池上彰の君と考える戦争のない未来

書影

著 者:池上彰
出版社:理論社
出版日:2021年5月 初版 7月 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

本のタイトルに著者名を冠してしまうのはどうかと思うけど、内容はよかった本。

池上彰さんが「戦争をなくすにはどうしたらいいだろうか?」と問いかける。それを考えるために、まずは過去に日本で世界で起きた数々の戦争について、コンパクトに要点を解説する。その戦争はどんな理由で始まったのか?どうやって終わったのか?その影響にはどんなものがあったのか?

日本が戦った戦争として、元寇、秀吉による朝鮮出兵、薩英戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争など。世界で起きた戦争として、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻、中東戦争、ユーゴの内戦、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争など。江戸時代以前の戦争を除いても約100年の間に10以上もあって「戦争しすぎでしょ」と思った。これ以外にも内戦や紛争と呼ばれるものを数えれば倍ぐらいになる。

その他に思ったことをいくつか。

1つめ。戦争が始まる理由がその犠牲と全く釣り合わないということ。例えば第一次世界大戦は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇弟夫妻の殺害が発端だけど、世界中の国を巻き込んで1600万人以上が死亡することになる。2つめ。アメリカの戦争のやり方が「短慮」としか言いようがないこと。ベトナム戦争では、戦略のために隣国のカンボジア政府を転覆させてしまう。イラク戦争は、大量破壊兵器を持っているという誤った情報を元に始めてしまった。

3つめ。日本の戦争の始め方も相当ヤバイこと。満州事変は関東軍の自作自演の爆発事件を理由に「自衛」を目的に始まっている。日中戦争は日本軍への発砲が端緒になる。これも自作自演の疑いがある(諸説アリ)。4つめ。戦争の因果は繋がっていること(十字軍の昔から)。第一次世界大戦の戦後処理が中東戦争の原因になっているし、ソ連のアフガン侵攻からイスラム国の台頭まで、いくつもの戦争が数珠つなぎに繋がっている。

5つめ。歴史に「もしも」はないとは言え、回避できたかもしれないポイントが多くの戦争であること。その多くは過ちを犯した者にきちんと責任を取らせることと、正しい情報に耳を傾けること。満州事変の端緒となった爆発が、「自作自演」だという情報は当初から上がっていたし、軍紀違反でもあるのに首謀者は責任を問われることなく、陸軍の中で出世して後の戦争を主導している。

実は、本書は若い人に向けて書かれたものなのだけれど、40歳でも50歳でももっと上でも、読めばためになると思う。あくまで「池上彰さんの見方」であることは心得て置くとしても、過去から学ぶことは多い。「ではどうすればいいのか?」にも触れている。恐ろしいのは過去の戦争の経緯に、現在の世界情勢と符号することが多々あることだ。「トゥキディデスの罠」は今の米中関係にもあてはまる。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

テスカトリポカ

書影

著 者:佐藤究
出版社:角川書店
出版日:2021年2月16日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 これが大衆文学の賞を受賞したわけで、だとすると「大衆」ってこういうのが好きな人が多いの?と思った本。

 2021年上半期の直木賞、および今年の山本周五郎賞受賞作。

 臓器売買の犯罪グループを描いたノワール(暗黒)小説。物語の舞台はメキシコから始まって川崎→メキシコ→ジャカルタ→川崎と移り変わっていく。多くの人物のエピソードを積み重ねてそれらが交錯して、一つの凶悪な犯罪の物語を構成していく。

 その多くの人物というのが、メキシコの麻薬カルテルのボスだとか、臓器を違法に摘出する闇医師だとか、態度を注意されて「ごちゃごちゃうるさい奴」を頭を叩きつけて殺してしまうカメラマンだとか、とにかく尋常ではない「悪人」ばかりがゾロゾロと登場する。

 その中にコシモという名の少年がいて、彼も13歳の時に父親を頭を天井に叩きつけて殺すという、とんでもない経歴がある。しかしこれには、父親がコシモを牛刀で刺し殺そうとしていた、という訳があった。また彼はネグレクトを受け学校にも行っていない。なぜか屈強な体を得た無知・純真な心の持ち主。この少年が物語の軸の一つになって、その成長で時間の経過が分かる。

