ものがたりのあるものづくり ファクトリエが起こす「服」革命

書影

著 者:山田敏夫
出版社:日経BP社
出版日:2018年11月12日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 出版社の日経BP社さまから献本いただきました。感謝。

 本書は「ファクトリエ」という、服、雑貨を販売するインターネット通販のブランドを紹介する本。著者の山田敏夫さんは「ファクトリエ」をゼロから立ち上げた人で、本書には、今日に至るまでの苦労とともに、「ファクトリエ」に込めた思いの丈が詰まっている。

 「ファクトリエ」は、店舗を持たない、セールをしない、生産工場を公開する、価格は工場に決めてもらう、という特長をもったブランド。これらは、日本のアパレル業界では異例のことだそうだ。特に生産工場の公開は、タブーとさえ言われる。そして「ファクトリエ」の構想は、このタブーに対する違和感から端を発している。

 著者は、学生時代にパリに留学し、グッチの店舗でアルバイトをした経験がある(この経緯の「力の抜け加減」が、著者の生き方を表している。しなやかで強い)。そこでは商品の一点一点が「自分たちの工房で生まれた」ことに誇りを持っている。ヴィトンもエルメスも工房から生まれた。

 翻って日本では、縫製などを手掛ける工場は、ブランドとの製造契約で「守秘義務」を負っている。ブランドイメージを保ったり、技術の流出を防ぐためだ。しかし黒子の存在では、正当な評価も対価も得られず、海外の安い工場との競争で、国内の縫製工場は疲弊し、急激に数を減らして危機的な状況にあった。そして「どこで作られたか」に関心を持たない消費者は、そのことに気がついてもいない。

 パリのでの経験から「世界に誇れる日本初のブランドを作ってみせる」と誓った著者は、全国の縫製工場を一軒づつ訪問し、「工場発のブランドを直売する」という、著者の構想に賛同する「同志」となってくれる工場を捜すことから始める。先述のように、これは業界のタブー破りになる。だから「同志」というのは大げさな表現ではない。

 そこから年商10億円を超える現在までの、山あり谷ありの一部始終が本書には記されている。この「ものがたり」は、強い引力を持っていて、読む人を惹きつけずにはおかない。

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RDG レッドデータガール 星降る夜に願うこと

書影

著 者:荻原規子
出版社:角川書店
出版日:2012年11月30日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「レッドデータガール」シリーズの第6巻にして完結編。第4巻、第5巻で描いた学園祭の後の2か月ほどを描く。

 主人公の鈴原泉水子は、東京郊外の鳳城学園という高校に在籍していて、この学園には、陰陽師の集団とか忍者の組織が活動している。泉水子自身も「姫神憑き」という、その身に神が降りる体質で、彼女を守るための山伏たちの組織もある。

 前巻の学園祭で、陰陽師との闘いに勝ち決着をつけた形になっている。ところが、陰陽師のリーダーはそれに納得せず、再度の対決を望み、泉水子もそれを受け...。物語の起伏が、小さいものから始まって徐々に振幅の大きいものへと進む。

 このシリーズは、「エスパー対決もの」と「青春物語」という二つの要素がある。「エスパー対決」の方はほぼ決着がつき、その決着を受けて、登場人物の高校生たちが「青春」らしく結束を見せ始める。「闘いが終れば、昨日の敵は今日の友」。少年誌のような展開だと思った。少年誌なら次の敵が必要だけれどそれもちゃんといる。

 泉水子と山伏の相良深行の間の、「青春」に不可欠な甘酸っぱい要素も、一応の結着を得た。物語に余韻を残しながらも大団円だった。

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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ

書影

著 者:辻村深月
出版社:講談社
出版日:2009年9月14日 第1刷 11月6日 第3刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ハケンアニメ」「東京會舘とわたし」「かがみの孤城」と、最近の作品に連続して☆5つ。それで「私は辻村さんの作品が大好きなのだ」と気が付いた。その辻村さんの2009年の作品。

