トロイアの黒い船団 サトクリフ・オリジナル4

書影

著 者:ローズマリ・サトクリフ  訳:山本史郎
出版社:原書房
出版日:2001年10月10日 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、歴史小説・ファンタジー小説家。オリジナル作品を多く手がけ、「ともしびをかかげて」でカーネギー賞を受賞するなど評価も高いが、私が注目しているのは、著者が伝説や神話の再話を試みた作品。以前に読んだ、アーサー王物語3部作は名作だと思う。
 そして、本書はホメロスの叙事詩「イーリアス」が描くトロイア戦争の物語の再話だ。「イーリアス」の名前は知っていても、少々敷居が高く、手に取って読んだ人は少ないのではないかと想像する。それが著者の手にかかれば、新たな息吹が吹き込まれ、活き活きとしたファンタジーに変身する。

 ギリシア神話がベースなので、華々しい神々が登場人物の一角を占める。ゼウスにアポロンにポセイドン、アテナにアフロディテら女神。それから、アキレウスやオデュッセウスら英雄が縦横に活躍する。まさに神話の時代の人間界に神々が介入した大決戦なのだ。
 戦の発端は、トロイアの王子パリスがスパルタの王メネラオスから、絶世の美女と言われる妻のヘレネを奪ったこと。大決戦の原因としてはいささか俗っぽいが、王子と王の間のいざこざだから、すぐに国同士の問題になった。
 さらにメネラオスの兄アガメムノンが、ギリシア各地の王に君臨する大王であったことから、2国間の争いは、地中海世界を二分する大戦争に発展。これに、それぞれの思惑によってゼウスやアテナら神々がどちらかに肩入れして、どちらかが滅びるまで収集がつかない大決戦となってしまった。

 戦いはこの後10年に及ぶが、物語は10年目に入った辺りから詳述される。それは「イーリアス」がそうであるからだ。訳者あとがきによれば、戦いに至る経過と、戦いの結末は「イーリアス」には含まれていないそうだ。さらに、個々の戦いのエピソードも、時間的な整合性なく記述されている。それらを著者が他の文献などから補って、発端から終結まである完成された物語にしたということなのだ。
 一進一退を繰り返す戦争にはイライラさせられるが、伝説を楽しむという意味では充分に堪能できた。トロイア戦争と聞いて「トロイの木馬」しか思い浮かばない人は(私もそうだった)、こんなに様々な出来事や英雄の物語の一部であったことに驚くだろう。ところで、アキレウスの弱点だから「アキレス腱」という名前がついたのだけれど、どうしてそこが弱点になったのか知ってます?(答えは本書の中に)

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再び、読書感想文の宿題について

アクセス推移グラフ   7月25日に「読書感想文の宿題に思うこと」という記事を書きましたが、その後日談というか、ちょっと面白いことに気付いたので、もう一度この話題を取り上げます。右のグラフを見ていただくと、「読書感想文」という検索語によってアクセスしていただいた件数の推移が分かります。
 見れば一目瞭然ですが敢えて説明すると、夏休み前には1ケタ台であった「読書感想文」という検索語でのアクセスは、7月25日の記事以降も8月の初旬は20~30程度でしたが、中旬過ぎあたりから上下に振れながらも一気に3ケタ台まで急増しています。
 20日に156、24日に最高の168、31日に165と3回のピークを迎えて、9月1日には一気に36に激減します。分かりやすいですね(笑)。自分が子どものころを思い 出して微笑ましくさえあります。でも31日にネットで検索していて、間に合ったんでしょうかね。

 アクセスをさらに分析すると、「○○○(書名) 読書感想文」と書名とセット、またこの後に「パクリ」が付いている検索が多かったです。「パクリ」を付けて検索してきた人のほとんどと、付いていない人の一部分の方が7月25日の記事にアクセスされています。
 パクリをしようと思ったかどうかはともかく、多くの方は読書感想文の宿題の参考にしようと思って検索されたに違いありません。それで、辿りついた先の記事が「パクリは論外ですが、ネットで他人の感想を読んでから感想文を書くのもどうなんでしょう?」なんて記事だったのだから、悪い冗談でしかないですね。失礼してしまったと思います。

 最後に。最近は検索エンジンで検索すると「他のキーワード候補」が表示されますね。過去の検索実績を基にしているのでしょうが、「読書感想文」で検索すると「パクリ」とか「コピペ」がついた候補が出るのですが、これはいいんでしょうか?
 機械的にやっているだけで他意がないのは分かりますが、結果的に不正行為に誘導してしまっていることには違いありません。以前、硫化水素による自殺に必要な商品一式が、AMAZONのレコメンド機能によって「この商品を買った人は..」に表示されて批判を浴びたことがありますが、意図しない悪い結果を招くという意味では同じだと思います。それに機械的な処理に依存していると、ある程度まとまった数の行為は、さらに同じ行為を誘発して雪だるま式に膨れ上がってしまう。気にしすぎでしょうか?