 読んでいる間中ずっと眉をひそめていた。スリリングで飽きることなく最後まで読めるのだけど、残虐だったり倫理に反していたりするシーンが重ねられて「こんなのアリなのか?」と思った。フィクションなのだから、悪いことだって殺人だって起きてもいいのだけれど、あまり続くので露悪趣味のように感じた。ノワール小説とはそういうものなのかもしれないけれど。

 そうそう。タイトルの「テスカトリポカ」はアステカ神話の神で、本書の随所にもアステカ文明や神話の記述が登場する。私が倫理に反すると思ったものの中には、アステカの儀式につながるものもある。そこは現代日本の価値観で判断すべきでないのかもしれない。でもねぇ...。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

白鳥とコウモリ

書影

著 者:東野圭吾
出版社:幻冬舎
出版日:2021年4月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 東野版「罪と罰」と銘打ってある意味が読み終わってよく分かった本。

 物語の発端は殺人事件の被害者の発見。竹芝桟橋近くの路上で違法駐車されていた車の後部座席から、ナイフで腹を刺された男性の遺体が発見された。遺体は、残された運転免許証から55歳の弁護士、白石健介さんと判明した。警察の捜査線上に倉木達郎と言う名の容疑者が浮かんだ。その倉木が刑事に対して「すべて私がやりました」と自白した。ここで520ページの作品の80ページ。事件の解決が早すぎる。

 主な主人公は3人。一人目は刑事の五代務。38歳、警視庁捜査一課の捜査員。この殺人事件の捜査を担当し、容疑者の特定に貢献、その自白を直接聞いた。二人目は倉木和真。30代。大手広告代理店に勤める。自白した容疑者の倉木達郎の息子だ。三人目は白石美令。会員制の総合医療機関に勤めている。事件の被害者の白石健介の娘だ。

 倉木達郎の供述は詳細で矛盾もない。犯人しか知りえない「秘密の暴露」も含まれる。裁判では検察側も弁護側も事実を争う予定はない。しかしその「事実」に違和感を感じる者がいた。突然に父親が殺人事件の犯人になったのだから、和真が「父がそんなことをするはずが..」と思うのはともかく、美令も「父がそんなことをするはずが..」と思う。そして、それぞれが事件について調べていくと..という話。

 重厚な物語だった。30年以上も前の時効となった事件が密接に関係する。「立場」と人間的な繋がりからくる「心情」の相違。帯に「新たなる最高傑作」とあるけれど、誇張ではないと思う。そして、ネタバレになるから詳しくは言わないけれど、なんとも切ない物語だった。主人公の3人の手によって、真相は明らかになるのだけれど、「これは明らかにしてよかったのか?」と思ってしまう。

 私が最初に読んだ著者の作品「容疑者Xの献身」を思い出した。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

星落ちて、なお

書影

著 者:澤田瞳子
出版社:文藝春秋
出版日:2021年5月15日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

「普通」を求めても得られない、主人公の生き方が哀しくも頼もしかった本。

2021年上半期の直木賞受賞作。

明治、大正、昭和の時代を生きた女絵師の一代記。主人公の名前はとよ。天才絵師の河鍋暁斎の娘。その暁斎が59歳で亡くなった葬儀の後から、物語は始まる。明治22年、とよが22歳の時。

父の暁斎は師匠から「画鬼」とあだ名された。歌川国芳を最初の師として、狩野家で厳しい修行を積み、やまと絵から漢画、墨絵まで様々な画風を自在に操った。しかし「画鬼」たる所以は「絵のことしか考えぬ男」だったからだ。生家が火事だと聞けば画帖を持って駆けていって、火消しではなくて写生をする。自分の臨終の床で、嘔吐する自分とそれを見て仰天する医師を描いた。

とよは、そんな父のもとで5歳の時から稽古を始めた。とよにとって暁斎は父であるより師だった。自分が大人になり父を亡くして振り返ればそう感じた。実は多くいる兄弟姉妹のうち、兄の周三郎ととよの二人だけが、絵師の道を継いだ。兄の周三郎は父の絵だけでなく、性格も色濃く受け継いだらしい。父の葬儀を中座して家に帰って、注文された絵を描いていた。

物語は、ここを始点にして大正13年までの35年間の時々を描く。その間にとよの親しい人たちが一人また一人といなくなっていく。衝突は絶えなかったが、同じ道に進んだ周三郎も逝ってしまう。

