9.その他

新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる

書影

著 者:岩田健太郎
出版社:エクスナレッジ
出版日:2020年6月3日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「サッカーが教えてくれる」ってどういうこと?と思って読んだ本。

 「新型コロナウイルスの真実」で紹介したように、著者の岩田先生は感染症の専門家で、現下の状況で積極的に情報を発信している。私は、その情報発信を追うために著者のTwitterをフォローしているのだけれど、ちょいちょいとサッカーの話題、特にヴィッセル神戸関係のツイートやリツイートが混じる。どうもサポーターの間では「やたらと感染症に詳しい神戸のサポ」認識されていえるそうだ。(「神戸を応援している感染症の専門家」ではなく)

 つまり「感染症に詳しいサッカーファン」の著者が、なかなかうまく伝えられない「新型コロナウイルス」のことも、サッカーに例えて説明すると分かりやすく伝えられるのでは?と考えて記したのが本書(「サッカーが教えてくれる」とは少しニュアンスが違う)。例えば感染症対策には「ゾーニング」とう概念がある。サッカーにもディフェンスの時に「ゾーンで守る」という考え方がある。

 著者の目論見どおりに、サッカーを知っている人には、本書はとても分かりやすい。裏を返せばそうでない人にはピンとこない、ということになるのだけれど、そう心配は要らない。詳しくなくてもいい。「知っている」ぐらいで大丈夫だ。例えば「ロングシュート」が「ゴールの遠くから打つシュート」、「スライディング」が「足から滑り込んで相手からボールを奪おうとすること」だって分かれば全然問題ない。

 この2つを使って新型コロナウイルスのことを説明する。「可能性はゼロではないから、できることはすべてやる」は、入るかもしれないからと言ってロングシュートを打ちまくるのと同じ。「片っ端から検査をして陽性者見つけ出す」は、まだ自陣のゴールからは遠いのに、相手にスライディングをしまくるようなもの。

 多くの人は分かったと思うけれど、一応説明する。どちらも「ムダなことはしない方がいい」ということ。かつては「とにかく止まらないで試合中は走り続けろ!」という、サッカーの指導者もいたようだけれど、休める時に休まないのは、ただ体力を消耗しているだけだ。感染症対策に限らず一般的に、合理的であろうとすると「さぼっている」と言われて悪者扱いされがちだけれど、それでは必要な時に力を発揮できない。

 このように紹介すると、著者は楽観的で「もっとユルくても大丈夫」と言っているように感じるかもしれない。しかしそこは感染症の専門家であり、締めるべきところに妥協はない。そのこともとても参考になるので、一読をおススメ。

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未来のルーシー

書影

著 者:中沢新一 山極寿一
出版社:青土社
出版日:2020年3月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「これは手に負えない」と何度も思いながら、何かに惹かれて最後まで読んだ本。

 人類学者の中沢新一さんと霊長類学者で京都大学総長の山極寿一さんの対談。中沢さんは、著者紹介に人類学者と書いてあったからそう紹介したけれど、哲学・宗教・民俗学・サブカルチャーと、その活躍分野はとても広い。山極さんは、その「ゴリラの社会を知ることによって、人間のことをよく知る」という視点が、私はとても好きで著書もいくつか読んだ。

 対談は、どちらかと言うと中沢さんのリードで進む。例えば中沢さんが「狩猟採集時代までは、自然と人間のエネルギー総量は一定であったけれど、農業が発生すると余剰が発生するようになった。その再分配システムの構築が社会構造を変化させ、王を出現させた」と話題を提供する。それを受けて山極さんが「まったくその通りだと思います」と言って、類人猿と人間の食物分配の違いについて話し出す、といった具合。

 こうやって言葉のキャッチボールを続けて、時間的には、狩猟採集の縄文時代から、現代のシェアリング文化まで、分野的には、哲学、宗教、人類学、社会学と幅広く語り合っている。

