9.その他

絶滅の人類史

書影

著 者:更科功
出版社:NHK出版
出版日:2018年1月10日 第1刷 5月15日 第6刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 サヘラントロプス・チャデンシス、アルディピテクス・ラミダス、アウストラロピテクス・アファレンシス、ホモ・エレクトゥス。これらはすべて「人類」の「種名」だ。私たちホモ・サピエンス以外に、「人類」は少なくとも25種は存在していたけれど、すべて絶滅してしまった。人類の歴史は絶滅の歴史。本書のタイトルはそのことを表している。

 ここで言う「人類」は、私たちの祖先が、現在のチンパンジーに至る系統と分岐してから私たちに至るまでの系統に属するすべての種のこと。本書はその分岐があった約700万年前から、私たち以外の最後の「人類」である、ネアンデルタール人が絶滅する約4万年前までの、「人類」の歴史を概観する。大きなテーマはサブタイトルの「なぜ「私たち」が生き延びたのか?」

 「人類」の特徴は直立二足歩行なのだけれど、これは生存に有利な特徴とは言えず、現に進化の過程でこの特徴を獲得した種はない。視点が高くなって遠くまで見えるという利点はあるが、敵に見つかりやすいという欠点もある。四足歩行より走るのが遅いという欠点を合わせれば、肉食獣の餌食になる可能性が高い。

 それなのに「なぜ「私たち」が生き延びたのか?」。著者は、最新の研究成果を活用しながら、その理由を推論する。それはとても緻密で分かりやすい。アウストラロピテクスやホモ・エレクトゥスなど、断片的に「何となく知っていた」化石人類を、時間的に順序立てて、地理的な観点からもコンパクトに説明してもらえたのがとても良かった。

 最後に。ホモ・サピエンスは、約7000年の間、ネアンデルタール人と共存し交雑してもいた(現在のアフリカ人以外の人のDNAの約2%は、ネアンデルタール人由来だそうだ!)。ネアンデルタール人の方が、脳の容積が大きく体も頑丈だった。それなのに絶滅した原因の一つが、ホモ・サピエンスの存在であるのはまず確実。「ネアンデルタール人の悲哀」を感じた。

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この星の忘れられない本屋の話

書影

著 者:ヘンリー・ヒッチングズ 訳:浅尾敦則
出版社:ポプラ社
出版日:2017年12月7日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、13カ国16人の作家が「本屋」にまつわる体験を綴ったアンソロジー・エッセイ集。編者のヘンリー・ヒッチングズは、英国のノンフィクション作家・批評家。その著者の呼びかけに応じて、世界中の作家が、人生のある時点で個人的な関わりを持った本屋のことを、思い入れたっぷりに綴ったエッセイを寄稿した。

 例えば、ファン・ガブリエル・バスケスというコロンビアの小説家は、大学生だったころに通った2つの書店について書いている。そのころには小説家になる決意を固めていて、まだ書き始めてもいない自分の本が、その棚に並ぶことに思いを馳せていた、という。アルファベット順ならば、バルガス=リョサ(ラテンアメリカ文学の代表的な作家)の隣に並ぶ、そんなことを考えていたそうだ。

 このバスケスのエッセイに書いてあったことが、本書全体の傾向を言い表しているので引用する。「作家にとって本屋というのは自分を変えてくれた場所である。だから、作家にお気に入りの本屋を訊ねると、たいていの人は、現在よく行く店ではなくて、ノスタルジアをかきたててくれる店を選ぶと思う。

 この言葉どおり、本書でもほとんどの作家が、かつて通っていた本屋についての思い出を書いている。本書に共感を感じるのは、描かれているのがまだ作家になる前のエピソードだからだろう。つまりまだ「何者でもない」ころのことで、それは私自身の10代~20代の頃の本屋の思い出と重なるからだ。すべて外国の話だけれど、国や政治体制にはあまり関係ないらしい。

 そして作家たちが思い出を語る本屋の多くは今はもうない。オンライン販売や、その他のエンターテインメントに、経営を圧迫されて、本屋は今とても弱い立場に置かれている。そんな本屋への応援の意味もあるし、本書を読めば、本屋には何かを生み出す力があることがよくわかる。でも、状況はとても厳しい。

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閉された言論空間

書影

著 者:江藤淳
出版社:文藝春秋
出版日:1994年1月10日 第1刷 2016年2月5日 第13冊 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 先日の「世論」の100年前には及ばないけれど、こちらも初出は昭和57年(1982年)の雑誌連載というから、35年ほど前の著作になる。そんな前のものを読んでみようと思ったのは、今年の2月に読んだ「報道しない自由」という本で、本書のことを知ったからだ。「報道しない~」は、ほとんど得るものがない本だったけれど、そこで言及があった本書には興味が湧いた。

