心星ひとつ みをつくし料理帖

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2011年8月18日 第1刷発行 2014年5月18日 第13刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「みをつくし料理帖」シリーズの第6作。「しくじり生麩」「賄い三方よし」「お手軽割籠」「あたり苧環」の4編を収録した連作短編。

 主人公の澪は、江戸の元飯田町にある「つる家」という料理屋の板前。彼女には、かつて修業した「天満一兆庵」の再興と、今は吉原にいる幼馴染の野江と昔のように共に暮らす、といった2つの望みがある。

 今回は、この2つの望みに関する大きな出来事が起きる。特に「天満一兆庵」の再興については、吉原に店を出す援助をすると、澪に申し出る人が現れた。店の名前を「天満一兆庵」とすれば良いと。この申し出を受ければ、形としては店の再興が成る。

 そして澪には、秘めた望みがもう一つある。「つる家」にふらりと現れる客の小松原のことだ。「秘めた」と言っても周囲もはっきりと分かるほどなのだけれど、身分違いゆえに叶わぬ恋心として決して口には出さない。今回はそれも急展開を見せる。

 シリーズに「料理帖」とついているように、澪の手になる美味しそうな料理が、シリーズの魅力の一つだけれど、そちらは今回は今一つ。しかし、物語の方はこれまでになくドラマチックで、次回以降への期待を残して終わる。

 シリーズは8月に第10作が刊行されて完結したそうだ。あと4作を心して楽しみたい。

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泣いた赤おに

書影

著 者:浜田廣介 絵:梶山俊夫
出版社:偕成社
出版日:1993年1月 1刷 2011年5月 28刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ちょっと周辺で話題になったので読み直してみた。童話作家の浜田廣介さんの代表作。以前から学校の教科書にも採用されていたはずだから、ご存知の方も多いと思う。ちょっと調べてみたところ、今も小学校2年生の国語の教科書(教育出版社)に収録されているようだ。

 主人公は赤おに。人間とも仲良く暮らしていきたい、と思って自分の家の前に立札を立てる「ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。ドナタデモ オイデ クダサイ。オイシイ オカシガ ゴザイマス。オチャモ ワカシテ ゴザイマス。」

 人間たちは「まじめな気もちで書いたらしい」とは思ったものの、結局は「だまして、とってくうつもりじゃないかな」と言って、逃げて行ってしまう。その出来事に赤おにが自暴自棄なっているところに、友だちの青おにがやってきて、一計を案じる....。

 ご存知の方も多いだろうから、この先は省略。ご存知ない方は是非一読を。どうしても今すぐ知りたい方は、Wikipediaで紹介されているので参照いただきたい(文学作品をネットで結末まで紹介してしまうのはどうかと思うが)。

 「めでたしめでたし」では終わらない。どうしてこんなことになったのか?どうすれば良かったのか?大人になるとどうしても「正解」を求めてしまいがちだ。「童話」だから、何かしら分かりやすい「意味」があるはず、と思うのかもしれない。

 でも、本書には少なくとも分かりやすい意味や正解はない。絵本にしては量の多い文章は、細かい情景だけではなく、赤おにと青おにの心情を要所で描いている。著者は思いのほか、この物語を周到に創ったようだ。サッと読んで簡単に見つけた「正解」は、再読すると「そうじゃなかった」と思うことになる。

 よければやはりWikipediaではなく一読を。簡単には見つからない「正解」を探してみるのも悪くない。その際は、たくさんの版が出ている中で「原作全文を載せている」ものがおススメ。上に紹介した偕成社版は、巻末に「絵本化のための一部省略・再話等はしておりません」と書いてあった。

 この後は、書評ではなく「泣いた赤おに」についてのヨモヤマ話です。お付き合いいただける方はどうぞ。

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(さらに…)

2045年問題 コンピュータが人類を超える日

書影

著 者:松田卓也
出版社:廣済堂出版
出版日:2013年1月1日 第1版第1刷 8月5日 第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 友達のFacebookの投稿で「2045年問題」を知って、とても興味があったので読んでみた。

 「2045年問題」とは何か?コンピュータが人類全体の能力を超え、それ以降の歴史が予測できなくなる「技術的特異点(シンギュラリティ)」を、2045年に迎えるという予測があり、そのことがもたらすであろう問題を「2045年問題」と呼んでいる。欧米では研究が進んでいるが、日本ではこの問題について述べる研究者は、宇宙物理学者の著者を除けばほぼ皆無らしい。