 博覧強記とはこのことだ。現代の知性を代表するようなお二人を評価するのもおこがましい。一方が取り上げた誰かの著書の言葉を、もう一方もその著書を読んでいるらしくて、必ず受け止める。告白すると、博覧すぎて8割ぐらいの話題が、私には消化できなかった。もちろんおっしゃっている言葉は理解できるけれど、全然頭に入ってこない。

 それでも、乾いた土に養分のある水が染み込むような、滋養を感じながら読み終えた。この土からいつか芽が出るかもしれない。出ないかもしれない。

 最後に。山極さんの「おわりに」に「京大生であれば、だれでも一度は西田(幾多郎)の著書を手に取ったことがあるはずだ」とある。これは言い過ぎだと思うけれど、京都の有名な観光地の「哲学の道」の名前が、哲学者の西田幾多郎に由来していることを知っている京大生は多いだろう。

 山極さんの先生の先生で、日本の霊長類研究の創始者として知られる、京都大学の名誉教授の今西錦司先生が、西田幾多郎の著作を熱心に読んで、その思想に大きく影響されたそうだ。霊長類の研究と哲学の融合に、学問の深淵を見た思いがしたし、京都という土地に受け継がれる知の系脈を強く感じた。

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生きる -どんなにひどい世界でも

書影

著 者:茂木健一郎、長谷川博一
出版社:主婦と生活社
出版日:2019年7月29日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

「なんと大仰なタイトルか」と思いながら、募る興味に抗えずに読んだ本

脳科学者の茂木健一郎さんと、臨床心理学者の長谷川博一さんが「生きる」ということをテーマに語り合った対談。茂木さんは有名な方なので、長谷川さんを紹介。長谷川さんは、多くの患者さんのカウンセリングの経験の他に、刑事事件の被告の心理鑑定や、虐待する親のケアなどにも取り組んでおられる。本書でも触れておられるけれど、附属池田小事件の元死刑囚の宅間守と15回の面接を行っている。

5章構成。章のタイトルを順に。「なぜ この世界は生きづらいのか」「なぜ ありのままで生きられないのか」「なぜ 社会や世間に追い詰められるのか」「これからの世界はどう変わるのか」「新しい世界を生きるために」。前半に3回「なぜ」を繰り返して「今とこれまで」をふり返り、後半に「これから」を展望する。

とはいえ、対談の話題は自由に行ったり来たりする。何と言っても本書前半のキーワードは「自己受容」だ。「何かを頑張ったり結果を出したりしたから自分はすごい」というのは「自己評価」。「できてもできなくても無条件にそれでよし」が「自己受容」。テーマに従って答えを手際よくまとめる、という発想はこの本の中にはない。問いに対する答えも、少なくとも分かりやすい形では提示されていない。

こういう人の心の問題を扱う本の常として、十人が読めば十人ともが違う場所が心に響く。同じ人でもその時の心の持ちようで違うこともある。それは「響く」という言葉でわかるように、自分の心と本との相互作用だからだ。心の方が違えば響き方も違う。

そんなわけで、他の人にはさっぱりかもしれないけれど、私の心に響いた言葉をひとつだけ。

決めてしまわないこと。親が、教師が、すべての大人が、関わる子どものことを決めてしまわない。そして大人も自分自身のことを決めてしまわない。つまり、未来はこうあるべきだと考えず、良し悪しの判断基準を柔軟にするということだ。

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地球外生物学

書影

著 者:倉谷滋
出版社:工作舎
出版日:2019年11月20日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 「なんなんだこの本は?」と思いながら、最後まで読んでしまった本。

 著者は現在理化学研究所の主任研究員。研究テーマは「脊椎動物筋骨格系の進化」などで、生物の体の形態や基本構造(ボディープラン)を研究する進化発生生物学の研究者だ。その著者が持てる知識を動員して、SF映画に登場する「地球外生物」を生物学的に分析して見せる。妥協なしで。