 本書は、作家の江藤淳さんが、米国の国立公文書館と、メリーランド大学の図書館の「プランゲ文庫」の資料を渉猟してまとめた論説。内容は、太平洋戦争の戦後の日本、つまり占領下の日本に対して米国が行った「検閲」の詳細と、それによる影響。文庫本1冊にまとめられているが、大変な労力をかけた一大事績だと思う。

 それを短く要約してしまうのは申し訳ないのだけれど、敢えて切り詰めてみる。米国は表向きには、占領下の日本の情報収集と、占領政策の安定化を目的として「検閲」を行った。しかしその真の目的は、日本人の心にはぐくまれて来た伝統的な価値体系の徹底的な組み換え、換言すれば「米国に都合のいい情報の刷り込み」だった。これが著者の主張だ。

 「報道しない~」の著者のような右派(こう言うと真正の右派の方に申し訳ないのだけれど)の論者が、本書を好んで引用するのは、著者が発見した文書に「格好のネタ」になりそうなことが書いてあるからだ。著者が発見した文書に「削除または掲載発行禁止の対象」の30項目のリストがあって、その項目に「SCAP(GHQ)が憲法を起草したことに関する批判」「朝鮮人に対する批判」「中国に対する批判」...とある。

 また、著者が「その当時起こったことが現在もなお起こりつづけている」という感覚を持っていることも、右派の共感を得ている。つまり、マスコミが「憲法改正反対」や「中国・韓国よりの記事」などの、「反日」報道をするのは、未だに占領下の米国のコントロールから脱していないから、というわけ。

 「一大事績」という気持ちに変わりはないけれど、本書には調査報告としては欠陥がある。それは「事実」と「意見」が区別されていないこと。例えば、上に書いた「真の目的は、日本人の心に~」という文章は、30項目のリストの後にあって、「一見して明らかなように」で始まっていて、まるで「事実」のように書いているけれど、どんなに読み返してみても「明らか」ではない。まぁ著者の「意見」か、それ以前の「感想」ぐらいのものだ。

 最後に。30項目のリストが記された文書について。詳しい出典が付いていたので、原文を入手したいと思い、米国国立公文書館に問い合わせたりして、国立国会図書館の憲政資料室にマイクロフィルムがあるらしいことがわかった。行って探してみると、該当する文書はあったのだけれど疑問が残るものだった。引き続き調べたい。

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追及力 権力の暴走を食い止める

書影

著 者:望月衣塑子 森ゆうこ
出版社:光文社
出版日:2018年1月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 東京新聞の望月衣塑子記者と、自由党所属の参議院議員の森ゆうこさんの対談。望月さんは菅官房長官の会見での食い下がるような質問で有名になった。森さんは農林水産委員会で加計学園問題を問い質す姿が度々テレビのニュースで放送された。

 そのお二人が、「自分たちの原点」「森友・加計問題」「権力の暴走」「問う技術」「国難の本質」について語り合う。お二人は、安倍政権に対する厳しい姿勢だけでなく、(望月さんは2人森さんは3人のお子さんの)母親である、ということも共通している。子育ての話題はほとんどないけれど、互いに共感を感じていることはよく分かる。

 望月さんについては、以前に著書「新聞記者」を読んでいたこともあって、「新しく知る」という意味では、森さんについてが多かった。

 例えば、「基本的に答弁する人たちはみんな責任を負って対応していて、そこに対する敬意を忘れないようにしないといけない」とか、「追及される方もそれなりの事情があるわけで..」とか。相手の立場も尊重する気持ちを持って事に当たっていること。(この点では望月さんも同じ想いがある)

 例えば、小泉内閣の官房副長官だったころの安倍晋三さんや、第一次安倍内閣の総務大臣だった菅義偉さんとは、いい関係を持っていたこと。森さんにしてみれば「あのときは本当にお二人とも国民の皆さんを救おうと一所懸命でしたよね」と、今の変容をチクリと刺したいところらしい。

 森さんのところに「将来、恩返ししますから」と、高校生が奨学金の充実の陳情にきた話は、悲しく寂しかった。その他には、今治市職員の官邸訪問を示す文書の発見の一部始終とか、翻弄される官僚たちのこととか、望月さんから官邸記者クラブやありようとかの「ウラ話」的なことが話されて興味深い。

