社:文藝春秋
出版日:2015年6月30日第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 村上龍さんの昨年出版された最新長編。文芸誌の文藝春秋の2011年6月号から2014年9月号まで掲載された同名の作品に、単行本化にあたって加筆したもの。

 主人公はフリーの記者のセキグチ、54歳。「希望の国のエクソダス」に登場した記者の関口と同一人物で、本書の物語は「希望の国の~」から十数年後の出来事とされている。「中学生が集団不登校を起こした事件」として、本書の中で何回か回想される。

 仕事を失い、家族に出て行かれ、荒れた生活をしていたセキグチの元に、元上司から突然に仕事の依頼があった。NHKでのテロの予告があったから、行ってルポを書いて欲しい、という。「そんなバカな話があるか」と思いながらも、セキグチは取材費を欲しさにNHKに出向く。そして予告通りにテロが起きる..。

 「希望の国の~」が中学生による革命の物語であるのに対して、本書が描くのは老人による革命だ。この国の現状を憂い、危機感の醸成のために「日本全体を焼け野原にする」と言う、「怒れる老人たち」による革命。その主体は満州国の生き残りたちらしい。

 読んでいて「面白い」と「もうイヤだ」のせめぎ合いだった。テロの現場やアングラなグループなど、様々な場面の描き方が生々しい。私の心の許容度のギリギリか、時に少し超えてしまう。そこで「もうイヤだ」と感じる。それを苦いもののように飲込んでしまうと「面白い」

 「怒れる老人たち」の着想はとてもいいと思うのだけれど、この描き方では、私はセキグチのようには、老人たちに共感を感じられない。「希望の国の~」は「希望だけがない」というフレーズで有名になったけれど、実は希望を残して終わっている。それに対して本書は、物語の終わりに何か残ったの?と疑問に思ってしまう。

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政府は必ず嘘をつく 増補版

書影

著 者:堤未果
出版社:KADOKAWA
出版日:2016年4月10日 初版 6月25日 4版 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 本書は2012年に出版した同名の書籍に、その後の4年間に起きた出来事を踏まえた書下ろしを「袋とじ付録」として加えた増補版。読んでもまったく楽しくならないけれど、これはたくさんの人が知っておくべきだと思ったので☆5つ。

 本書のタイトルの元にもなった、米国の歴史学者ハワード・ジン氏の言葉が本書の主旨を端的に表している。「政府は嘘をつくものです。ですから歴史は、偽りを理解し、政府が言うことを鵜呑みにせず判断するためにあるのです

 著者は新書大賞を受賞した「ルポ貧困大国アメリカ」の他、「沈みゆく大国アメリカ」などで、米国の政治経済社会を精力的に取材している。その米国での取材の最中に何度も言われたことがあるという。それは「アメリカを見ろ、同じ過ちを犯すな」だ。

 例えば、9.11後の捜索やがれき除去の作業現場では、有毒ガスによる健康被害の不安の声が上がったが、「作業現場は安全、ただちに健康に被害はありません」とEPA(環境保護庁)は言い続けたそうだ。その後10年の間に5万人の作業員が呼吸器系のがんなどの健康被害を起こしている。EPAは今も、作業員が発症したがんとの因果関係は否定し続けている。

 例えば、2005年にハリケーンが襲ったニューオーリンズでは、復興事業費の8割以上を政府関係者と関係の深い大企業が受けた。また、復興特区として最低賃金法の撤廃という規制緩和を行って、労働力を安く雇えるようにして、大資本の利益を大幅に拡大させている。

 前者の健康被害の例が、日本の何に対応するかは明らかだから、敢えて言わない。後者の復興事業の例は少し説明した方がいいだろう。

 日本政府は、東日本大震災の被災地を復興特区に認定し、農地や漁業権や住宅などを、外資を含む大資本に開放する規制緩和を行っている。そして東京都が受け入れたがれき処理は、東電が95.5%出資している会社が請負い、被災地の除染を請け負うのは、原子炉建屋の建設実績トップ3の3社だ。

