人は「話し方」が9割

著 者:松本幸夫
出版社:アスコム
出版日:2007年7月25日 第1版第1刷
評 価:☆☆(説明)

読めば読むほどしっくりこなかった本。実は、友達が高く評価していた「人は話し方が9」という本があって、これと間違えて読んでしまったらしい。

「あの人は頭がいい人」と思われるには、どこをどう変えたらよいだろうか?この問いが本書の冒頭の言葉。答えは「話し方を変える」。「見た目」が素晴らしくても「あの人は話をしなければいい人なのに」と言われる人もいる、なんてわざわざ書いていて、要するにベストセラーの「人は見た目が9割」への当てつけだった。

本書には「頭がいい人と思われるには」に並んでもうひとつテーマがある。それは「あがり症を克服するには」ということ。著者自身が極度のあがり症だったそうで「能力はあっても周囲から認められない」経験をした。「好きだ」のひと言が言えなくて好きな女の子にフラれた。等々。

「しっくりこない」の例をひとつ。頭のいい人はうろたえたりしどろもどろになったりしない、ということで「頭のよさをアピールできるスマートな対応法」として、著者が挙げたのは次の3つ。(1)想定問答をつくり、答え方を練習しておくこと(2)武道・スポーツなどで体を鍛えておくこと(3)どんなときでもスマイルを出せるようにすること。

(1)はまぁ、ありきたりであっても大事なことだと思う。(2)はどうなのか?「頭がいい人」と思われるために、という目的の「軽さ」とのバランスが悪すぎないか?いや、この本はそういう「根本的な人間力アップ」を説いているんだっけ?そうは思えないけど。(3)は「いや、それはどうやればできるの?」と問い返したい。

さらに(2)に関連して言うと、その他の「頭がよく見える方法」は、「腕組みをする」「ウーンと言いながらアゴに手を触れる」「質問への答えに詰まった時には、質問をし返す」「声を低くする」...と、「根本的な人間力」とは正反対に思える、付け焼刃で実効性も疑われることが並んでいる。

そんなわけで、私には得るものの少ない本だった。ただし「あがり症」の人には役立つことがあるかも?

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満天のゴール

著 者:藤岡陽子
出版社:小学館
出版日:2017年10月31日 初版第1刷 2018年1月16日 第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

「ゴオルまであとどのくらいやろか」という登場人物の言葉が、いつまでも心に残った本。

以前に読んだ「テミスの休息」が、沁み入るように良かったので、同じ著者の作品を読んでみた。

主人公は内山奈緒。33歳。夫から不倫の上に離婚を迫られて、家出のように実家に10歳の息子の涼介を連れて帰ってきた。実家は丹後半島の北端。京都から特急で2時間ほど、そこから路線バスでさらに2時間。11年前にあることから「この町に戻ってくることは、二度とないだろう」と決めて出た町だ。

実家の辺りは、奈緒がいた頃から廃屋が点在する寂れた土地だったけれど、さらに荒廃が進んでいた。特に医療はひっ迫していて、地域で唯一の総合病院がなんとか支えている状態。物語は、奈緒の父の耕平の入院を機に、地域医療の現場に身を置くことになった奈緒と、そこで出会った人々やその人生を描く。

ところどころで胸が苦しくなった。56歳の私には、父母のことを考えると他人ごとではないのだ。病院から車で1時間とか2時間とかかかる集落に、独り暮らしの老人がたくさんいる。末期癌の88歳の男性、肝硬変の92歳の女性..。訪問看護があり、医師の往診もあるけれど、奈緒が「あのまま置いてきて大丈夫なんですか」と言うように、心配でならない。

このような決して楽観できない状況でも、物語は明るさを失わない。それは、10歳の涼介の存在のおかげでもあるし、患者である老人たちの前向きな心の持ちようにもよる。そして「満天のゴール」というタイトルの意味が分かった時、小さな灯がともったように、心がほんのりと温まる。

最後に。最初と最後のページに「ゴール」という言葉が出てくる。この2つの同じ言葉の重みの違いが際立つ。

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マチネの終わりに

著 者:平野啓一郎
出版社:毎日新聞出版
出版日:2016年4月15日 第1刷 12月25日 第13刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

「分かってもらえる」という気持ちは、強い結びつきにつながるものなのだな、と思った本。

2017年の渡辺淳一文学賞受賞、2019年11月に福山雅治さん、石田ゆり子さんをキャストとして映画化された。

主人公は蒔野聡史、クラシック・ギタリスト。物語の始まりの時には38歳。18歳の時に「パリ国際ギター・コンクール」で優勝した天才。20年経ってもその才能は衰えることはなく、2006年のその年は、国内で35回、海外で51回のコンサートをこなし、盛況のうちに最終公演日を迎えていた。

