あきない世傳 金と銀 早瀬篇

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2016年12月16日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 期待通りに想像の上を行く展開、そんな本。

 「あきない世傳 金と銀 源流篇」に続くシリーズ第2巻。前作では、大坂の中堅の呉服商「五鈴屋」の女衆として9歳で奉公に出た少女、幸(さち)の13歳までを描いた。本作ではその続きの4年ほど日々、幸の17歳までを描く。

 五鈴屋は、奉公人たちの働きで堅い商売をしているけれど、主筋の人材にはあまり恵まれなかった。男の三兄弟のうち、末弟の智蔵は、幸の才にも気付いて何かと目をかけてくれたけれど、文学の道を志して家を出てしまった。次男の惣次には商才があって商いを支えているけれど、性格に難あり。店主である長男の徳兵衛に至っては色狂いの放蕩三昧という始末だ。

 徳兵衛がそんなだから、ご寮さんは実家に帰って離縁されてしまった。商いも苦しくなって店は危機に瀕している。そんなときに持ち上がったのが、幸を徳兵衛の後添えに..という話。店の女衆を主の嫁に、というのは奇手ではあるけれど「こんな店主のところに嫁に来て手綱を握って、商いにも知恵を貸せるような娘」という、番頭さんの要望に叶ったのだ。幸自身の心持ちは一顧だにされないままに。

 なかなか魅せる展開だった。先に言ってしまうと、幸は徳兵衛の後添えになる。そして、「商いにも知恵を貸せる」どころか、その商才をさっそく発揮する。そして終盤になって話が大きく動く(なにしろ最後の章は「急転直下」という題だ)。

 先が気になる。

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八月の銀の雪

書影

著 者:伊与原新
出版社:新潮社
出版日:2020年10月15日 発行 2021年1月30日 3刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。

 平凡な暮らしの中にもドラマがあることと、それへの親しみを感じた本。

 50ページほどの短編が5編収録された短編集。

 5編を収録順に簡単に紹介。表題作「八月の銀の雪」の主人公は、就職活動中の大学生の男子。八月に入っても二次面接を突破したこともない。コンビニのアルバイトのベトナム人女性と知り合う。「海へ還る日」は、2歳の娘を育てるシングルマザーの女性が主人公。電車の中での窮地に手を差し伸べてくれた女性に博物館の展覧会に誘われる。

 「アルノーと檸檬」は、不動産管理会社の契約社員の39歳の男性が主人公。立ち退きの交渉先の部屋で、迷い込んできたハトのことを知る。「玻璃を拾う」の主人公は、医療機器の販売代理店に勤める女性。SNSで褒めたアクセサリーの写真を巡るトラブルから思わぬ展開に。「十万年の西風」は、25年務めた原発の保守・点検を行う会社を辞めた男性が主人公。福島に向かう途中の海岸で凧を揚げる男性と出会う。

 主人公に共通点は見当たらない。敢えて言えば「知り合いの知り合い」ぐらいにはいそうな平凡さが共通点。そういう平凡な人の一人ひとりにも、こうして読者が読んでしみじみと感じ入る物語がある。主人公の平凡さが親しみやすく心地よく感じる。

 私が一番好きなのは「玻璃を拾う」だ。この物語は京都が舞台で、登場人物は大阪の人で会話が関西弁。私にとっては馴染みのある場所と言葉なのが好きな一因になっているのは確か。ただそれだけでなく、終盤に河原の場面で日差しとか空気までを感じた。未来につながる予感がする読後感もよかった。

 それから著者にそういう意図があったかどうか分からないけれど、短編の並び方にもリズムがあるように思った。最初の2編。日々に疲れ気味の主人公の心がちょっと軽くなる物語で始まる「起」。「アルノーと檸檬」は少し軽快な感じで受ける「承」。「玻璃を拾う」で舞台を関西に移して若い男女を登場させて「転」。最後に「十万年の西風」は「原発」や「戦争」をテーマに据えたものでどっしりと「結」..ちょっとうがちすぎか?