 最後に。政治的な方向性を共有して、共感を感じている二人が語り合っているのだから、その様はヌクヌクとして居心地がよさそうだ。こういう本は「シンパ」は褒めるけれど「アンチ」からは攻撃される。もうそこは変わらない。この本は両者の溝を深めるだけかもしれない、そう思うとむなしい。せめて「モリカケは、もうそろそろいいんじゃないの?」という「中間」の人に、少しでも響くといいのだけれど。

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世論(上)(下)

書影
書影

著 者:W.リップマン 訳:掛川トミ子
出版社:岩波書店
出版日:1987年7月16日 第1刷 1992年2月5日 第7冊 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 NHKの「100分de名著」という番組の、今年の3月に放送(4月に再放送)されたスペシャル「100分deメディア論」で、国際ジャーナリストの堤未果さんが紹介していた本。刊行は1922年というからほぼ100年前。

 著者は、アメリカを代表するジャーナリスト。数多くの論説、著作、テレビ出演が評価され、ピュリッツァー賞をはじめ様々な賞を受賞している。ただし本書を記したのは33歳の時で、まだそのような評価が固まる前。とは言えこの前には、第一次世界大戦後のパリ講和会議に随行し「十四か条の平和原則」を執筆したというから、早くから才能を見出されていたのだろう。

 本書の前半は「世論」の形成の考察。その主張を短くまとめるとこうだ。

 「世論」を構成するのは一般市民の意見。現実世界はあまりに大きく複雑なので、一般市民はそれを正確に捉えることができないため、その「イメージ」に基づいて行動する。その「イメージ」は、メディア等が伝える時に歪められ、私たちが受け取る時にはステレオタイプによって歪められている。このように二重に歪められた「イメージ」を基にした意見で構成される「世論」は、当然、現実を正しく反映しない。

 特に「ステレオタイプ」についての考察が興味深いので引用する。

 われわれが現に見ているものがわれわれの予期していたものとうまく一致していれば、そのステレオタイプは将来にわたっていっそう強化される。ちょうど、日本人はずるいと前から知らされている人が、あいにくと不正直な日本人二人とたまたま続けさまに出くわしてしまったようなときがそれである。

 そして、もし現実の経験がステレオタイプと矛盾するときには..

 規則にはつきものの例外であるとして鼻先であしらい、証人を疑い、どこかに欠陥を見つけ、矛盾を忘れようと努める。

 テレビ番組の中で伊集院光さんが「今週発売の新刊の話ではないですよね?」と念を押したように、これはまったく現在の話を聞いているようだ。私自身が持つステレオタイプにも留意するよう肝に銘じたい。

 後半は、「世論」に関しての民主主義の分析と「あるべき姿」の考察。前半を踏まえて、「一般市民の一人一人が正確な情報に基づいた有効な意見を」などとは言わない。そういうことは「できるはずも機能するはずもないフィクション」として排して、比較的にだけれど現実的な考察がされている。こちらも興味深い。

 100分de名著スペシャル「100分deメディア論」ホームページ

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同じ時代を生きて

書影

著 者:武田志房、窪島誠一郎
出版社:三月書房
出版日:2017年12月20日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

  70代の男性お二人の対談。武田志房さんは、観世流の能楽師。重要無形文化財総合指定や旭日雙光章を受けていらっしゃる。窪島誠一郎さんは、「無言館」という戦没画学生慰霊美術館の館主。スナックの経営や小劇場の立ち上げなどを経て、美術館の設立に至る。

 能楽師の家に生まれて能の世界一筋の武田さんと、靴修理職人の家で育ち、傍目には自由に生きてきた窪島さん。接点は窪島さんが武田さんに、無言館近くの前山寺での薪能を依頼したことらしい。その時の武田さんの窪島さんに対する第一印象は「絶対しゃべりたくないって感じ」だったそうだ。

 ところが話し始めると「いろんなことが一致して、楽しくて面白くて」と。人と人の相性というのは分からないものだ。ただ、少年時代からの思い出を語り合う本書を読んでいると、その相性の一端を感じる。少年時代から青年期まで、二人は同じ時代に同じ場所で暮らしている。一致するのはそのことが大きい。

 ただ、それだけではなくて「一致しないこと」も、よい方向に作用しているように思う。武田さんの話に出てくる生活は「セレブ」と言っていい。窪島さんは武田さんのことを「高級マグロ」と言い、自分のことは「川魚」に例える。その距離感を敢えて埋めようとしないことが、二人を引き寄せあっているようだ。

 まぁ悪く言えば、年寄り二人が語り合っているだけ。読んでも何も得るものはないかもしれない。繰り言っぽいものもあるし。でも、私にとっては「無言館」についての窪島さんの、気が合う武田さんが相手でポロリと出た感じの、(たぶん)本音が垣間見られたのが収穫。