淡々とした筆致に、筋の通ったとよの生き方を感じた。読んでいる最中は、もっと劇的なドラマがあってもいいんじゃないかと思った。しかし、とよも暁斎も周三郎も実在の人物で、それを考えれば十分に掘り下げた質のいいドラマに仕上がっている。

著者の作品を読むのはこれが初めて。調べると様々な賞を受賞されている。「若冲」という作品もある。読んでみようと思う。

最後に。「自分の如き画鬼の娘は結局、まともな相手と家族ではいられぬのだ」というとよの心の内の言葉が哀しい。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

モネのあしあと

書影

著 者:原田マハ
出版社:幻冬舎
出版日:2021年4月10日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 モネの作品はもちろん他の印象派絵画絵画がふんだんに掲載されていて、これはカラーで見たかった、と思った本。

 「アートミステリー」の傑作をいくつも世に送り出した著者による、クロード・モネの解説本。

 本書は「著者とモネとの出会い」の強烈な体験から始まって、モネが生きた時代と印象派絵画についての解説、モネが19歳でパリに戻ってからの生涯の紹介、小説「シヴェルニーの食卓」について、モネの作品に出会うためのガイドブック、エピローグ、と続く。

 「モネとモネの作品が大好き」という気持ちが、文章のひとつひとつから感じられる。前半の時代や印象派絵画の解説は、アートコンサルタントやキュレーターの経験がる著者だからこその知識と、好きだからこその熱心さが相まって、とても読みやすく気持ちのいい文章になっている。

 私にとっては小説「シヴェルニーの食卓」を、著者自らが語った章が、とてもワクワクした。主人公をブランシュ(モネと同居したオシュデ家の二女)にした理由が明かされているのだけれど、それは著者の「入れ込みよう」を感じさせるものだった。「美術作品とは(中略)アーティストからのメッセージ・ボックス、いわば過去からの手紙のようなものです」という言葉に深く共感した。

 最後に。本書には、第1章の前に「はじめに」と「関連地図」「プロローグ」があり、最終の第5章の後に「エピローグ」と「あとがきにかえて」「参考文献」「施設データ」がある。なかなか始まらないし終わらない。しかし冗長な感じは決してしない。特に終わり方は「著者の話をもう少し聞いていたい」という気持ちがしていて、それに応えてくれたような気がする。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

竜とそばかすの姫

書影

著 者:細田守
出版社:角川書店
出版日:2021年6月25日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 映画の感動をもう一度味わうように読んだ本。

 主人公の名前はすず。高知県の仁淀川近くに住む女子高校生。父親と二人暮らし。小さいころに母親を亡くした。水泳の上級者だった母は、急に増水した川の中州に取り残された少女を救出に向かって、少女は助かったものの、母は帰らぬ人となってしまった。その時を境にすずは変わった。快活だった少女はいつも下を向いている子どもに、母とよく声を揃えて歌っていたのに、歌が歌えなくなってしまった。

 物語の舞台は、すずが住む街の他にもう一つある。それは「U」という名前の仮想世界。全世界のアカウント数50億を超える史上最大のインターネット空間。そこでは人々は「As」というアバターとして暮らす。「U」の世界でアナウンスがこだまする「現実はやり直せない。でも「U」ならやり直せる。さぁ、もうひとりのあなたを生きよう」

  アナウンスのとおり「U」の世界ですずは、やり直すことができた。もう一度歌えるようになった。それも絶世の美女の歌姫「ベル」として、圧倒的な人気を誇る。しかし「U」の世界でお尋ね者の「竜」と関わることで、立場を危うくすることになる。

 細田監督の作品らしい、家族や仲間の温かさを感じる物語だった。すずは現実の世界では冴えない女子高校生、「U」の世界ではヒロイン、という陰陽の二重性を持つ。これは他の「As」も同じで「もうひとりのあなた」はだいたい現実の姿とはかけ離れている。

 でも「すず」と「ベル」は、当たり前だけれど一つの人格だった。「竜」に関わったのも、その傷だらけの姿が放っておけなかったのだろう。この性格は母から受け継いだものかもしれない。冴えない女子高生の「すず」を支える人々もちゃんといて、その人たちは「ベル」も助けてくれる。