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進化のからくり

書影

著 者:千葉聡
出版社:講談社
出版日:2020年2月20日 第1刷 7月7日 第3刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 書いてあるのは「研究」なのだけれど、力強い「物語」を読んだような気持になった本。

 著者は進化学者で巻貝研究の第一人者。本書はその著者が、進化に関する研究のいくつかを紹介する。具体的には「巻貝の巻き方(右巻きか左巻きか)の変異」「カワニナの種分化」「仙台近郊のホソウミニナの棲息環境と形態」「小笠原のカタマイマイの研究」等々。一見して地味な生き物だ。小さな巻貝とかカタツムリとか..地味すぎる。

 そんな地味な生き物の研究だけれど、まったく退屈しない。著者が紹介するのは、研究そのものだけでなく、研究を巡る謎解きのストーリーとその成果だからだ。それから、ダーウィンに始まる世界中の研究者も話題にはなるけれど、多くは著者自身が体験したり関わった研究についてなので、臨場感のある読み物になっている。

 その語り口もなかなかに楽しい。例えば本書の最初の話題は、巻貝の右巻きと左巻きの話なのだけれど、なぜか漫画の「北斗の拳」から始まる。ストーリーをご存じでカンの良い方は、ピンときたかと思うけれど、「北斗の拳」には内臓が左右逆になっている登場人物がいるからだ。(追記すると、ショウジョウバエの内臓逆位に関する遺伝子は「サウザー」と命名されているそうだ)

 また、進化学者の研究が想像以上にタフなものだとも感じた。進化学は今や分子レベルでの研究が「研究室の中」でも進んでいるけれど、標本採取はフィールドワークが基本なのだ。著者がカタツムリの調査のために、小笠原の母島の、左右が50~80メートルの絶壁の上の尾根を越える場面は圧巻だった。本書を書いているのだから、無事に帰ってきたことは分かってはいるにも関わらすだ。

 最後に印象的だった言葉を。

 目の前のたくさんの謎は、進化学者にとって何よりのご馳走である。

 「進化学者」を他のあらゆる「○○学者」に変えることができるだろう。著者によると、私たちの好奇心も「進化の結果」であるそうだ。

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52ヘルツのクジラたち

書影

著 者:町田そのこ
出版社:中央公論新社
出版日:2020年4月25日 初版 7月5日 4版 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。

 子どもがつらい目に会う話が苦手なので、読むのがつらかったのだけれど、読んでよかったと思った本。

 主人公は三島貴瑚、26歳。友人たちの誰にも言わずに東京から大分の小さな海辺の町に引っ越してきた。携帯電話も解約して。周辺の住人の間では「東京から逃げてきた風俗嬢でヤクザに追われている」という噂が立っている。

 貴瑚が、ある雨の日に出会った中学生の濡れそぼった体は、やけに薄汚れていた。ここで別れてはいけない気がして家に連れて帰ったその子の、肋骨の浮いた痩せた体には、模様のように痣が散っていた。それは貴瑚が見慣れた色だった..。

 物語は、貴瑚がこの中学生と関わることで、一旦は自ら手放した「人と関わること」を取り戻していく様を描く。貴瑚が抱える過去はとても重いものだ。「人と関わること」を手放すに至る事情も重い。この中学生の境遇も負けず劣らず重い。この物語の大半が重い空気に包まれている。

 かなりヘビーな本だった。読むのがつらくて途中で本を閉じてしまいたくなる。それでも最後には明かりが見える。ひどい人間がたくさん出てくるけれど、善良で力強い人も闇を照らす明かりのよう登場する。壮絶な人生を送ってきたけれど、それでも貴瑚は人に恵まれた方なのだろう。読者もそのことで救われる。

 最後にタイトル「52ヘルツのクジラたち」について。クジラは海中で歌を歌うように、鳴き声を出して仲間に呼びかける。その音の周波数はだいたい10~39ヘルツ。しかし52ヘルツのクジラの鳴き声が実際に定期的に検出されているそうだ。その声は、広大な海の中で誰にも受け止めてもらえない。「世界でもっとも孤独なクジラ」と呼ばれている。

