天の梯 みをつくし料理帖

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2014年8月18日 第1刷 2015年7月8日 第4刷 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 「みをつくし料理帖」シリーズの第10作。「葛尽くし」「親父泣かせ」「心許り」「恋し粟おこし」の4編を収録した連作短編。そしてこの巻でシリーズ完結。

 主人公の澪は、江戸の元飯田町にある「つる家」という料理屋の板前。彼女には、かつて修業した「天満一兆庵」の再興と、今は吉原にいる幼馴染の野江と昔のように共に暮らす、といった2つの望みがある。

 前作までで、野江と共に暮らすという望みについては端緒についた。しかし、未だ雲をつかむような話で、残り1巻でどうなるものか見当がつかなかった。

 それに「天満一兆庵」の再興の方は、少し後退してしまっている。連綿と書き込まれてきた、澪の恋についてはどうなるのか?など、たくさんの気がかりを残したまま、最後の1巻になっている。

 結論を言えば、気がかりなことのすべてに、着地点が与えられている。それも読者がきちんと得心できるような結末になっている。いや、得心の上を行く鮮やかな結末だった。著者の構想力、筆力に感服した。終盤は泣けて仕方なかった。

 ※巻末の「料理番付」を見ずに本書を閉じてはいけない。

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剣と紅

書影

著 者:高殿円
出版社:文藝春秋
出版日:2012年11月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 来月から始まる大河ドラマ「真田丸」関連の出版が相次いで、おおきな盛り上がりを感じる。そんな中でへそ曲がりにも、再来年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の関連本を探してみた。本書は「おんな城主 直虎」の主人公である井伊直虎の物語。

 主人公の名前は香(かぐ)、後の直虎。彼女は、遠州を領地とする井伊家の当主である直盛の一人娘。時代は戦国時代の前期、今川、武田、徳川といった大勢力が健在で、まだ天下の状勢が定まっていないころ。

 もう少し解説すると、香は徳川四天王と呼ばれた家康の側近の一人、井伊直政の養母(血縁で言うと祖父の兄弟の孫)にあたる。本書は、直政が家康に、自らの家の一世代前の物語を話して聞かせる、という形式になっている。

 面白かった。戦国時代の女性を主人公にすると、事件は遠くで起きることが多い。本書でも、一族の男たちが戦や謀略で「殺された」という知らせだけが香に届く。そのために比較的淡泊に物語が進むのだけれど、読み進めるうちに、本書には「女の戦」が描き込まれていることに、気が付く。

 タイトルの「剣と紅」の紅は「べに」、女性の化粧道具。剣は刀。帯に「紅はいらぬ。剣をもて。」と書かれている。直虎という字面と相まって、男勝りの女偉丈夫をイメージするセリフ。

 しかしそう思って読むと、そのイメージの安直さを思い知らされることになる。この「剣」と「紅」はいくつもの含意を持って、この物語を支えている。大河ドラマは本書を原作としていないけれど、主演の柴咲コウさんと本書の香とが重なって見えた。

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コロボックル絵物語

書影

著 者:有川浩
出版社:講談社
出版日:2014年4月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「だれもが知ってる小さな国」は、有川浩さんが佐藤さとるさんの「コロボックル物語」を書き継いだ作品で、お二人ともが大好きな私にとっては「奇跡」のような作品だけれど、その先駆けとなる本があった。それが本書。

 本書は絵本。「コロボックル物語」をストーリーに取り込んだ物語。主人公は小学生の少女、ノリコ。お父さんとお姉ちゃんとで、お母さんのお墓参りに来たノリコの目に、何か小さな影がはねるのが写って...。

 絵本なのでストーリーは長くない。「コロボックル物語」にもページが割かれている。だから、あまりたくさん紹介してしまうと、読む楽しみがなくなってしまいそうなので、あらすじはここまでにする。

 「だれもが知ってる小さな国」は、まぎれもなく「有川作品」だった(もちろんそれはそれで良い)。それに対して本書は、有川さんがあくまで「コロボックル物語」の一愛読者として、その愛着を描き込んだものだと感じた。そう考えると本書は、佐藤さんの「コロボックル物語」から、有川さんの「だれもが知ってる小さな国」への、絶妙な橋渡しとなっている。