 二部構成。第一部の主人公は神宮司みずほ。30歳。山梨県甲州市出身。29歳の時に結婚し、今は東京に住んでいる。職業はライター。雑誌に記事を書いている。母親を殺して逃走中(という疑いをかけられている)の、幼馴染の望月チエミの行方を捜している。そして第二部の主人公がその逃走中の望月チエミ、という趣向。

 第一部でみずほは、かつての同級生、遊び仲間たちを順に訪ねる。チエミの行方につながるような情報を聞き出すために。最近会ったのはいつか?とか、その時はどんな様子だったか?とか、その他に何か知っていることはないか?とか、そんなことを聞いて回る。

 聞き出せた情報は、それぞれは他愛もないものだけれど、みずほはチエミと事件の真相に近づいて行った。読者もその気になれば、みずほと一緒に謎解きができる、というミステリー作品に仕上がっている。

 ただ、この物語はミステリー以外の要素も色濃い。久しぶりに会う同級生たちとのやり取りや、差し挟まれる回想によって、様々なことが徐々に形づくられる。中学まで同じ学校に通って、高校で進路が別れたみずほとチエミの関係性。地元に残った遊び友達たちと、東京に出たみずほの間にあるすき間。みずほと実家の母親が抱える過去..。

 こうして、形づくられるのはザラザラとした手触りの悪いものだった。著者自身が山梨県出身でライターではないけれど文筆業ではあるので、なんとなくみずほと重ねて見てしまう。そうした時に「これ、大丈夫なのかな」と心配になるぐらい、ザラザラしている。

 分量的には第一部が約4分の3。第二部は、第一部の答え合わせであり、結末でもある。この第二部によって、ザラザラしたものも、きれいに「洗い流す」とはいかないけれど、そういうものを「乗り越える」ことはできた。

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フェルメール最後の真実

書影

著 者:秦新二、成田睦子
出版社:文藝春秋
出版日:2018年10月10日 第1刷 10月30日 第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 これはちょっとユニークな本だった。

 本書は、これまで数多くの「フェルメール展」を企画してきた財団の理事長と事務局長の共著。フェルメールとその作品に関する解説とともに、フェルメールの作品に「旅をさせる」(所蔵する美術館から借り出す)ことの実際を、臨場感のある筆致で記したもの。

 フェルメールは寡作な画家で、真贋が問われているものも含めて、現存する作品は37点しかない。それらの作品を、いつどの展覧会に出品するかの決定に、大きく関与している人々がいる。著者が「フェルメール・シンジゲート」と呼ぶ人々で、著者もその一員だ。

 第3章「旅に出るフェルメール」の冒頭すぐの言葉を引用する。「ある土地で、フェルメール作品の数々が一堂に会するとき、その裏側では、額に汗して世界を飛び回り、各所蔵先と交渉し、無事に運び込むという悲願の達成まで、必死に努力した人間たちがいるのだ」これが本書の芯にある言葉だと思う。

 例えば、著者が「企画」を担当した、現在(2018年11月)「上野の森美術館」で開催中の「フェルメール展」では、9点のフェルメール作品が展示されている。所蔵する美術館にとっては、それぞれが宝物のような存在なので、滅多なことでは外に出さない(絶対に出さない、という作品もある)。

 だから、気の遠くなるような根回しと交渉を重ねて、それぞれの作品が海を越えて上野に集結し、展覧会が実現している。そのことがとてもよく分かった。

 冒頭に「ちょっとユニーク」と書いたのは、本書が言わば「賞味期限付き」の本だからだ。37点全部をカラーで掲載し、1ページを使った解説が付いている。例えば初来日の「取り持ち女」は、絵の説明の後、ザクセン公のコレクション→ナチスによる頽廃的美術品の烙印→ソ連軍による接収→東独に返還、という来歴が書いてある。他の作品には「盗難」から戻ってきた、なんてのもある。そして最後に「2018年に来日します」。

