2.小説

花散らしの雨 みをつくし料理帖

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2009年10月18日 第1刷発行 2013年9月8日 第33刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「八朔の雪」に続く「みをつくし料理帖」シリーズの第2弾。前作のレビューで「これは楽しみが増えた」なんて書いておいて、あれから半年以上が経ってしまった。

 主人公は前作を同じく澪、歳は二十歳ごろ。女性ながら大坂の一流料理屋で修行し、訳あって江戸に来て今は「つる家」という料理屋で板前をしている。舞台は前作で神田にあった店がつけ火で焼けてしまったので、九段坂下に移って来た。

 これも前作と同じく、料理の名前が副題についた短編が4つ収録されている。「ほろにが蕗ご飯」「こぼれ梅」「なめらか葛饅頭」「忍び瓜」。名前からどんな料理か想像がつかないものもあるが、読めばどれも滅法うまそうな料理なのだ。

 一遍一遍に事件があり人情があり解決がある。「ほろにが蕗ご飯」では年端もいかない子どもが背負う苦渋に苦悶し、「なめらか葛饅頭」では病に倒れた隣人への献身に泣いた。
 またシリーズを通してのテーマもある。「こぼれ梅」では幼馴染の親友との会うことのない交流、「忍び瓜」では澪の恋心がこれまでにないほどはっきりと描かれた。

 「つる屋」の主人の種市、元女将の芳、医者の源斉や客の小松原、といった人々とのやり取りや、宿敵の登龍楼との因縁など、基本的には前作で蒔いた種が育っている感じ。ただし、新しい登場人物もいる。下足番として雇ったふきと戯作者の清右衛門。この二人が新しい種になりそうだ。

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永遠の0

書影

著 者:百田尚樹
出版社:講談社
出版日:2009年7月15日 第1刷発行 2013年12月2日 第47刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年最初のレビューは、昨年の「今年読んだ本ランキング」の1位「海賊と呼ばれた男」の著者のデビュー作である本書。デビュー作というよりも「映画が大ヒット中の作品」と紹介した方が分かりやすいかもしれない。先月21日の公開後2日間で動員約43万人だそうだ。

 「0(ゼロ)」は零戦のゼロ。念のために補足すると、第二次世界大戦時の大日本帝国海軍の戦闘機のこと。本書は、この零戦の搭乗員であった宮部久蔵という名の男の物語。主人公は宮部の孫の佐伯健太郎。健太郎が祖父を知る人々を訪ねて話を聞く。一つ一つの話が折り重なって、60年あまり前の一人の「青年」の生き様が浮かび上がる。

 上で「青年」としたのは、この物語が昭和16年から20年、宮部の23歳から26歳の時のものだからだ。飛行訓練の教官を務め「熟練搭乗員」と呼ばれるので、つい「壮年の男性」をイメージしてしまうのだけれど、まだ20代なのだ。周囲の人々も総じて若い。多くは10代から20代の若者。そのことを思い返すとより一層胸が痛む。

 浮かび上がるのは「青年」宮部の生き様だけではない。当時の日本がどのような戦い方をしたのか?いかにして破滅的な特攻作戦に突き進んでいったのか?という当時の時代のあり様が浮かび上がる。さらには、残された人々の現在にいたる60年余りの時間も...。私は、宮部の教え子のある特攻要員の妻の一言が胸に刺さった。

 醒めたことを言って恐縮だけれど、「十死零生」と言われる特攻は「泣ける」という意味ではテッパンのテーマだ。文庫歴代売り上げ1位という300万部超も、映画の大ヒットも一番の要因はここだろう。ただしそれだけではない。この作品を「泣ける」物語として消費してしまってはもったいない。この作品によって、あの戦争を知識としてではなく、記憶として留めたい。