 小学生の女の子のことが、きめ細かく描き込まれている。これはもしや有川さん自身のことではないか?と思ったが、その質問の答えは「あとがき」に書かれていた。ノリコに「だれもしらない小さな国」を貸したのはお姉ちゃん。「家族」とか「姉妹」とか、そういうのもいいなぁ、と思った。

 佐藤さとるさんと有川浩さんの対談

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2020 狂騒の東京オリンピック

書影

編  者:吉野次郎
出版社:日経BP社
出版日:2015年11月30日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 出版社の日経BP社さまから献本していただきました。感謝。

 2020年に東京でオリンピックが開催される。あと4年7カ月と少し。まぁまだ間がある。開催が決定してからも2年あまりになるので、通常は少し話題から遠のいている時期だと思う。しかしご存じのとおり、今年は一時期、東京オリンピックの話題で騒々しかった。

 新国立競技場の建設費が問題視され、結果的にデザイン・設計を白紙撤回。エンブレムの盗用疑惑が巻き起こり、これも白紙撤回。その前には東京都観光ボランティアのユニフォームにも批判が集中していた。そんなわけで「狂騒の~」という形容詞に違和感はない。

 ただし、本書は2020年の東京オリンピックにまつわる狂騒を、テーマにした本ではない。第1章「国家の”喜劇”」で新国立競技場のことを扱い、その「ズサンさ」を踏切板にして、広く「日本のスポーツとカネ」の問題に跳躍している。

 「カネ」という観点では、国立競技場の問題は「ムダ使い」の例と言える。全国には赤字垂れ流しの競技場や総合運動場がたくさんある。そういったものをいくつか指摘すれば「告発ルポ」として読み物にはなる。本書も部分的にはそうだ。

 しかし本書のキモは「ムダ使いの告発」にはない。スポーツ界はもっと「商業化」を進めて儲けろ、というのがその主張だ。実は著者が経済誌の記者で、だからというわけではないけれど「経済合理性」を重視する。高校野球は放映権料を取れば、柔道はもっとショーアップすれば、(簡単に)儲かるはずだ、どうしてそうしないのか?というわけだ。

 こう聞いておそらく多くの人は、行き過ぎた商業化が損なう「何か」を危惧するだろう。私もそうだった。腹立たしい思いさえした。最初は。

 正直に言うと、読み進めるうちに自分の考えがよく分からなくなってきた。儲けたお金を有効に使って、そのスポーツの選手の育成や底上げに使う。国の補助金頼みよりも、よほど健全に思える。一方で「(来てくれれば)プレーを観なくてもいい」という野球場のコンセプトには違和感を感じる..。

 モヤモヤしたままで読み終わってしまったけれど、ちょっと視野が広がったのは確かだ。

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幻の声 髪結い伊三次捕物余話

書影

著 者:宇江佐真理
出版社:文藝春秋
出版日:2000年4月10日 第1刷 2015年3月25日 第23刷」
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の宇江佐真理さんは、今年11月7日にお亡くなりになりました。合掌。

 著者の作品は「卵のふわふわ」という作品をずい分前に読んだ。それまでに私が知っていた、武士が主人公の「時代小説」とは違っていたので、印象に残っている。その後も時々思い出していたのだけれど、他の作品を読むには至らなかった。

 著者の訃報を聞いて、改めて読んでみたいと思い手に取った。本書は著者のデビュー作で、その後の代表的なシリーズとなった「髪結い伊三次捕物余話」の第1作。

 時代は江戸時代。舞台は江戸・深川あたり。主人公の伊三次は「廻り髪結い」と言って、自分の店を持たないで客のところに出向いていく髪結いを生業にしている。読んでいるともっと年嵩に感じてしまうけれど、まだ25歳だ。

 伊三次は、北町奉行所の同心の不破友之進に恩義があり、今は友之進の小者としても働いている。そんなわけで髪結いの身で「捕物余話」がシリーズになるほどたくさん生まれることとなった。

