始まりの木

著 者:夏川草介
出版社:小学館
出版日:2020年9月30日 初版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読み終わって心が洗われたように感じた本。

 「神様のカルテ」シリーズで、医療の現場の様々な人間ドラマを描いた著者による新刊。

 主人公は藤崎千佳。東京都心にある国立東々大学の民俗学研究室の大学院生。物語は、この研究室の指導教官である、准教授の古谷神寺郎と千佳のフィールドワークで出かけた旅先での出来事を主に描く。弘前、京都、長野、土佐..さらに出かけた先で少し足を伸ばすことも多く、様々な土地を訪れる。

 古谷准教授は40代。行間から受ける印象はもっと上の年代なのだけれど、それは古谷が、学会では実績のある高名な民俗学者であることだけでなく、ほとんど病的なまでの偏屈で、誰に対しても暴言を吐きまくるからだ。しかしその偏屈さを好ましく思っている人が多いのは、方々で出会う古谷の知己たちの態度で分かる。千佳も嫌いではない。

 洗練されたストーリーが深く沁み入るような物語だった。主人公は千佳だけれど、物語を通して描かれるのは古谷という人物の成り立ちだ。詳しくは言わないけれど、同じ民俗学者であった妻を亡くした痛みと、民俗学に対する強い信念が、古谷と言う人物を形作っている。

 そしてその偏屈な学者がフィールドワークに千佳を伴うのは、千佳に何かを託そうとしているのだろう。旅先で千佳は、度々不思議な出来事に出会うのだけれど、それは千佳自身が持っているものが引き寄せているのだと思う。

 その「不思議」のひとつが、紅葉の鞍馬に向かう叡山電車で起きる。私にとってはいくつもの思い出がある場所で「あそこならそういうことも起きる」と思った。

 最期に。古谷の言葉をかみしめたい。
 この国の人々にとって、神は心を照らす灯台だった
 民俗学の出番だとは思わんかね

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推し、燃ゆ

著 者:宇佐見りん
出版社:河出書房新社
出版日:2020年9月30日 初版 12月30日 4刷
評 価:☆☆☆(説明)

主人公のことを父親目線で見てしまってなんだか痛々しかった本。

2020年下半期の芥川賞受賞作。本屋大賞ノミネート作品。

主人公は山下あかり。高校生。あかりには「推し」がいる。男女混合のアイドルグループのメンバーの上野真幸。その「推し」がファンの女性を殴ったとかで、ネットやらワイドショーやらで炎上した。物語はこんな場面から始まって、あかりの子ども時代のことや高校での出来事、炎上事件のその後などが、あかりの一人称で語られる。

あかりは「みんなが難なくこなせる何気ない生活」がままならない。「推しを推すことが生活の中心で絶対」と思っている。これは比喩や誇張ではなくて、小さいころから漢字や九九など、他の人なら繰り返し書いたりすれば覚えられることが覚えられなかった。病院を受診してふたつほど診断名がついた。でも「推し」のことを綴るブログには長い文章も書ける。

ついでに言うと、一人称の語りなので、本書の明晰な文章もあかりが書いていることになるわけで、「漢字や九九を覚えられない」という人物像とのギャップを感じた。いや漢字や九九が覚えられなくても、あかりは言葉を紡ぎ出す図抜けた才能がある人なのかもしれない。

力を感じる光る文章が多くあった。芸術性を評価する芥川賞の受賞もうなづける。帯に使われた「推しは命にかかわるからね」は、物語の初めごろに登場する何気ない会話の一部なんだけれど、ハッとさせられたし、後になって振り返ると、実はけっこう意味深長な言葉だった。

そんな中で私が小さな胸の痛みとともに心に残った一文を引用。

父は理路整然と、解決に向かってしゃべる。明快に、冷静に、様々なことを難なくこなせる人特有のほほえみさえ浮かべて、しゃべる。

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滅びの前のシャングリラ

著 者:凪良ゆう
出版社:中央公論新社
出版日:2020年10月10日 初版 10月15日 再版
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 冒頭「クラスメイトを殺した」という文章で始まる、なかなかスリリングな本。