 最後に。正直に言って読みやすい本ではない。プロローグと第1章に「つかみ」はあるものの、その後に長く続く「戦争語り」は、あの戦争をしっかり描写することを意図したものなのだろうけれど、読者に優しいものではない。本書を手に取った人は、少しガマンすることになるかもしれないけれど、先へ読み進めてほしい。

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冬虫夏草

書影

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2013年10月30日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 名著「家守綺譚」の続編。著者の作品では「西の魔女が死んだ」が映画化もされ、読書感想文の課題図書として取り上げられることも多くて有名。しかし、私にとっては人に薦められて読んだ「家守綺譚」が、著者の作品との最初の出会いで最高の一冊。その続編が読めるのが嬉しかった。

 時は明治の中ごろ、場所は京都。主人公の綿貫征四郎は、亡き友の家を守って文筆業で生計を立てている。綿貫がそいうったものを引き寄せるのか、河童やら狸やらの人外の者と多く出会う。いや、ほんの100年前の日本は、そういったものの近くに人々の暮らしがあったのかもしれない。

 綿貫の家に居ついている犬のゴローが、ふた月も姿を見せない。ゴローは犬であるがその「人望」は厚く、人間・動物・その他の生き物の様々な事柄に関わっていて、留守にすることは珍しくない。しかし、今回はそれが気になって仕方ない。というわけで、綿貫はゴロー探索の旅に出る。

 わずかな手がかりからゴローの消息を知り。琵琶湖のほとりから鈴鹿の山中へと向かう。本書は主にその道中を39編の短編を重ねて描く。人と(もちろん人外の者とも)出会い、その人を置いて道を先へ進む。ロードムービーの趣だ。その内の何人かは後に再び出会い、何人かは真の姿が明らかになり、綿貫の道中に重要な意味を持つ。こうした仕掛けが本当に上手い。

 「紫草」「椿」「河原撫子」「蒟蒻」「サカキ」...すべての短編に植物の名前が付いている。そうした植物や風景の観察が細やかで、心が穏やかになる。一節を紹介する「...見れば、カエデの二寸程のものは、私の小指の爪先程の大きさ程しかあらぬ葉であるのに、すでに紅葉を始めている。変化はまことに斯くの如く、小さきものから始まるのだ、と感嘆する」...小さなカエデの葉に目を留める感性に瑞々しさを感じる。

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まほろ駅前狂騒曲

書影

著 者:三浦しをん
出版社:文藝春秋
出版日:2013年10月30日第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「まほろ駅前多田便利軒」「まほろ駅前番外地」に続くシリーズ第3弾。舞台と登場人物は、これまでの2作でお馴染みの場所と人々だ。

 物語は、主人公の多田が営む便利屋「多田便利軒」に、高校時代の同級生の行天が転がり込んで、3年目を迎える正月から始まり、その年の大晦日で終わる。級生と言っても友だちではない。会話したことすらない。これまでの2年間と同様、多田は行天の言動に振り回されっ放しだ。

 今回は、「家庭と健康食品協会(略称:HHFA)」という無農薬野菜を販売する団体、バス会社の間引き運転の監視に執念を燃やす「多田便利軒」の常連客、多田が預かることになった4歳の少女の「はる」らを中心に騒動が巻き起こる。そして何と、多田にはロマンスの種が...。(星くんって、いい人だったんだね。)

 多田も行天も、自由に飄々と生きているように見えるが、実は過去の出来事によって精神にダメージを受けている。著者は、本書を「完結編」のつもりで書いたそうだ。そのためなのだろう、彼らの(特に行天の)ダメージの原因が語られ、その救済が描かれている。

 「完結編」ということだが、この終わり方で多田と行天がこのまま大人しくしているはずがない。著者もインタビューで「……どうですかね(笑)」なんて答えている。続編を希望。

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限界集落株式会社

書影

著 者:黒野伸一
出版社:小学館
出版日:2011年11月30日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 タイトルの中の「限界集落」とは、65歳以上の高齢者が人口の50%以上を占め、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す。そのまま推移すればやがて消滅することが予想される。先行きの暗い言葉なのだ。