 本書には表題作の「幻の声」をはじめとして5つの短編が収められている。殺人、放火、泥棒など、それぞれの短編で事件が起きる。「捕物余話」というシリーズ名で既に明らかだけれど、その事件の解決に伊三次らが絡む。

 特徴的なのは、どの事件も人情話になっていること。登場人物がみんな「弱者」として懸命に生きていて、犯人にさえ同情してしまいそうになる。懸命に生きているのは、伊三次も友之進も同じで、伊三次の「思い女」である、お文も含めて、少し哀しい過去を抱えている。

 これはまたよいシリーズに出会った。14冊が既刊だそうだから、しばらく楽しめる。今、気が付いたのだけれど「みをつくし料理帖」の高田郁さんも女性、「しゃばけ」の畠中恵さんも女性。私と女性が描く江戸時代は相性がいいのかもしれない。

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里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く

書影

著 者:井上恭介 NHK「里海」取材班
出版社:株式会社KADOKAWA
出版日:2015年7月10日 初版発行 8月10日 再版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「里山資本主義のパクリ?」タイトルを見てこう思う人もいるだろう。私もそう思った。次に、著者が同じNHK取材班だと気付いて「あぁ二番煎じか?」と考える。確かに「里山資本主義」がなければ、本書は出なかったかもしれない。しかし、パクリでも二番煎じでもないことは読めば分かる。

 本書の主な舞台は瀬戸内海。岡山から広島にかけての海だ。そのひとつの岡山県の日生(ひなせ)。縄文の昔から漁業を生業にして来たと言われる、瀬戸内有数の漁業の町だ。

 その日生の海が、1970年代に「死んだように」なり、みるみる漁獲高が減るという事態に陥る。それから試行錯誤が始まり、なんと30年におよぶ地道な努力によって、ここ数年になってようやく「以前の海」が戻って来た。

 実を結んだのは、かつては船のスクリューに絡んで邪魔者扱いだった「アマモ」という藻類の復活だった。水質の改善から取り組んで取り戻したアマモの森が、小さな生き物たちを呼び寄せ、魚たちの産卵の場所となり「海のゆりかご」の役割を果たしていた。

 本書は、ここに至る経過と、現在の海の様子を実に活き活きと描く。著者がテレビマンであるからか、その映像が目に浮かぶようだ。

 最初に講じた「稚魚の養殖と海への放流」という、「高度経済成長型」の対策はうまく行かなかった。「原料さえ供給し、機械のメンテナンスさえぬかりなくやれば、製品は予定どおり生産される」という「人工の世界」とは違うのだ。

 必要なのは「海のゆりかご」といった「命のサイクル」を修復して回すことだった。このように「人手が加わることにより生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」のことを「里海」という。「里海資本論」は、「循環」と「共生」によって、「生産」と「消費」のパターンを持続可能なものに変え、有限の海(世界)に無限の生命の可能性を広げるものだ。

 ちなみに「sato-umi」は、2013年にトルコのマルマリスで行われた、海洋の環境保全の国際会議で採択された「マルマリス宣言」に組み込まれている。

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京大式 おもろい勉強法

書影

著 者:山極寿一
出版社:朝日新聞出版社
出版日:2015年11月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は、京都大学理学部卒業、同大学院、助手、助教授、教授を経て、昨年10月に京都大学総長に就任。研究者としての道を一貫して京都大学で歩んでこられた。その著者が記した「京大式 おもろい勉強法」

 タイトルから想像される本書の内容は、「自由」と形容されることの多い校風の元の「実践力を付けるための授業やゼミのあり方」「研究ノートの取り方」などなど、だろう。そして本書にはそういうことは、まったく書かれていない

 本書には、ゴリラ研究者としての著者の半生が綴られている。それによって大事なことを伝えようとしている。タイトルから想像するような、「効率よく知識が身につけられる」的なお手軽な勉強法より、幅広い層、幅広い年代に役に立つ。ゴリラと比較することで、人間のことが良く分かる。