 本書は、コンピュータの黎明期から書き起こして、スーパーコンピュータの技術を解説し、インターフェイスや人工知能の開発の最前線を伝えた後、「技術的特異点」の前後を展望する。私たちがすべき対応の話もあるが、それは必ずしも明るい未来を約束しない。

 世界初のコンピュータとされるのは、1946年の「エニアック(ENIAC)」。それから約70年で到達した一つのシンボルが、2011年に世界で第1位となった、スーパーコンピュータの「京」。「京」は、1秒間に1京回の計算ができる。それは著者が20年前に使っていたスーパーコンピュータの1000万倍の性能。問題の2045年までは30年ある。

 それでも計算能力の向上だけであれば、問題はないのかもしれない。しかし同時並行的に「人工知能」の開発が進むと話が違う。人間の知的活動をコンピュータが代替し、自らのプログラムの更新まで行うようになれば、コンピュータは独自の進化を遂げるようになる。それも人間が更新する何倍も速く正確に。それは人類にとって吉か凶か?それが予測できない。いや吉と考えられる理由は何もない。その不穏な予感が「2045年問題」の核心だと思う。

 詳しくは本書を読んでもらいたいが、未来学者たちが2045年以降に起きるかも?とするのは、かなりショッキングな出来事だ。しかしそれは2045年に突然起きることではなく、徐々に進行する。私はむしろこの徐々に起きる変化の方が気がかりだ。上に「人間の知的活動をコンピュータが代替し」と、さらりと書いたが、つまりは人間の仕事のほとんどをコンピュータが代替する、もっと端的に言えば「奪われる」ことになる。

 そもそも、コンピュータ技術は「人間を楽にする」ためのもので、人間の仕事を代替するのはその目的に適っている。それにも関わらず「奪われる」などとネガティブな表現をするのは、今の社会が「仕事がなければお金がもらえない」「お金がなければ生活できない」構造になっているからだ。

 未来が、人間が仕事から解放された「ユートピア」に向かうのか、生きる糧を奪われた「ディストピア」となるのか。それは社会の「仕事」と「お金」と「生活」のあり方によって決まる。今のままでは見通しは暗いと言わざるを得ない。

 興味をお持ちの方は、こちらの記事も参考になります。
 WIREDスペシャルページ「2045年、人類はトランセンデンスする?」

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裁きの鐘は(上)(下)

書影
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著 者:ジェフリー・アーチャー 訳:戸田裕之
出版社:新潮社
出版日:2014年4月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「時のみぞ知る」「死もまた我等なり」に続く、超長編サーガ「クリフトン年代記」の第3部。巻末の「解説」によると7部で完結の予定だそうだ。つまりまだ中盤に差し掛かったところ、ということだ。

 前作のラストは、バリントン家の莫大な資産の継承を巡っての、貴族院の審議の途中で終わっている。嫡子のジャイルズと、庶子(であるかもしれない)のハリー・クリフトンのどちらが正当な継承者か?投票の結果は273票対273票。結論は大法官の判断に委ねられた。

 それを受けて、本作は大法官の逡巡と結論から始まる。まぁ、前作から引っ張ったものの結論は早々に出て、物語は新しいステージへ滑り出す。ハリーは新作のプロモーションのために米国へ渡り、ハリーの妻のエマは父の遺児を探すことに着手する。

 その後、上巻では、ジャイルズの母の遺産相続や、庶民院議員選挙が、下巻では、ハリーの息子のセバスティアンを巡る騒動が描かれる。前2作と同様、いやこれまで以上に起伏が激しくテンポのいいストーリー展開で、著者の作品の魅力が良く出ている。
 ところで、このシリーズでは、数人の登場人物の物語が、章ごとに入れ替わるが、「クリフトン年代記」と銘打っていることもあって、これまではあくまでも「主人公はハリー・クリフトン」だった。

 しかし、本作ではハリーは脇役に引くことが多く、特に下巻はもうセバスティアンの物語と言っても過言ではない。もしかすると、ハリー以外の「クリフトン」も主人公となることで、長大な一族の物語になっていくのだろうか?

