旧友再会

著 者:重松清
出版社:講談社
出版日:2019年6月26日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 出版前のゲラを読ませてくれる「NetGalley」から提供いただきました。感謝。

 読んでいて昔のことを思い出して、じんわりと、しんみりとした本。

 本書は、2016年から2018年にかけて、文芸誌やアンソロジーに掲載された5つの短編を収録した短編集。表題作「旧友再会」と「あの年の秋」「ホームにて」「どしゃぶり」「ある帰郷」。5つの作品には共通点があって、どの作品も一つ前の時代、主人公の子ども時代とつながっている。

 主人公が私を同年代なのだろう。どの作品にもちょっと切ない共感を覚えたけれど、印象に残っているのは「旧友再会」と「どしゃぶり」の2つ。この2つには共通点があって、どちらも50代の男性が主人公で、どちらも子どもの頃の同級生と再会するところから物語が始まる。

 「旧友再会」は、家業のタクシー会社を継いで、自らも運転手を務める主人公が、東京から帰省した小・中学校の同級生を乗せる話。運転手と客、田舎に残った者と東京で出世した者。同級生なのに感じてしまう上下関係に、居心地の悪い思いをする。しかし、子どもの頃から苦手だったその同級生にも、ひとりで抱えているものがあった。

 「どしゃぶり」は、商店街で家具店を営む主人公の店に、中学の野球部で一緒だった同級生が、東京から帰省して訪ねてくるところから始まる。その同級生が、成り行きで母校の野球部の指導をすることになるのだけれど、自分の運動能力も部活のあり方も、昔とは全然違っていた。

 私は、故郷から遠く離れたところに住んでいる。だから「旧友との再会」は経験がある。立場としては帰省してきた同級生に近いけれど。実は、2つの物語には共通点がまだ2つある。子どもの頃はそんなに仲が良かったわけではないこと。帰省の目的が親の介護に関係すること。

 Facebookを始めて、私は、50になって同窓会に顔を出すようになった。同級生ともたくさん「再会」した。この設定がどんなにリアルか分かる。そして「同級生」というだけで「友だち」になれるし、「友だち」のためなら何かしてあげよう、とも思う。この2つの物語の主人公のように。

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世界一深い100のQ

著 者:ロジェ・ゲスネリほか 訳:吉田良子
出版社:ダイヤモンド社
出版日:2018年8月22日 第1刷 発行
評 価:☆☆(説明)

 「まぁ確かにそうか」とか「そうなんだ!」と思いつつ「でも何なの?これは」と思った本。

 タイトルに魅かれて手に取った。世界一深い質問とその答えを100個も読むのは、さぞワクワクする体験だろうと。

 「まえがき」も「はじめに」もなく、目次の後の扉ページの裏にいきなり「Q.001 声帯移植はいつ可能になるのか?」と質問。続いて「古代から、神話や伝説の世界で語られてきた臓器移植は、いまや現実になっている。....」と回答。回答の末尾に回答者の名前と職業。この質問の回答者は「ジェラルド・ファン(耳鼻咽喉科医)」

 Q.002は「先史時代の人間は何を考えていたのか?」、Q.003は「数学がなかったら、我々の世界はどうなるか?」、Q.004は「反芻は何の役に立つのか?」、Q.005「人類は鳥インフルエンザで絶滅するのか?」、Q.006は「心配性の人間は暗記が得意か?」..。どうも何かの順番ではないらしい。ついでに言うと「深い」と言われてもピンとこない。(「数学がなかったら..」はちょっと深いかもしれない)

 というわけで「何なの?これは」と思った。タイトルに違えて「深い」とも思えない質問が脈絡なく登場する。答えの方も、腑に落ちたり落ちなかったり。はぐらかされたように感じるものもある。次はどんな質問かな?という興味も湧かない。

 ここで公正を期するために補足する。本書はフランスで出版された本の訳書で、回答者も恐らく全員フランス人だ。原題は「100 questions de science a croquer」で、「世界一深い」とはどこにも書いていない。「a croquer」は「絵に描きたいぐらい」「食べちゃいたぐらい」という意味らしい。