 このように、嘘と隠ぺいの例が多数紹介されている。これ以外にもTPPのISDS条項と医療・保険分野の危険、日本人が信頼を寄せるIAEAやWHOなどの国際機関の実情、アラブの「民主化」の裏に隠された強欲資本主義など、正直言って「知らなきゃよかった」と思ってしまうほど「怖い真実」が並んでいる。

 念のため。「必ず嘘をつく」政府は、安倍政権(だけ)を指しているのではない、そもそも「ただちに健康に被害はありません」は民主党政権の時の話だ。だから、政権交代では解決しない。アメリカが黒幕だという意見も正解ではない。政府に嘘をつかせるのは、もっと得体のしれないもので、敢えて名付けると「グローバル経済」。簡単には対抗できない。でも方法がないわけではない。

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マイクロ・ライブラリー

書影

編  者:まちライブラリー マイクロ・ライブラリーサミット実行委員会2014
出版社:学芸出版社
出版日:2015年5月1日 第1版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

  最初に、マイクロ・ライブラリーとは何か?から。日本語に訳せば「(すごく)小さな図書館」。個人(や小さなグループ)が運営する図書館のこと。私には具体的な心当たりが全くないのだけれど、本書の著者の一人である礒井純充さんによる「マイクロ・ライブラリー図鑑」には514のスポットが紹介されている。そして、礒井さんらによって、数年前から興味深い動きが起きているらしい。

 興味深い動きの一つが「マイクロ・ライブラリーサミット」。「小さな図書館」の応援と横の連携を目的として、2013年に始まって、2014年、2015年と3回開催されている。本書は2014年の「マイクロ・ライブラリーサミット」の講演録に、インタビュー記事を加えてまとめたもの。

 事例報告を中心としたサミットだったらしく、本書も多くを事例紹介に割いている。海外から「リトル・フリー・ライブラリー」という巣箱型の図書館を、国内からは13事例を紹介している。マイクロ・ライブラリーとひとくくりにはできないぐらい、様々な形態があることが分かる。

 病院の透析センターに併設されたところ、街のお店がそれぞれ本棚とお気に入りの本を置いているところ、元体育教師が在職中に集めた本や資料を公開しているところ、亡くなった奥さんが遺した2000冊の本を貸し出しているところ、子どもや若者が大人から干渉されない場所として開設したところ....。

 後述するけれど、私には個人的な想いがあって、本書からはとてもたくさんの刺激をもらった。欲を言えば「マイクロ・ライブラリーとは何か?」ということを、最初に書いておいて欲しかった。聴衆には共通理解がある講演録という性格上、仕方ない面はあるが、何の説明もなく話が進むので、テーマの輪郭がつかめなくて不安だった。

 巻末には300余りのマイクロ・ライブラリーの一覧が付いている。

 この後は書評ではなく、この本に関する私の想いを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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(さらに…)

星やどりの声

書影

著 者:朝井リョウ
出版社:角川書店
出版日:2011年10月31日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は2009年に「桐島、部活やめるってよ」で、小説すばる新人賞を受賞して翌年にデビュー。2013年に「何者」で直木賞受賞。駆け足でステップアップしている感じだ。本書は、この2つの受賞作の間に出した何作かのうちの1つ。

 舞台は連ヶ浜という海辺の街(鎌倉を想起する)の、駅前の商店街から少し離れたところにある喫茶店。お店の名前が「星やどり」。主人公は、このお店を切り盛りする早坂家の6人の子どもたちが順に務める。最初が長男の光彦、続いて三男の真歩、二女の小春、二男の凌馬、三女のるり、最後が長女の琴美。

 琴美は宝石店に勤める26歳、既婚、しっかり者。光彦は大学4年生、就活中、ちょっと頼りない。小春とるりは双子の姉妹、高校3年生。小春はメイクがバッチリのギャル風、るりは真面目な優等生、放課後はお店を手伝う。凌馬はおバカで明るい高校1年生。真歩は少し醒めた小学6年生、カメラを首から下げて登校。性格付けがはっきりしている。