 これを読めば実物が見たくなる。実物を見るなら、開催中の「上野の森美術館」(2019年2月3日まで)か、その後の「大阪市立美術館」(2019年2月16日から5月12日まで)に行くしかない。次はいつ日本に来るか分からない。(もちろん、世界中に散らばる所蔵館を訪ねて回るという手はあるけれど)「賞味期限付き」というのはそういう意味だ。

 念のため。「賞味期限」が過ぎても、本書がとても興味深い本であることは変わらない。食べ物が「賞味期限」が過ぎても食べられるのと同じ。ただ、美味しくいただくなら期限内がおススメ。

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日本が売られる

書影

著 者:堤未果
出版社:幻冬舎
出版日:2018年10月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 最初に注意書きを。「とにかく今日を穏やかな気持ちで過ごしたい。何年か先に安心安全な暮らしが失われても構わないから」という人は、読まない方がいい。本書も、この記事も。

 帯に「日本で今、起きているとんでもないこと」とある。本当にとんでもないことが起きている。

 タイトルの「日本が売られる」とは、この日本で、私たちの生活に欠かせない様々なものが、値札を付けられて(主に外資に)売られるという意味。本書冒頭にある「水が売られる」を例として紹介する。

 水道を運営する自治体の財政は苦しい。国は責任を取らず代わりに打ち出したのが「民営化」。「民間企業のノウハウを生かし、効率の良い運営と安価な水道料金を」というわけ。民営化とはその事業を企業に売ることに他ならない。売れば何億、何十億ものカネが手に入る。自治体にとっては魅力的だ。

 さらに、これを後押しするための法改正が度々行われている。例えば、「運営」を売った自治体には、地方債の利息免除をいうニンジンをぶらさげる。現在審議中の水道法改正案が成立すれば、また、企業側の優遇として、こんなことになる。

 (1)「所有」と「運営」を分離して、企業は「運営権」だけを持つことで、安定供給の責任を持たな句てすむ。つまりノーリスクで、収入だけを得られる。(2)これまでは厚生労働大臣の「認可」が必要だった料金改定を「届け出」でできる。(3)料金設定の規定に「健全な経営を確保することができる」と入ったことで、料金の値上げを正当化できる。

 まぁこれでも、企業が住民のための運営を行ってくれればいい。コスト重視で水質が悪くなったり、まずくて飲めなくなったり、料金が高くなったりしなければいい。ところが、日本より先に水道民営化が進んでいる各国では、こうしたことが起きて、違約金などで大金を支払ってても再公営化をするところが増えている。

 本書では「水」以外に「土」「農地」「森」「海」「学校」「医療」「食の選択」が、値札を付けられて売られる様子が、詳細に記されている。「タネ」という項目もあるが、こちらは「売る」のでさえなく、コメをはじめとした食物の種を、外資のバイオ企業から日本の農家が「買わされる」という、ショッキングな内容だ。

 最初に注意書きを書いたのは、私自身が読んでいて悲観にくれてしまったからだ。こんなひどいことを誰がやっているかというと、「規制改革」と称して政府がやっている(外国に行ってセールスまでしているらしい)。希望があるとすると、政府が変われば、防げるかもしれない、ということだ。

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コーヒーが冷めないうちに

書影

著 者:川口俊和
出版社:サンマーク出版
出版日:2015年12月6日 初版 2016年11月10日 第34刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 2017年の本屋大賞ノミネート10作品のうち、この本だけはまだ読んでなかった。本屋大賞は10位とはいえシリーズ100万部突破で、今年の9月には有村架純さん主演の映画が公開されている。

 「恋人」「夫婦」「姉妹」「親子」の4話を収録。それぞれの物語に主人公がいる。舞台は、路地裏の地下にある喫茶店「フニクラフニクリ」。この喫茶店には都市伝説がある。ある座席に座ると、座っている間だけ望んだ通りの時間に移動できる、というもの。本書は「タイムスリップもの」だ。