その最終公演日。サントリーホールで行われたコンサートの後に、蒔野と出会った女性が小峰洋子。40歳。フランスのFRP通信の記者。蒔野のレコード会社の担当者から紹介された。蒔野がその日唯一満足できた曲を洋子が褒める、それで気持ちが通じた。互いに特別な思いを感じた。

洋子には婚約者がいた。それは紹介された時からそう明かされていた。それでも蒔野の想いは募る。さらに、コンサートの直後に洋子は取材のためのイラクに行ってしまう。2003年に多国籍軍が侵攻し、その後内戦状態になっていたイラクに...。

物語が描くのは、この2006年から2012年まで。その間に、蒔野の身にも洋子の身にも、本当にいろいろなことが起きる。想いを募らせていたのは蒔野だけでなく洋子もで、互いの想いは相手にも伝わる。それでも行き違いが起きる。偶然の積み重ね、少しの無関心や無作為、人の心の脆さなどによって。歳を重ねた大人同士のラブストーリー。嘆息なしでは読めない(時には強い憤りも)。

それにしても、いい歳をした男女のくっついたり離れたりが、どうしてこんなに美しく感じるのか?これは著者の文章が織りなす美しさなのだろう。「よく晴れた朝」と書けば済むところを、「空の青さが、忙しなく家を出た人々の口を、一瞬、ぽかんと開けたままにさせるような」と描いて見せる。時折あるこんな表現も印象に残った。

これは後世に残る名作かも?と思った。

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新聞記者・桐生悠々忖度ニッポンを「嗤う」

著 者:黒崎正己
出版社:現代書館
出版日:2016年12月16日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 私は、桐生悠々のことを深くは知らず、浅薄であったな、と思った本。

 タイトルにある「桐生悠々」というのは、明治から昭和初期に活動した石川県出身のジャーナリストの名前。いくつかの職業に就き、いくつかの新聞社で記者として勤めた後、明治43年に信濃毎日新聞社の主筆に就任。一度退社した後に昭和3年に復帰、昭和8年まで同社の主筆を務めた。

 「桐生悠々」の名は、「長野県の近現代史」や「戦争とジャーナリズム」について勉強していると、比較的早い段階で知ることになる。昭和8年に信濃毎日新聞社を退社する原因となった「関東防空大演習を嗤ふ」という社説が有名だからだ。当時、関東一帯で行われた防空演習について、「帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」と、「防空演習なんてしたって意味ないじゃん」と嗤ったのだ。昭和8年は、日本が国際連盟を脱退した年。2年前に起きた満州事変を境に、報道と世論が軍部支持に染められていたころだ。

 前置きが長くなった。しかし、このことは著者が本書を著すきっかけであり、現在と大いに関係がある。2017年に「X国からミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性がある」として、全国で避難訓練が行われた。アラートから着弾まで4分とされる中で、頑丈な建物に避難するか、物陰に身を隠す、そうなければ「地面に伏せて頭部を守る」、という訓練だ。もうお分かりだと思うが、「関東防空大演習」と同じかそれ以上に「意味ないじゃん」だ。

 著者は金沢の放送局の現役のディレクターだ。報道に携わる者として、「国難」とまで言って煽って実施された、2017年の避難訓練について、「こんな訓練に意味はあるのか?本当は誰のための何のための訓練だったのか?こんな訓練を各地で繰り広げるより前に、政府がすべきことがあるのではないのか?」と伝えるべきだった(逆に言うと、そういう報道はされなかった)としている。

 著者には「抵抗するものを排除し、安全を理由に自由を規制し、情報を隠蔽する」現在の光景が、桐生悠々の時代と二重写しに見えている。だから桐生悠々を見直すことで、現代日本の危機を浮かび上がらせ、教訓を引き出したい。本書はそんな意気込みがこもった本だ。

 私は「長野県の近現代史」を勉強する中で、桐生悠々の名に出会い、「関東防空大演習を嗤ふ」のことも知っていた。しかし、和たちは浅薄であった。この社説を詳しく読んだことがなかったため、その主張が、主義としての「反戦」より、リアリズムに立ったものであることを、初めて知った。また、信濃毎日新聞退社後も、会員制の個人雑誌を8年間にわたって、29回もの発禁・削除処分を受けながら発行して主張し続けたことも知った。その記事の多くを読むこともできた。よかった。

