遠くの街に犬の吠える

著 者:吉田篤弘
出版社:筑摩書房
出版日:2017年5月12日 初版第1刷発行

評 価:☆☆☆(説明)

暖かくしみじみとした余韻が残る本だった。

著者の作品は「つむじ風食堂の夜」「おやすみ、東京」に続いて3作品目。前に読んだ2作同様、本書も味わい深い物語だった。

主人公は吉田。著者と同姓だ。職業は小説家。著者と同業だ。その吉田が、編集者の茜さん(ちなみに茜は姓)から「音で小説を描いてみませんか」と提案を受けた。次の小説をテキストではなく朗読作品にしたい、という。要領を得ないまま、吉田はこの提案を受けたことになり、話が着々と前へ進んでいく。

着々と前へ進む中で、吉田は、何人かの人と出会い、いくつかの事実を知る。例えば、録音のために来た技師の冴島君と会う。後日、冴島くんと吉田は20歳ぐらい歳が離れているが、共に同じ先生の弟子だったことが分かる。その白井先生は、半世紀に亘って辞書の編集の仕事をしている。

冴島くんには特別な能力がある。「昔の時間の音が聞こえる」。香りも消えてしまうが、服などにしみついて長く残ることがある。冴島君の考えでは、音も何かにしみついて、ふとしたはずみで甦る。その音が聞こえる、らしい。冴島君はその音を録音するために、街角で何もない方向にマイクを向けている。

物語には白井先生の弟子がもう一人、夏子という女性が登場する。冴島君は興味深いキャラクターだけれど、茜も夏子も白井先生も、負けず劣らず特徴的な個性を持っている。本書の良いところは、それそれの個性が好ましく描かれていること。それは吉田が時には戸惑いながらも、彼らの個性をそう受け止めているからだ。比較的平凡な吉田だけれど、物語の印象に与える役割は大きい。

ちょっと不思議で、ちょっとやわらかい雰囲気の物語は、最後にはとても暖かでしみじみとした余韻を残して終わる。その余韻は、冴島君に聞こえる昔の時間の音のように長く残る。

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たった1枚の紙で「続かない」「やりたくない」「自信がない」がなくなる

著 者:大平信孝
出版社:大和書房
出版日:2018年12月31日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は、目標実現の専門家。第一線で活躍するリーダーのメンタルコーチ。経営者、オリンピック出場選手、トップモデル、ベストセラー作家などの目標実現・行動革新もサポートしたとか。

 本書で紹介するのは、著者が開発した独自の目標実現法である「行動イノベーション」。「井戸メソッド」と「行動イノベーションシート」の2つからなる。「井戸メソッド」の方もツールはシートなので、2種類のシートに書き込んでいくだけ。実にシンプル。

 「行動イノベーション」が特徴的なのは、過去に注目したこと。「目標達成」自体が未来志向なわけで、「目標を立てて、それに達するスケジュールを考えて..」なんて、未来にフォーカスした方法論はたくさん聞いたけれど、本書で重視するのは過去。ただし過去の「素晴らしい体験や経験」。

 過去の「素晴らしい体験や経験」は、思い出すと「やる気」の補充につながるし、そこにはその人の「大切な価値観」が現れている。2種類のシートはそれを上手に引き出してくれる。これによって「正のスパイラル」と、目標達成のための「アクション」を作ろう、というわけ。

 試しにやってみた。まぁ目標が達成できたか?という評価には、もう少し時間がかかるとして、思った以上にとても楽しい作業だった。自分の「素晴らしい体験や経験」を一生懸命に思い出すなんて、自己愛が強すぎるようで躊躇われたけれど、やってみれば気にならなかった。

 「単なるノスタルジーに浸っているだけじゃないのか」という批判も心に浮かんだけれど、著者によるとそうではないらしいので、しばらく信用してみることにする。

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銀河鉄道の父

著 者:門井慶喜
出版社:講談社
出版日:2017年9月12日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 宮沢賢治を身近に感じ、父のあり方を考えた本。

 2017年下半期の直木賞受賞作。

 本書は、宮沢賢治の父、政次郎を主人公として、宮沢賢治の生涯を描いた物語。膨大にある賢治本人の資料に比して、政次郎の人となりを伝えるものは少ない。著者は、その少ない資料を丹念に収集することで、「政次郎像」を形作って「史実に基づいたフィクション」を完成させた。