 都市伝説は本当で過去に行ける。ただし制限事項がたくさんある。主なものを3つ。タイムスリップできるのは、移動するときに淹れたコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。その席から動くことはできない。過去に戻ってどんなに努力しても現実は変えられない。

 誰か大切な人を事故で亡くしたとして、過去に戻って事故に会わないよう忠告しても、その大切な人はやっぱり亡くなってしまう。この制限によって、「タイムスリップもの」でよくある「人生のやり直し」はできない。そんなことでタイムスリップする意味あるの?という疑問は浮かぶが、意味はある。4話それぞれの主人公はそれでも心残りの時間に行くことを選ぶ。

 4話のタイトルはすべて会いに行く二人の間柄を表している。それぞれ「彼氏に」「夫に」「妹に」「娘に」会うために時間を越える。例え現実が変わらなくとも、無駄足になるかもしれなくても、わずかな時間だけでもいいから会いたい。そう思うほどの強い気持ちを感じるのは、こういう近しい間柄の人にう対してなのだろう。

 極めて真っすぐな感動話だった。「あの時こうしていれば」という後悔のないように生きなくては、と思う。しかし、本書にはそれ以上のメッセージが込められている。それには「現実は変えられない」という制限が効いている。「過去を変えても現実は変えられない。でも...」

 すでに続編として、「この嘘がばれないうちに」「思い出が消えないうちに」の2冊が出ている。

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55歳からのリアル仕事ガイド

書影

監  修:松本すみ子
出版社:朝日新聞出版
出版日:2018年9月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 以前に紹介した「人生100年時代の新しい働き方」と同じく、「人生100年時代」が気になって読んだ本。ちなみに、私は今55歳。

 監修者はシニアライフアドバイザー。各地でシニア世代に関する講演やセミナーの講師を務めている。著者紹介によると、IT企業で広報やマーケティングなどを担当した後、50歳で独立して会社を設立、シニア世代にライフスタイルの提案や情報提供などを始めた、とある。ご自身も「セカンドキャリア」構築の実践者、ということか。

 全部で4章。第1章から順に「55歳からの働き方・お金の基礎知識」「定年後の仕事のリアル」「定年後の仕事の探し方」「シニアの仕事と資格紹介」。最後の「シニアの資格紹介」では「シニアライフアドバイザー」も紹介しているのが、ちょっと面白かった。確かに若い人にはあまり向かない仕事かもしれない。

 分量的に大半を占めるのは、第2章「定年後の仕事のリアル」で、「セカンドライフ」の実例を40件紹介している。パターンも様々取り揃えてあって、「現役時代の仕事を活かして」というのもあれば、「前職にこだわらずに」もあり、「新たに資格を取って」もあれば「好きなことで生きる」というのもある。

 実例は、自分のことも具体的に考えるのに役に立った。ただ、仕方ないとは言え全て成功した例で、みなさん活き活きしていて「うまく行った人はいいよねぇ」なんて、ひねくれた気持ちが顔を覗かせてしまった。また、他人の例はあくまで他人の例で、私の漠とした想いにフィットするものはなかった。

 それよりも私には、第1章にあった基本的な考え方が心に残った。それは「60歳退職」と「65歳退職」では大きく違う、というもの。今は再雇用制度によって65歳まで勤められるけれど「60歳で辞めていれば、65歳までの間に何かを始められていたかもしれない」という。

 つまり、準備期間が必要なのだ。実例を見ても「定年になる前に始めた」という人が意外と多い。本書のタイトルが「55歳からの~」なのは、60歳を定年として、それまでの5年を準備期間に..ということなのだろう。