 その言葉の暗さに反して、裏表紙まで続く表紙のイラストの、緑豊かな山村の風景をバックにした人々の表情は明るい。帯には「逆転満塁ホームランの地域活性化エンタテインメント!」の言葉。

 このタイトルと表紙と帯で、内容は想像ができる。窮地に陥った山村の人々が、何かをきっかけにして一念発起、様々な困難はありながらもそれを克服して、村を救ってさらに発展させる...。きっかけは?若者か他所者かバカ者かの登場だろう。...想像通りの物語だった。

 舞台はおそらく群馬県か長野県の山間にある人口58名の集落「止村(とどめむら)」。主人公は3人。1人目は多岐川優。銀行やIT企業で華々しく活躍していた。起業の前に少しのんびりしようと、祖父が亡くなるまで住んでいた止村に来た。つまり若者で他所者というわけで、優が物語のきっかけとなる。

 残る2人は大内正登と美穂の親子。正登は一度村を出たが4年前に20年ぶりに戻って来た。美穂は正登がいない間も止村の祖父母の家で育った。物語は、この3人の視点を入れ替えながらテンポよく進む。

 想像通りだからと言って、それは面白くないとか退屈だとかいうことではない。主人公の3人はもちろん、その他の登場人物のそれぞれが物語を抱えている。それが組み合わさって、新たな物語を生む。地域活性化を描きながら、ラブストーリーがしっかり組み込まれているのは、有川浩さんの「県庁おもてなし課」に似ている。

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とっぴんぱらりの風太郎

書影

著 者:万城目学
出版社:文藝春秋
出版日:2013年9月30日 第1刷発行 10月15日 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「偉大なる、しゅららぼん」から2年ぶりの著者の最新作は、746ページの大長編。元は「週刊文春」に2011年から203年にかけて2年間連載したものだ。週刊誌に2年間連載だから約100回、そりゃぁ長くなるはずだ。

 時代は「大坂の陣」のころ。主人公は伊賀の忍者だった風太郎。そう、本書は著者の初めての時代小説だ。風太郎(ちなみに「ぷうたろう」と読む)は、相棒の忍者である黒弓のいい加減さを発端とした不始末で伊賀を追われ、京都に落ち着くことになる。

 忍者くずれの風太郎には仕事もなく、自堕落に暮らすのみ。そんな風太郎を不憫に思ってか、縁のある人たちが仕事を世話してくれる。それを言われるままにこなしているうちに、風太郎はとてつもなく大きな時代の渦に巻き込まれてしまう...という物語。

 週刊誌の連載だけに、小さなヤマ大きなヤマがいくつも現れる。風太郎は度々命の危険に瀕する。幼いころから共に育った忍者仲間は、信用できるようでまったく信用できない。そして信用できないようで、やっぱり一番頼りになる。このあたりが一つの落としどころになっている。終盤の展開には色々と思うところがあるけれど、なかなか魅せる物語に仕上がっている。

 時代の渦は風太郎を大坂へ誘う。そして400年の時を超えた「プリンセス・トヨトミ」へとつながる。

 蛇足。「つながる」という意味では、風太郎らは「鴨川ホルモー」の登場人物とも重なる。何となく流されてしまう風太郎は安倍に、気のいい黒弓は高村に(黒弓はマカオの生まれで、高村は帰国子女だ)...