 冒頭は、京都に出張中の政次郎が、「男の子が生まれた」という電報を受け取るシーン。賢治の誕生の時だ。「ありがとがんす」「長男だじゃ」と口にするたび体温が上がる気がする。その足で東本願寺の閉まった門前に行き、「なむあみだぶつ」の称名をとなえた。

 賢治が生まれたのは明治29年(1896年)。政次郎はその時23歳。政次郎の家は、質屋、古着屋を営む地元でも有数の商家。政次郎が出張から戻って、玄関に出迎えにでなければ、妻が「粗忽物!」と叱られる。そんな時代、そんな身分、そんな暮らし。

 まぁ言ってみれば、男が必要以上に持ち上げられて威張っていた時代。そんな時代に、政次郎は賢治を(他の子どもたちも)慈しむ気持ちが、人一倍強かった。政次郎の父である喜助が「お前は、父であるすぎる」と言うほどに。この物語は、「家長としての威厳」と「父としての愛」の間を、政次郎が行ったり来たりする。「父としての愛」に振れた時に、著者が形作った「政次郎像」が浮かび上がる。

 まぁこれは物語だし時代も違う。「家長としての威厳」なんて求められることはあまりなく、「父としての愛」を素直に出しても(煙たがられることはあっても)いいのだから、今の父親はそこに葛藤はないのかもしれない。いや政次郎ほどに子どもに愛を注げるか?と聞かれると全く自信がない。

 宮沢賢治について。その作品から思い浮かべる「賢治像」とは、ちょっと違う賢治がこの物語には息づいている。でも「風の又三郎」も「雨ニモマケズ」も、この物語の中の賢治の人生の場所に、ピタリとはまっている。

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この数学,いったい いつ使うことになるの?

訳  者:森園子、猪飼輝子、二宮智子 原著者:Hal Saunders
出版社:共立出版
出版日:2019年5月30日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「この問いに正面から答えたんだ!でもまぁそうなるよな」と思った本。

 本書は「When Are We Ever Gonna Have to Use This?」という、英語の書籍の翻訳(契約上の理由で全編ではないらしい)。数学の教員であった著者が「いったいいつ使うことになるの?」という生徒の質問に答えるために、100の異なった職業の人々に訪問取材をし、約60の数学の項目のうち、どれをどのように用いているか聞いた結果だ。

 「一般的な算数・計算」「実用的な幾何学」「初歩の代数」の3つパートに分かれ、各パートはさらに例えば「一般的な算数・計算」なら「分数」「小数」「平均」「比率と割合」...と項目が細分化されている。各項目に最小で9問最大で71問もの算数・数学の問題がある。

 例えば「比率と割合」の第10問はこんな問題。「土木技師(に必要):難易度☆☆☆

 あるコンクリート材はセメント94ポンド(1袋)、水50ポンド、砂191ポンド、砂利299ポンドの混合からなる。混合したコンクリート材の重量は1立方フィートあたり151.2ポンドになる。1760立方フィートの壁にはセメントが何袋必要になるか?

 私が冒頭に書いた前半「この問いに正面から答えたんだ!」は、本書の試みへの称賛だ。これまでは「どんな仕事でも数学の知識が役に立つんだよ」などの抽象的な答えをして、それでは聞いた子どもは胸に落ちないのじゃないかと思う。そもそも「いつ使うの?」という問いには全く答えていない。それに対して本書は正面から具体例で答える試みだ。その子がどんな職業に就くかわからないけれど、具体例なら「その職業では数学を使うんだ」ということは納得するはずだ。

 後半「でもまぁそうなるよな」は、本書の試みの限界を感じた言葉だ。具体例は具体的であるがゆえに「ある/なし」がはっきりしてしまう。例えば「司書」には「一般的な算数・計算」の例はあるけれど、幾何学や代数の例は載っていない。数学の項目としても一次方程式以降に習う代数が載っていない。載っていないからと言って、必要ないわけではないけれど「必要ない」ように見えてしまう。