 例えば映画「エイリアン」のエイリアンについて。こんな感じ。

 エイリアンについてもう一つ問題にしたいことがある。すなわち、発生途上のクモの胚か、何かのカニを思わせるようなフェイスハガーの節足動物的なボディプランについてである。一方で胞子体であるところの最終形態エイリアンは、直立二足歩行の脊椎動物的形態を持っている。そこが問題なのである。

 第1作の監督のリドリー・スコット監督らが、このクリーチャー創造の際に、生物学的な観点をどこまで取り入れていたかは明らかでない。エイリアンの複雑な形態変化を考えると、何かしら参考にした生物がありそうだけれど、仮にそういったことが一切なくても、著者の考察は緩まない。同じようにしてウルトラQのケムール人やガラモン、ウルトラマンのバルタン星人なども俎上にのる。

 正直に言って、何の役に立つのかは分からない。架空の生物の登場シーンから得られる情報を基に、生物学的な考察をして何の益があるのか?例えば「セブンのアイスラッガーで切断されたクール星人の頭部の断面が、筋肉組織のように見え、神経繊維の束があるようには見えない」と言って「彼らの脳は思いのほか小型なのかもしれない」と推理して、何がどうなるものでもない。

 それでも本書に惹きつけるものがある。それは著者の「生物学の知識」と「架空の生物への造詣の深さ」によるのだろう。前者は著者の専門分野であるからもちろんだけれど、後者についても「量的」にも圧倒的だ。巻末に本書で触れた映像作品や文学などの索引が付いているのだけれど、その数が180を超えている。

 その量が熱量を生んで読者を惹きつける引力となっている。架空の生物に何の興味もないとか、役に立つものにしか価値がないとか、そう思っている人には、存在意義のない本だけれど..。私は最後まで楽しく読んだ。

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空気を読む脳

書影

著 者:中野信子
出版社:講談社
出版日:2020年3月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 日本では他の国に比べて、新型コロナウイルス感染症に「感染する人は自業自得だ」と思う人が多い理由が分かる、と聞いて読んだ本。

 日本人が「激しいバッシングが止まらないのはなぜか」「失敗を恐れるのはどうしてか」「幸福度が低いわけは?」といったテーマを、遺伝子特性や脳科学を切り口に語る。また「容姿や性へのペナルティ」と題して、性別や性に関する調査研究を紹介。

 「バッシング」についての考察が心に残ったので、そのことを紹介する。

 本書の最初に語られるのが「最後通牒ゲーム」という実験について。ゲームは2人で行われる。一方の人(A)が資金の配分権を持つ。自分にどれだけ多く配分してもいい。ただし、もう一方の人(B)は拒否権を持ち、それを発動すると双方の取り分がゼロになる。Bは例え1円でも配分があれば、拒否権を発動しない方が取り分が多い。

 それでも拒否権は発動される。自分が損してでも不公平な配分をしたAを懲らしめるためだ。そして拒否権を発動する率が高い人は、脳にあるセロトニントランスポーターという物質の密度が低い。さらに日本人は、その量が世界でも一番少ない部類に入る。「悪いヤツを懲らしめる」傾向が強い集団なのだ

 ネットで他人を追い込むような激しいバッシングが起きるのは、日本人のこの傾向が関係しているという仮説。加えてバッシングすることは、自分が正義の側にいることを確認する行為で、脳はさらなる報酬を得る。つまり「快感」なのだ。さらに日本は、大きな災害が相次いだことで「絆」(集団の結束)をより重視する社会にシフトしている。暗澹たる思いがするけれど、これじゃ「バッシング」がなくなりそうもない。

 最初の「感染する人は自業自得だ」について。セロトニンは「安心感」をもたらす神経伝達物質で、それが少ない日本人は単純化していうと「不安」傾向が強い。「感染した人には何かをちゃんとやらなかったんだ」と思うことで、その「不安」に対処している、と考えることができる。なるほど、うまく説明できる。

 「おわりに」が印象的だった。著者のこれまでの曲折や苦悩が垣間見える。

 そんなに快感なの?「それ」は?