死神の精度

書影

著 者:伊坂幸太郎
出版社:文藝春秋
出版日:2008年2月10日 第1刷 3月5日 第3刷
評 価:☆☆☆(説明)

 伊坂幸太郎作品。2003年から2005年にかけて発表された表題作を含む連作短編が6編収録されている。今回の主人公は「死神」。取り憑かれれば死期が近いという、なんとも不吉な主人公なのだが、著者の手にかかれば「こんなヤツならいてもイイかな?」なんて思ってしまう。

 主人公の死神の名前は千葉。そう死神にも名前があるのだ。仕事をする時の仮の名前なのだが、なぜかみんな市や町の地名になっている。仕事?そう死神にも仕事がある。仕事だけじゃない、監査部とか情報部とかの部署があって、分担して人の死に関する仕事をしている。
 そして千葉は調査部の一員だ。調査部の仕事は、情報部が選抜した人間を調査して、「死」を実行するのが適当かどうかを判断して、結果を監査部に報告することだ。判断はそれぞれの裁量に任されているし、よほどのことが無い限り「可」の報告をすることになっている。やっぱり、彼らが近くに現れたら死を覚悟した方がいいらしい。
 だから彼ら調査部の死神は「死の前触れ」ではあるけれど「死の原因」ではないのだから怨んだって仕方ない。とは言え「こんなヤツなら~」とはとても思えないところだが、なんかイイのだ。千葉には悪意が全くない(「助けてあげよう」とかいう優しい気持ちもないけれど)ところがイイのかも。頼まれたことは、やってあげてしまうところかもしれない。

 伊坂作品の魅力は、シャレたセリフと登場人物にあるが、本書も同じ。千葉が、仕事をする時には必ず雨が降ると言うと、調査対象の女性が「雨男なんですね」と答える。千葉がそれに返した言葉は..。彼の素朴な疑問の数々には思わずニヤリ。登場人物でいうと、最終話の美容院のおばあちゃんがイイ。年をとると何でも見通せるようになるらしい。伊坂ファンへのサービスエピソードもある。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(3/3)

 これまで、いくつかの謎について私の考察を紹介してきましたが、最終回の今回は「スカイ・クロラ」についてです。少し長くなってしまいましたが、お付き合いください。

 「スカイ・クロラ」は「スカイ・イクリプス」を除いた本編5冊の時系列的には最後、出版順では最初の作品です。読む順番について著者の森さんは、 「MORI LOG ACADEMY」で「どこから読んでも良いが、もし5冊を全部読む自信がある人は、第1巻のナ・バ・テアから読むことをすすめる。それが一番誤解がないだろう。もし5冊も読む自信はない、とりあえず1冊、という人には、最終巻のスカイ・クロラを」と書かれています。
 また、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事には、「「スカイ・クロラ」を最初に書いたことに他意はないんです。これ一作でもう続編は書けないだろうと思っていたから、観念して最後の部分から書いてしまった」とあります。

 このように「スカイ・クロラ」1冊だけになる可能性を、森さんが考えておられたのであれば、「スカイ・クロラ」1冊の中にも、作品世界を見渡すためのヒント、真相に近づくためのヒントが込められているはずです。
 そこで「スカイ・クロラ」を、特に細かい点まで注意して読むことにしました。すると、ヒントという意味では、各エピソードの扉のページにあるサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」からの引用が目を引きます。このような引用は「無くても良いもの」なので、それがあるということは「何か意味がある」はずです。そう思って読むと「ナイン・ストーリーズ」と「スカイ・クロラ」には、その主題に親和性が見えます。

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 「ナイン・ストーリーズ」は、サリンジャーの自薦短篇集で、9つの短編を通じて直接・間接に描かれているのは、グラース家の7人兄弟です。彼らは「これは神童」(It’s a Wise Child)というラジオ番組に次々と出演する、いわゆる天才児たちです。しかし、「ナイン・ストーリーズ」で描かれる成長した彼らの多くは、どこかバランスを欠いた不安定な人間になっています。兄弟の精神的支柱であった長兄シーモアは拳銃で自殺してしまいます。
 「スカイ・クロラ」のカンナミは、自分を指して「特別な子供(325)」と言い、他のキルドレたちにも似た形容がされ、そして大人にならない。グラース兄弟も神童と呼ばれ、そしてうまく大人になれなかった。この2つの物語に共通するのは、フワフワして捉えどころの無い雰囲気だけではなく、描かれているテーマも共通しているのです。森さんは、この引用によって「大人にならない永遠の子ども」の表現を補強したかったのではないでしょうか?