 一つだけ「ちょっと面白いな」質問があった。Q.051「遺伝子組み換え食品は健康にいいのか?」。市民感情としての懸念を考えれば「~健康に悪いのか?」となりそうだ。フランスが特に遺伝子組み換え食品に積極的ということもないと思うので、どうしてこうなったのだろう?その答えはたぶん、回答者が生物工学の研究者だからだ。(注:遺伝子組み換えが従来の交配による品種改良より危険、とする事実は今のところ見つかっていないそうだ)

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椿宿の辺りに

著 者:梨木香歩
出版社:朝日新聞出版
出版日:2019年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

不思議なことが当たり前に起きる、梨木作品の特長が心地いい本だった。あの作品につながるのか!も気持ちいい。

主人公の名前は、佐田山幸彦。三十代。化粧品メーカーの研究員。名前について念を押すと、姓は佐田で名が山幸彦(やまさちひこ)。古事記や日本書紀にも記述がある「海幸彦山幸彦神話」の山幸彦だ。当然ながら海幸彦も登場する。主人公の従妹が海幸比子という名だ。

主人公たちがこのような名前を授かったのは、二人の祖父が「正月元旦の座敷で、二人並べて「山幸彦、海幸彦」と呼んでみたい」という、ただそれだけの理由。主人公は、この名付けを親に抗議したが、女である従妹の方が自分より気の毒だと思っている。

発端は「痛み」と「手紙」。山幸彦はこのころ肩から腕にかけての激痛に悩まされていた。痛み出すと一睡もできない。また、実家を貸している鮫島氏からの手紙を受け取った。「転居することになったから賃貸契約を打ち切りたい」という。「実家」と言っても、曽祖父母の代のもので、鮫島家が50年以上も住み続けている。山幸彦は行ったこともない。

物語はこの後、坂道を転がるように、玉突きのように進む。従妹の海幸比子と会い、海幸比子の勧めで痛みの治療のために鍼灸院に行き、鍼灸院で「実家」のある椿宿の話を聞き...。その途中で時々不思議なことが起きる。亡くなった祖父が鍼灸師を通して忠告してくるとか。山幸彦は「祖父はきっと、私のことを信用していないのだ」と普通に受け止める。

気が付かないうちに現実から異界に移っている。梨木さんの物語ではよくある。今回は、異界に移るというよりは、現実の世界に居たままでふっと異界が重なってくる、そんな感じ。そういうことを繰り返すうちに、一族の因縁に結び付き、けっこう壮大な話につながる。山幸彦の「痛み」もその一部となる。

最後に。山幸彦の曽祖父の名は豊彦という。佐田豊彦。植物園の園丁兼植物学者だったという。間違いない。梨木さんの10年前の幻想的な作品「f植物園の巣穴」の主人公だ。「f植物園の巣穴に入りて」という書きつけも登場する。これは佐田家4代にわたる物語だった。

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FACTFULNESS(ファクトフルネス)

著 者:ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 訳:上杉周作、関美和
出版社:日経BP社
出版日:2019年1月15日 第1版第1刷 5月8日 第10刷 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 自分の認識の歪みを思いしらされた本。

  質問。世界中の1歳児の中で、なんらかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょう? A:20% B:50% C:80%。

 これは本書冒頭の「イントロダクション」にある、世界の事実に関する13問のクイズの1つ。今や遠い国で起きたことが、私たちの生活にも影響する。遠くの国の出来事や人々の暮らしにも、ちゃんと関心を持っている人なら分かるはずだ。ほんの少しアンテナを高くするれば、そうしたニュースは入ってくるのだから。

 それなのに驚くべきことに、各国で行った著者たちの調査では、この質問に対する正解率は平均で13%だ。著者が「チンバンジーに負ける」と表現するように、3択だから当てずっぽうで答えても33%は正解するはずなのに。さらに言えば日本人の正解率はわずか6%、チンパンジーの5分の1以下。情けない。大丈夫なのか日本人?