という言葉を起点に語られる文書は、書籍のあとがきの範疇を越えて、告白あるいは告発のようだ。「それ」によって、人々は知能のスイッチが切られ、思考停止してしまう。著者は「それ」が理解できない。大多数の人はオートマチックに「それ」を運用できるらしいのに..

 「それ」が何かは、本書のタイトルにある「空気を読む」が有力候補だろう。でも敢えて最後まで「それ」と書いたのは、意味があるのだろうと思う。例えばもっと掴みどころのないものを指しているのだとか。

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超訳 日本国憲法

書影

著 者:池上彰
出版社:新潮社
出版日:2015年4月20日 発行 2109年3月30日 16刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「そう言えば憲法ってちゃんと全文を通して読んだことなかったなぁ」と思って読んでみた本。

 池上彰さんが日本国憲法の条文を一つ一つ取り上げて、その意味するところ、背景や関連のニュースなどを解説してくれる。条文の言い回しが難しいものについては、読みやすい文章に「超訳」してある。例えば結婚について定めた第24条1項はこうなっている。

 <条文>婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 <超訳>結婚は、男女二人の合意で成立する。他人が口を出すことはできない。夫婦は同じ権利を持っているのであり、お互いが協力して維持しなけれなならない。

 本書は著者の危機感が端緒になっている。本書発行の前年の2014年7月に「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」という俳句が、公民館だよりへの掲載を拒否される。そして12月の総選挙で与党が議席数の3分の2を維持し、安倍首相は憲法改正への意欲を見せる。

 第99条には、国会議員や公務員は憲法の尊重と擁護の義務を負う、と明記されているにも関わらず、公務員が「憲法を守ろう」を拒否する矛盾、それを許してしまう世間の関心の薄さへの危機感。まずは国会議員と公務員、続いて国民が、憲法を知らなさすぎる。このことが、今日の憂いを招いた原因ではないか、と著者は考えた。

 私は、これまでに憲法を学ぶ機会が何度かあった。中学生の時、高校生の時..。通読したことはあったのかなかったのか?本書を読むことで通読して気が付いたことがある。「憲法って意外と読みやすい文章で書かれてる」ということ。例えば上に書いた第24条1項。本書の主旨としては、難しいから「超訳」しているのだけれど、「これ難しい?「超訳」必要?」と思う。他の条文はもっと読みやすい。

 一番よく取り上げられる9条が例外的に難しいのだ。いや9条も平易な言葉で書かれているのだけれど、文意に揺らぎがあるのだ。これは2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」という文言のために生じている。この文言が挿入された経緯の解説があって、例外的に難しい9条も、私としてはスッキリと理解ができた。

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山本太郎 闘いの原点:ひとり舞台

書影

著 者:山本太郎
出版社:筑摩書房
出版日:2016年6月10日 第1刷 2019年8月10日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 友人が「読んでみて」と何冊か渡してくれた「山本太郎本」の一冊。

 「政治家の「自分語り」なんてロクなもんじゃない」と思っていたけれど、そんなことなかった本。

 本書の元は2012年2月に集英社から出版された単行本。これを加筆修正、特に「文庫版まえがき」「文庫版序章」「文庫版最終章」を加えて文庫本化した。単行本の出版時期としては、2011年の東日本大震災後の反原発の活動開始後で、2012年12月の衆議院議員立候補より前。だからタイトル中の「闘い」とは、現在の政治家としての「反貧困」を含めた闘争ではなく、主に「反原発」の闘いのこと。ただし「反貧困」を含めて「原点」は同じであることは読めば分かる。