 それから、引用されている6編の短編や引用箇所にも意味がありそうです。例えばプロローグの扉の「テディ」の引用箇所にある「死んだら身体から跳び出せばいい~」は「キルドレの再生」を暗示しているように思えます。「人間の再生」は著者が否定されているので、これはミスリードを狙ったものなのでしょう。
 第1話の扉の「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」の引用部分は、その物語の中でも前後のつながりがよく分からない部分なのですが、「ハツカネズミ」と「観覧車」という言葉があり、これが回し車の中を駆けるネズミ、「前進しない永遠の回転」を想起させます。
 第2話~4話の扉の引用は、引用部分の前後までを含めると、「仮面」「シャロンをきみだと思うことにしたのさ」という言葉があったり、母親が海軍中将になりすましたりします。うがった見方かもしれませんが、「誰かが実はその誰かではない」というトリックが、この物語の中に潜んでいることのヒントかもしれません。
 そして、その考えは第5話の扉の引用「エズミに捧ぐ」ではっきりした輪郭を見せます。「私は依然として登場するけれど(中略)どんなに慧眼な読者でも私の正体を見抜くことはできないだろう。」 これは、カンナミが実はカンナミではない、またはクサナギが実はクサナギではない、という暗示と捉えて問題ないと思います。
 さらに、「エズミに捧ぐ」は、「本当の眠気を覚える人間は(中略)無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。」という一文で終わっています。これは、「スカイ・イクリプス」で描かれたクサナギの回復物語を感じさせます。森さんは、「ナイン・ストーリーズ」を読み返した読者が、こうしたことに感付く可能性を(かなり低い可能性かもしれませんが)考え、こんなヒントを仕掛けたのではないでしょうか?

 では、続いて、他の5冊との関連性における「スカイ・クロラ」の考察と、いよいよ最後の謎についてです。

 このシリーズは、謎の深さというか混迷度が読む順番で違うように感じました。私は、最初は「スカイ・クロラ」から始まる出版順、2度目以降は「ナ・バ・テア」からの時系列順で読みました。そうすると、時系列順、つまり森さんが「一番誤解がない」とされる「ナ・バ・テア」から読む方が悩まないのです。少なくとも「クレィドゥ~」までは、特に何の疑問もないと言っていいぐらいです。

 「スカイ・クロラ」を最初に読むと、ミツヤの「貴方はクリタさんの生まれ替わり(クロラ302)」のセリフに代表される、クローン技術めいた人間の再生のことが頭に残ります。すると「フラッタ~」でクリタが登場すると「この栗田がカンナミになるのか?」なんて、もしかしたらしなくていい想像をしてしまいます。「クレィドゥ~」では、「死んだクリタにクサナギの技術を移殖してカンナミに..」なんて考えてしまったり。ミズキのこともそうです。「スカイ・クロラ(156)」でトキノの言葉を聞いていなければ、特に妹か娘かなんて悩むこともなかったでしょう。

 とは言え、「ナ・バ・テア」から読んでも「クレィドゥ~」では主人公が誰か分からずに立ち往生し、「スカイ・クロラ」でさらに?が増えるということには変わりがないでしょう。「ナ・バ・テア」を最初にしてこれまで組み立てた私の考察でも、「クレィドゥ~」までは何とか破たんを免れたつもりですが、「スカイ・クロラ」には多くの矛盾が残ってしまいます。どうも全体から浮き上がってしまった感じで、説明がつかないことが多いのです。

謎7 スカイ・クロラが抱える矛盾

 最大の矛盾は時間です。それまでの物語との整合性がありません。時系列をみると、クリタについて言うササクラの「死んだのは一週間くらいまえ(78)」、クサナギの「ここに来たのは、七か月前(89)」という言葉が、「クレィドゥ~」とかみ合いません。「クレィドゥ~」の終わりの時点で非武装地帯での戦闘から半年、仮にエピローグを除いたとしてもサガラが病院を訪れたのが1ヶ月前、クサナギがクリタを撃ったのはその前のはずなので、どうしても説明がつきません。
 「クレィドゥ~」と「スカイ・クロラ」の順番を入れ替えたり、重ねたりという手もありますが、「スカイ・クロラ」が「時間軸上では最後」ということは、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事でも明らかにされていて、「スカイ・クロラ」が最後ではないという可能性は排除しなくてはなりません。

 次は、「スカイ・クロラ」のクサナギは誰なのか?ということです。「クレィドゥ~(310)」でソマナカは「あれは、別人だ」と言っています。それを受ければ、偽クサナギということになりますが、この偽クサナギには「クレィドゥ~」以前のクサナギの記憶があります。これでは「記憶移殖」はない、という森さんの言葉に反してしまいます。キルドレには、他人の話と自分の記憶を混濁させてしまうという症状がありますが、選択的にクサナギの記憶を混濁させるというのは、都合が良すぎるように思います。
 しかしクサナギが偽クサナギではなく、カンナミは「クレィドゥ」のエピローグから続いてクサナギが持つ別人格だとすると、「スカイ・クロラ」ではクサナギもカンナミもクサナギ、一人二役ということになってしまい、2人がササクラやトキノや他の人の前で会話していることの説明ができません。(レストランの店員などを含めて、その他全員が2人いるふりをしているのでなければ)

 また、性別の問題も出てきます。 トキノと同室であることや、トキノが娼館へ案内したこと(65)や、そこの女に「よろしくね、ボーイ」と言われたこと(68)、シャワーから上半身裸で部屋に戻っていること(143)。カンナミが男性であること示唆する記述はまだ他にもあります。すると、女性のクサナギの別人格という考えと相入れません。
 このような矛盾が問題となるわけですが、実は、偽クサナギの問題と性別の問題は、それぞれに説明をつける方法がないわけではありません。記憶移殖などしなくても記憶を学習することは可能だし、性転換手術を受けたという説明も可能です。しかし最大の矛盾である時間の整合性の問題は残ります。そして、時間の整合性の問題を含めて、全てを説明する仮説が少なくとも1つあります。