 慰めになるかどうか分からないけれど、これらの質問は、著名な科学者や投資銀行のエリート、ジャーナリスト、政界のトップらに聞いても、正解率は低いらしい。人々は世界についての知識が圧倒的に不足している。

 どうしてそんなことになるのか?世界の事実を多くの人が誤認したままでは、誤った対応をしてしまう。それを防いで「事実に基づくありのままの世界を見る」には、どうしたらいいのか?それが本書で著者が伝えたかったことだ。そしてそれは少なくとも私には伝わった。「蒙を啓かれる」というのはこういうことだと思った。

 ひとつキーワードだと思うこと。「悪い」と「良くなっている」は両立する

 最後に冒頭の質問の答えを。正解はC。間違えた人は、本書を読んだ方がいい。強くおススメする。私は...もちろん不正解だった。
 ※読むときには、冒頭の13問のクイズには素直に答えてください。裏読みとかしないように。

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京大変人講座

著 者:酒井敏、小木曽哲、山内裕、那須耕介、川上浩司、神川 龍馬
出版社:三笠書房
出版日:2019年5月1日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「変人」と言うからどんなに変なのか?と思ったら、意外にも真っ当な話だったな、と感じた本。

 本書は、京都大学で2017年の5月から不定期に開催されている、一般開放の講座「京大変人講座」の7回目までをまとめたもの。この講座は今も続いていて、現在は7月にある第13回「文学でしか伝えられないことがある」の参加者を募集している。キャッチコピーは「京大では「変人」はホメ言葉です」

 全部で6章あって、1章ずつ6人の先生が自分の研究について執筆。章のタイトルを紹介する。「毒ガスに満ちた「奇妙な惑星」へようこそ」「なぜ鮨屋のおやじは怒っているのか」「人間は”おおざっぱ”がちょうどいい」「なぜ、遠足のおやつは”300円以内”なのか」「ズルい生き物、ヘンな生き物」「「ぼちぼち」という最強の生存戦略」

 1つだけ紹介。第4章「なぜ、遠足のおやつは”300円以内”なのか」。タイトルの関連から言うと、子どもたちは、300円という制約があることで、どのお菓子にしようか悩む「楽しさ」を味わえる。制約は「不便」だけれど、不便さには、ものの価値を上げ、モチベーションを上げる性質がある。

 この章の担当の川上先生の研究は「不便益=不便によってもたらされる利益」。不便だからこそいいこと、うれしいこと、を探すことをライフワークにしている。先生の専門はシステム工学で、様々なものの「便利で効率的」なあり方を研究されるのが一般的だと思う。それなのに不便なものを探している。紛れもなく変人である。

 変人だけれどふざけているわけではない。研究は筋の通ったものだし、社会への還元もある。いまや全国大会が開催される「ビブリオバトル」は、インターネット時代の「いつでも、どこでも、誰とでも」を裏返した「今だけ、ここだけ、僕らだけ」をスローガンに、先生の研究室の研究員が発案したものらしい。

 冒頭に「どんなに変なのか?と思ったら、意外にも真っ当」と、ネガティブな評価とも受け取れる書き方をしたけれど、そういうことでは決してない。「京大変人講座」の発起人の酒井先生が、こうおっしゃっている「目に見えてブッ飛んだ変人というのは”普通”をひどく意識しているものです」「あくまでも「ちょっと変」が重要」。私の「意外にも真っ当」は「ちょっと変」の言い換えだ。

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PTAのトリセツ~保護者と校長の奮闘記~

著 者:今関明子 福本靖
出版社:世論社
出版日:2019年5月9日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読み終わって「あぁこれが「答え」だったんだ!」と思った本。

 本書は神戸市の中学校で実際に成し遂げた「PTA改革」を、当時のPTA会長と校長先生が、それぞれの立場から記した報告。

 改革前。学級のPTA役員決めは、形ばかりの立候補を募るも応じた人はゼロ。くじ引きで欠席者は代理が引いて決定。欠席者には会長ら本部役員が、引き受けてもらうための電話連絡をする。(この電話で辞退理由の壮絶な話を聞くこともあるし、この電話を受けないために、この日の夕食は外食にする作戦という人もいるらしい)

 「この日さえ乗り越えたら..」。それぐらい役員決めの日は重苦しい。子を持つ親の多くが覚えがある。私にもそんな経験がある。(私の場合は見事に引き当ててしまったのだけれど)。保護者の態度がこんなにネガティブなのは、その後のPTA活動が、負担感ばかりが大きくて意義が感じられないからだ。

 改革後。つまり1年後には、新1年生から3年生まで学級委員のすべてが立候補で決まる。毎月1回の運営員会は回を重ねるごとに参加者が増える。パートの昼休みに抜けて来る人までいる。ほとんどの役員が都合をつけて参加するようになる。その場で話し合われたことで、数々のことが実現していく。