 それぞれの日常の小さな物語を描きながら、その背景で大きな物語が進む。「星やどり」は、亡くなった建築家の父親が、早坂家の母子に遺したお店で、「大きな物語」はその父の想いを辿る。これはこれで「いい話」なのだけれど、私は「小さな物語」の方に魅かれた。

 読み進めていくと、それぞれの性格付けには、意味があることが分かってくる。父親が亡くなった時の年齢が関係していることもあるし、何かの出来事に起因していることもある。それを知ると切なくなってくる。著者は、6人に様々な性格を便宜的に割り振っているのではなくて、その性格にはその役割があってそうしているのだ。

 役割だから演じている部分もあって、表面に見える性格とは別の内面の性格も垣間見える。例えば、おバカキャラに見える小春や凌馬は、その内面に澄んだ感性を持っている。こうした人の内面を描くことについて、主人公を入れ替えて互いの視点で互いを描くという手法が、とても冴えを見せている。

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コンセプトのつくり方

書影

著 者:山田壮夫
出版社:朝日新聞出版
出版日:2016年3月30日 第1刷発行 5月30日 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は電通のクリエーティブ・ディレクター。広告キャンペーンのほか、テレビ番組や店舗の開発から経営戦略の策定まで手掛ける。その著者がイノベーションを起こす「コンセプト」のつくり方、方法論を説く。

 「はじめに」の冒頭がいい。

 「でさぁ..それってデータで証明されているの?」誰かが現状を打破するために頑張っている時、こんな正論ばかり振りかざす「批評家」ってホント腹が立ちますよね。過去の情報をどれだけ客観的にいじくりまわしたって「その手があったか!」という突破口なんて見つかるわけもないのに、なぜかきょうも彼らは大威張りです。

 何か議論をするとき、企画を考えるときに、「データ」をベースにすることの重要性は否定しない。ただ、最近はそれが行き過ぎているように思う。データが揃っていない主張を「感情的」と言って切り捨ててしまう。上に書いた「はじめに」は、そんな風潮に対するアンチテーゼになっている。

 データをベースにした「客観的・論理的思考」は、「正解」が用意されている課題の解決にはとても有効だろう。しかし、世の中の課題にそんな「正解」があることは稀だ。そうなると、論理的にどれだけ考えても「正解」に辿り着かない。

 そこで、著者が重視するのは、主観的な経験や直感までも駆使する、いわば「身体的思考」。本書にはその方法論が書かれている。例えば「感じる」「散らかす」「発見!」「磨く」の順番を繰り返す「ぐるぐる思考」

 もちろんこれで「身体的思考」が、一朝一夕にできるようにはならない。しかし、この方法論はトレーニング法でもあって、繰り返し使っていると「身体的思考」が身につく、そんな確信めいたものを感じる。

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烏に単は似合わない

書影

著 者:阿部智里
出版社:文藝春秋
出版日:2014年6月10日 第1刷 2016年6月5日 第14刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は著者のデビュー作にして、2012年の松本清張賞受賞作。その後、年に1作のペースで続編が出て、先日、5作目となる「玉依姫」が出版された。今や「八咫烏シリーズ」という、出版界やファンタジー、ミステリーファンが注目するシリーズとなっている。

 シリーズの世界観はこんな感じ。八咫烏の一族が支配する世界。一族は族長である「金烏(きんう)」を擁する「宗家」と、東西南北に分かれた貴族の四家に分かれている。その四家は覇権を争い、宗家との結びつきを強めることによって、勢力の拡大を狙う。

 本書の舞台は、平安京に似た宮廷。皇太子の若宮の后選びが行われることになり、貴族の四家それぞれの娘が、后候補として宮廷に登殿してくる。自らの家の将来を背にした「姫たちの女の戦い」を、煌びやかに描く。

 「烏」と「煌びやか」がアンマッチな感じがするけれど、彼らは普段は「人形(ひとがた)」という人間の姿をしていて、事があれば「鳥形」となって飛翔することができる。そして姫たちは美女揃いだ(皇太子の后候補になるぐらいだから、まぁ当然だけれど)。しかも、姉御肌、妖艶、清楚、無邪気と、キャラ設定が各種取り揃えてある。