 書き起こされた著者の半生は、1978年に大学院生の時に、コンゴ民主共和国(当時のザイール)から始まる。一人で行って、一人で調査許可を得て、一人で交渉する。並外れてタフでなければできない。「タフ」という意味では「ゴリラ研究のフィールドワーク」自体が想像を絶する。

 ゴリラに慣れてもらうために「餌付け」ならぬ「人付け」というのをするそうだ。簡単に言うと、ゴリラがその存在を気にしなくなるまで、そこに居続けること。咆哮で脅されたり、突進を受けることもある。ゴリラが草を食べれば自分も食べる、昼寝をしたら自分も寝転ぶ、なんて方法を取った研究者もいるそうだ。

 私には絶対にできない。同じことをしようと考えると、そんな諦めの気持ちになってしまう。でも、もちろん同じことをする必要はない。著者もそんなつもりはないだろう。本書からはたくさんのことを教わった。

 借り物ではない「自分の考え」を持つこと、「勝つか負けるか」という単純な解決策しかないと思うことが問題であること、「時間」こそが「信頼」に必要であること、「共にいる」ことが「幸福」につながること、「食事を一緒に食べる」ことに特別な意味があること。

 「それ、おもろいな」。これがキーワード。 

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日本の反知性主義

書影

編  者:内田樹
出版社:晶文社
出版日:2015年3月30日 初版 4月25日 4刷
評 価:☆☆☆(説明)

 編者であるフランス現代思想の研究者である内田樹さんが、「反知性主義」を主題として各界の論者に寄稿を依頼してまとめた本。依頼に応じたのは、赤坂真理、小田嶋隆、白井聡、想田和弘、高橋源一郎、仲野徹、名越康文、平川克美、鷲田清一の9人。

 「反知性主義」とは、1950年代の米国で言われ始めた言葉で、1963年には「アメリカの反知性主義」という本が出版され、その本はピューリッツア賞を受賞している。そこでは「反知性主義」は、「知識人や知識人の意見の偏重に対する反感・アンチテーゼ」というような意味で使われている(らしい。まだ読んでいないので)。

 半世紀後の現在の日本では「反知性主義」という言葉が、「知性を働かせない」という意味をはじめとして幅広く使われる。場合によっては正反対の意味にさえなっている。そのあいまいさを払拭するため、本書でも、寄稿者のそれぞれが定義を試みている。そのため、本書全体としてのまとまりを欠いた感じがした。

 編者の内田さんは、「まえがき」で、安倍政権と「反知性主義」を結び付けている。寄稿者の顔ぶれを見ると、安倍政権への批判的な立場の人が多いようなので、そのような論考が続くのかと思ったが、そうはなっていない。「反知性主義」の料理の仕方に戸惑っている感じだ。

 このような混乱があることは認めるとしても、個々の論考は興味深かった。一つ例を挙げると、白井聡さんが紹介した「B層」の話。2005年の小泉郵政解散の総選挙の際に、自民党が選挙戦略として国民を、「構造改革に肯定的か否か」「IQが高いか低いか」の2軸で、AからDの4層に分けたとされるうちのBだ。

 つまりBは「構造改革に肯定的でIQが低い」層のこと。言い換えれば「マスコミ報道でそれ(規制改革など)がよいことだと喧伝すれば、それを鵜呑みにして「賛成」と叫ぶような人」となる。小泉自民党はこのB層を支持基盤とする綿密な戦略を立てて大勝利したらしい。

 「それを鵜呑みにして...」のB層が有権者の最大のボリュームゾーン、そう見られているのだ。大変な不快感を感じるけれども、よく考えれば、これが的を射た見方だと言わざるを得ない。念のため言うと「マスコミ報道で..」の部分は、他の言葉にも置き換えられる。「ネットで..」「あの人が..」とか。

 先に書いたように「反知性主義」という主題に関してはまとまりを欠いた感があるが、共通して感じたこともある。それは「自分の頭で考えること」と「対話」の重要性だ。

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だれもが知ってる小さな国

書影

著 者:有川浩
出版社:講談社
出版日:2015年10月27日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 タイトルを読んで「これって、もしかしたら..」と思った人は、子どものころにそれなりに豊かな読書体験を持った方が多いだろうと思う。そう本書は、佐藤さとるさんの「コロボックル物語」を有川浩さんが書き継いだものだ。