 それは、「「スカイ・クロラ」はクサナギの別人格であるカンナミの頭の中の出来事、つまり妄想なのだ」という仮説です。妄想の中の話なので、時間が合わなくても、一人二役でも、上半身裸でウロウロしたってどうということもありません。クサナギの記憶を持っていることも説明ができますし、別人格のカンナミが別の記憶を持っていることも不思議ではありません。色々と悩んだ末に「夢オチ」みたいな話で恐縮ですが、それを裏付ける要素がいくつかあります。

 その1つは、森さんがこのシリーズのもとにしたという、デヴィッド・リンチ監督の映画「ロスト・ハイウェイ」です。前回、「途中で主人公が入れ替り、片方はもう片方が作り出した別人格」ということを書きました。さらに言うと、この映画は最初から最後まで全編が、刑務所の中にいる主人公の妄想という解釈ができるのです。
 もちろん、「スカイ・クロラ」シリーズよりも難解とも言えるリンチ監督の映画ですから、この解釈が正しいとは言い切れませんが、「解釈ができる」というより、私が観た限りでは「他の解釈では説明できません」でした。(「スカイ・クロラ」の謎解きのために、リンチ作品の謎にまでブチ当たってしまって、本当に消耗しました。)

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 2つ目は、「スカイ・アッシュ」でクサナギが見た夢(イクリプス230)です。この夢でクサナギは自分が撃った人々を思い出しますが、その最後の1人のところで「あれは、僕だ」と「スカイ・クロラ」のカンナミがクサナギを撃つ場面を思い出します。「あれは、僕だ」ですから、本人による告白とも言えます。
 それから、これは直接的な裏付け要素とはなりませんが、多重人格の中のある人格が「死ぬ」「殺される」という考えは、多重人格者を扱ったノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」「ビリー・ミリガンと23の棺」の中にも見られます。「~棺」の方はタイトルからして分裂した人格の「死」を暗示しています。

 3つ目は、エピローグです。それまでとは違って一歩退いた視点で自分のこと、クサナギとのことを振り返っています。一歩退いた視点なので、最初の「夢の中で、僕はただ戦った。」という言葉の「夢」とは、「今見ている夢」という意味ではなく、それまでの話、つまり「スカイ・クロラ」全編のことを指して「夢」と言っているのではないでしょうか。
 冒頭に書いたように、「スカイ・クロラ」1冊の中にもヒントが込められているとすると、最後のシーンに分かりやすいヒントを持ってくるのは極めて自然です。「夢オチ」の物語で最後にガバッとベッドから起き上がるシーンのようなもの、だと考えることができます。ちなみに「ロスト・ハイウェイ」の最後のシーンも、主人公の別人格への変身を暗示する、一種のタネ明かしでした。

 このように「ロスト・ハイウェイ」をもとにした、ということを素直に受け取れば、「スカイ・クロラ」全編が妄想で、先立つ4冊はそこに至る物語と捉えて問題ないと思います。以上、Q.E.D. (ふぅ~、疲れた)

—–追記—–

 この考察に至る前に、同じように「スカイ・クロラ」シリーズの謎を追われた多くの方のブログを拝見しました。その時感じたのは、同じ目的に向かっているのだから協力できないものか、ということでした。メールやコメントで?とも考えましたが、読む時期も違うのでリアルタイムに協力するのは難しそうでした。

 そこで、私が考察に使ったメモを提供することにしました。そうすれば、次の人は私の作業の続きから始められます。幸い、アウトラインプロセッサーソフトを使っていましたので、テキストファイルに出力できました。今後、「スカイ・クロラ」シリーズの謎に挑もうとされる方がいらっしゃったら、遠慮なくダウンロードして使ってください。
 ここを右クリックして「対象をファイルに保存」 (コピー・転載・改変は自由/著作権は放棄していません)

——–
(2010.7.28 追記)
sugiさんから、コメント欄にご指摘をいただき、新たな考察を加えたのでここに追記します。

 「スカイ・クロラが抱える矛盾」に挙げた「性別の問題」が、「クレイドゥ~」のエピローグにもあることが分かりました。エピローグ2ページ目で、ベッドの上段で寝ている奴のことを「彼」と表現していることから、主人公が男性と同室であることが推察されます。
 これは「クレイドゥ~」エピローグのカンナミが、女性のクサナギの別人格だとする考えと相入れません。それ以前の物語の考察(「妊娠して非キルドレ化した」など)から、この主人公が男性の誰かであるという考えも排除すると、残る有力な可能性は、「「クレイドゥ~」エピローグから既に、クサナギ=カンナミの妄想」というものです。

 「都合の悪いものは全部「妄想」かよ、ずいぶん都合のいい考察だな」という声が聞こえてきそうで怖いですが、それは上に書いた「それを裏付ける要素」の3つと、ここに至る長い道のりに免じてご勘弁いただきたいと思います。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(2/3)