 この本は、そのクジラと同じように「受け止めてもらえない声を発している」人たち、そして「その声を受け止めた」人たちを描いた物語。

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アンブレイカブル

書影

著 者:柳広司
出版社:角川書店
出版日:2021年1月29日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 大学生の時に読んだ「人生論ノート」の三木清について、私は何も知らなかったなと思った本。

 新聞広告に「累計130万部突破!ジョーカー・ゲーム」と書いてあり「おっ、ジョーカー・ゲームの新刊が出たのか!」と思って手に取った。それは私の勘違いだったのだけれど。

 時代としては1929年から1945年、満州事変の少し前から太平洋戦争の終戦の年まで。クロサキという内務省の官僚が関わった事件を描いた4つの短編を収録。物語の背景には、1925年に成立した治安維持法がある。短編のそれぞれには、治安維持法の「被疑者(あるいは犠牲者)」となった文化人らが登場する。

 その文化人らとは、「蟹工船」で知られる文学者の小林多喜二、川柳作家の鶴彬、中央公論社の編集者の和田喜太郎、哲学者の三木清。4人ともが実在の人物で、本書の中では必ずしも明らかにされてはいないけれど事実としては、はやり4人ともが治安維持法違反で勾留中に獄死している。本書は、その理不尽さ、時代の空気の危うさを、事実に基づくフィクションとして描く。

 事実は凄惨なものだけれど、フィクションとすることで読みやすくなった。犠牲者本人でもクロサキでもない第三者の視点を使うことで、凄惨な事実からの距離が保てている。例えば第一編の小林多喜二の事件では、蟹工船での様子を多喜二に教える労働者2人組が主人公。乾いたユーモアもあって、結末は爽快感さえ感じる。

 そんな感じでミステリ仕立ての読み物を楽しんでいたら深みにはまる。歩いていたら足元がヌルッとするので、よく見たら血溜まりに立っていた。そんな感じで気が付くとゾっとする。そう、これはゾっとしなくてはいけない物語なのだ。現在と地続きの時代に、日本人が起こした凄惨な事件について知るのだから。

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ぷくぷく

書影

著 者:森沢明夫
出版社:小学館
出版日:2019年12月2日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」を思い出した本。

 著者の作品は、人と人との結びつきの大切さが描かれていて、私はとても好きだ。「虹の岬の喫茶店」「キッチン風見鶏」「たまちゃんのおつかい便」。まだ読んでない作品を見つけたので手に取ってみた。

 主人公は、なんと琉金のユキちゃん。イズミという24歳の一人暮らしの女性の部屋で飼われている。夏祭りの金魚すくいで、イズミが何度もすくい損ねたあと、金魚すくいのおじさんに「この子がいい」と無理を言ってもらってきた。

 ユキちゃんは哲学的なことも考える。

 「勝つことも負けることもできず、受け取るだけで与えることができないまま、ひたすら続いていく未来。その茫洋とした未来を自力では変えようがないことに思い至ったとき、ボクはかすかなめまいを覚えていた」とか。

 物語は、ユキちゃんの目を通して見える、イズミの暮らしの喜びや哀しみを描く。例えば、どうやらイズミに恋人ができたらしく、上機嫌で二人分のお弁当を作る様子とか。例えば、朝アラームが鳴っても起きられず、そのまま布団の中に潜り込んで、元気なく昼頃まで過ごしてしまう様子とか。

 元気がない様子も含めて、ほのぼのとした20代の女性の暮らしをちょっと覗き見する、という趣向かと思っていた。そうしたら、思いのほか心の深い部分に抱えたものが明らかにされて、たじろいでしまった。金魚鉢の中のユキちゃんの「孤独」ともシンクロする部分があって、ますます奥深くなっていく。

 冒頭に「人と人との結びつきの大切さ」を書いたけれど、それは本書でもそうで、イズミにはチーコという親友がいて、彼女の果たした役割がとても大きい。こんな友達がいてうらやましい、と思った。

 最後に。チーコの言葉を引用。

 「わたしね、思うんだ。「違い」と「嫌い」は、まったくの別モノで、絶対にイコールじゃないって

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この本を盗む者は

書影

著 者:深緑野分
出版社:角川書店
出版日:2020年10月8日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。