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マスカレード・イブ

書影

著 者:東野圭吾
出版社:集英社
出版日:2014年8月25日 第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「マスカレード・ホテル」のシリーズ第2弾にして、前日譚。「マスカレード・ホテル」の主人公である、警視庁の刑事の新田浩介と、ホテル「コルテシア東京」のフロントクラークの山岸尚美が出会う前の物語。

 50~60ページの短編が3本(山岸尚美が主人公のものが2本、新田浩介が主人公のものが1本)と、表題作で150ページほどの中編を1本収録。短編は限られたページ数の中で、謎解きが2回転がる少し手の込んだミステリーになっていて楽しめる。

 表題作には、新田浩介と山岸尚美の両方が登場する。しかし、新田浩介は東京で起きた殺人事件の捜査をしていて、山岸尚美は開業時のサポートに派遣された「コルテシア大阪」に勤務、2人は会わない。ただし、同じ1つの事件を巡って2人は、かなり接近する。シリーズ第2弾の意味はここにある。

 「マスカレード」は「仮面舞踏会」。超一流のホテルに来る客は様々な事情で「仮面」を被っている。多かれ少なかれ日常とは違う自分を演じているだろうし、偽名で他人になりすましている者だっている。

 その「仮面」を、ホテルクラークは「守る」ことが仕事では必要で、刑事は「暴く」ことが事件の解明につながる。その正反対の要素の出いの妙が、「マスカレード」に込められている。このことが、本書では前作より明確になっている。

 ミステリーなのであまりストーリーには触れないけれど、「楽しめた」とだけは言っておく。謎解きとちょっとした人情話。著者の作品の特長がほどよく配合されている。

 最後に。どうやら本書全体が「マスカレード・ホテル」の「伏線」という位置づけになるらしい。もう1回「マスカレード・ホテル」を読んでみる必要がある。

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他人を攻撃せずにはいられない人

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著 者:片田珠美
出版社:PHP研究所
出版日:2013年12月2日 第1版第1刷 2014年8月25日 第1版第21刷
評 価:☆☆☆(説明)

 4年前に読んだ「一億総ガキ社会「成熟拒否」という病」の著者の近刊。話題になっているようなので(帯には「15万部突破 反響続々!」とあるし、奥付によると発行後9か月で21刷になっている)、読んでみた。

 著者は精神科医で、その元を訪れる患者さんの話を聞いて「他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いるんだなあ」と思ったそうだ。そして「他人を攻撃せずにはいられない人」=「攻撃欲の強い人」として、それは「どんな人」で「どんなことを」「どうして」するのか。そして「どんな人が影響を受けやすいのか」「どう対応」したらいいのか、といったことを事例を挙げて、本書では説明する。

 「攻撃欲の強い人」は、自身がそう意識していない場合も含めて、他の誰かがうまく行っているのが許せない。怒りや敵意に突き動かされて、他人の幸福や成功を壊そうとする。おまけにそれで何か得をするわけでもない、というケースも多く厄介だ。

 例えば、大きな契約が取れたと喜んで報告する部下に対して、一切の労いもほめ言葉もなく「経費をたくさん使っていたら会社の利益にならないんだぞ!」と叱責する上司。研究が認められて留学の話が持ち上がったことを喜ぶ息子を、「そんなことで喜んでいるようではまだまだ甘い。おれが若いころは...」と一喝する父親。「攻撃欲の強い人」は職場にも家庭にも現れる。

 幸いなことに私の近しい人たちには、こういう人はいない。しかし、少し範囲を広げれば何人か思い当たる。その中に一人として「悪人」はいない。職務に忠実であったり、相手のためを思った忠告であったりと、本人は「自分は正しい」と思ってやっているのだろうと、傍目に見ても分かる。だから誰にもそれを正すことなんてできない。そんな人たちだ。

 「処方箋」と題した最終章に、様々な対処法が述べられている。ただ「根性曲りにつける薬はない」という項目があるように、相手を変えることはできない。それでも「うまい処し方」というのはあるもので、もし現在悩んでいる人がいれば、参考にはなると思う。

 最後に。本書ではあくまでも面と向かった関係での事例に限って論じているが、ネット上には「他人を攻撃せずにはいられない人」が、もっともっとたくさん見つかる。このことについての著者の見解も聞いてみたい。