 主人公は四家の一つの「東家」の二の姫の「あせび」。疱瘡を患った姉の代わりとして宮廷に登殿してきた。代役であるため、后候補としての教育をほとんど受けていない「世間知らずの姫」。読者は彼女の目を通して物語を見ることになり、その「世間知らず」加減が読者の目線と合っていて、ちょうどいい塩梅になっている。

 源氏物語の昔から最近の韓国ドラマまで、「宮廷」は「女の戦い」にうってつけの舞台。本書もすべり出しは、四家に宗家も加わって女ばかりの諍いやら友情やらが描かれる(彼女たちが住まう「桜花宮」は男子禁制)。ただし、それだけでは終わらない。

 本書は「松本清張賞受賞作」。表紙イラストはライトノベル・ファンタジー風で、実際そのように始まるのだけれど、その実はミステリーだ。出来事の裏側には秘められた真実があり、後半にそれが明らかになる様は、探偵小説のようだった。

 「解説」に次作のことが少しだけ紹介されていた。本書だけでもなかなか面白いのだけれど、次作のことを知って俄然期待が膨らんだ。これは金鉱脈のようなシリーズを掘り当てたかもしれない。

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太陽のパスタ、豆のスープ

書影

著 者:宮下奈都
出版社:集英社
出版日:2013年1月25日 第1刷 2016年6月6日 第9刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「羊と鋼の森」で今年の本屋大賞を受賞した著者の2010年の作品。

 主人公はあすわ(「明日羽」と書く)。ベビー服の会社に勤める30歳手前の女性。婚約者と洋食屋で食事をしている途中で、婚約解消を言い渡された。聞けば、もっと前から、新居を捜したり一緒に家具を見に行ったりしている時には、そう思っていたらしい。

 そんな失意の底にいるあすわを見て、何ごとかを察した叔母のロッカ(「六花」と書く)は、「やりたいことリスト」を作るように言う。それを、ひとつづつ自分で実現していくのだ。

 それでできたリストは「一、食べたいものを好きなだけ食べる。二、髪を切る。三、ひっこし。四、おみこし。五、たまのこし。」まぁ、投げやりでヤル気があまり感じられない。でも、このリストからあすわの回復と成長が始まる。

 冒頭の「婚約解消」を除いては劇的なことは起きない。リストに沿って、引っ越しをして髪を切って。これまでとは少しだけ違うことをした。そうしたら、家族の、友人の、同僚の、これまで知らなかった面が見えて来た。そのことが、あすわを少しだけ変えていく。そういうお話。あすわの言葉「私が選ぶもので私はつくられる」がキーワード。

 ロッカさんをはじめとして、あすわの周囲の人がいい。けっこう普段はぶっきらぼうだったり、身勝手だったりする。でも、優しさを感じさせる言葉を、さらっとあすわにかけてくれる(あまり上手に言えないお父さんはアイスをたくさん買ってくる)。

 最後に。あすわの元婚約者について。そう重要でもないだけれど、印象に残ったシーンがあるので。婚約を解消した食事からの帰りに、あすわが、どうして謝らないのかと聞く。彼は「え、謝ったじゃない」と答える。重ねて問うても「謝ったよ」と繰り返す。それも2回も。

 彼はこの前に「ほんとうに悪いとは思ってるんだ」と言っている。だから「謝った」と思っている。「謝ってるじゃん」と彼に同意する人もいると思うけれど、あすわはそう捉えなかったのだ。私はあすわに同意する。そしてこれは「よくあるスレ違い」だと思う。

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朝日ジャーナル(週刊朝日臨時増刊)

書影

出版社:朝日新聞出版
出版日:2016年7月7日発行(増刊)
評 価:☆☆☆(説明)

 朝日ジャーナルの緊急復刊号。先の参院選を前に「もう一度、みんなでこの社会の在り方を考えよう」ということで6月27日に発売された。つまり参院選に危機感を抱いてそれに間に合わせるために「緊急」に復刊したということだ。