 改革前と改革後の間で何が行われたかは、ぜひ読んで欲しいので、詳しくは書かない。書いても要約では大切なことが伝わらないと思うからだ。ひとことで言うと「負担感ばかりが大きくて意義が感じられない」を変えた、ということだ。事業を取捨選択すると同時に必要な負担をあらかじめ明確にして「負担感を軽減」する。PTAの意見を結果に結びつけることで「意義が感じられる」ようにする。

 PTAに関する新聞や雑誌、ウェブメディアなどの記事をよく目にする。それらに共通なのは、問題点の指摘に重きが置かれていることだ。中には「あるべき姿」を描くものもあるけれど、あくまでも理想で、その理想を実現することの困難さが合わせて書いてあることが多いように思う。

 しかし、PTAが「子どもたちのため」という本来の意義に立ち返るために必要なのは、そういった議論ではなく(もちろん不要論なんて論外)、どうすればうまく行くのか?が分かる「答え」、つまり「実際に成功した例」だったんじゃないか、と思う。冒頭に書いた「あぁこれが「答え」だったんだ」というのは、そういう意味だ。ちなみに、日本PTA全国協議会のサイトによると、昭和40年代には早くも「PTA廃止論」が出ているそうだ。本書の「答え」は、50年もの間待ち望んだ「答え」かもしれない。

 もちろん同じことをやって同じようにうまく行くとは限らない。そういう意味では「答えの例」かもしれない。でも、一つの成功例があれば、次の成功例を実現するのは比較的容易だ。これからが楽しみだ。

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データサイエンス「超」入門

著 者:松本健太郎
出版社:毎日新聞出版
出版日:2018年9月30日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 世にある様々なデータについての読み方と、データに相対する姿勢を考えさせる本。

 著者は「データサイエンティスト」。本書のテーマは「データの読み方」。著者の説明では、「データを読む」とは、「データの特徴を理解して、背景に隠されている事象に想い馳せて、データに違和感を覚え、時には現場に足を運び、データが何を表現しているかを読み解く作業」。

 本書のテーマをもう少し掘り下げる。それは「00.」とナンバリングされた章(つまり第0章)のタイトル「バイアスだらけの私にリテラシーを」に表されている。私たちは「客観的な事実より自分が信じたい内容を信じようとする」。これを「認知バイアス」という。この認知バイアスの罠に陥らないような「データの読み方」、これが本書のテーマだ。

 認知バイアスによる弊害は数多い。例えば「津波が来てもここまではさすがに来ないだろう」という前提で運営されていた原発の事故。「起きたら嫌なことは起きないだろう」という思い込みの積み重ねが原因の一つだ。事故になれば大惨事が予想されるだけに「起きない」と信じたい。それを信じてはいけなかったのだ。

 このあと、世間で言われる様々な言説を、データを使って検証。「なぜネットと新聞・テレビで、内閣支持率がこんなにちがうのか」「アベノミクスで景気は良くなったのか」「経済大国・日本はなぜ貧困大国とも言われるのか」「人手不足なのにどうして給料は増えないのか」「若者の○○離れは正しいのか」など。

 特に「アベノミクスで景気は良くなったのか」のGDPに関する考察は、とても興味深かった。GDPは「具体的な数字を計算したものではない」。日本のGDPは「なぜその数字になったのか検証できない」。GDPは「生活の質とは何ら関係ない」。GDPに代わるもの開発されていないので、これを指標にするしかないのだけれど、GDPがこういうものだと知っておく必要はある。

 最後に。私は冒頭に書いた「データを読む」の著者の説明の中で、「データに違和感を覚え」の部分に注目した。例えば、アベノミクスの成果もデータで示されているけれど、そのデータはそう読むのが正しいのか?実感と違う、という違和感。本書のテーマから言えば「違和感」と「データ」なら「データ」を信じるべきかもしれない。

 しかし「認知バイアス」は「データの読み方」にも及ぶだろうし(つまり、データを都合よく読む)、都合のいいデータだけを集めて「正しさを証明」することも可能だ。いや、そういうことはよく行われる。「データ」と「違和感」は無限ループする恐れがある。本書で著者が挙げる「データの読み方の誤りを示すためのデータ」も、この読み方で正しいのか...。これは、疲れる。

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55歳からの時間管理術 「折り返し後」の生き方のコツ

著 者:齋藤孝
出版社:NHK出版
出版日:2019年5月10日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「そうだよなぁ」「なるほどそうか」「いやそう言われてもなぁ」と逐一言葉が漏れた本。

