2.小説

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

書影

著 者:リリー・フランキー
出版社:扶桑社
出版日:2005年6月30日 初版第1刷発行 8月20日 第5刷行
評 価:☆☆☆(説明)

 2006年の本屋大賞第1位。その後、テレビで単発ドラマになり、連続ドラマになり、映画化され、2008年2月には日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞。本書自体は200万部超のベストセラーになっている。どうやら2006年から2007年にかけて、大きな話題になっていたことが想像されるのだが、私はタイトルと著者の名前以外、この本のことを全く知らなかった。知らないまま、読み始めた。

 本書は、著者の37才までの半生を綴ったもの。タイトルの通り、その多くをオカン(お母さん)と過ごし、時々オトン(お父さん)と過ごしている。何も知らないまま読んでいると、半分まで読んで「この調子で最後まで行くのか?」と、付き合いきれない気持ちになった。
 著者の子ども時代から、東京で少し稼げるようになるまでが綴られているのだが、他人の「自分史」の常で面白くない。いや、著者も家族も良く言えば豪放で、悪く言えばハチャメチャで、時には笑えるのだけれど、基本的に他人事だから「何でこんな話を読んでるんだろ?」との思いが抜きがたかった。

 それが、後半を読むと、著者が本書を記そうとした意図や、ベストセラーやアカデミー賞につながる評価の理由が分かるようになる。本書には著者のオカンに対する感謝と愛がこぼれんばかりに満ちている。とても良い話だ。
 ただ他人さまの「母への愛」をドラマにしたり映画にしたりして、みんなで鑑賞して「感動をもらった」なんて言うのはどうなんだろう?何かこうプライベートな機微に触れるような居心地の悪さを感じるのは、私がひねくれているからだろうか?

 この後は、ちょっと思ったことを書いています。お付き合いいただける方は、どうぞ

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(さらに…)

博士の愛した数式

書影

著 者:小川洋子
出版社:新潮社
出版日:2003年8月30日 発行 9月25日 3刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2004年の、つまり第1回の本屋大賞第1位。2006年には映画化され興行収入12億円のヒット作となった。実は映画は前に見ていて「今さら」感を感じるのだけれど、本でも読んでみたくて手に取った。

 事故の後遺症で記憶が80分しかもたない数学者の「博士」。その家に家政婦として派遣された主人公の「私」。彼女は毎朝玄関で「新しい家政婦さん」として、博士に迎えられる。そして、博士は数学の話でしかコミュニケーションを取れない。「私」との初めての会話は「君の靴のサイズはいくつかね」だ。

 「私」の靴のサイズは24なのだけれど、それに何の意味があるのか?(そりゃ「足の大きさを表す」という意味はあるのだけれど)博士にかかれば24は「潔い」数字なのだ。何故なら4の階乗(1×2×3×4)だから。...「潔いかな?まぁそれで?」と思う人もいるだろう。
 しかし「私」の誕生日の2月20日の220と、博士の時計に刻まれたナンバーの284が「友愛数」と呼ばれる、滅多に存在しない組み合わせで「神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字」だ、という場面では、2つの数字にロマンチックなものを感じないではいられないだろう。

 本書とその映画がヒットした理由の一つに、このような数字のウンチクと面白さがあるのは否定しない。しかしそれは本書の魅力の入り口であり表層的なものだ。時に滑稽に見えてしまう博士の所作の裏にある、ひたむきさや子どもへの愛情と、それを感じることができる「私」との出会いと交流こそが本書の核心だと思う。

 ※映画やテレビなどを先に観ると、本を読んでいて、かなり鮮明に映像が浮かび上がってきます。今回は、寺尾聰さんと深津絵里さんがずっと会話していました。

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のぼうの城

書影

著 者:和田竜
出版社:小学館
出版日:2007年12月3日初版第1刷 2008年7月22日第11刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 2008年上半期の直木賞候補、2009年の本屋大賞第2位。映画化され2011年秋公開予定。何とも華やかな経緯を辿っているが、本書は著者のデビュー作。