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明日の子供たち

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著 者:有川浩
出版社:幻冬舎
出版日:2014年8月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 人気作家の有川浩さんの最新刊。幻冬舎創立20周年記念特別書下ろし作品、だそうだ。

 舞台は「あしたの家」という名の児童養護施設。90人の子供たちが暮らしている。主な登場人物は、新任職員の三田村慎平、3年目の和泉和江、高校2年生の谷村奏子と平田久志の4人。主人公を切り替えながら物語は進んでいく。

 90人も子どもが暮らしていれば、問題行動を起こす子もいる。しかし奏子と久志の2人は、ルールを守り、年下の子供たちの面倒をよく見て、職員や施設の運営にも協力的だ。いわゆる「問題のない子」

 もちろん「問題がない」のは、施設運営上で問題がない、言い換えれば「都合がいい」ということで、彼らが問題を抱えていないわけではない。そうでなければ児童養護施設に入所する必要なないのだから。

 物語は、たくさんの対立や苦い経験などを描き出しながら、大きなうねりを形作っていく。子供たちは大人をよく見て、それ故の反発もある。職員の間には意見の相違もある。世間の認識と実際とのズレも大きい。

 ラブストーリーあり自衛隊ありカッコいいおっさん(おばさんも!)あり。有川作品らしいところがたくさんあるのだけれど、今回はそれがメインではない。(それがまた「らしい」というヤヤこしい構造なのだけれど)

 児童養護施設に入所している子供たちは「かわいそう」、もしそう思っている人がいたら、ちょっと本書を読んでみてほしい。それが著者の希望のようだから。「図書館内乱」など著者の他の作品でも時々でも描かれるけれど、「間違った善意」は「悪意」よりもたちが悪いことがある。

 先ごろ、高校野球の選手が中学生の時に書いた作文がネットで話題になった。本書を貫くテーマと通じるものがあると思う。

 コンプリート継続中!(アンソロジー以外の書籍化された作品)
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思い出のマーニー

書影

著 者:ジョーン・G・ロビンソン 訳:松野正子
出版社:岩波書店
出版日:2014年5月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 現在公開中のスタジオジブリの映画「思い出のマーニー」の原作。映画の方は「もし評判が良ければ..」ぐらいなんだけれど、原作は読んでみようと思って手に取って見た。手元に届いて意外に思ったのは、400ページのけっこう厚い本だったこと。勝手な思い込みでだけれど、もう少し薄い本を想像していた。

 主人公はアンナという名の少女。もっと幼いころに両親を亡くし、プレストン夫妻という養父母に育てられた。物語は、喘息の転地療養のために、プレストン夫妻の古い友人であるペグ夫妻の元に、アンナが出発するシーンから始まる。

 この冒頭の短い出発のシーンに、アンナが抱えるものが暗示的に描かれている。喘息以外に「やってみようともしない」ことを大人たちが心配していること。普通の子どもたちが考えるような「友だち」とか「一緒に遊ぶ」とかいったことに興味がないこと。自分だけ「外側」にいるように感じていること...。そこには「心の問題」が垣間見える。

 ペグ夫妻の元でアンナは、行きたいところに行き、したいことをして暮らす。時に問題を起こすこともあるのだけれど、ペグ夫妻は、全面的にアンナを受け止めてくれる。そんな暮らしの中で、アンナは同じ歳ぐらいの少女マーニーと出会う。物語はこの後、アンナとマーニーの「大人たちには秘密の」面会を繰り返し描き、やがてそれも終わるときが来て...。

 マーニーの登場後に、私の頭に常にあったのは「マーニーとは誰なのか?」「そもそも実在するのか?」ということだ。もちろんマーニーはアンナと普通に話をするし、触れることもできる。しかし、その実在を危うくするようなことが、物語のそこここに潜んでいる。

 面白かった。アンナがかなり無茶な行いに及ぶので心配になってしまうが、そういった奔放さもこの物語には必要だったのだと思う。「マーニーとは誰なのか?」というミステリーの要素、子どもらしい無邪気さと少しの残酷さ、アンナの回復、そういったことが混然となって物語を引っ張っていく。

 最後に。どの版にあるのかどうか分からなけれど、私が読んだ「特装版」には河合隼雄氏による「「思い出のマーニー」を読む」という題の解説が付いていた。物語に「解説」なんて要らないという声もあるだろう。しかしこれは、物語全体に新しい光を当てる素晴らしい解説だと思う。