 本屋大賞ノミネート作品。

 「1ヶ月後に直径が推定10キロメートルの小惑星が地球に衝突する」という世界を描いた、一種のディストピア小説。主人公はバトンを渡すように章ごとに代っていく。最初の主人公は江那友樹、17歳。ぽっちゃり体型の高校生。スクールカーストの下位に位置して、上位のクラスメイトにいじめを受けている。冒頭の「クラスメイトを殺した」のは彼。

 江那くんは、いわゆる「陰キャ」なのだけれど、なかなか芯が強い。学校一の美少女である藤森さんとは小学生の時から同級生で、小学校5年生の時に大事な思い出がある。この時の約束を起点として、江那くんは藤森さんを守るナイトとなって、物語を引っ張っていく。章によって主人公は代るのだけれど、物語としては江那くんの純愛物語の様相を呈していく。

 私はこういう物語が大好きだ。その理由の一つは魅力的なキャラクターだ。江那くんのお母さんというのが「やばさ全開ドヤンキー」な青春を過ごした人で、藤森さんを守るために暴動が予想される東京に付いていくという江那くんに、包丁を渡して「やばくなっても素手でやりあうな。凶器を出せ」とアドバイスをする人だ。

 お母さんの昔の恋人は、飛び蹴りで江那くんの前に登場するし、美少女の藤森さんもしり上がりに個性的な性格を発揮するようになる。気の利いた会話もあるし、巧みな伏線もある。こういう表現は著者は嫌がると思うけれど、伊坂幸太郎さんの作品に似ている。☆5つ。

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デジタル・ミニマリスト

著 者:カル・ニューポート 訳:池田真紀子
出版社:早川書房
出版日:2019年10月15日 初版 2020年7月15日 3版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読んでさっそくTwitterを開くのを1週間に1回だけにした本。

 本書は「デジタル・ミニマリズム」の基礎となる概念や実践の方法を説明したもの。「デジタル・ミニマリズム」は本書の中で定義がある。

 「自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学」

 つまりは、デジタルツールの利用は自分で選んだ本当に必要なものだけにして、できるだけ少なく(ミニマムに)しよう、ということだ。そして、こんなことをわざわざ言うには前提がある。私たち(の多くは)、SNSやニュース、ストリーミングメディアなどのデジタルツールを使いすぎているのだ。

 もちろん人によって違うけれど、本書が引用した調査によれば、Facebookの「平均的なユーザー」は、ソーシャルメディアと関連サービスに1日2時間を費やし、スマートフォンなどのデバイスを85回もチェックする。しかし、本当に問題なのは時間や頻度ではない、ユーザーがデジタルツールの利用のコントロールを失いつつあることだ、と著者は言う。

 それには「承認欲求」と「間歇強化」という人間の心理が関係している。「承認欲求」は言わずもがな。「間歇強化」とは、報酬を予期せぬパターンで与えられると喜びが大きくなる、というものだ。「いいね!」されているかも?コメントが付いているかも?その期待は、叶う時も叶わない時もある。まさに「予期せぬパターンの報酬」だ。

 スマホの新着を占める赤い丸数字(赤い色にも心理的な意味がある)を見るとチェックせずにはいられないのは、そういう心理的な理由だ。人間の心理に基づく行動だから、これに抗ってコントロールするのは難しい。さらに留意すべきなことは、この状態はサービス提供企業が意図して作り出している。もう私たちはサービス提供企業に操られているも同然だ。

 SNSを使わないと「でも何か役に立ちそうな情報を見逃してしまうかもしれないでしょう?」と不安を口にする人が多いらしい。それに著者はこうコメントしている。

「使ってみなよ、意外なメリットがあるかもしれないから」というのは、商品の売りこみ文句として史上最悪の一つに違いない。

 ごもっともで。

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心淋し川

著 者:西條奈加
出版社:集英社
出版日:2020年9月10日第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるけれど、衣食さえ足りていれば、幸せを感じるかどうかは気の持ちようなんだな、と思った本。