 その「原点」を明らかにするために、本書はまずは、反原発の活動の始点となった「高円寺デモ」、大きく報じられた「佐賀県庁への”突入”」について、その真相などを描く。その後に時代を遡って著者の生い立ちを描き始める。著者が「鬼軍曹」と評する母親から受けた教育、「元気が出るテレビ」での芸能界へのデビュー、井筒和幸監督、深作欣二監督らとの出会いと交流など。

 「原点」と言っても一つではなく複数あるのだろう。読んですぐに分かる「原点」は「母親の教育」だ。「高円寺デモ」のエピソードで目を瞠った。デモには遅れて途中から参加した。家を出る前に母親と揉めたからだ。止められたのではなく「自分も行く」と言い出して、「今日は家にいといてくれ」「いや行く」という押し問答をしていたからだ。

 目を瞠る出来事はまだ続く。母親は「貧しいフィリピンの子供の里親になるボランティア団体」に入って、何人かの里親になっていた。小学生の著者もフィリピンに何度か連れていかれ、裸電球が1個しかないような家で、1か月ぐらい過ごしている。「すべての弱い立場の人には手を差し伸べる」という考えを身につけさせるためだ。

 れいわ新選組が掲げる政策は、人気取りのパフォーマンスではないのはもちろんだけれど、もしかしたら「政策」でさえないのかも。そういう表層にあるものではなくて、太郎さんという人間の芯にあるものなのかもしれない。

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ストーリーで学び直す大人の日本史講義

書影

著 者:野島博之
出版社:祥伝社
出版日:2018年4月10日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「古代から平成まで一気に」は、やっぱり難しいかな?と思った本。

 著者は有名予備校でダントツの支持を集める日本史のカリスマ講師らしい。「まえがき」に著者からのメッセージがいくつか含まれている。「海外で日本の社会や歴史について聞かれるけど答えが出てこない」「歴史は暗記だという風説が根強いけど、歴史は本来有機的で重層的な無数のつながり」「今の大学を目指す層が身につけつつある日本史像は、昔と様変わりしている」

 特に3つ目の「昔と様変わりしている」が強調されて、「化石のような人間-シーラカンスになりたくないなら、「大人」も必死に学び続けるしかありません」とある。まったくその通り。歴史をキチンと学び直したい、できれば効率よく。そう思って本書を読んだ。

 サブタイトルが「古代から平成まで一気にわかる」。ざっくりとページ数を数えると、縄文時代が3ページ、弥生時代が4ページ、古墳時代が10ページ、飛鳥時代が18ページ、奈良時代が4ページ、平安時代が20ページ...けっこうなハイペースで時代が流れる。応仁の乱から関ヶ原までの戦国時代は23ページ。大坂冬の陣・夏の陣はたったの1行半!

 江戸時代は長いこともあって58ページ、そのうち幕末だけで30ページ。明治時代が40ページ..。昭和も日中戦争から戦後までの戦争の時代に30ページ。著者が近現代史専攻ということもあるのかもしれないけれど、時代が下るにしたがって記述が詳細になる。学校の歴史の事業でよく言われる「近現代史が手薄」の逆。

 何となく「各時代を均等に」だと思っていたので、読んでいる最中が戸惑ったけれど、読み終わってみれは、これでいいんじゃないかと思う。明治から戦後までの流れのおさらいができた。でも「ストーリーで学び直す」だからか、基本的に文章での説明。図表は最小限しかない。それがちょっとつらかった。年表も欲しかった。

 最後に。「参勤交代は幕府が諸大名の経済力を落とすために行ったものという説明を聞くことがありますが、全くの間違いです。」って、そうだったのか!