 時は天正18年(1590年)、織田信長が本能寺で討たれて8年。天下の西半分を手中に収めた豊臣秀吉が、関東の大家である北条氏を攻略しようとしていた時。所は武州忍城。今の埼玉県行田市にある、北条氏に当時は臣従していた成田氏の居城だ。
 物語は、石田三成を総大将とする2万3000の兵を、武士の数ならわずかに500人、戦力となる領民をあわせても2600人で迎え討った忍城の籠城戦を描く。そう、この物語は史実を基にしている。豊臣秀吉、石田三成、大谷吉継ら大坂方の武将はもちろん、成田長親、正木利英、甲斐姫ら忍城に籠もる面々も実在の人物だ。

 タイトルの「のぼう」とは「でくのぼう」の略。こともあろうに、忍城の総大将となる成田長親に付けられたあだ名だ。無意味に大きな身体で、何一つ真っ当にできない不器用さから、領内の農民にまで面と向かってそう呼ばれている。しかし、彼に大きな将器を感じる者もいる。戦が進むにつれて、敵に回した石田三成、大谷吉継も「果たして賢か愚か」と悩む。読者も悩む。
 寡兵で大軍に対抗し時に打ち破る。痛快物語の鉄板とも言える。そこに、勇将智将はもちろん、武勇に優れた美しい姫を加えてもまだ足りず、「でくのぼう」の総大将まで配し、エンタテイメント性も加えた。正直その年の代表作か?と言われると戸惑うが、楽しめることは間違いないだろう。映画もきっと楽しい娯楽作品となると思う。

 映画「のぼうの城」オフィシャルサイト

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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上と外

書影
書影

著 者:恩田陸
出版社:幻冬舎
出版日:2003年2月27日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 私は本当に怖い話は苦手なので、ホラーを手に取らないように気をつけて、数多くの著者の作品の中から選んで読んでいる。本書は表紙の絵が「ドミノ」のイラストにテイストが似ていて(どちらのもどなたのイラストか分からないのだけれど)、図書館で見かける度に、いつか読もうと思っていたのだけれど、510ページの2段組の分量に怯んで、なかなか手を出せないでいた。
 分量が多いのも当然で、本書は2000年8月から1年間に亘って隔月で発刊された6冊の文庫シリーズを合本したもの。ちなみに、出版社は2003年に出したこの単行本の後に、上下巻にして再び文庫版を出している。きっと評判が良かったのだろう。(右のamazonリンクは文庫版、単行本の新品がなかったので)

 読み終わって「2段組だろうが510ページだろうが、もっと早く読んでいれば良かった」という気持ちになった。出版社がこれをもう一度文庫にした気持ちが分かる気がする。エンタテイメントに徹した結果、話が急展開したかと思うと焦らしたり、今度は強引に突き進んだりと、著者に振り回されっぱなしなのだけれど、すごく面白かった。

 主人公は中学生の楢崎練、妹で小学生の千華子、父で考古学者の賢、母で化粧品会社の広報ウーマンの千鶴子の4人家族。実は、賢と千鶴子は既に離婚して、千鶴子は千華子と暮らし、賢が考古学の研究のために外国で暮らしているので、練は祖父の家で伯父や従兄弟たちと暮らしている。つまり普段はバラバラなのだ。
 そして主な舞台は中米のG国。賢がいる国に夏休みを利用して4人が集まった。久しぶりの再会。賢がマヤ文明の遺跡を案内して、楽しい家族旅行になるはずが、とんでもない事件が起きる。ストーリーを言ってしまうわけにはいかないので順不同でキーワードを。クーデター、ジャングル、成人式、地下迷宮、風船、ロッククライミング、金型工業。涙腺の弱い方は注意。

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エデン

書影

著 者:近藤史恵
出版社:新潮社
出版日:2010年3月25日 発行 2010年5月15日 第4刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2008年の大藪春彦賞受賞、本屋大賞第2位の「サクリファイス」の続編。あれから3年後を描く。