 前回、「スカイ・クロラ」シリーズ6編の時系列のまとめを紹介しました。今回はいくつかの謎について私の考察を紹介します。考察に当たって「スカイ・イクリプス」のいくつかの作品は三人称で書かれているので、これらの作品に書かれていることは事実として考えています。また、著者の森博嗣さんの次の言葉を、謎解きの前提としています。

———

森さんのブログ「MORI LOG ACADEMY」(※)から

Q 『スカイ・イクリプス』を読んでも、まだ読み解けない読者のために何か少しヒントをいただけないでしょうか。
A 無理に読み解かない方が良いと思います。ヒントとしては、以下のとおり。

  • シリーズ5作では、主人公(一人称)はそれぞれ1名。
  • クローン(特に短時間で人間を再生する)や記憶移植といった非科学的なものはこの世界にはない。
  • 「スカイ・クロラ」から読むから難しく感じるかもしれない。たとえば、草薙瑞季は、水素の娘だと思っている人が多いですが、土岐野がそう言っただけです。このように、何を信じるべきか、ということが重要だと思います。
    書影

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雑誌「ダ・ヴィンチ」2008年8月号の森さんのインタビュー記事から

このシリーズのもとになっているのはデヴィッド・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」なんですよ。

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それでは、1つずつ私の考察を...( )の数字はページ数。

謎1:「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」はだれか?

 これは、クサナギスイトだと思います。その理由の1つは、サガラやカイの「僕」に対する態度です。
 例えば、サガラは病院に「僕」を訪ねて、電話番号を渡し注射をします(85)。後になってその注射はキルドレに戻すものであることが分かります(291)。「キルドレに戻る」ことができるのはクサナギしかいません。その他「子供のときを、思い出さない?(122)」や、「今、名前を言ったわ(240)」などのセリフも、それを暗示します。
 カイのセリフ「私は、君が生きていてうれしい(296)」「散香に乗れることを約束する(286)」なども、相手がクサナギだと考えれば自然です。なお、前半でフーコと逃げる場面が、「僕」が女性のクサナギでは不自然な感は否めませんが、「スカイ・アッシュ」でフーコが再会を喜ぶ相手が女性であることを考え合わせれば、受け入れられるかと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉もあり、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」は、全編を通してクサナギスイトだと思います。

謎2:では、「クレィドゥ・ザ・スカイ」のエピローグのカンナミは?

 このカンナミは、クサナギが持つ別人格だと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉を厳密に捉えてエピローグも含まれると考えます。すると「クレィドゥ~」の「僕」が、クサナギではないカンナミだとすると、サガラやカイの態度が説明できません。
 また、「僕は、あなた以外じゃない(ダウン~248)」など、シリーズの複数の場所にクサナギとカンナミが同一人物であることを暗示する部分があります。「ドール・グローリィ」でミズキがカンナミに言う「お姉さまのために編んだのよ」というセリフ(イクリプス209)は決定的とも言えます。
 さらに、森さんがシリーズのもとになっているとした映画「ロスト・ハイウェイ」は、途中で主人公が入れ替わるのですが、実は「それは1人の人物で、片方はもう片方が作り出した別人格」という内容です。これらを考え合わせれば、いわゆる二重人格あるいは多重人格がストーリーに取り入れられていると考えるのが妥当だと思います。

謎3:では、カンナミは実在しなかったのか?

 カンナミは実在したと思います。「クレィドゥ~」のエピローグ以前にカンナミが登場するのは、「ダウン~」の病院で2回、研修会で2回、夢で2回です。夢はともかく、病院の1回、研修会の1回は、看護婦や他の研修生など他の人間が同時にいます。研修会ではカイから参加者は全員パイロットで17人と伝えられ(ダウン~117)、実際にカンナミを入れて17人いました。(もう1人いましたが、その人はパイロットではありません)
 病院と研修会の残る1回ずつのカンナミは、もしかしたらクサナギの幻覚かもしれません。しかし、その後の展開を見ると、この時はクサナギが妊娠によってキルドレではなくなっている時期です。「他人の人生が自分の中に入り込んでくる」のがキルドレが持つ症状(イクリプス225)だとすれば、キルドレではないこの時期に覚醒時に幻覚を見たとする積極的な理由がありません。クサナギの記憶に残っていたこの出会いが、「クレィドゥ~」のエピローグで別の人格として発現したのではないでしょうか。

謎4:では、クリタはどうなのか?

 クリタも実在したと思います。クリタが初めて登場するのは、「ナ・バ・テア(180)」です。その後、クサナギやササクラと一緒に転属して、「フラッタ~」の主人公になったようです。「スカイ・クロラ(302)」で、ミツヤが「貴方はクリタさんの生まれ替わり」とカンナミに言うところが謎めいていますが、この話は森さんの「MORI LOG ACADEMY」での答えに反するので、取り上げなくて良いと思います。
 もちろん、「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物である証拠はありません。しかし、「ナ・バ・テア」で登場、「フラッタ~」の主人公となって、その後なんらかの理由から逃走中にクサナギに撃たれる(イクリプス196)、という流れで破たんするところはありません。

謎5:ミズキはクサナギの妹なのか娘なのか?