 エンタテインメント性があって、連続ドラマにしたら面白そうだと思った本。

 主人公は御倉深冬、高校1年生。読長町という町に住んでいる。読長町では深倉家は名士。深冬の曽祖父の深倉嘉市が、全国に名の知れた書物の蒐集家で、その蔵書を収めた地上2階地下2階の巨大な書庫である「御倉館」が、町の真ん中に建ち、名所となっていた。

 御倉館の蔵書はかつては公開されていたけれど、稀覯本200冊の盗難事件を機に、嘉市の娘のたまきが閉鎖し、建物のあらゆる場所に警報装置を付けて、御倉一族以外の立ち入りを禁じた。そして、たまきの死後ある噂が流れた。「たまきが仕込んだ警報装置は普通のものだけではない」という噂だ。

 一族と言っても、深冬と、深冬の父のあゆむと、叔母のひるね、の3人しかいない(親類はいるらしいけれど疎遠にしている)。叔母のひるねは、その名の通りに寝てばっかりで生活能力がない。あゆむが事故で入院してしまい、御倉館の管理とひるねの世話が、深冬の役割となった。

 深冬が御倉館に行くと、ひるねは案の定寝ていた。その手には何やら護符のようで、書いてある文字を深冬が読み上げると...。なんだかとんでもないことが起こった。雪のように真っ白な髪の少女が現れるし、外に出ると見慣れた街の様子が変で、なんと真珠の雨が降っている。

 ここまで50ページ。意外な展開だった。これまでに読んだ著者の作品は「戦場のコックたち」「ベルリンは晴れているか」と、外国を舞台としたリアリティのあるものだったけれど、本書は主人公が異世界に紛れ込むファンタジーだ。主人公が、異世界での課題をクリアしないと、元には戻らない。一種のミステリーの要素もある。

 森見登美彦さんが帯に言葉を寄せているけれど、本をめぐる謎があること、気が付くと異世界に入り込んでいることなど、「熱帯」と共通点がいくつかあるかも?と思った。

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自転しながら公転する

書影

著 者:山本文緒
出版社:新潮社
出版日:2020年9月25日 発行 12月15日 2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品

 プロローグとエピローグにちょっとした仕掛けがあって「これは技ありだな」と思った本。

 主人公は与野都、32歳。駐車場から牛久大仏が見えるアウトレットモールにある、婦人服のブランドショップの契約社員として働いている。2年ほど前までは、別のブランドの東京にある店舗の店長として働いていたが、母親の介護のこととかがあって、実家に帰ってきて今の仕事を見つけた。

 物語は、都のままならないことの多い日常を、時々他の人の視点を交えながら描く。都の周囲の様々な人が描かれる。重い更年期障害の治療を続ける母、まめまめしく家事をこなすようになった父、高校の同級生たち、ショップの社員やアルバイトたち、ブランド本社の社員たち、そして、同じアウトレットモールの回転寿司店で働く寿司職人で元ヤンキーの貫一、元ヤンキー。

 「ままならない」について言うと,,。父も母はそれぞれ頑張っている。でも都もその頑張りの一端を担わなければいけない。高校の同級生たちは、気が置けない友達だけれど、だからこそ厳しいことも言うので、打ちのめされることもある。ショップの人たちには、自分本位な人が多い。そして貫一は、そのおおらかさに強く魅かれるけれど、「元ヤンキー」の価値観には違和感があるし、その言動には不安がいっぱい。

 なかなか読み応えのある作品だった。帯には「結婚、仕事、親の介護 全部やらなきゃダメですか?」と書いてある。また「共感」という言葉が何か所か使われていて、どうやら女性の共感を得ているらしい。確かに、都が抱える悩みは、その年頃の女性の悩みと共通する部分がいくつもあるのだろう。

 でも、私は「共感」はしなかった。それは、男だからかもしれないし、たまたま都のような経験から免れてきたからかもしれない。それでも「読み応えがあった」。それは、いろいろな意見や価値観が作品の中でぶつかり合っていたからだ。いわば「共感」とは正反対。登場人物たちが、自分の意見を堂々と口にする。それがよかった。