 前作の終わりにスペインの自転車レースチーム「サントス・カンタン」への移籍が決まった主人公の白石誓は、そこそこの実績を残してフランスのチーム「パート・ピカルディ」に移籍していた。ツール・ド・フランスでの優勝候補を有する有力チームだ。
 そして何と、誓はツール・ド・フランスへの出場を果たす。自転車レースの最高峰で100回になろうとする長い歴史の中でも、出場した日本人選手は数人しかいない。日本人だけでなく、世界中の自転車選手が夢に見るツールへの出場。しかし物語にはそんな晴れがましさはなく、その代わりに底の見えない深い人間の業と葛藤が描かれている。それでいて、自転車で走る時の心地よい風を感じるからか、物語に陰鬱とした暗さが漂わないのが救いとなっている。

 自転車レースは、人力だけで競うスポーツとしては最速と言われる。極限まで体力を使う過酷なレース。薬物への誘惑も多い。また、チームスポーツでもあって、誓の役割でもあるアシストは、エースを勝たせるために働く。玄人の目にはその働きは見えるが、決して記録には残らない。自らの勝利への渇望は叶えられない。「それが当然」と頭では分かっても、心の葛藤は消えない。
 さらに本作では様々な要素が絡む。グローバルスポーツである自転車レースの中だからこその、日本人であること、フランス人であること。プロスポーツの意外に脆弱な経済基盤。貧富の差。友情。前作よりもドラマに厚みが出た。
 そして、誓が背負う「自分がここにいられる理由」。本作だけでも楽しめるが、前作「サクリファイス」から通しで読むことをオススメする。さらに興味がある方は、スピンオフ短編で「Story Seller」に収められた「プロトンの中の孤独」、同じく「Story Seller2」の「レミング」も。

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きみはポラリス

書影

著 者:三浦しをん
出版社:新潮社
出版日:2007年5月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 三浦しをんさんの短編集。小説新潮やアンソロジーに書いた「恋愛短編」が11編収録されている。巻末の「初出・収録一覧」に、それぞれの短編のテーマが「お題」「自分お題」として載っているので、読む前でも後でも良いので見るといいと思う。

 その「初出・収録一覧」に「「恋愛をテーマにした短編」の依頼が多い」と書いてあり、不思議な感じがした。そんなに数を読んでいないけれど、今まで読んだ著者の作品からは「恋愛小説」のイメージはない。「風が強く吹いている」「仏果を得ず」「神去なあなあ日常」。どの作品の主人公も恋はする。でも「恋愛小説」ではない。直木賞受賞作「まほろ駅前 多田便利軒」には、恋愛の要素はあっただろうか?

 読み始めてすぐに「もしかしたら?」と気が付くのは、本書の物語は「普通の恋愛小説」ではないんじゃないか?ということ。誰かが誰かに恋したり愛したりすれば「恋愛」かもしれないけれど、相手が死んでしまっていたら?誘拐犯だったら?ペットだったら?、二人が姉弟だったら?女同士だったら?男同士だったら?世間的には許容範囲が広がったとはいえ、まだこれは「普通」ではないだろう。「恋愛をテーマにした短編」の依頼者の期待は、これで満たされたのか心配になってくる。

 「普通」じゃつまらない、という人にはバリエーション豊かで良いだろう。しかし、私は読んでいて、そわそわと落ち着かなくて仕方なかった。その中では、一対になっている最初の一編と最後の一編は、少しだけれど主人公を応援したくなった。私の許容範囲も少し広がっているようだ(笑)。

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カラフル

書影

著 者:森絵都
出版社:理論社
出版日:1998年11月 第4刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 お世話になっている本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の9月の指定図書。SNSでは活発に意見交換、感想交換がされています。色々な感じ方捉え方があって、まさに十人十色です。