 2020年下半期の直木賞受賞作。本屋大賞ノミネート作品。

 タイトルは「うらさびしがわ」と読む。つまり「なんとなく淋しい川」という意味。それは江戸時代、千駄木町の一角の大名屋敷の崖下にある流れのない淀んだ川の呼び名で、その両岸の狭い町「心町」が物語の舞台。主人公はその町の住人たち6人が、章ごとに入れ替わる。

 針仕事で家計を支える19歳の「ちほ」は、酒を飲んで管をまく父と繰り言ばかりの母と暮らす。29歳の「つや」は住む長屋は、青物卸の旦那が妾4人を共同で住まわせている。若いころは名店で修行を積んだ料理人の「与吾蔵」は、安くて旨い飯を食わせる料理屋を開いている。

 身体の不自由な31歳の息子の世話をして暮らす「吉」は、以前は日本橋の大店のおかみさんだった。以前は根岸の遊郭の遊女だった「よう」は、大した腕もなく要領も悪い亭主と喧嘩ばかり。この町の差配を務める「茂十」は、この町に来て12年。この茂十はすべての章に登場する。

 しみじみとした感慨を感じる。登場するほぼ全ての人が貧乏で、暮らしに問題を抱えている。そもそもこんな崖下の窪地の町に住んでいることにも何か理由がある。それは「流れ着いた」という表現が相応しく、「心淋し川」のように人生が淀んでいる。

 でも、そんな人たちにも暮らして行ける場所が必要。「何があったのかきかぬのが、心町の理ですから」と、茂十の先代の差配が言う。与吾蔵の前に料理屋を営んでいた兄貴分は、この町の人は「あたりまえを盾に、難癖をつけるような真似はしねえ」と言う。だからみんなこの町でなら暮らして行ける。

 ちょっとした仕掛けもあって楽しめた。秀作だと思う。

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Seven Stories 星が流れた夜の車窓から

著 者:井上荒野、恩田陸、三浦しをん、糸井重里、小山薫堂、川上弘美、桜木紫乃
出版社:文藝春秋
出版日:2020年11月25日 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 旅行気分とドラマを一緒に味わえた本。

 JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」をテーマとした7つの文章。井上荒野、恩田陸、三浦しをん、糸井重里、小山薫堂、川上弘美、桜木紫乃、の人気作家7人の贅沢なアンソロジー。

 井上荒野さんの「さよなら、波瑠」は、60歳を越えて知り合って結婚した男女の男性が女性を見守る話。女性がカッコよくて切ない。恩田陸さんの「ムーン・リヴァー」は、壮年となった兄弟による、育ての親の叔母が残した言葉の謎解き。男の兄弟が子どもっぽい。三浦しをんさんの「夢の旅路」は、60年来の親友である女性の二人旅。なぜだろう?男性にはこういう旅はできない。

 糸井重里さんの「帰るところがあるから、旅人になれる」と、小山薫堂さんの「旅する日本語」は、随筆と随想。物語の間に挟むことで、読者はここで気持ちが切り替わる。糸井さんの随筆は「ななつ星」が博多駅を出て博多駅に帰ってくることに着想を得て。小山さんの随想はたったの7つの言葉を紹介するだけ。でも「日本語には、こんな美しい言葉があったのか!」と思った。

 川上弘美さんの「アクティビティーは太極拳」は、旅が新型コロナで中止になってしまった母娘によるバーチャルツアー。思いのほか母と娘の中が深まる。旅に行かなかったこの話が、他のどの物語よりも「ななつ星」の旅の紹介にしっかりなっていたのが何とも皮肉。

 桜木紫乃さんの「ほら、みて」は、市役所を退職した夫とその妻の旅行。妻は、5年前にひとり息子が就職してからの計画を実行するつもりでいる。今年58歳になる私としては、同年代の夫婦に強くおススメする。