 最後に。桐生悠々は昭和10年に「第二の世界戦争」を予想し、それが各国国民を挙げての絶望的戦争となり、その悲惨さ故に「「将来戦争は戦われ得ない、少なくとも戦われてはならないことを、人類が痛切に感ずる時期がくる」と記している。(念のため。世界が二度目の世界大戦に突入するのは、4年後の昭和14年(1939年))。完璧な予言だ。しかし「将来戦争は戦われ得ない」の部分の「戦争」を「世界大戦」に限れば、だ。この限定さえも破ってしまうことのないように祈る。

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名探偵カッレくん

著 者:リンドグレーン 訳:尾崎義
出版社:岩波書店
出版日:1965年3月16日 第1刷 2005年5月26日 第27刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 やっぱり海外の児童文学を読むのは楽しいな、と思った本。

 本書は、上橋菜穂子さんが選書されたブックリストにあり、また、著者のリンドグレーンさんの半生を描いた映画が先月公開されたことで読んでみた。

 舞台はスウェーデンののどかな街にあるストゥールガータン街。主人公はカッレくんは、その通りにある食糧雑貨店の息子。13歳。隣家のパン屋の娘のエーヴァ・ロッタと、靴直し屋の息子のアンデスと仲良しで、大人をからかうイタズラをしたり、別のグループと「白バラ・赤バラ戦争」をしたりして過ごしている。

 それからカッレくんは、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロなどの名探偵に憧れている。探偵になるための修行として、街で怪しいことは起きていないか注意したり、何か変わったことがあれば手帳に記録したりしている。ただ「いねむりをして夢をみている」ストゥールガータン街では、事件はなかなか起きない。

 ところが事件は起きた。エーヴァ・ロッタのお母さんのいとこ、と名乗る「エイナルおじさん」が街にやってくる。この人が何かと怪しくて、カッレくんが調査に乗り出す。それが、警察を巻き込んだ大事件に...。

 面白かった。子ども向けに書かれた物語なので、子どもが読んでどう思うか?が大事。と分かっていても、大人になってしまった私は、面白く読みながらもちょっと「批評」してしまう。例えば「子どもがこんなことしたら危ないじゃないか」とか。バラ戦争も悪者との対決も、いろいろなことが「やりすぎ」で、規範からはみ出している。

 「批評」に続けて「分析」もすると、「子どもが読んでどう思うか?」に立ち返れば、この「はみ出し」がウケるのだと思う。「えーっ、そんなことしちゃうの!」ほどワクワクすることはそんなにないから。

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女性のいない民主主義

著 者:前田健太郎
出版社:岩波書店
出版日:2019年9月20日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 女性を登用しない「実力主義」が、男性優位のルールによるまやかしであったことが分かった本。

 本書の発端の問題意識はこうだ。日本は民主主義の国であるとされている。「民主主義」は「人民が主権を持つ」ことを表し、その「人民」には男性も女性もいる(この枠にはまらない性的少数者も)。であるのに、日本では圧倒的に男性の手に政治権力が集中している。それはなぜなのか?さらに「それにも関わらず、日本が民主主義の国、とされているのはなぜなのか?」

 著者は「これは「政治学」の性格の問題で、こんな疑問を持たなかったぐらいに、著者を含めた政治学者は、女性がいない政治の世界に慣れきってしまっていた」と言う。それによって何か重要なものが見えなくなっているかもしれない。本書は、その「見えなくなっているかもしれない」ものを可視化する試みだ。

 そのために、本書ではジェンダーを「争点」ではなく「視点」として位置付ける。補説すると、「経済」「環境」「人権」「安全保障」などの争点の並列項目ではなく、あらゆる政治現象の説明に用いる「視点」とする、ということ。そうすれば「福祉」が「男性が稼ぐ」モデルを基にしていることが明確になるし、「選挙」において女性候補者が立候補できない理由も浮き彫りになる。

 ひとつ「あぁそういうことか」と思ったことがある。「男性らしく、女性らしく」というジェンダー規範は、二重構造になっている、と言う指摘。例えば企業において「積極的」な社員を高く評価するとする。一方で「男性らしく」に「積極的」、「女性らしく」に「控えめ」という規範があれば、企業としては男女を差別していなくても(いないつもりでも)、男性を優遇する結果になる。

 「差別しているつもりはない」。こういう話題で男性の答えにありがちな言葉だけれど、二重構造のために見えなくなっているだけで、差別になっていることはたくさんあるのだろう。そういう例が本書にたくさん載っている。資本主義という体制自体が、「競争」が原理的の組み込まれている以上、ジェンダー規範に従うと女性は評価されにくい。女性は、不平等なルールのゲームに参加させられているようなものだ。