 細田監督の映画は、映画の公開と前後して小説も公開される。「ノベライズ」ではなくて原作小説という位置づけ。私はいつも映画を見てから小説を読む。まぁどちらが先でも構わないけれど、どちらも見て読んでされることをおススメする。映像では表現が難しい説明がある分、小説の方が作品を深く理解できる。本作に限って言えば、映画の圧倒的な音楽と映像美は、当然ながら小説では分からない。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

エレジーは流れない

書影

著 者:三浦しをん
出版社:双葉社
出版日:2021年4月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 アホ男子高校生の暮らしは楽しい。でも彼らも一生懸命生きているのだ、と思った本。

 主人公は穂積怜。餅湯温泉駅前商店街の土産物屋で、母の寿絵と暮らす男子高校生。餅湯温泉は、関東近県から客がやってくる一大リゾート地。餅湯温泉駅には新幹線の駅もある。とはいえ、団体旅行も減って久しい昨今、ホテルや旅館は経営が厳しく、それは土産物屋も同様で、怜が生まれた時からこの町は半分寝たような状態だ。

 物語は怜の日常から始まる。朝起きて、母親としょうもない口喧嘩をして、学校に行って、身が入らない授業を受けて、昼休みには子どものころから一緒に育った友達と屋上で弁当を食べる。あっと言う間に食べ終わって、誰かが「腹へった..」とか言う。..平和だ。

 と思ってたら「あれ?」と思うことが起きる。怜が寿絵と暮らす家とは違う家に帰って行く。どうやら毎月第三週はそこで暮らすらしい。50畳はあろうかというリビングダイニングがある豪邸で、商店街の店舗兼住居の家とは全く違う。おまけにそこには伊都子という名前の女性が居て、怜は伊都子のことを「お母さん」と呼んでいる。なんと怜には母親が二人いるらしい..。

 男子高校生の学園生活、お店や旅館の子どもが多い同級生たちの支えあい、子どものころから知っている商店街の大人たちとの関係、サスペンス調の冒険などなどが描かれる。もちろん、怜に母親が二人いる事情も明らかになるし、それに絡んだ事件も起きる。すべてが著者らしいユーモアと人情にくるまれている。

 笑う場面が多いのだけれど、なかでも特に声を出して笑ってしまった場面がある。友人の一人が右手の中指と人差し指を骨折する。その理由が...ぜひ読んで欲しい。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

「科学的」は武器になる

書影

著 者:早野龍五
出版社:新潮社
出版日:2021年2月25日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 「科学者」と「社会」の関係について、新たな気付きがあった本。

 まず著者の経歴から。1952年生まれ。東京大学大学院理学系研究科修了、大学院に残って教授に、2001年から1年間CERN(応酬原子核研究機構)の客員教授として「反物質」の研究を率いている。つまりは世界的に認められた科学者だということ。

 ここからがちょっと興味深い。2016年に音楽教育の「スズキ・メソード」の会長、2017年には株式会社ほぼ日に入社。もう一つ特筆すると2011年の東日本大震災・福島第一原子力発電所の事故の際には、Twitterでの情報発信が注目され、内部被ばくの測定に関してなくてはならない役割を担っている。

 本書は「「科学的」は武器になる」というタイトルだけれど、内容は、著者が子どものころから始めて、上に書いた経歴を追う形で自身の歩んだ道程を振り返ったものだ。「科学的」がどうして武器になるのか?は直接的には書かれていない。しかし著者の人生を通して、「科学的である」ことの重要さと強靭さが伝わってくる。

 著者は「社会の中に科学者がいる」とはどういうことなのか?を繰り返し述べる。科学者はそれぞれの研究分野で成果を上げることだけでなく、社会の問題について「科学的な考え方を軸に判断する」ことを提供することでも貢献できる。流言や陰謀論が果てしなく飛び交う現在には、とても大切な貢献だ。福島の内部被ばくの測定で著者が担った役割を知れば、そのことがよく分かる。このことは新たな気付きだった。

 よく覚えておこうと思ったことを2つ。

 科学は一般的なイメージと違って、間違えるものです。だけど、それが本当に間違っていたならば、いずれ「間違っていた」と分かるシステムなんです。

 僕が原発事故の時も、今回のコロナ禍においても一貫して気を付けていることは、「グラフによる未来予測をしない」ということです。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