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教師が街に出てゆく時

書影

著 者:浅田修一
出版社:筑摩書房
出版日:1984年5月25日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書の出版は1984年。著者は1938年生まれで、このころは現役の高校の国語教師だった。文学の研究や著述、映画の評論などもしていて、本書は、様々な媒体に書いた随筆をまとめたもの。

 最初に、私が本書を読んだ理由を。私は、著者が勤めていた高校に通っていた。卒業したのは1982年だから、本書の「現代高校生気質」という章をはじめとして、随所に出てくる「高校生」や「生徒」は、「私たち」のことなのだ。SNSで同級生たちの間で話題となったので読んでみた。そんなわけで、いつもは「著者」と書くところを「先生」と書く。

 先生は4歳の時にトロッコに轢かれて、右足をほとんど付け根から失った。本書のサブタイトルの「松葉杖の歌」は、先生の姿と暮らし、もしかしたらそれまでの人生をも表しているのかもしれない。松葉杖を2本ついて出勤してこられるのを、私も登校時によくお見掛けした。

 本書は、夕方の湊川公園のベンチでおっちゃんに手を握られる、という何とも退廃的な場面を描いた詩で始まる。それは、映画が好きで新開地に通い詰めていた、という先生の一面ではあると思う。しかし、この後に続く文章の数々には、また違う一面が表れている。

 それは、「怒り」や「諦め」を感じながらも、その相手に対して働きかけをやめない「不屈の闘志」のようなものを持った一面だ。安直の誹りは免れないけれど、60年安保の闘士でもあったので、「闘うこと」が自然だったのかもしれない。「部落差別」「在日朝鮮人への差別」などのあらゆる差別に対して。「君達は本当に生きとんのか!」と言いたくなる生徒たちに対して。先生は怒り、それでも正面からの対話を試みる。

 その感情がとりわけ複雑なのは、やはり先生の失くした右足のこと。ここで要約しては大事なことが抜け落ちてしまうので、私が感じたことだけを書く。片足がないことで辛いのは、自分の可能性を他人に決められてしまうことだったんだ、ということ。運動場で演技をする仲間を見て「あの程度のことはできる」と思っても、決してさせてもらえなかったそうだ。その孤独はいかばかりか。

 最後に。奥様のことや恋愛のことが時々話題になるのだけれど、自分の想いとは別に、それを相手がどう感じるかを先回りして考え、それに自分で答えて...と、まるで一人相撲だ。「先生も意外と青いね」と思ったら、この時の先生は、今の私より10歳以上も若かった。

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赤松小三郎ともう一つの明治維新

書影

著 者:関良基
出版社:作品社
出版日:2016年12月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 まずタイトルにある「赤松小三郎」の説明から。赤松小三郎は幕末の上田藩士。慶応3年(1867年)5月に、「全国民に参政権を与える議会の開設」「法の下の平等」など、現行憲法につながる憲法構想を日本で初めて提案し、その実現に奔走した。しかし、一般の知名度がほぼゼロなだけではなく、幕末・明治維新研究者からも黙殺されてきた。

 著者は環境分野を専門とする研究者で、歴史学者でも憲法学者でもない。だから本書も「素人が何を言うか」という扱いを受ける可能性は高い。しかし、非専門家であるからこそ書けることもある。学会の「重鎮」とか「定説」とか「暗黙のタブー」とかに縛られることがないからだ。

 そして「赤松小三郎の黙殺」も、その「暗黙のタブー」の類だとする。本書では、赤松小三郎の生涯とその憲法構想を詳述した上で、その「暗黙のタブー」に切り込む。さらには返す刀で、現在の日本の改憲論議にまで一太刀を浴びせる。考えれば当然のことだけれど、歴史は現在まで連続しているのだ。

 これは様々な視点で重要な書籍だと思う。実は私は赤松小三郎についての知識がある。仕事で相当詳しく知った。だから本書も「赤松についての書籍が出版されて喜ばしいことだ。どんな内容か確認のために読んでおこう」という気持ちで読んだ。私の期待をはるかに凌ぐ充実ぶりと、示唆に富んだ内容だった。