 ミズキはクサナギの妹だと思います。ミズキが初めて登場するのは「フラッタ~(194)」のクサナギの母の葬儀でです。この時の年齢は分かっていませんが、一人でクリタの前に現れたことから、幼く考えても4~5才にはなっているはずです。
 一方「フラッタ~」でクリタが「草薙水素とは、もうけっこう長い。一年以上彼女と飛んでいる。」と思う場面があります(フラッタ~41)。クサナギの妊娠は「ナ・バ・テア(180)」でクリタがクサナギの基地に転属してきた後の出来事ですから、ミズキが娘だとするには年月が足りません。もちろん、5年だって「一年以上」には違いありませんが、「一年と少し」という意味に取るのが妥当だと思います。
 また、謎4でも触れたように「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物ではないという可能性は残ります。しかし、子どもはティーチャが引き取って育てているはずで、クリタが「フラッタ~(270)」で遭遇していることから、少なくともこの時には現役なので、クサナギが妹として引き取る必然性がありません。また、引き取るためには、ティーチャと連絡を取りあって子どもの養育について話し合う、ということが必要ですが、どちらもそのようなことをするキャラクターではないと思います。そのようなムリを考えるよりは、母が違う妹とする方が良いと思います。

謎6:クサナギとフーコはいつ仲良くなったのか?

 「フラッタ~」と「クレイドゥ」の間の空白の期間だと思います。「クレィドゥ~」の「僕」がクサナギだとすると、フーコはなぜクサナギと逃げているのでしょうか?いつ、そんな間柄になったのでしょうか?その辺りのことは書かれていないため、推察することしかできません。
 クサナギが初めてフーコに会ったのは「ナ・バ・テア(113)」で、路上に寝ているフーコをバイクではねそうになった時と、ティーチャと娼館へ行った時(ナ・バ・テア249)。その後はフーコの口からクサナギの話題が出る(フラッタ~61)、といったことが2人の関係に言及した部分です。このことからは、一緒に逃亡するといった危険を冒すような関係は掴めないのですが、「スカイ・アッシュ」によれば、二人の関係が親密なものであったのは確かなようです。
 問題は「いつ?」ということですが、「フラッタ~」と「クレィドゥ~」の間の空白の期間であれば、充分な時間がある可能性があり、クサナギが非キルドレ化している期間でもあります。その間にクサナギは精神的にも安定し成長して、他人との関係を築くことができた、と考えることができます。

※「MORI LOG ACADEMY」は現在は閉鎖されていますが、森博嗣ファン倶楽部「森ぱふぇ」に寄贈され、会員登録(無料)すれば、閲覧することができます。
URL http://www.pure.cc/~pramm/morifan/index.html

 次回は最終回、「スカイ・クロラ」について少し詳しく考察します。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(1/3)

 「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦します。昨年読んだ時には「謎は謎として楽しもう」なんて言っていました。でも「本カフェ」のコミュ二ティをきっかけに再読して、やっぱり「知りたく」なってしまいました。できる限り読み解いて、自分なりの決着をつけないと先に進めない感じです。それで、シリーズ6冊を精読して得た考察を3回に分けて披露します。
 ある程度の自信を持ってお伝えしますが、見落としなどの可能性は大いにあります。気が付いたことなどがあれば、お手やわらかにお伝えくだされば幸いです。

 まず、シリーズ6冊の時系列を追いました。下の表がそれです。「時間」は物語の中の時間や季節の記載から考えました。グレーの部分は作品と作品の間などで、物語では語られていない部分です。「出来事」は本の内容を思い出せる程度の出来事(グレーの部分は時間を考えるのに参考になる記述)を書いています。

時間 出来事 作品名
1年 クサナギ入隊
クサナギ、僚機が敵機に体当たり、病院でカイに会う ハート・ドレイン
クサナギ、転属。カイも転勤
1か月半 クサナギ、ササクラと一緒にティーチャのいる基地に転属。キャリアは1年 ナ・バ・テア
クリタとヒガサワが基地に転属
5か月~ クサナギ、妊娠。子どもはティーチャが引き取る
ティーチャ退職
 7ヶ月+
ティーチャ、モナミと子どもを育てる ナイン・ライブズ
クサナギ、撃墜した敵に撃たれる→入院 ダウン・ツ・ヘヴン
クサナギ、病院や研修会でカンナミと会う
クサナギ、ティーチャとの市街戦
 
クサナギ、指揮官補佐になる ジャイロスコープ
クサナギ、カイらの指示で写真撮影
「フラッタ~」でクリタが、「クサナギと1年以上飛んでいる」
半年? クサナギ、クリタ、ササクラと共に転属。指揮官(小隊長)に フラッタ・リンツ・ライフ
クリタ、クサナギの母の葬儀でミズキと会う
クリタ、サガラに撃たれ入院、転属
 
