2.小説

クララとお日さま

書影

著 者:カズオ・イシグロ 訳:土屋政雄 
出版社:早川書房
出版日:2021年3月15日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 読み終わって「トイストーリー」を思い出した本。

 著者のノーベル文学賞受賞第一作。

 主人公はAIを搭載したロボットのクララ。どこかの子どものAF(人口親友)になるために、開発生産されて店頭に並んでいた。やがてジョジーという少女の家に購入されてその屋敷で暮らし始める。

 様々なことが徐々に明らかになる。クララが太陽光をエネルギー源にしているらしいこと。ジョジーの健康状態がよくないこと。ジョジーのお姉さんが亡くなっていること。ジョジーにはリックという友達がいること。「向上処置」を受けた子どもと受けていない子どもがいること。ジョジーは「向上処置」を受けていて、リックは受けていないこと。等々。

 ジョジーの家には、ジョジーとお母さん、メイドのメラニアさんがいる。ジョジーのお父さんは離れて暮らしているらしい。そこにリックがやってきたり、友達がやってきたりする。クララにとっては、家から外に出る、ジョジーの家の人以外に会う、車に乗って出かける,,と、一つ一つの出来事が初めてのことで世界が広がる。広がった世界のことを記録することで、ジョジーによってよりよい判断ができるようになる。

 お母さんはジョジーのことをとても愛しているのだけれど、どこか不安定な感じがする。その不安定さは物語の核心に触れる。それは、ロボットと人間の間にある線を越えることができるのか?ということだ。

 面白かったのだけれど、背筋に冷たいものを当てられているような落ち着かなさを、ずっと感じていた。今は良くてもいつかは破綻する。それはAIの完全さによるものか、人間の不完全さによるものか?そういうことが、背後から感じられる。

 結末についても書いてしまうけれど、これはハッピーエンドなのだろう。

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書店ガール6 遅れて来た客

書影

著 者:碧野圭
出版社:PHP研究所
出版日:2017年7月21日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 ビブリオマンシー(書物占い)という言葉を初めて知った本。

 「書店ガール」の第6巻。主人公は前作と同じで、取手の駅ナカ書店の店長の宮崎彩加と、大手出版社のライトノベル部門の責任者・編集者の小幡伸光。それぞれ前作では新しい立場や環境での奮闘を描いたけれど、本作はそれらが一段落した後の話。

 今回も二人に試練が待っていた。彩加の店は会社の方針で4ケ月後に閉めることになった。もちろん彩加には何の相談もなしに。オープンして1年半弱、アルバイトの店員のヤル気を引き出して、彼らの協力で店づくりがうまく行きだした矢先に。

 伸光の方は、ヒット作が生まれたが故の苦労。「鋼と銀の雨がふる」という作品がヒットし、なんとNHKでのアニメ化が決まる。それはとても幸運なことなのだけれど、アニメスタジオとの折衝など、ただでさえ忙しい編集者の伸光にさらなる負担がかかる。

 双方とも読んでいてなかなかつらい展開だった。特に彩加の方は「撤退戦」なので、この苦労を乗り越えたところに何かが待っているわけではない。正式な告知までは社外秘なので、誰にも相談できない。納品を減らすことを、一緒に働く仲間にさえ言えない。もっとも伸光の方も大変な事態に..。

 行き詰ってしまって「もうダメ」という時でも、誰か別の人が関わるだけで好転することがある。そんな出来事が救いになって、読後の後味は悪くない。前作から気になっていた彩加の恋バナもちょっと進む。シリーズの最初の方の主人公の西岡理子もカッコよく登場する。

 つらいことがあった時に役に立ちそうな言葉「世界はあなたのためにはない」
 受け止めるには胆力が要りそうだけれど。

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我が産声を聞きに

書影

著 者:白石一文
出版社:講談社
出版日:2021年7月5日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 静かな、しかし決して元には戻らない家族の変化を描いた本。コロナ禍を設定に採り入れたのも特徴的。

 主人公は徳山名香子、47歳。英語学校の非常勤講師。10代の終わりに気胸を患って、その後も何度か軽い再発を繰り返している。コロナ禍で英語のレッスンはすべてオンラインに切り替えていた。一緒に住む夫の良治は大手電機メーカーの研究職で、彼も最近は週に1日か2日が在宅ワーク。名香子の肺を気遣って、外出も控えてレストランでの食事などは厳に慎んできた。