 著者のことは紹介するまでもないかもしれない。テレビで頻繁にお顔を拝見する。本職は目宇治大学文学部の教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書はすごく多くて、Amazonで著者を「齋藤 孝 」として検索したら769件も検索された。また本書を読めば大変な読書量だと分かる。

 なぜ「55歳」なのか?「無理がきかない」といった身体的な変化の他に、社会的な立ち位置も変化が現れる時期だから、と著者は言う。その変化の最大のものが「暇になる」。異論反論は多いと思う。しかし、会社員なら出向とか役職定年とか早期退職の対象になり始める。昇進していれば裁量で時間を作ることも以前よりは可能になる。「仕事一辺倒」の人も「他の選択肢」ができる。

 そして何より60歳という定年を5年後に控えている。55歳から徐々にライフスタイルを変えていけば、スムーズに後半生に移行できる。50歳ではまだ早すぎる。60歳では遅すぎる。そして私は今まさに55歳だ。新聞で本書の広告を見て「55歳」の字から、しばらく目が離れなかった。

 「時間管理術」としては、まずは「時間割」を作ることを提言。要領は、優先順位を1,2,3と付けて1から順にやる。明瞭だ。美味しいものは最後に、という人がいるけれど、人生はいつ死ぬか分からない。だから優先順位1から順に。なんか哀しいけれど明瞭だ。

 続いて優先順位の考え方とか、どういう項目を選ぶか?とか、55歳から先の人生に必要な力は?とかいったことを、著者の経験を踏まえて(著者は今58歳)指南してくれる。冒頭に書いたように「そう言われてもなぁ」ということもあるけれど、だいたいは「そうだよなぁ」「なるほどそうか」と感じる有意義な提言だ。

 その後、後半生を生きる「コツ」や「心構え」などにも話は広がる。その中で、心に残った言葉を紹介する。今後の生活の芯に据えたいと思っている。

 普通の55歳の男性を好きな人なんて1人もいないと自覚したほうが間違いありません。でも上機嫌な55歳なら好かれます。

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そして、バトンは渡された

著 者:瀬尾まいこ
出版社:文藝春秋
出版日:2018年2月25日 第1刷 2019年4月1日 第14刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

「こういう親子や家族のあり方も悪くないな」そう思った本。

今年の本屋大賞の大賞受賞作。著者は私が好きな作家さんのひとりだ。「戸村飯店青春100連発あと少し、もう少し」など、中高生のしなやかな感性を描いたものがとても楽しめた。本書は、本屋大賞受賞ということで、期待して読んだ。

主人公は森宮優子。17歳。高校2年生。彼女には父親が3人、母親が2人いる。姓は水戸→田中→泉ヶ原→森宮と3回変わった。事情は物語が進むに連れて分かってくるけれど、まぁ両親の離婚が繰り返されたらしい。

周囲は「つらいことは話して」と心配するけれど、優子自身は「少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど」と、心配されることに申し訳なく思っている。幼いころから何度も両親が変わり、その度に生活も変わったけれど「全然不幸ではない」のだ。

物語は、優子の高校生活、女友だちとの色々や男の子からの告白などを追いながら、優子が小学校に上がる前からこれまでを順に挟む形で進む。高校生活の部分は「あるある」な感じ、これまでの部分は多少ぶっ飛んでいる。ぶっ飛んでいるけれど、ギリギリで「あり得る」感じ。

「悪くないな」と思った「親子のあり方」の一例を紹介。現在の父親の森宮さんは38歳。優子の継母の再々婚相手だ。もちろん血縁はない。でも、と言うかだからこそ、父親らしくあろうとしている(多少ユニークだけど)。その森宮さんに結婚相手の梨花さん(つまり優子の継母、優子の実父を入れて3人と結婚)が、こんなことを言っている。

親になるって、未来が二倍以上になることだよ。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日がやってくるんだ。

森宮さんはそのことについてこう言っている。

明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分よりずっと大切な明日が、毎日やってくる。すごいよな。(優子はこれに「すごいかな」と疑問を呈する)

正直に言うと、本屋大賞の大賞受賞作としては、「他と全然違う」という無二な感じがなくて、少しもの足りなかったけれど、私が好きな部類の作品。

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