イエロー・サブマリン

書影

著 者:小路幸也
出版社:集英社
出版日:2020年4月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 幻の作家の話で家族が盛り上がるのが、微笑ましく羨ましく感じた本。

 「東京バンドワゴン」シリーズの第15弾。東京の下町にある古本屋&カフェの「東京バンドワゴン」を営む、大家族の堀田家の1年を描く。前作「アンド・アイ・ラブ・ハー」の続き。(実は16弾の「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」を先に読んでしまった)

 本書のシリーズは毎回、ミステリーと人情話が散りばめられてエピソードが重ねられる。今回は後半に少しだけ荒っぽいことがあったけれど、全般的に落ち着いた人情話だった。シリーズ通してその傾向はあるのだけれど、意外な人の縁がつながっていく。

 第1章にあたる「夏」の章で、東京バンドワゴンにやってきたお客さん。毎日来る近所の神社の神主さん以外に3人。一人は近所の建設会社の社長。解体予定の建物に血まみれの本が落ちていたとか。二人目は以前は古本屋をやっていたという男性。段ボール箱で3箱の持ち込み。三人目は文学部に通う女子大学生。幻の作家とも言っていい画家と小説家の希少な本を探している。

 いかにも剣呑な血まみれの本のことはともかく、なにげない他の2人の古書店の客も、この後の物語につながって、けっこう大事な役割を一人は担っている。この人は、またいつか別の物語にも登場してくるのだろうなと、それを期待させる気になる(というか、このシリーズにピッタリな)人だった。

 かんなちゃんがスゴイ。研人くんが結婚した。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

News Diet(ニュース ダイエット)

書影

著 者:ロルフ・ドベリ 訳:安原実津
出版社:サンマーク出版
出版日:2021年2月20日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

とても意外な指摘だったけれど、少し前から思っていたことと重なることもあった本。

著者の主張または提案は次のとおり。「生活からニュースを絶とう」。新聞を購読しない、テレビのニュースも見ない、ラジオのニュースも聞かない、ネットニュースに浸らない。そうすれば人生の質が向上し、思考は明晰になり、貴重な洞察が得られ、いらいらすることが減って、決断の質が上がり、時間の余裕ができる。そして信じられないかもしれないけれど、大事な情報を逃すこともない。

そんなバカな、と思った人も多いだろう。私もそうだ。善き市民として暮らし的確な判断をするためには、ニュースを見たり読んだり聞いたりして、世の中のことを知る必要がある。長い間そう思ってきた。しかし、そんな私でも、本書に書いてあることには反論の余地なしだ。(心から納得したかというと、そうでもないけれど)

ここまでの紹介でだぶん誤解があると思うので、1つ大事なことを。著者はニュースの対極に位置するものとして「新聞や雑誌の長文記事、エッセー、特集記事、ルポルタージュ、ドキュメンタリー番組、本」を挙げている。著者が絶とうと言っているのは、その日の出来事を短く報じる「最新情報」的なニュースのことだと分かる。決してジャーナリズムを否定したり、世の中の出来事を知らなくていいと言ったりしているわけではない。

そんな(最新情報としての)ニュースを絶った方がいい理由を、たくさん紹介している。一番分かりやすいのは「能力の輪」の例えによる説明だ。人は誰でも能力の限界という境界があって、その境界の外にある事柄には関与できないし対応もできない。どこかの国の大統領がバカなことをツイートしたと知っても、あなたにできることはない。そう考えると、ニュースの99%は、あなたとは無関係だというわけ。

もうひとつ。著者は現状を「日々のニュースの食べ放題」と言う。ニュースは「一口サイズのごちそう」で、砂糖のように食欲をそそり、消化もしやすいが、(摂りすぎると)きわめて有害でもあると(この意味でタイトルにある「ダイエット」は適確な表現だ)。例えば複雑な出来事を単純にしてしまうとか、ニュースが「思考」を妨げるとか、長い文章が読めなくなるとか。このことはこれからもニュースを見るとしても、心にとめておきたいと思う。

もちろんいくつか反論を思いつく。著者はそういったことの多くに先回りして用意をしている。反論を思いついた人は読んでみるといいと思う。もちろん「ニュースを絶った方がいい」と思った人も、ニュースダイエットのおだやかな始め方が書いているので参考にするといいと思う。

 

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)