 それなりの時間を過ごした夫婦が知っておくといいことが書いてある(と思う)。女性の側からみたことは想像するしかないけれど、男性が抱える心根はこの通りだと思う。心配を押し隠していた正雄さんに共感。

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お探し物は図書室まで

著 者:青山美智子
出版社:ポプラ社
出版日:2020年11月9日 第1刷 2021年1月24日 第6刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「こんな図書室は居心地がいいだろうなぁ」と思った本。

 本屋大賞ノミネート作品。

 舞台は、小学校に併設された区民のための施設「羽鳥コミュニティハウス」。全部で5章あって、それぞれ主人公が違う。婦人服販売員の朋香は21歳、家具メーカーの経理部に勤める諒は35歳、元雑誌編集者の夏美は40歳、ニートの浩弥は30歳、会社を定年退職した正雄は65歳。年代も職業もバラバラだ。

 「羽鳥コミュニティハウス」には図書室がある。地域住民のための施設の中とは言え蔵書は充実していて、専門の司書を置いたレファレンスコーナーがある「ちゃんとした図書室」だ。司書は小町さゆりさん。肌の白いはちきれそうな体をした「マシュマロマン」のような人..。

 「何をお探し?」小町さんは、レファレンスコーナーに来た人に決まってそう声をかける。もちろん「どんな本を探しているのか?」という意味のはずだけれど、主人公たちは一瞬「私が探しているのは..」と思いを馳せる。例えば、婦人服販売員の朋香は「仕事をする目的とか、自分に何ができるのかとか..」と。

 気持ちが楽になるような物語だった。主人公たちは、それぞれ日常に悩みを抱えている。深刻なものではなくて、「そのくらいの悩みは誰にもあるよ」というものではあるけれど、気持ちは晴れない。「誰にもある」からその悩みに読者は共感を感じる。司書の小町さんが選んだ思いもよらない本が、その気持ちを少し晴らしてくれるきっかけになる。私の気持ちも少し晴らしてくれた。

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犬がいた季節

著 者:伊吹有喜
出版社:双葉社
出版日:2020年10月18日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品.

 「そうそう、あの頃はそうだった」と思った本。

 舞台は三重県四日市市にある八稜高校、県内有数の進学校。物語の主人公は、その学校の昭和63年度、平成3年度、6年度、9年度、平成11年度のそれぞれの年の卒業生。そしてもう一匹、その間に学校で飼われていた犬。

 犬の名前はコーシローという。昭和63年の夏休み明けに学校に来た。美術部の無口な生徒、早瀬光司郎の席にちょこんと座っていたところを、生徒に見つけられた。「コーシロー、お前、ずいぶん小さくなっちゃって」と、盛り上がって、コーシローと名付けられ、曲折を経て学校で飼うことになった。

 物語は、2,3年ごとに卒業生の一人を主人公として描き、その様子をコーシローの視点から見た、コーシローの気持ちを交えながら進む。主人公たちは高校3年生であるから進路のこと、そして家庭のこと、友達のこと、恋愛のこと、多くの悩みや葛藤を抱えていて、それが時には瑞々しく、時には張り詰めた緊張感をもって描かれる。

 読み終わってとても満ち足りた気持ちになった。年代の違う5つの物語が並んでいるのだけれど、同時1つの切ないストーリーが進んでいる。そしてコーシローは鼻がいい。恋する人の匂いが分かったりする。本人たちが口にしない、時にはそれと気づいていない気持ちまで、コーシローには分かる。言葉が話せればアドバイスもできるが、犬の身ではそれも叶わない。

 もうひとつ、本書の楽しみを。物語の年を明らかにして、その時々のトピックが描きこまれていることで、その時代の自分を思うことになる。昭和63年はソウルオリンピック、BOØWYの解散、平成の始まり。平成3年はF1日本グランプリ、ジュリアナ東京、平成6年は翌1月の阪神・淡路大震災..。昔を思いながら高校生の物語を読んでいると、この物語の始まりより何年か前の、自分の高校生の時のことまで思い出した。

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