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都市と野生の思考

書影

著 者:鷲田清一、山極寿一
出版社:集英社インターナショナル
出版日:2017年8月12日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 京都市立芸術大学学長の鷲田清一さんと、京都大学総長の山極寿一さんの対談本。

 京都市の西と東に位置するそれぞれの大学のトップ、という現職の立場だけでなく、同年代(山極さんが2歳年下)で、京都大学の学生として過ごしたという青年時代、など、共通点の多いお二人。さらには、これまでにも多くの研究会で顔を合わせていたそうだ。

 しかし、鷲田さんは京都生まれで一旦京都を離れた人。山極さんは東京生まれで京都に来た人。もちろん専門も「哲学」と「ゴリラ研究」と、全く違う。この共通点と相違点の両方があることが、対談の話題に幅と面白さを与えている。山極さんから「ゴリラ」以外の深い話を伺うことができた。

 対談のテーマは「大学」「老いと成熟」「家と家族」「アートと言葉」「自由」「ファッション」「食」「教養」「AI時代の身体性」。このようにテーマは、とてもとても幅広いのだけれど、繰り返し言及される話題がいくつかある。一つは「多様性が安定性を担保する」ということだ。

 山極さんは、大学をジャングルに例える。ジャングルは陸上で生物の多様性が最も高い場所。その多様性が環境変化に対する安定性につながっている。大学も多彩な人材が集まって多様な研究を自由に行える場であるべき、という。多様性が安定性につながることは、もっと広く社会に対しても言える。

 また「自分の生活を自分で何とか築き上げる力」にも、繰り返し言及される。鷲田さんはこの力を「ブリコラージュ」という言葉で表現する。ありあわせのものを使って自分で何とかする、という意味の言葉。アーティストはそういうことをする、と鷲田さんは言う。ここでいう「アーティスト」の「アート」は「リベラル・アーツ」の「Arts」を含意して、「生きるための技術」を指すと考えていいだろう。

 実はこの「ブリコラージュ」という言葉は、文化人類学者のレヴィ=ストロースが、「野生の思考」という著書の中で使った言葉で、本書のタイトルは、この本のタイトルに「都市」をつけ足したもの。だから「ブリコラージュ」は本書のキーワードと言えるだろう。

 余談。帯にお二人の顔写真に重ねて「哲学者×ゴリラ」と書いてある。鷲田さんは「哲学者」だけれど、山極さんは「ゴリラ」ではない。でも違和感はない。

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新聞記者

書影

著 者:望月衣塑子
出版社:KADOKAWA
出版日:2017年10月10日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は東京新聞の記者。彼女の名前はネットを中心にしてずい分と有名になった。通常は、新聞社の記者の名前が、そうそう人の口に上ることはない。新聞の記事に署名はついているけれど、よほど注目を集めた記事や関係者でもない限り、記者名を気にすることはあまりないからだ。

 また「望月衣塑子」という名前は覚えていない人でも、「官房長官の会見でしつこく質問を繰り返す女性記者」には、心当たりがある人が多いのではないかと思う。本書はその望月記者が自分の生い立ちも含めて、新聞記者の仕事、先輩や取材相手から教わってきたこと、などを記したもの。

 彼女は小学生のころは児童劇団、中学では芸能事務所にも所属して、演劇の道を志していたそうだ。中学2年生の時に、フォトジャーナリストの吉田ルイ子氏の「南ア・アパルトヘイト共和国」という本に出会ったことが、ジャーナリストを目指すきっかけとなった。

 そして、慶應義塾大学の法学部政治学科に進み、就職活動では新聞社や放送局を回って、最初に内定を手にした東京新聞に就職する。..と書けばあっさりしているが、大学時代のサークルやゼミ、留学先でのエピソード、就職活動で大手は軒並み落とされまくる経緯は、とても「あっさり」ではない。

 さらに、東京新聞の千葉支局に配属された駆け出し記者時代等々「なるほど、こうやってあの望月記者が出来上がったんだ」という内容だった。ただ、本書を読む人は「望月記者の人となり」だけでなく、「あの官房長官会見の周辺事情」も知りたいと思っているはずだ(少なくとも私はそうだ)。心配ない。著者はそれにもちゃんと応えている。

 安倍政権を「支持する人」と「支持しない人」との間の溝が深い。「支持しない」を「反安倍政権」と捉えるのは、根本的な誤りだけれど、その「誤り」が溝を深くしていると思う。そして、著者も「支持しない」けれど「反安倍政権」ではない。記者として当たり前のことをやっているだけだ。