 と思っていたら、本書の特設サイトのインタビューで、「「鴨川ホルモー」のように、また大学生くらいのボンクラ主人公を使って話を書きたいなあ、と思っていた」と著者が答えていた。

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めぐらし屋

書影

著 者:堀江敏幸
出版社:毎日新聞社
出版日:2007年4月30日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の10月の指定図書。

 主人公はビルの管理会社に勤める蕗子。地元の大学を出て今の会社に就職して20年近い、というから40歳ぐらい。一人暮らしの独身。以前に母親を亡くし、この度は父親が亡くなった。

 物語は、蕗子が父親の遺品整理をしていて、厚手の大学ノートを見つけたところから始まる。表紙の裏に黄色い傘の絵が描かれた画用紙の切れ端。その絵は小学生の頃の蕗子が描いたものだった。そして、そのノートの表紙には「めぐらし屋」の文字。

 物語は、このノートをきっかけにして、蕗子が父親の足跡を訪ねる様子を軸として、蕗子の仕事と、子どもの頃の回想が語られる。その3つは少しずつ交錯し始める。

 淡々とした物語の進行の中にしみじみとした良さを感じる本だった。

 亡くなった父親が「めぐらし屋」という仕事をしていたらしい、ということが分かった以外には、大きな出来事は起こらない。でも、よく観察された日々の出来事が詳細に描かれていて、少しずつ楽しい。少しずつ可笑しい。

 兄弟もいないようだから、蕗子はいわゆる天涯孤独の身。おまけに、病院で看護師に「これでよく生きてられますね」と言われるぐらい血圧が低い。心臓にはしぼんだ水風船ぐらいの力しかない。

 もうこの世とのつながりが弱くて心細い境遇なんだけれど、物語にはそういった心細さが感じられない。その理由は蕗子の自然体の生き方にある。何一つ拒むことなく自然に受け入れる。たぶん、蕗子の父親がそうだったように。そういう生き方も悪くないと思う。

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書影

著 者:三浦しをん
出版社:集英社
出版日:2013年10月25日 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、2006~2007年に「小説すばる」に掲載された作品を、2008年に単行本として刊行し、さらにそれを文庫化したもの。

 巻末の吉田篤弘さんによる解説にの冒頭に、「さて、読み終えた皆様、まずは声を揃えて「まいったなぁ」と言い合いましょう」とある。吉田さんの意図とは若干意味合いが違ったが、読み終えた後の私の第一声はまさに「まいったなぁ」だった。

 著者の三浦しをんさんは私の大好きな作家さんで、最近のものに偏っているけれど、小説とエッセイを合わせて十数冊の作品を読んだ。そのほとんどが「明るく前向き」な空気が包んでいたので、そんな物語を想像していた。人間の内面をこんなに黒々と見せる作品だったとは..。

 章ごとに主人公が何人か入れ替わる。1人目は、美浜島という人口271人の島に住む中学生の信之。信之が主人公の第一章は、島ののどかな景色と暮らしから始まる。しかしその島を大きな災害が襲う。それは島の住人のほとんどの命を奪うほどの荒々しいものだった。

 その災害のさ中にもう一つの事件が起きる。信之は同級生の美花を助けるために、「そいつを殺して」という声にしたがって人を殺めてしまう。島を襲った災害とこの事件とは、信之から確実に何かを失わせてしまった。

 第二章以降はそれから20年後の物語。信之の妻の南海子(なみこ)と、信之の美浜島時代の年下の幼馴染の輔(たすく)、それから信之の3人が入れ替わりで主人公となる。災害と事件は信之らの人生を変えてしまっただけでなく、その後の人生にまで重くのしかかる。

 数多くの「悪意」が描かれる。信之や輔の「悪意」も描かれるが、それは「敬慕」やら「憐憫」やらが入り組んだ「屈折」を伴うもので、100%の「悪意」とは違う。しかし、それが折り重なることで、100%の「悪意」よりもさらに醜悪な姿を見せる。

 出版社のWebサイトに、単行本刊行時のインタビューが載っている。「何作か明るい作品が続いていたので、"当然、そうじゃない部分も当然あるよ"と作品という形でお見せできてよかったです。」とのことだ。

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峠うどん物語(上)(下)

書影
書影

著 者:重松清
出版社:講談社
出版日:2011年8月18日 第1刷発行 
評 価:☆☆☆(説明)