 ところが良治が「一緒に行って欲しいところががある」と、1週間先の予定が空いているかを聞いてきた。しかも用件は「当日になったら教えるよ」と言う。元々、どんなことでも打ち明け合うような夫婦ではなかった。むしろ適度な距離を保つことで、波風を立てずに20年間過ごしてきた。それでもこの良治の態度はおかしかった。

 物語はこの後、良治の病気の発覚から突然の別れ話と進む。名香子にはまったく予想外の展開で、気持ちがまったく追い付いていかない。

 これはなかなか厄介な物語だった。自分がどう感じているのか確かめ難い。実は、良治は今は別の女性と暮らしている。この物語の主な登場人物は、良治の他は、名香子、名香子の娘の真理恵と母の貴和子、良治と一緒に住む香月雛と、圧倒的に女性が多い。男性である私がもし誰かの気持ちが分かるとしたら良治なんだけれど、妻を置いて他の女のところに行ってしまう男に共感はできない。

 ところが何カ所か気になる言葉がある。例えばそれは真理恵の次の言葉。

 「おかあさんにかかると、いつだっておかあさんが正しい人になっちゃうんだもん

 読み飛ばしても話の展開には影響はないけれど、この言葉は私の胸を衝いて記憶に残った。「そういうことなのか」と、私は良治の心の一端に触れた気がする。世の多く(特に女性)の皆さんには一蹴されそうだけれど。

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テスカトリポカ

書影

著 者:佐藤究
出版社:角川書店
出版日:2021年2月16日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 これが大衆文学の賞を受賞したわけで、だとすると「大衆」ってこういうのが好きな人が多いの?と思った本。

 2021年上半期の直木賞、および今年の山本周五郎賞受賞作。

 臓器売買の犯罪グループを描いたノワール(暗黒)小説。物語の舞台はメキシコから始まって川崎→メキシコ→ジャカルタ→川崎と移り変わっていく。多くの人物のエピソードを積み重ねてそれらが交錯して、一つの凶悪な犯罪の物語を構成していく。

 その多くの人物というのが、メキシコの麻薬カルテルのボスだとか、臓器を違法に摘出する闇医師だとか、態度を注意されて「ごちゃごちゃうるさい奴」を頭を叩きつけて殺してしまうカメラマンだとか、とにかく尋常ではない「悪人」ばかりがゾロゾロと登場する。

 その中にコシモという名の少年がいて、彼も13歳の時に父親を頭を天井に叩きつけて殺すという、とんでもない経歴がある。しかしこれには、父親がコシモを牛刀で刺し殺そうとしていた、という訳があった。また彼はネグレクトを受け学校にも行っていない。なぜか屈強な体を得た無知・純真な心の持ち主。この少年が物語の軸の一つになって、その成長で時間の経過が分かる。

 読んでいる間中ずっと眉をひそめていた。スリリングで飽きることなく最後まで読めるのだけど、残虐だったり倫理に反していたりするシーンが重ねられて「こんなのアリなのか?」と思った。フィクションなのだから、悪いことだって殺人だって起きてもいいのだけれど、あまり続くので露悪趣味のように感じた。ノワール小説とはそういうものなのかもしれないけれど。

 そうそう。タイトルの「テスカトリポカ」はアステカ神話の神で、本書の随所にもアステカ文明や神話の記述が登場する。私が倫理に反すると思ったものの中には、アステカの儀式につながるものもある。そこは現代日本の価値観で判断すべきでないのかもしれない。でもねぇ...。

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星落ちて、なお

書影

著 者:澤田瞳子
出版社:文藝春秋
出版日:2021年5月15日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

「普通」を求めても得られない、主人公の生き方が哀しくも頼もしかった本。

2021年上半期の直木賞受賞作。

明治、大正、昭和の時代を生きた女絵師の一代記。主人公の名前はとよ。天才絵師の河鍋暁斎の娘。その暁斎が59歳で亡くなった葬儀の後から、物語は始まる。明治22年、とよが22歳の時。