 主人公は「ぼく」。大きな過ちを犯して死んだけれど、抽選に当たったラッキー・ソウル(魂)だ。何の抽選かというと、現世に戻って再挑戦ができるという抽選。それに成功すれば安らかな魂と同じように輪廻の輪に戻れるということらしい。
 物語は「ぼく」が、自殺して死んだ中学三年生の真の身体に入り、真として家族や学校のクラスメイトとともに生活をする数か月を描く。「ぼく」に課せられた課題は「前世の記憶を取り戻し、犯した過ちの大きさを自覚すること」。見ず知らずの中学生として暮らすことで、そんなことができるのか?それは、真として家族や周囲の人との関係を築くことを通して分かってくる。

 「ぼく」によって、一旦は自殺するほど絶望した中学生が、周囲との関係を回復していく物語。それをハートウォーミングに、時にコミカルに描く。人や出来事には色々な面があって、自分から見えているものがすべてじゃない、色々な色がある。上に「十人十色」と書いたがそれ以上にカラフルな「一人十色」だ。

 とても良い物語で、「あなたはあなたのままでいいのよ」と言われたようで勇気付けられもした。ただ、私は本書にはのれなかった。「産経児童出版文化賞」を受賞していることもあってか、小中学校の図書館に置かれ、推薦図書になっている例もあるようだけれど、それにも賛同できない。
 理由は、真が好きな後輩の女の子が援助交際、いや売春をしているのだけれど、その描き方を私は受け入れられないから。売春を「子どもに見せたくない」のではなくて、この描き方は「危険だ」と思う。

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仏果を得ず

書影

著 者:三浦しをん
出版社:双葉社
出版日:2007年11月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 私が聞き知った範囲では、とても評判が高い三浦しをん作品。文楽の道を究めんと精進中の若手大夫の笹本健大夫(たけるだゆう)。「若手」と言っても30歳になる。高校卒業後に文楽の道を志して今年で12年。思うに普通の会社員でも、10年を越えたあたりは実績も自信もついて勢いがある時期だ。しかし同時に壁もある。自分はこのままでいいのか?どこまでいけるのだろうか?

 ただし健はこんな壁をはっきりと意識しているわけではない。何といっても師匠の銀大夫は80歳。文楽の家に生まれれば幼いころから手習いを始めるのでこの道70年ぐらいにはなる。目指す高みは遥かに遠い、12年目なんてまだまだ必死に修行を重ねるしかない時期なのだ。
 とは言え、成長するためには目標や越えるべき壁も必要というわけで、銀大夫は健に、兎一郎という三味線弾きと組むように言い渡す。兎一郎は特定の大夫とは組まない「芸の鬼」。そして、これは銀大夫が健に課した試練の先触れにすぎなかった。

 健は「今ドキの若者」(と言うには歳をくっているが)らしく、どことなく必死さが感じられない。でも、彼にはしなやかな芯の強さが感じられる。文楽に20代を使い果たし、芸について悩み、恋について悩み、厳しい稽古に耐え、一見理不尽な師匠に仕える。それでもただの一度も文楽の道から気持ちが逸れない。
 だからだろう。健はあらゆるものから気づきを得て、芸を一段押し上げる。小学生のミラちゃんの何気ない一言で、近松門左衛門の「女殺油地獄」の神髄を悟る。そうそう、このミラちゃんが本書の個性派揃いの登場人物の中で、小気味良い存在感を放っている。健に対して「おじいさん(銀大夫)に怒られて楽しそうやったねぇ」などと言って、何でもお見通し、というより、本人よりよくわかっているのだ。

 本書を読むのに、知っているに越したことはないが、文楽の知識は必須ではない。読んでいくうちに必要な事柄は分かってくる。思い返せば「風が強く吹いている」を読んだ時には、箱根駅伝に俄然興味が湧いた。本書を読むと、文楽の公演を一度は生で見てみたい、と思うこと必至だ。

(2011.10.23 追記)
三浦しをんさんが文楽の楽屋を取材したエッセイ「あやつられ文楽鑑賞」の記事を書きました。本書と合わせて読むといいと思います。

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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絶対製造工場