  クサナギ、ミズキを連れてクリタを捜す。撃つ。 ドール・グローリィ
 
  クサナギ、大戦で死亡とされる クレィドゥ・ザ・スカイ
5か月? ○○○が、ソマナカの話を聞いて「半年まえ?」と思う 
  ○○○、病院でサガラに会う。注射と電話番号を受ける
1か月 ソマナカ、サガラに「1か月ほどまえに病院へ行かれましたね」
1週間 ○○○、病院を抜け出し、フーコと逃げる
○○○、サガラの元へ
○○○、20分で4機を墜とす
半年 エピローグで「半年前の戦闘」とある
  カンナミ、この基地に来て半年、ソマナカに会う。
4年半 「クレィドゥ~」エピローグで新人のカンナミが基地に来て半年
「スカイ・クロラ」でカンナミが「飛行機に乗って5年」
3か月~ カンナミ、クサナギの基地に転属 スカイ・クロラ
クリタが来たのは7か月前、死んだのは1週間前
カンナミ、クサナギを撃つ
10年?  
フーコ、クサナギから金をもらい店を辞める アース・ボーン
10才ぐらいだったミズキが「ドール・グローリィ」で就職している
10か月? カンナミ、前に1度転院。もう何年もここにいる ドール・グローリィ
ミズキ、就職。音楽の先生
ミズキ、カンナミに「お姉さまのために編んだ」セーターを贈る
 
  ○○○、十字を切る女、ネオンの光の中の男を撃つ記憶 スカイ・アッシュ
○○○、もうひとり撃った。「あれは、僕だ」
○○○、フーコに会う。

 この表から、クサナギが入隊してから「スカイ・クロラ」に至るまでに、最低でも8年の月日が流れていることが分かります。 もちろん期間不明の空白があり、特に「フラッタ・リンツ・ライフ」と「クレィドゥ・ザ・スカイ」の間の時間の手がかりがなく、長期間にわたる可能性もあることから、実際にはもっと長くなるはずです。
 なお、「スカイ・イクリプス」に収められている「ワニング・ムーン」と「スピッツ・ファイア」の2編は、この時系列に入れるための手がかりが見つけられなかったので入れていません。

 次回は、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」はだれか?などの謎を追っていきたいと思います。

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グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業

書影

著 者:夏野剛
出版社:幻冬舎
出版日:2009年7月30日 第1刷発行
評 価:☆☆(説明)

 著者は怒っている。己の実力を顧みずにウェブビジネスを始めた企業に。また、店頭販売への悪影響を気にしてウェブの価格をそれ以上に安くしない企業に。さらに、ウェブ広告の方が効果があるのにマス広告を出す企業に。その他にもうまくウェブを使いこなしていないあれこれに対して。そして、こんなことも分からない経済界や政界のリーダーたちに対して怒り、最後には、50代以上の経営者らリーダーは「早く退くこと」が唯一の処方箋だし最大の貢献だ、と言う。(「50代でも先進的な方もいる」と後で補足はしているが)

 著者はNTTドコモでi-modeやおさいふケータイの事業を立ち上げて成功させた立役者だそうだ。まぁ、自分が一人で全部やったとでも言うかの物言いはどうかと思う。でも現代は「プレゼンテーション時代」、このくらいの自己PRができなくては頭角を現せないとして認めるとしよう。
 確かに、現在の企業のウェブへの取り組みは中途半端なものが多く、単独のビジネスとして成り立っているものは少ないのだろう。MBAを持っていてマーケティングの専門家である著者にしてみれば苛立ちがあるのは分かる。しかし、著者がそれだけの成功の仕掛け人であるならば、もう少し独自の切り口からの分析なり提言なりが欲しかったと思う。どこかで他の誰かも言っているような話が多く、オリジナリティが感じられるのは、上に書いた「早く退くこと」という提言ぐらいだった。

 このように書くと悪い印象しか残らないかもしれない。確かに期待したものと違ったし私には合わなかった。しかし言い換えれば、本書の内容は教科書にしたいぐらいのスタンダードなウェブビジネスの分析だ。タイトルから感じられる剣呑な雰囲気そのままの本だけれど、ウェブビジネスがうまく行かない理由が知りたい方には参考になるかも。

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誇りと復讐(上)(下)

書影
書影

著 者:ジェフリー・アーチャー 訳:永井淳
出版社:新潮社
出版日:2009年6月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 1年ぶりのジェフリー・アーチャー。今年6月に発行された新作。1年前にも書いたが、10年ほど前までは次から次へ貪るように読んで、新潮文庫の著者の小説は全部読んでしまった。1年前の「ゴッホは欺く」が、正直言って少し期待ハズレだったこともあって、6月に出たのは知っていたのだけれど、ちょっと静観していた。

 それで、本書は面白かった。「ゴッホは欺く」と比べて随分と楽しめた。著者の作品の特長は、逆境や絶体絶命の状況にある主人公が、相手にトリックをしかけて見事に逆転する「騙しのテクニック」にある。相手だけでなく読者まで騙してくれる。「もっとうまく騙して欲しかった」というのが前作の感想だが、今回はうまく騙してくれた。

 主人公はダニー。ロンドンのイーストエンド、いわゆる下町の自動車修理工だ。彼が幼なじみで恋人のベスと結婚を約束したその夜に、ベスの兄のバーニーを殺した容疑者にされてしまう。容疑者としてまた裁判の証人として真実を話すダニーとベスだが、陪審員にはその声はなかなか届かない。真犯人は新進気鋭の法廷弁護士、敵のホームグランドで戦っているようなものなのだ。