父の暁斎は師匠から「画鬼」とあだ名された。歌川国芳を最初の師として、狩野家で厳しい修行を積み、やまと絵から漢画、墨絵まで様々な画風を自在に操った。しかし「画鬼」たる所以は「絵のことしか考えぬ男」だったからだ。生家が火事だと聞けば画帖を持って駆けていって、火消しではなくて写生をする。自分の臨終の床で、嘔吐する自分とそれを見て仰天する医師を描いた。

とよは、そんな父のもとで5歳の時から稽古を始めた。とよにとって暁斎は父であるより師だった。自分が大人になり父を亡くして振り返ればそう感じた。実は多くいる兄弟姉妹のうち、兄の周三郎ととよの二人だけが、絵師の道を継いだ。兄の周三郎は父の絵だけでなく、性格も色濃く受け継いだらしい。父の葬儀を中座して家に帰って、注文された絵を描いていた。

物語は、ここを始点にして大正13年までの35年間の時々を描く。その間にとよの親しい人たちが一人また一人といなくなっていく。衝突は絶えなかったが、同じ道に進んだ周三郎も逝ってしまう。

淡々とした筆致に、筋の通ったとよの生き方を感じた。読んでいる最中は、もっと劇的なドラマがあってもいいんじゃないかと思った。しかし、とよも暁斎も周三郎も実在の人物で、それを考えれば十分に掘り下げた質のいいドラマに仕上がっている。

著者の作品を読むのはこれが初めて。調べると様々な賞を受賞されている。「若冲」という作品もある。読んでみようと思う。

最後に。「自分の如き画鬼の娘は結局、まともな相手と家族ではいられぬのだ」というとよの心の内の言葉が哀しい。

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竜とそばかすの姫

書影

著 者:細田守
出版社:角川書店
出版日:2021年6月25日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 映画の感動をもう一度味わうように読んだ本。

 主人公の名前はすず。高知県の仁淀川近くに住む女子高校生。父親と二人暮らし。小さいころに母親を亡くした。水泳の上級者だった母は、急に増水した川の中州に取り残された少女を救出に向かって、少女は助かったものの、母は帰らぬ人となってしまった。その時を境にすずは変わった。快活だった少女はいつも下を向いている子どもに、母とよく声を揃えて歌っていたのに、歌が歌えなくなってしまった。

 物語の舞台は、すずが住む街の他にもう一つある。それは「U」という名前の仮想世界。全世界のアカウント数50億を超える史上最大のインターネット空間。そこでは人々は「As」というアバターとして暮らす。「U」の世界でアナウンスがこだまする「現実はやり直せない。でも「U」ならやり直せる。さぁ、もうひとりのあなたを生きよう」

  アナウンスのとおり「U」の世界ですずは、やり直すことができた。もう一度歌えるようになった。それも絶世の美女の歌姫「ベル」として、圧倒的な人気を誇る。しかし「U」の世界でお尋ね者の「竜」と関わることで、立場を危うくすることになる。

 細田監督の作品らしい、家族や仲間の温かさを感じる物語だった。すずは現実の世界では冴えない女子高校生、「U」の世界ではヒロイン、という陰陽の二重性を持つ。これは他の「As」も同じで「もうひとりのあなた」はだいたい現実の姿とはかけ離れている。

 でも「すず」と「ベル」は、当たり前だけれど一つの人格だった。「竜」に関わったのも、その傷だらけの姿が放っておけなかったのだろう。この性格は母から受け継いだものかもしれない。冴えない女子高生の「すず」を支える人々もちゃんといて、その人たちは「ベル」も助けてくれる。

 細田監督の映画は、映画の公開と前後して小説も公開される。「ノベライズ」ではなくて原作小説という位置づけ。私はいつも映画を見てから小説を読む。まぁどちらが先でも構わないけれど、どちらも見て読んでされることをおススメする。映像では表現が難しい説明がある分、小説の方が作品を深く理解できる。本作に限って言えば、映画の圧倒的な音楽と映像美は、当然ながら小説では分からない。

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エレジーは流れない

書影

著 者:三浦しをん
出版社:双葉社
出版日:2021年4月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 アホ男子高校生の暮らしは楽しい。でも彼らも一生懸命生きているのだ、と思った本。