著 者:カレル・チャペック 訳:飯島周
出版社:平凡社
出版日:2010年8月10日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 オンライン書店ビーケーワンを通して、出版社の平凡社さまから献本いただきました。感謝。

 著者は、20世紀初めのチェコの作家。著者のことは、「R.U.R(Rossum’s Universal Robots)」という作品で「ロボット」という言葉を世に送り出した作家として記憶されている方も多いだろう。この作品は、1921年の「R.U.R」の発表の直後から翌年にかけて「人民新聞」に連載されたもの。つまり実に90年も前の作品なのだ。

 ある優秀な技師が、物質の原子エネルギーを完全に消費する装置「カルブラートル」を発明した。その装置では、1キログラムの石炭で工場を数百時間稼動させることができるという。「夢のエネルギー機関」であるこの装置は、瞬く間に世界中の工場、輸送機関、発電所などに導入される。
 しかし、この装置では燃料である石炭が完全に消滅すると同時に、物質に閉じ込められていたあるものが顕現するという。それが「絶対」。それで、タイトルが「絶対製造工場」というわけだ。そして「絶対」とは「神」に近しいもので、「絶対」に触れた者には宗教的な無私の心が宿り、ある者は預言を行い、ある者は奇跡さえ起こす。至るところに「神」が降臨した形になった。

 この後に起きたことは何か?世界にたくさんの「神」が現れるとどうなるか?あまり詳しくは言えないけれど「神の国」のような平和が訪れたわけではない。「カルブラートル」とそれが生み出す「絶対」は、我々人類の手に負えるものではなかったようだ。

 本書の「カルブラートル」を原子力機関と重ねて見ることで、核兵器や原子力事故の悲劇を予見したものとして「今も色あせない」と評することはできる。しかし、著者の意図はそこではなかったようだ。著者は、未来の予見ではなく不変の「人間の性(さが)」を描いたのだった。それは90年後の今も変わらない。その意味では「今も色あせない」と言える。

※中止にはなったけれど、本日9月11日に他の宗教の聖典を焼く、などというニュースがあったが、この本を読めば、それがいかに愚かな行為であるか気が付くだろう。

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鹿男あをによし

書影

著 者:万城目学
出版社:幻冬舎
出版日:2007年4月10日 第1刷 5月2日 第4刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 好きな作家は?という質問に、他の作家さんとともに著者の名前を挙げているのに、テレビドラマにもなって著者の出世作、代表作である本書をまだ読んでいなかった。先日、図書館に行った折りに、本棚にあるこの本の赤と黒の文字の背表紙が目の端に留まった。時々こういうことがあるのだが「本に呼ばれた」という感じ。「あんた、俺をまだ読んでないでしょ!」って。

 物語の舞台は奈良。主人公は「おれ」。大学の研究室にいたが、訳あって奈良女学館という女子高の理科の教師として二学期だけという短期間赴任した28歳。胃腸に弱点があり、不安や緊張が高まるとお腹が痛くなる。理由は他にあるのだが、研究室でつけられたあだ名は「神経衰弱」。
 その「おれ」が、赴任の初日から生徒にからかわれる、という前途多難な短い教師生活をスタートさせる。その後、京都と大阪の姉妹高との対抗戦に向けて、剣道部の顧問をすることになったり、鹿に話しかけられたり...!?神経の細い人にはかなり過酷な体験だ。

 面白かった。一番だと思っていた「鴨川ホルモー」よりも面白いと思う。綴られているのは、ヤル気がない訳ではないが熱血でもない教師の、周囲に流されるがままの暮らし。しかし、そこここに笑いあり感動ありのエピソードが配置され、さらにその背景には1800年の歴史がある壮大な物語があった。
 「鴨川ホルモー」も「プリンセス・トヨトミ」も、奇抜な着想が作品を引っ張った感がある。もちろん本書の設定もかなり奇抜だけれど、個々のエピソードとそれを積み重ねた物語の組み立て方が上手く、それが「面白さ」につながっている。そんなわけで、いまさらですが、この本はオススメです。

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