 目次を見ると「裁判」「刑務所」「自由」「復讐」..と、物語のほとんどが分かってしまう感じがする。無実の罪を着せられた主人公が、真犯人に迫る物語。解説にも「古今東西..軽く数千のオーダーはあろうか」とある。数千はさすがにムリだけれど、小説やドラマ・映画でいくつかは思いうかぶ。
 しかし、本書はそんな中で頭抜けて巧みなストーリーだ。その一端は著者の経験によるものだろう。著者はが詐欺事件の被害者であるだけでなく、偽証罪の有罪判決を受けた経験まで持つ。本書の前半の舞台である「ベルマーシュ刑務所」は、なんと著者自身が収監されていた刑務所なのだ。
 ダニーの周囲に善意の人が多く、少し幸運すぎる感じがしないでもないが、ヒーローに幸運はつきものだ。サスペンスと法廷劇がたっぷりと楽しめる。オススメ。

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天地のはざま

書影

著 者:たつみや章
出版社:講談社
出版日:2001年3月26日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「月神の統べる森で」「地の掟 月のまなざし」に続く連作ファンタジーの3冊目。前作で再会を果たした縄文のムラのポイシュマと弥生のクニのワカヒコの少年2人が、さらに過酷な運命に立ち向かう。

 シリーズを通して、縄文と弥生の文化の衝突と、それを通しての現代の社会や文明への疑問を投げかけてきた。自然や動物を神として崇める気持ちを失ったことや、「所有」の概念が生んでしまった身分制度や陰謀などなど。
 そして今回物語の俎上に上がったのは「交渉」。弥生の悪しき習慣を一身に体現するホムタという男がいるのだが、彼が別のムラとの産物の交換の場でこう言う「すこしでも得な交換をするのが、おれたちの役目」このあとホムタは「なんていやしいやつだ」とか言われて足蹴にされてしまう。
 「交渉」が「いやしい」とは..。身分制度や陰謀という言葉に感じる負のイメージは「交渉」にはない。だいいち仕事でも生活でも、誰かに何かを頼んだり頼まれたり、どこを向いても交渉だらけなのだ。(関西人だし。過度な交渉は自粛しているけれど)..でも、本書を読んでいると確かに「いやしい」と思えてしまう。

 話を本書に戻すと、これまでの縄文のムラと弥生のクニに加えて、さらに強大なクニが物語に絡んでくる。そして、ポイシュマが大化けする。物語がスケールアップして、いよいよ佳境にはいる予感を残して終わる。次が最終巻。読むのが楽しみだ。

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中学生が考える-私たちのケータイ、ネットとのつきあい方

書影

著 者:大山圭湖
出版社:清流出版
出版日:2009年7月27日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

  東京の区立中学校の先生である著者が、2005年からの3年間に受け持った子どもたちと、昨年に1年生で受け持った子どもたちとの「ケータイ、ネット」に対する取り組みをつづった本。現場の先生の報告として、あまたある教育評論家のご高説よりも一読の価値あり、だと思う。

 何年か前に子どもたちの様子がヘンだ、と気が付いたのが事のきっかけだ。著者によると、毎日居眠りしたりぼんやりしたりしている子が何人かいるそうだ。それ自体は別にヘンなことはない、昔から成長期の中学生は眠いのだ。ヘンなのは、授業中以外も体調不良を訴え、いくら注意しても改善せず、同じことの繰り返しなことだそうだ。
 つまり、体調不良は夜更かしによる睡眠不足が原因、体調不良にまでなれば本人も「これはマズイ」と思うので、以前はそんな状態が長く続くことはなかった、ということなのだ。それで、養護教諭などの話から分かった原因はメール。夜中まで、時には明け方までメールを友達としているそうなのだ。本を読んだりテレビやゲームなら、自分がマズイと思えば止められるが、メールが相手があることなので、止めようにも止められない、ということらしい。

 「まったく、最近の中学生は何をやってるんだ(怒)。中学生にケータイなんぞ与えるからロクなことにならんのだ!取り上げればいいんだ。」という方もいるだろう。私の職場でも「子どもと携帯電話」という講座を公民館や学校でやっていて、そのアンケートを見ると中高年の男性にそういう方が多い。
 もちろん「取り上げればいい」なんて、そんな簡単な事ではない。(青少年育成関係の方で「簡単なことだ」と思っている方がいらっしゃったら、この本を読んで考え直してみることをオススメする。)そこで、普通の人は「子どもたちにケータイの危険性を指導しよう」となるだろう。著者のやったことはそれとも違う。「子どもたち自身に考えてもらった」のだ。
 これは手間のかかることだ。「指導」なら1~2時間ぐらい話して聞かせればできるだろう。しかし、効果のほどはあまり期待できない、残念だけれど。子どもたちが自分で考えるとなると時間も必要だし、話の方向がどこを向くか分からない。しかし、子どもたちはちゃんとゴールを見出したのだ。著者があとがきに曰く「<中学生って、大したものだ>と何度も思ってきましたが、今回は、今までで一番そう感じています」ここには信頼がある。そして、この本には全国の同様の取り組みへのヒントがある。

 この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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