 しかし、すべての職業で高校数学までの全部が必要かというと、それも違うだろう。具体例を積み上げれば「ここからは不必要」も明らかになるかもしれないが、それはそれでいいと思う。数学に限らず、このような学校の教科を職業や生活と関連付けること、その具体例を積み上げること、こうした試みが継続されるといいと思う。

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月の満ち欠け

著 者:佐藤正午
出版社:岩波書店
出版日:2017年4月5日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 読んでいて「それでどうなるの?」と思い、読み終わって「これからどうなるの?」と思った本。

 2017年上半期の直木賞受賞作。

 主人公は小山内堅(つよし)。年齢は60すぎ。青森県八戸市に生まれて東京の私大を卒業後、石油の元売りの会社に就職。同郷の女性の梢と結婚し、娘の瑠璃が生まれ、まずまず順調な人生を送って来た。しかし、15年前に妻と娘を交通事故で亡くす。

 物語は、小山内が二人連れの母娘と面会する場面から始まる。そこから、小山内の記憶を辿り、記憶の中の人物が語った物語をなぞり、面会相手の娘が語る8年前の事件に耳を傾け、と、時代と場所を変えて縦横に展開する。時系列が少し混乱するかもしれないけれど、それでもそれほど困ったことにはならない。

 帯でも分かるのだけれど、本書のテーマは「生まれ変わり」だ。小山内が会っている母娘の娘の方の名前は「るり」という。小山内の亡くなった娘と同じ名前だ。るりは7歳なのに、8年前の事件のことを詳細に語る。生まれる前の記憶がある(としか考えられない)。実は、小山内の娘の瑠璃も、知るはずのない昔の歌謡曲を歌っていたことがあった。

 正直に言うと戸惑いを感じた。「生まれ変わ」ってでも前世の続きを生きようというのは、強い想いがあるからで、この物語の場合はそれは「愛」。それほどの強い愛に感動する人もいるだろう。でも、私はそうならなかった。そうならなかった理由も分かっている。重大なネタバレになるので、ここには書かない。

 最後に。「瑠璃も玻璃も照らせば光る」というフレーズは、意味も音もリズムもとても心地いい。

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傑作はまだ

著 者:瀬尾まいこ
出版社:文藝春秋
出版日:2019年3月8日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「こんな家族もありなのか?」と、戸惑いながらも暖かい余韻の残る本だった。

そして、バトンは渡された」で本屋大賞を受賞した著者の最新作。(そう言えばこの大賞受賞作も「こういう親子や家族もありか」と思った本だった)

主人公は加賀野正吉、50歳。そこそこ売れている小説家。大学生で小説を書き始め、4年生の時に応募した文学賞で大賞を受賞してデビュー。週に1度ぐらい買い物や散髪、市役所や郵便局に出かける以外は、基本的に部屋でパソコンに向かって小説を書いている。

そんな「引きこもり」生活の加賀野への来客から物語が始まる。面白いので冒頭の来客のセリフを引用する。

実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね?

加賀野には生まれてから25年間、一度も会ったことのない息子がいるのだ。名前は智(とも)。その息子が突然訪ねてきたのだ。加賀野はかつて合コンで出会った女性、美月と、酔った勢いで関係を持って子どもができた。二人で話し合って、結婚はしない、美月は産んで育てる、加賀野は養育費を送る、と決まった。それで加賀野は毎月10万円を20年間振り込み、美月は受取確認と智の写真を送り返してきた。

フリーターとしてコンビニで働いている智は「仕事先が近い」という理由で、加賀野の家に住むことになった。物語は、加賀野と智の二人の暮らしを描く。基本的に加賀野が智に振り回されるのだけれど、自治会の催しに参加したりして、そのおかげで少しずつ外の世界とつながりを持つようになる。

とても楽しめた。実は、智にはここにやってきた秘された理由があるのだけれど、それも含めて加賀野は孤立していたように見えて(両親とも28年会っていない)、支え手がちゃんとあったのだ。そういうところが心が温まる。

身近な人で永らく音信を絶えている人がいたら連絡してみよう。未来が少しよくなるかも(ならないかも)

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ベーオウルフ サトクリフ・オリジナル7

著 者:ローズマリ・サトクリフ 訳:井辻朱美
出版社:原書房
出版日:2002年10月10日 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