 主人公はヒコ。物語の初めには小学校の3年生だった。「はち屋(養蜂家)」の子ども。蜜が取れる花を追って、両親とともに九州から北海道までを移動しながら暮らしている。

 それぞれの土地で、巣箱を置く場所は決まっているので、毎年同じ学校に戻ることになる。1年前に転出した学校に今年は転入する。その年も北海道の同じ学校に転入した。ただし昨年と違うことがあった。もう一人転入生がいた。その女の子の名はヒメ。彼女も「はち屋」の子どもだった。

 「はち屋」の仕事が屋外の晴れの日に行われることが多いせいか、物語全体に陽光が差したような明るい雰囲気に包まれている。ヒコのところには、コロボックルのハリーが訪れ、二人は友達になる。

 物語はこの後、ヒコとヒメの二人の暮らしを微笑ましく綴る。ボーイ ミーツ ガール。いつもよりも少し年齢が低いけれど、ここは有川さんの真骨頂だ。「コロボックル物語」の世界観に、有川ワールドが溶け込んでいる。これは奇跡だ、と思う。

 この奇跡は、佐藤さとるさんと有川浩さんの対談によって生まれた。佐藤さんがこう言ったのだ「有川さん、書いてみたら」。有川さんはその言葉に見事に応えたと思う。巻末の佐藤さんによる「有川浩さんへの手紙」が、それを証明している。佐藤さんは(眼が悪いのに!)一気読みしたそうだ。

 そして有川さんの、佐藤さんと「コロボックル物語」へのリスペクトは、冒頭の二行に現れている(分かる人にしか分からないけれど)。「二十年近い前のことだから、もう昔といっていいかもしれない。ぼくはまだ小学校の三年生だった。

 二人の作家の世代を越えたエールの交換に拍手。

 この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

 佐藤さとるさんと有川浩さんの対談

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(さらに…)

最強のリーダー育成書 君主論

書影

著 者:鈴木博毅
出版社:KADOKAWA
出版日:2015年10月30日 第1刷発行
評 価:☆☆(説明)

 著者の鈴木博毅さまから献本いただきました。感謝。

 本書はマキアヴェリの「君主論」を読み解いて、そのエッセンスを現代のリーダー育成のためのテキストに編み直そうというもの。念のため補足すると、マキアヴェリは15~16世紀のイタリアの政治思想家。「君主論」はそれまでの様々な君主・君主国を分析した著作。

 マキアヴェリズムと言えば「目的のためには手段を選ばない」という主義のことで、「君主論」はその由来にもなっている。そのような冷徹さは「君主論」の一側面を表しているがすべてではない。約500年前の著作が、今でもこうして読み継がれているのだから、読む人を惹きつけるものが他にあるのだろう。

 そして本書について。「ケチであれ 冷酷であれ 自ら仕掛けよ」「力を求め、力を愛せ」「悪を学んで正義を行え」「誇り高き鋼の精神を養う」「運も人も正しく支配する」の5章建て。テーマに合わせて君主論の中の一節を、現代にアレンジして解説する。

 読んでいて戸惑いを感じた。マキアヴェリの分析が多岐にわたるから仕方ないのかもしれないけれど、項目が多くて散漫な感じがした。中には「軽蔑されるな」とか「決断と責任から逃げる者は君主ではない」とか、「当たり前」のことも少なくない。

 また「君主論」が念頭に置いているのは中世の君主、軍事力で侵略から国を守る(場合によっては領土を拡大する)立場の者だ。現代の「リーダー」とのギャップは相当に大きい。だからこそ著者が「アレンジ」して解説するのだけれど、会社の社長ぐらいならまだしも、部下を持つ上司に当てはめるのは難しい。その果ては、家庭とか恋人との関係まで例えとして出てくる。

 とは言え「君主論」は、上に書いたように500年も読み継がれ、今もトップリーダーたちに影響を与えているらしい。その内容が気になる方は、本書を手に取ってみてもいいかもしれない。 

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