 著者がジャーナリストとしてこれまでに得た情報や事実は、広く知らせる公益性があることが多い。本書を読めばそれが分かる。おそらく今後得るものもそうだろう。その「公益性」の対象には「支持する人」も入っているのだけれど、それを理解してもらうのが難しいほどに溝は深い。残念。

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ポストデジタル時代の公共図書館

書影

編  者:植村八潮、柳与志夫
出版社:勉誠出版
出版日:2017年6月5日 初版発行
評 価:☆☆(説明)

 まず最初にタイトルの「ポストデジタル」について。本書は当初「公共図書館と電子書籍」というテーマで企画された。しかしそれでは、類書がすでにあり議論に広がりもないため、「デジタル時代の公共図書館」とテーマを改めたそうだ。切り口を「電子書籍」から「デジタル時代」に広げることで、議論にも広がりを、という狙いだろう。では「ポスト」はどこから?..それは後ほど。

 全部で8章。内容的には「電子書籍・電子図書館の課題」「米国における公立図書館と電子書籍」「電子書籍がもたらす変革と図書館の対応」「大学図書館における現状と問題点」「公共図書館におけるデジタルサービスの位置づけ」「デジタルアーカイブ」について2章「公共図書館の未来と展望」

 生真面目な本だ。上に書いた「内容」は章のタイトルを要約したものなのだけど、これを見て思い浮かぶのは「○○白書」だ。最初の方に「現状」続いて「課題」その後に「個別の話題」最後は「展望」。それが悪いわけでない。「○○白書」がそうであるように「現状認識」には向いている。

 様々な統計データも丹念に調べられているし、テーマも網羅されている。特筆すべきは、米国の公共図書館についてのレポートで、彼我の違いがくっきりと浮かび上がる。テキサス州のある郡では「紙のない図書館」の3館目が建設中だという。

 ただやはり残念に思う。デジタル環境の発展によって「図書館という仲介は、必ずしも必要ではないのだ」とか、「紙の資料を求める利用者と、貧弱なICT設備しか提供できない公共図書館との間で、需給の均衡が保たれている」とか。諦めてしまったかのような言葉が随所に見られる。

 残念に思うのはこのことだけではない。「ポストデジタル」は21世紀初頭までの「デジタル時代」ではなく、2010年以降の「Google検索とSNSコミュニケーション時代」を指しているそうだ。この認識には異論はあるが「ひとつ先の時代」という意識は分かる。

 先に「ポスト」はどこから?と疑問を投げかけたけれど、これは「ひとつ先」への期待と意気込みを表しているのだと思う。だからこそ、本書の議論が「現在まで」の「現状認識」で終わってしまっていること、その先については、ほとんど語られていないことを、とても残念に思う。

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ここが知りたい!デジタル遺品

書影

著 者:古田雄介
出版社:技術評論社
出版日:2017年8月19日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「デジタル遺品」とは、故人がデジタル情報として遺したもののこと。スマートフォンやパソコンに保存された写真や書類、ブログやSNSの投稿などインターネット上のデータ、様々なサイトに登録したアカウント情報、ネット銀行や証券の口座とそこに残る預金や株式など、多種多様なものがある。

 著者はデジタル遺品研究会ルクシーという団体の理事。デジタル遺品の取り扱いに困った遺族のサポートや、遺族が困らないための生前準備の普及、の2つの活動を行っている。ルーツには東日本大震災での家族写真などの復旧活動があるらしい。

 本書は、団体の2つの活動に沿うように、(1)遺族としての向き合い方と具体的な方法と、(2)自分の資産をどうやって遺すかという準備、について説明する。本書の中でも言及されていたが、(1)の部分は(2)の倍ぐらいの分量がある。生前に自分で準備する方がずっとずっと楽、残された遺族が対処するのは困難なのだ。

 自分のデジタル資産は自分一代限りで結構、遺すつもりはない、という人も、自分はそれでいいけれど、遺族はそうはいかない。株式やFXで大金の請求が来ることだってある。「そんなものない」というのは、自分だから分かることで、遺族は「ないことも分からない」。「ない」なら「ない」ことが伝わるようにしよう。

 15年以上書き続けているこのブログは、この記事が1,229個目の記事だ。私があの世に行けば「デジタル遺品」になる。そうなった時にどうしたいか、考えたこともないけれど、考えておかないと残された家族を煩わせてしまうかもしれない。巻末の付録に「デジタル遺品・資産整理シート」が付いているので、活用してみたい。

 最後に。生前の準備の章のタイトルは「自分の資産を託す・隠す・整理する」サブタイトルにも「隠す!」の字があるけれど、家族や同僚に「何も隠すことはない」人はいいけれど、そうでない人はコントロールできるようにした方がいい、と思う。

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