ファンタジー小説の源流を感じた本。

著者のローズマリ・サトクリフは、「第九軍団のワシ」などの児童向け歴史小説と、「アーサー王と円卓の騎士」「オデュッセウスの冒険」などの伝承や神話の再話を多く手掛けている。作家の上橋菜穂子さんが「影響を受けた作家」として筆頭に挙げられている。

本書は英国最古の叙事詩である「ベーオウルフ」を再話したもの。勇士ベーオウルフの英雄譚。デネ(デンマーク)の王の館を襲う怪物グレンデルの退治と、ヒイェラーク(スウェーデン南部)で人々を襲う竜の退治、この2つの物語から成る。グレンデル退治はベーオウルフの若かりし頃、竜退治は自らが王となり老いてからの出来事だ。

ストーリーは多少の脚色を除けば伝承のとおりであるようで、いたってシンプル。父が恩義を受けた異国の王を怪物が苦しめている。救援に駆けつけて、どのような勇士も歯が立たなかった、その怪物(とその母親)をベーオウルフは見事に退治する。竜退治の方はさらにシンプルで、竜を死闘の末に退治する。

驚いたのは、このシンプルなストーリーに、今日までのファンタジーで繰り返し語られた「竜」のモチーフがあること。洞窟の中で財宝を守っていること、口から火を吐いて焼き尽くすこと、翼を持っていて飛ぶこと、硬い鱗で覆われていること、下腹には鱗がなくそこが弱点であること。

「あとがき」によると、トールキンもこのベーオウルフを愛したとか。竜のモチーフは、トールキンの「ホビットの冒険」に登場する。「あとがき」の受け売りになってしまうが、「指輪物語」の王たち、例えばアラゴルンやセオデンには、ベーオウルフの面影がある。

ここまでは本書のというよりは「ベーオウルフの伝承」についての感想。最後に本書について。その場面の映像が立ち上がってくるような描写は、著者(と訳者)の力が合わさらないとできない。読み終わって一編の映画を観たような気持ちになった。やはり20世紀を代表するストーリーテラーだと思う。

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手のひらの京

著 者:綿矢りさ
出版社:新潮社
出版日:2019年4月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

京都の街の佇まい、夏の暑さに汗ばむ感じや、冬の寒さに身が引き締まる感覚を感じた本。

主人公は京都で生まれ育った奥沢家の三姉妹。長女の綾香は31歳の図書館職員、次女の羽依は就職したばかりのモテ女子、三女の凜は味に関するタンパク質を研究する大学院生。子どもの頃から同じこの家で暮らしてきたけれど、性格は三人三様。でも、互いに悩みを相談し合う仲の良い姉妹。

物語は、三人が順番に主人公になって、エピソードを積み重ねる形で進む。その背景に、京都の四季、鴨川などの風景、祇園祭などの行事、著者が「京都の伝統芸能」という「いけず」、といった京都の風物がちょうどいい塩梅で織り込まれている。

「ちょうどいい塩梅」をもう少し詳しく。上にあげた「京都の紹介」は、あくまで背景で出しゃばらない。物語は三姉妹それぞれの、気付きと葛藤、自立や旅立ちが、しっかりと描かれている。それでも尚、目の前に京都の風景が立ち上がるし、「京都らしい」エピソードや姉妹の会話にニヤリとしたり、声を出して笑ったりしてしまう。

著者は京都の出身だったんだ、と今回(たぶん)初めて知った。「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞したのが2004年で今から15年前。その時は確か早稲田の学生だったからか、東京の出身だと思っていた。考えてみれば早稲田を東京出身と結び付けるなんて、愚かしいことだけれど。

私は、学生時代の4年間を京都で暮らした。たった4年だけれど、特別な思い入れがある。本書(文庫本)の表紙が、鴨川(加茂川)の河原に座る三姉妹で、それだけで手に取ってしまったし、冒頭で凜が河川敷のベンチに腰かけて足を投げ出した先には、私も水の流れが見えた気がした。

最後に。秋のもみじの葉を表現する美しい言葉に沁みいった。「心にある形の何かに似ている。痛み、憧憬、羨望。1枚拾って手のひらにのせると、もみじの葉が皮膚に溶け込んでいきそう。凝縮した赤がきゅっと小さくて、目に染みる。」

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