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絵を見る技術

書影

著 者:秋田麻早子
出版社:朝日出版社
出版日:2019年5月2日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この次に美術展に出かけるのが楽しみになった本。

 「名画をちゃんと見られるようになりたい」。本書はそういう人のために絵画の見方を「絵画の構造」の視点から説明する。「フォーカルポイント(主役)はどこか」「視点移動の経路はどこか」「バランスがよいとはどういうことか」「なぜその色なのか」「構図と比例のパターン」「全体的な統一感」を、章を建てて、実際の名画の豊富な実例を示して具体的に解説してくれる。

 例えば最初の「フォーカルポイント(主役)はどこか」では、まず「画面にそれひとつしかない」「顔などの見慣れたもの」「そこだけ色が違う」「他と比べて一番大きい」などの分かりやすい特長をあげる。次に「明暗の落差が激しいところ」「線が集まっているところ」など、少しテクニカルな見方を紹介する。

 こんなテクニックを覚えなくても「絵なんて好きなように観ればいい」という意見は、至極まっとうだと思う。私もこれまでそういう考えで美術展に足を運んで名画と対峙してきた。それで「あぁこの絵いいな」と感じた作品のポストカードを購入して帰る。それで満足してきた...

 いや「満足してきた」のは違っていて、だからこの本に手が伸びたのだろう。いや、正直に言うと「何か見逃してきたんじゃないか?」という気持ちは常にあった。本書の冒頭にあるちょっとしたテストをやって、その気持ちは「間違いなく見逃してきた」という確信に変わった。「観ているが観察していない」シャーロックホームズの一節らしいけれど、まさにそう痛感した。

 絵を見る技術を知ることの効果を、ラグビーワールドカップの観戦を例にすれば分かりやすいかも。予備知識のない「にわかファン」でも、懸命にボールを前に運ぶ姿に興奮し感動もすることができる。でもラグビーのルールや戦術を知っていれば、もう一段深い楽しみ方ができるはず。

 それでもテクニカルに寄り過ぎて楽しくなくなったら意味がないので、賛否は残ると思うけれど、美術鑑賞が好きな方には一読をおススメ。

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ロウソクの科学

書影

著 者:ファラデー 訳:竹内敬人
出版社:岩波書店
出版日:2010年9月16日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 これを読んで科学に目覚める人がいる、ということがよく分かった本。同時に自分が読んでいたらどうだったか?は少し疑問。

 ノーベル化学賞が決まった吉野彰さんが、化学に興味を持つきっかけになったのが、小学校4年生の時に先生が薦めてくれたこの本だった、とおっしゃっていたので読んでみた。

 「訳者前書きに代えて」に本書の経緯が書いてある。本書はファラデーが行った「青少年のためのクリスマス講演」の講義録。クリスマス講演は、ファラデーが英国の王立研究所の所長に就任後、1826年に始めた企画で、それはなんと今日まで続いている。そして本書の元になっているのは1860年の講演。

 「ロウソクに火をつけると燃える」。しごく当たり前のことだけれど「それはどうしてか?」という問いを建てることで、科学への入口の扉が開く。

 燃えているロウソクをよく観察すると、ロウソクの先はお椀のようになって、中に溶けたロウソクが液体として溜まっている。その液体が「毛管引力(今で言う表面張力)」で芯を上る。上昇したロウの成分は熱せられて気化し、炭素と水素に分解され、それぞれが空気中の酸素と結びついて、二酸化炭素と水が生成される。ロウソクが燃えて明るいのは炭素が燃えて光るからだ。

 このことを、(1860年の)青少年に分かるように、たくさんの実験を時間をかけて(おそよ4回分の講演を費やして)説明する。ちなみに最初の「お椀のようになって..」の「お椀がどうしてできるのか?」も、炎が起こす上昇気流で説明している。徹底的に「それはどうしてか?」を追求する。だからとても時間がかかる。でもとても楽しくワクワクする。

 「文献・資料」に書かれていて気がついたけれど、本書で行われた実験の多くは、今の小学校・中学校・高校の理科や化学の授業で取り上げられている。科学の世界は日進月歩だけれど、160年前から変わらないこともある。そのことに敬意と信頼を感じる。

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