 主人公は穂積怜。餅湯温泉駅前商店街の土産物屋で、母の寿絵と暮らす男子高校生。餅湯温泉は、関東近県から客がやってくる一大リゾート地。餅湯温泉駅には新幹線の駅もある。とはいえ、団体旅行も減って久しい昨今、ホテルや旅館は経営が厳しく、それは土産物屋も同様で、怜が生まれた時からこの町は半分寝たような状態だ。

 物語は怜の日常から始まる。朝起きて、母親としょうもない口喧嘩をして、学校に行って、身が入らない授業を受けて、昼休みには子どものころから一緒に育った友達と屋上で弁当を食べる。あっと言う間に食べ終わって、誰かが「腹へった..」とか言う。..平和だ。

 と思ってたら「あれ?」と思うことが起きる。怜が寿絵と暮らす家とは違う家に帰って行く。どうやら毎月第三週はそこで暮らすらしい。50畳はあろうかというリビングダイニングがある豪邸で、商店街の店舗兼住居の家とは全く違う。おまけにそこには伊都子という名前の女性が居て、怜は伊都子のことを「お母さん」と呼んでいる。なんと怜には母親が二人いるらしい..。

 男子高校生の学園生活、お店や旅館の子どもが多い同級生たちの支えあい、子どものころから知っている商店街の大人たちとの関係、サスペンス調の冒険などなどが描かれる。もちろん、怜に母親が二人いる事情も明らかになるし、それに絡んだ事件も起きる。すべてが著者らしいユーモアと人情にくるまれている。

 笑う場面が多いのだけれど、なかでも特に声を出して笑ってしまった場面がある。友人の一人が右手の中指と人差し指を骨折する。その理由が...ぜひ読んで欲しい。

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書店ガール5 ラノベとブンガク

書影

著 者:碧野圭
出版社:PHP研究所
出版日:2016年5月20日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 新天地で頑張る姿に思わず応援したくなった本。

 「書店ガール」の第5巻。このシリーズの最初の3巻は、西岡理子と小幡亜紀の二人の書店員が主人公で、前作「書店ガール4 パンと就活」で、彼女たちの後輩の高梨愛菜と別の書店の宮崎彩加の2人にスイッチされた。本書では宮崎彩加を残して、もう一人は小幡伸光が主人公になった。

 伸光は編集者で、大手出版社のライトノベル部門の責任者。そして3巻まで主人公だった小幡亜紀の夫でもある。前回の主人公のスイッチでも物語が広がったけれど、今回の主人公の交代も同じようによかった。「書店」でも「ガール」でもないのが反則かもしれないけれど、そんことはいい。

 彩加は前作の終わりに、契約社員から正社員になると同時に、茨城県は取手の駅中書店の店長になった。前にいた吉祥寺のお店でも担当していた、得意な文芸書で店づくりをしているが、どうも客層が違うようだ。伸光は元はコミックの編集者だったが、会社の方針でライトノベルのレーベルを一から立ち上げた。ライトノベル業界の中でも会社の中でも、新参者で立場が弱い。

 二人とも苦労している。特に伸光の方は、あちらからもこちらからも逆風が吹いている感じで、会社員であれば誰しも身につまされる。その後は、解説の大森望さんが「いくらなんでも話が出来過ぎじゃないか」と書くような展開なのだけれど、リアリティがないわけではない。なにより私がこういう展開を期待していた。

 彩加の恋バナもちょっとあって、これは今後も続けて欲しい。

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プリンス

書影

著 者:真山仁
出版社:PHP研究所
出版日:2021年6月10日 第1版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この40年ぐらいの間に起きた、アジアの国のいくつかの事件を思い出した本。

 物語はメコン共和国という東南アジアの架空の国の、大統領選を巡る陰謀を描いている。現政権は10年前にクーデーターによって軍部が樹立した。以来、大統領選はおろか国会議員の選挙もまともには行われていない。今回の選挙は、民主化への移行を国際社会から要求されて実施されることになった。

 選挙戦のプレイヤーは、表面的には現大統領と国外追放中の上院議員の2つの陣営。裏側では、軍部や秘密警察が動いている。さらに背後で利権を目当てにイギリスやアメリカの情報機関が暗躍している。身柄の拘束もあり、拷問もあり、暗殺もあり。誰と誰が組んでいるのか?この事件の首謀者は誰なのか?まぁとてもおっかなくて複雑なのだ。