 インタビューや対談に登場するのは錚々たる面々。池上彰さん、田原総一朗さん、久米宏さん、翁長雄志さん。国連特別報告者のデービッド・ケイさんの名前も見える。桜井よしこさん、花田紀凱といった右派の論客もいらっしゃる。他にも、雑誌の巻頭インタビューを飾ってもおかしくない方々もいる。

 内容は復刊の目的の通り、参院選をにらんで「三分の二」「改憲」「安倍内閣」「ジャーナリズム」への、危機感を訴えるものが多い。ただどれも穏便なトーンで、拳を振り上げるような激しさはない。桜井さんたちのインタビューは、明け透けに言うと、両論併記のために見える。

 本誌を多くの人に読んで欲しい。主張をキチンと伝えるには、このぐらいの分量の文章が必要だと思うからだ。もちろん、それは右派の主張でも同じだ。ネット上のものもテレビで伝えられるものも、一部だけ切り取られていたり、歪められていたりする。

 それと同時に、本誌によって右派の思想を持つ読者が、意見を改めるなんてことは起きないだろうとも思った。そもそも「朝日」を冠する雑誌の臨時号なんて買わないだろう。(「自分の考えに近いものしか目にしない」という状況が、分断を生んでいる、ということにはここでは深入りしない)

 林真理子さんの言葉に、目が開く思いがした。「定年退職したオジサンが右傾化する」理由として、「アプリで無料の産経を読むからだ」とおっしゃっていた。定年退職したオジサンがそうなら、「ニュースはほとんどネットで」という若者だって同じではないか。

 私にも思い当たることはあった。新聞記事を引用しよう検索すると、とにかく「産経ニュース」がたくさんリストアップされる。産経は無料で全文読めるけれど、他の新聞は会員登録が必要だ。コレってけっこう大変なことじゃないのかな?

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こころの処方箋

書影

著 者:河合隼雄
出版社:新潮社
出版日:1998年6月1日 第1刷 2016年5月25日 45刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は出版取次のトーハンが発行する「新刊ニュース」という月刊情報誌に、1988年から1991年まで連載したエッセイをまとめたもの。10章ほどを書き加えて1992年に刊行された。

 著者は臨床心理学を専門とする心理学者。著者本人は、本書の中では「心理療法家」と自分の職業を言っておられる。このエッセイを書いたころは、心に病を抱えた患者さんを実際に診ていた。まさに「こころの処方箋」を書いていたわけだ。

 全部で55編のエッセイを収録。目次を見ると「人の心などわかるはずがない」「マジメも休み休み言え」「ものごとは努力によって解決しない」等々、あれっ?と思わせるタイトルが散りばめられている。

 読みながら「なるほど」と思ったり共感したりしたところに、付せんを貼っていると、10カ所余りになった。どれも軽妙ながら含蓄を感じる。どこかで披露したいと思うが、ここですべて紹介すると長くなるので1つだけ。

 「二つの目で見ると奥行きがわかる」人間は目が二つあることで遠近の判断がしやすくなっている。物事を見るときもその「奥行き」を知るためには、二つの異なる視点を持つことが必要だ、という話。

 近頃は他人の意見をバッサリ切って捨てるような言論が蔓延している。「私は正しい、相手は間違っている」という、1つの視点からしか見ないから、そういうことができる。やっている方が気持ちいいかもしれないけれど、それでは議論にならない。

 これは、前に読んだ「本を読む人だけが手にするもの」という本に書いてあった「複眼思考」の話と同じ。同じと言えば、先日読んだ「夜中の電話」での井上ひさしさんと同じく、河合先生も人生をその人の「作品」と表現されていた。胸に落ちるものがあって、少しよく考えてみようと思っている。

 最後に。読んでいて30数年前の文章だと言うことを時々忘れる。それほど今にも通じる言葉の数々だった。そして、これは随分昔の本なのだと思い出す度に、「(2007年に亡くなっているので)あぁ河合先生は、もういらっしゃらないのだ」と寂しい気持ちにもなった。

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