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薄妃の恋 僕僕先生

書影

著 者:仁木英之
出版社:新潮社
出版日:2008年9月20日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「僕僕先生」につづくシリーズ第2弾。主人公の王弁は、もともとは親の財産でノラクラと暮らしていたニート青年。前作では、師である僕僕先生の旅に同道して、大したことはできないけれど、他の人が真似できないことはできたりして、何となく弟子として認められた。

 今回は、それから5年後。王弁を残して神仙の世界へ行ってしまった僕僕先生が戻って来た。王弁と僕僕先生は再び旅に出る。今回は大陸を南下する。物語はその行く先々での事件→僕僕先生による王弁への「ムチャ振り」→解決、を描く。

 料理対決、豪雨に沈む街、許されざる愛、店の跡継ぎ問題、仇討ち…。とてもバラエティに富んだ事件が、2人の前に立ち現れる。もしかしたら僕僕先生の神通力を以てすれば、簡単に解決できそうな気もするが、修行の身の王弁が体当たりとも言える奮闘でことにあたる。

 前作より今回の方が楽しめた。舞台がずっと「こちら側の世界」だったからかもしれない。もちろん、こちら側の世界の事件であっても、裏には人外の者がたくさん関係している。そうした中に、親しみやすいキャラクターが登場していることも、楽しめた理由だろう。

 そのキャラクターとは、雷の子の砰(ばん)と人間の子の董虔(とうけん)、皮一枚の身体の薄妃(はくひ)さん。砰くんと董虔くんは「Fantasy Seller(ファンタジーセラー)」にも登場した。私にとってはこのシリーズの入り口になった存在。本書のタイトルでもある薄妃さんは、旅の途中で一行に加わった。この後も道ずれとなるのだろう。

 気になるキャラクターもいる。「面縛の道士」と呼ばれ、僕僕先生一行とは敵対する。この対立が今後の物語の展開の軸になるのだろうか?

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絶望のテレビ報道

書影

著 者:安倍宏行
出版社:PHP研究所
出版日:2014年7月29日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は昨年までフジテレビの報道の要職を歴任してきた。2002年10月から1年間滝川クリステルさんと共に「ニュースJAPAN」のキャスターを務め、その後もコメンテーターとして出演していたので「あごヒゲのキャスター」として覚えている方もいるかもしれない。

 本書は、著者の21年間のテレビマン生活を振り返り、テレビニュースの現場を数々のエピソードを交えて紹介する。その結果として「マスゴミ」と蔑まれて視聴者から見放されたかのような、テレビ報道の絶望的な状況をあぶりだしている。

 テレビ報道は即時性と映像が強みだ。しかしそれがそのまま弱みになっている。新聞の記者は、基本的に文字原稿を日に2回の締切までに仕上げればいい。しかしテレビの報道記者は、原稿を起こして、映像の撮影を指示して、編集しなければならない。場合によっては「顔出し」して話すこともある。つまり、それだけ手間も暇もかかる。そして締め切りは、ニュースの重要性によるが、基本的に「できるだけ早く」だ。

 テレビ番組は、コストと視聴率の両面から圧迫を受けている。コスト削減は上に書いた「手間暇」のかかる報道の現場を疲弊させる。そのため十分な取材が行えなくなり、それが信頼性を落とす原因になっている。視聴率を得るために、視聴者におもねってウケのいい話題を取り入れる。結果としてワイドショーと区別がなくなって、却って視聴者が離れていくという皮肉。ネットでの炎上事件は、多くはいわれのない中傷なのだけれど、ボデーブローのように効いて体力を奪う。八方塞がりで出口が見えない。

 まさに「タイトルに偽りなし」の絶望的状況。ただ私は少し違うものを期待していた。テレビ報道に深く関わった著者ならではの展望なり提言が欲しかった。なんだかんだ言っても、テレビ報道がこのまま衰退して、一番困るのは私たち視聴者(国民と言い換えてもいい)だからだ。著者もその認識はあって、かすかな希望を見出そうとするのだけれど、その試みがうまく行ったとは言えない。それは著者の責任ではなく、それだけテレビ報道を取り巻く絶望が深い、ということだけれど..残念。

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