 最後に。以前読んだ同様のテーマの「日本の女性議員 どうすれば増えるのか」では不調であった「女性議員と男性議員の政策志向の違い」の論考は、本書では見事に証明されている。いい仕事をしたと思う。

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となりの難民

著 者:織田朝日
出版社:旬報社
出版日:2019年11月8日 初版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この国はマズいんじゃないかと、本格的に思った本。

 著者は、日本で暮らしている外国人を支援する活動として、外国人収容施設での面会活動などをしている。外国人収容施設とは、出入国在留管理庁(以前の入国管理局)が管理をしている施設で、全国に17カ所ある。そこには在留資格のない外国人「非正規滞在者」が収容されている。

 本書は、著者が支援活動を通して知った、外国人収容施設のヒドイありさまが記されている。そこに実際に行って収容されている外国人と面会して知った「実体験」だけに迫真の報告だ。そしてそればあまりにも痛々しく、そんなことを行う施設と国家に(それは私の国、日本だ)、私は強い怒りを感じる。

 そこでは何が行われているか?収容時にはスマホや病気の薬などの持ち込みが禁止される。持病があっても薬を飲むこともできない。家族や友人への連絡は、KDDIの高いテレホンカードを買って公衆電話からしかできない。外から連絡を取ることはできない。

 刑務所のようだ、と言いたいところだけれど刑務所よりヒドイことがある。刑務所は、裁判を受けて刑期が決まって入る。外国人収容施設は突然に収容が決まる。弁護士も付かず自身を守る方法もなく、身一つで収容される。裁判に相当する手続きもなく、収容期限は決まっていない。いつ出られるのか分からない不安は心身を蝕む。

 とりわけ人道上の問題があって許せないと思うのは医療の問題だ。持病の薬が持ち込めないだけでなく、外国人収容施設では必要な医療が受けられない。著者らの調べでは1997年から2019年の約20年に起きた、入管での死亡事故・事件は18件。うち5件は「医療放置」。「死ぬまで放っといた」ということ。ちなに自殺は6件、餓死が1件...

 「在留資格がないのに在留しているのは法律違反だ」だから当然だ、という声が、ネットを中心にある。しかし、たとえ法律違反でもこれはひどい。それに、望まずにその状態にされてしまった人もいる。母国を追われて日本を頼って来た人が、難民申請をしてもなかなか認められない。認められなければ在留資格もない。その間も場合によっては容赦なく収容される。こんな理不尽なことってある?

 読んだら気持ちが沈むと思うけれど、知っておいた方がいい。私の国の一部分は、紛れもなく「最低」だ。

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白銀の墟 玄の月

著 者:小野不由美
出版社:新潮社
出版日:2019年10月12日(1,2) 11月9日(3,4)
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第10作。前作「丕緒の鳥」からは6年、書下ろし長編としては2001年の「黄昏の岸 暁の天」から実に18年。その空白を埋めるかのような4巻、計1600ページの超大作。

 舞台は戴国。「十二国記」の国々は、「王」と王を補佐する「麒麟」が揃って、善政を施すことで国の安寧を得る。どちらかが欠けても国が傾く。そういう天の理がある。
 それなのに戴国は政変があって、王の驍宗と麒麟の泰麒の二人ともが行方不明になっている。王の座を簒奪した僭主の政(まつりごと)がデタラメなこともあって、国が荒廃の一途をたどり民衆が苦しんでいる。そういう中で物語が始まる。

 シリーズとしては「黄昏の岸 暁の天」を受ける。「黄昏の岸~」で謀反の濡れ衣を着せられた軍の元将軍の李斎と、李斎に救出された泰麒が、物語の主人公。李斎が泰麒に付き従う形で登場して始まるけれど、途中で道が分かれ、李斎による驍宗の探索行と、泰麒による王宮での政争の、2つの物語が並行して進む。

 どっぷりと物語世界に浸かってしまった。

 4冊1600ページもあって、劇的な出来事は長く起きない。まぁ「泰麒の政争」は、心理戦でもあるので「何か起きそうという予感」だけでも充分なのだけれど、「李斎の探索行」は、行けども行けども行き着かないので、普通なら飽きてしまうだろう。

 ところがそうならない。李斎たちが新しい街に行き、それらしい情報を得て、時には同志と呼べる人に出会い、そしてまた次の街に...とする間、「十二国記」の世界を一緒に生きているような感覚になる。おそるべし。

 念のため。「十二国記」の予備知識なしで本書を読んでも楽しめないと思う。最低でも「風の海 迷宮の岸」「黄昏の岸 暁の天」を読んでおきたい。できれば「魔性の子」も。作品間に細かい繋がりがあるので、さらに可能であれば他の作品も。

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