 この複雑な状況の中で、焦点を当てて描かれるのは3人。一人目がイギリス大使館の一等書記官のカートライト。外交官人生の中でこれが3回目のメコン共和国への赴任。二人目はピーター・オハラ。立候補を予定している上院議員の息子で早稲田大学に留学中。三人目は犬養渉。早稲田大学の学生で「I’ll protect constitutional rights(僕は立憲主義を守る)」という活動をしている。

 力強く牽引されるような物語だった。舞台となった東南アジアの熱い空気まで感じた。渉は「もっと命がけで政治活動をしなければならない場所に、身を置いて政治を考えたい」と言って、ピーターと共にメコンに渡る。そこで民主主義を勝ちとるための、文字通りに命がけの戦いを経験する。熱いのは空気だけではなくて、人々の思いもそうだった。

 渉とピーターの最初の会話が心に残る。国会前デモに誘う渉の路上ライブの後、ピーターが「僕の国では、こんな政治的主張をすつ若者は、いません」と言い「メコンの人には、俺らの活動は、確かにごっこ遊びにしか見えないだろうね」と返す。

 彼我の差は大きく、彼の国では政府に反する主張は命に関わる。日本では取り合えずそれだけでは、命に関わることはもちろん拘束されることもない。民主主義とはかくもありがたいものなのだ。だからこそ守らないといけない。

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ヒトコブラクダ層ぜっと(上)(下)

書影
書影

著 者:万城目学
出版社:幻冬舎
出版日:2021年6月25日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者がインタビューで「インディ・ジョーンズみたいな話」とおっしゃっているけれど、まさしくそういう本。

 万城目学さんの最新刊。「小説幻冬」2017年11月号から2021年3月号に掲載したものに加筆・修正を加えたもの。

 主人公は梵天、梵地、梵人の榎土三兄弟。三人は三つ子で26歳。3歳のときに家に隕石が直撃して両親を亡くす。小学校卒業まで叔父さんが育ててくれたが、中学からは3人で生活をしている。三人にはそれぞれ特殊な能力がある。梵天は壁などの向こうに意識を飛ばしてそこにあるものが見える。梵地はどんな言語でも相手が話していることが分かる。梵人には未来が見える。とはいえ梵天が意識を飛ばせるのは3秒間だけ、梵人に見える未来も3秒後の未来。

 梵天には人生の目標がある。「恐竜の化石を発見する」という目標。それに向かって、三兄弟は力を合わせた。..中国マフィアと組んで貴金属店から5億円相当の貴金属を盗んだ。その分け前で梵天は、ティラノサウルスの歯の化石が出たことがある場所を山ごとを買った。思う存分発掘ができる。能力を使えば、地面の下に埋まったものも見ることができる。3秒を延々と繰り返すことになるけれど。

 ここまでが物語の前日譚。この後、梵天の山に集まっていた三兄弟の前に、真っ青な毛皮を着た謎の女性が現れ(なんと彼女は生きたライオンを連れていた)、貴金属店の窃盗をバラされたくなければ言うことに従え、と脅される。抵抗の余地もなく言うなりになった三人は、なぜが自衛隊員に応募し訓練に参加することになり、さらにはPKOの先遣隊としてイラクに、さらには...と、3人をその意思とは関係なく遠くへ連れていく。ジェットコースターのようにぶんぶん振り回されながら。

 面白かった。詳しくは書かないけれど「どこまで風呂敷を広げるねん」というぐらい大風呂敷が広がっていく。神話のこと考古学のこと化石のこと射撃のこと政治のこと..。著者がよく調べたらしく、ちょっとした知識がたまっていく。読んでいる最中は「語りすぎ」な気もしたのだけれど、大風呂敷に芯をいれるような効果があって、物語が引き締まったと思う。

 上下巻の「上」までは、あまり何も起きない。もちろんいろいろとユニークな出来事はあるのだけれど、ジェットコースターの前半の急カーブみたいなもので、やっぱりメインは後半の宙返り、本書では下巻のかなりの部分がそれにあたり、タップリと楽しませてくれる。

 最後に。銀亀三尉という自衛官が出てくるのだけれど、いい味を出している。銀亀さんのスピンアウトがあってもいいと思う。

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