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dele ディーリー

書影

著 者:本多孝好
出版社:角川書店
出版日:2017年6月29日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 デジタルデータの何を遺して何を遺さないのか?自分のいつか来る日のことを考えた本。

 著者の本多孝好さんの作品は、「Story Seller」「Story Seller2」などのアンソロジーの短編でしか読んでいないのだけれど、「いつかは長編を」と思っていた。そこで比較的近刊の本書を手に取ってみた。

 主人公は真柴祐太郎、20半ば。坂上圭司が経営する「dele.LIFE(ディーリー・ドット・ライフ」)」という会社の新入り社員。「dele.LIFE」は「死後、誰にも見られたくないデータを、その人に代わってデジタルデバイスから削除する」という仕事をしている。依頼人が設定した「PCが5日間か操作されなかったら」などの条件で、「dele.LIFE」のPCに信号が送られてくる。

 条件が成立しても、依頼人が亡くなったかどうかは分からない。そこで、信号を受けたら依頼人の死亡を確認する必要がある。その確認作業が祐太郎の主な仕事だ。条件は依頼人自身が設定したのだから、確認しなくてもいいようなものだし、そのようにアプリで自動的に削除されると思っている依頼人もいる。しかしそこを確認を疎かにしないのが圭司の矜持のようなものだ。

 死亡の確認では遺族に会ってすることが多い。祐太郎はそこで依頼人の人生に触れて考える。削除してほしいデータとは何だったんだろうか?それはもしかしたら遺族にとっては大切なものなんじゃないか?いくつもの依頼が登場するけれど、祐太郎は「本当にデータを消すの?」と、圭司に毎回問いかける。その問いかけは、残された人の癒しや救済につながることもある。

 「死後、消してほしいデータ」に、こんなにバリエーションがあるとは思わなかった。祐太郎がそうであったように、すぐには「エロいの」とか「エグい」のとかしか思い浮かばない。しかし後に残す人のために、自分で守ってきた秘密を守り通すための削除もあるのだ。あるいは、削除されることが何らかのメッセージになることも..。

 祐太郎にも圭司にも、それぞれに抱えた事情がある。その一端は見えるのだけど、まだまだ深いことがありそうだ。と思ったら、既刊3冊のシリーズになっていた。続きも読みたい。

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きのうのオレンジ

書影

著 者:藤岡陽子
出版社:集英社
出版日:2020年10月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「命」や「生きる」ということを見つめた本。

 「新刊がでたら読みたい」と思うようになった、藤岡陽子さんの最新刊。

 物語の中心となるのは笹本遼賀、33歳。岡山の出身で、今は食品メーカー直営のイタリアンレストランの店長として東京で暮らしている。冒頭で胃がんの告知を受ける。物語は全部で5章あり、遼賀や遼賀の母、弟、高校の同級生が、章ごとに主人公となって進む。

 母の燈子や弟の恭平ら家族が、入れ替わりで東京に来て遼賀を見守る。高校の同級生の矢田泉は、遼賀が入院する病院の看護師で、看護師としても友人としても献身的に支える。しかし、物語が進むにつれて遼賀のがんも進行する。遼賀の毎日は、いつからか「残された日々」になっていく。

 本当に心に沁みいる物語だった。遼賀を中心に描かれるのだけれど、燈子にも恭平にも泉にも、その背景に人生と物語がある。特に、遼賀と恭平には中学生の時の雪山での事件があり、さらには出生の秘密も..と、幾重にも重ねた重層的な物語になっている。それでいて分かりにくくも回りくどくもなく、すっきりと読める。

 帯に「こんなに何度も何度も泣けてくる小説は初めてだ」と、書店員さんのコメントがある。「泣けてくる」と事前に予告されるのは、私は好かないのだけれど、確かに前半からグッとくる場面がいくつかあった。遼賀のおばあちゃんが娘の燈子に「あたしを施設にいれてくれんか」と訴えた気持ちを想像したら、涙がにじんだ。

 著者の作品では「満天のゴール」と同じく、人の「残された日々」を描き考えさせる作品だった。昨年からニュースが、毎日「人の死」を「数」として報じるのに違和感を感じる。心のバランスをとるのに、こんな作品が必要なのじゃないかと思う。

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