 重要と思う視点の一つめは、もちろん赤松小三郎の再評価の視点だ。歴史や憲法の非専門家とはいえ、著者は研究者だから、資料の紹介や引用などの取り扱いがとても丁寧だ。また決して単純ではない問題なのに、論旨が明快なために難なく理解できる。歴史研究の議論のベースとしても、赤松の功績の普及のためのテキストとしても使える。

 ふたつめの視点は「憲法観」についての視点。現在の改憲論は、現行憲法を「GHQの押し付け」と規定することに論拠がある。しかし本当に現行憲法の精神は押し付けられたものなのか?という提議をする。赤松の憲法構想が「実現の一歩手前まで来ていた」とすれば、それは150年前に日本人が構想し手にしていたはずのものなのだ。

 最初は「赤松小三郎のことを知ってもらいたい」という想いで、本書を読んでもらいたいと思っていた。しかし改憲が現実のものになろうとしている今、憲法について考えるために、できるだけたくさんの人に読んでもらいたい。本書のサブタイトルは「テロに葬られた立憲主義の夢」

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スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

書影

著 者:田中信彦
出版社:日経BP社
出版日:2018年10月22日 第1版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 出版社の日経BP社さまから献本いただきました。感謝。

 本書は40年近く中国と関わってきた著者が感じた、中国人がものを判断し、反応する時の「クセ」「反応の相場」を紹介したもの。サブタイトルは「スジの日本、量の中国」。本書はたくさんの「クセ」を紹介しているけれど、たったこれだけの最小限のフレーズに、「中国」と「日本」がよく表れている。そしてこのことがよくわかる例え話が冒頭にある。

 通路で4~5人が立ち止まって談笑している。場所は取っているけれど、横を通ることはできる。「邪魔だな。通路は立ち話をする場所じゃないんだよ」と感じる日本人。「横を通れるのだから無問題」と考える中国人。

 日本人は、自分に不利益がなくても「すべきでない」ことをする人に苛立つ。つまり「べき論」で判断する。本書の「スジ」とは、「スジを通せ」という時の「スジ」だ。中国人は、現実的に不都合があるのか、あるとしたらどの程度の不都合か?を考える。つまり「量」によって判断が変わる。

 例え話は他にもある。小銭がなくて自販機のジュース代を同僚に借りた。日本人なら返すだろう。借りたものは返すのが「スジ」だからだ。中国人は返さない(と思われる)。ジュース代ぐらいは、現実的な不都合のある金額(量)じゃないからだ。

 エピソードをひとつ。中国で列に並んでいて、自分の前に割り込まれたので注意すると、その人物は自分の後ろに割り込み直した。その人物は「列に割り込んじゃいけない」という「べき論」で咎められたとは考えず、「一人分(という量の)順番が遅くなると、この人は困るんだな」と考えた、というわけだ。

 念のため言っておくけれど、中国人にもいろいろな考えの人がいる。また、本書は中国人の思考について「え~信じられない」と驚くのはともかく、「だからあいつらダメなんだな」と蔑むための本ではない。違いを知って、認めて、対応しよう、という本だ。

 私は、目下のところ中国人との密な付き合いはないけれど、本書を本当に興味深く読んだ。それは本書が、中国人のことを書きながら日本人のことも書いているからだ。対比によって、日本人がものを判断し、反応する時の「クセ」も良く分かる。その「クセ」が、世界で唯一ではないことはもちろん、最上でもないことも分かる。

 「べき論」で考える判断は、現実との距離感を誤ると袋小路に入って行き詰る。有名人の言行から一般人のつぶやきに対するものまで、ネットにあふれるバッシングは、ほとんどが「○○なんだから□□するべきだ(べきじゃなかった)」という「べき論」を根拠にしている。これは「スジの日本」が行き着く息苦しい社会の予兆だと思う。

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