 主人公は、中学生の淑子。よしこさんの多くがそうであるように、「よっちゃん」と親しみを込めて呼ばれている。舞台は、よっちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが営むうどん屋。峠のてっぺんにあるから、屋号は「峠うどん」。ただ、お店を始めた頃は「長寿庵」だったけれど、20年たったころに変えたのだ。道を挟んだ向かいに市営斎場ができたからだ。斎場の向かいが「長寿庵」じゃぁ洒落にならない。

 おじいちゃんの打ったうどんは美味しいけれど、峠道を登って斎場の向かいでうどんを食べに来る人はそうそういない。そんなわけで、お客さんの大半は葬儀に出席した人たち。それも故人との距離が少しある人たち。通夜ぶるまいや精進落としには出ないけれど、すぐには気持ちが切り替わらない、まっすぐには帰れない、そんな人たち。

 お店にはたくさんの人が来るけれど、物語で描かれるのはよっちゃんの周りの人たちだ。お父さんやお母さん、学校の先生をしているお父さんの教え子たち、よっちゃんの同級生、街のお医者さん、もちろんうどん屋のおじいちゃんとおばあちゃんのことも..。中学生(物語の後半では受験生)ながら、お店の手伝いをしているよっちゃんの目を通して語ることで、残された人たちの想いが瑞々しく伝わってくる。

 これまでにも何度か書いているけれど、私は「死」と「感動」を結びつける物語に否定的な考えを持っている。しかし、いくつか例外とした作品もある。本書も正直言って微妙な感じなのだけれど、まぁ例外だ。実は例外が多いことに最近気が付いた。それで、どういうのが例外じゃないのかを少し考えてみた。「安易」に「死そのもの」を「感動的なもの」として描いているもの、そういうのはダメだ。

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はるひのの、はる

書影

著 者:加納朋子
出版社:幻冬舎
出版日:2013年6月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ささらさや」「てるてるあした」の続編。表題作「はるひのの、はる」を含む6編の短編を収録。

 主人公はユウスケ。物語の初めでは小学校に上がる前の春だった。彼は「ささらさや」「てるてるあした」のサヤの息子。その時はまだ赤ん坊だったユウ坊だ。本書は、ユウスケの成長を追って短編を重ねて、物語の終わりでは彼は高校生になる。

 「てるてるあした」の冒頭で、ユウスケのことが「不思議な赤ん坊」と書かれている。確かにユウスケの周りでは不思議なことが起きる。その訳が本書冒頭で分かる。彼には「見える」のだ。亡くなったけれどまだこの世に留まっている人たちの姿が。

 舞台は、佐々良の町を流れる佐々良川のほとりの原っぱの「はるひ野」(そう、表題作は「はるひ野の、春」という意味)。そこでユウスケは、川でうつぶせになって倒れている少女を見つける。その時、「見ちゃダメ」と言ってユウスケの手を引いた少女がいた。彼女の名は「はるひ」

 はるひはユウスケに「手伝って欲しいことがある」と言う。それはとても奇妙なお願いだったけれど、ユウスケは言うとおりにしてあげた。それ以降、はるひは数年に一度ぐらい割合で、ユウスケの前に現れては奇妙なお願いを繰り返し、すぐに姿を消す。その度に誰かが助けられる。

 各短編は、そんな感じで「いい話」で終わるのだけれど、モヤモヤしたものが残る。はるひは何のためにそんなことをしているのか?そもそも何者なのか?そういった謎が最後になって明らかになる。

 前2作は、亡くなった「見えない」人の存在を感じる不思議な物語だった。ユウスケにはそれが「見える」ので、亡くなった人の存在がリアルに感じられ、ファンタジーの要素を含んだ物語になった。「あとがき」に「シリーズ最後の作品」とされているが、それは惜しい。この言葉は反故にして構わないから、続編を希望する。

 最後に。著者が白血病と闘っておられたことは、闘病記を出版されているので知っていた。復帰第1作の本書が出版されて、私は本当に嬉しい。

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