罪の声

書影

著 者:塩田武士
出版社:講談社
出版日:2016年8月2日 第1刷 12月1日 第8刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。昨年の山田風太郎賞受賞作でもある。

 本書は、1984~85年に起きた「グリコ・森永事件」を題材にした作品。30年あまり前の事件だけれど、40代以上の世代の人なら覚えているだろう。お菓子や食品のメーカーを標的とした企業脅迫事件。「毒入り」のお菓子がスーパーにバラ撒かれた凶悪な事件。未解決のまま2000年に時効が成立した。

 主人公は二人の男性。一人は曽根俊也。「テーラー曽根」という洋服の仕立て屋の二代目。もう一人は阿久津英士。大日新聞社文化部の記者。ともに36歳。物語は、俊也が自宅でカセットテープを見つけるところから始まる。そのカセットテープには、30年前の事件で使われた男児の声が録音されていた。

 30年前の事件というのは、日本を代表するお菓子メーカーの「ギンガ」と「萬堂」などの食品メーカーを標的にした脅迫事件。当時は「ギン萬事件」と呼ばれていた。大日新聞では「昭和・平成の未解決事件」の特集を企画していて、英士はその応援として文化部から社会部に駆り出され、「ギン萬事件」を追うことになった。

 登場するメーカー名も新聞社名も架空のものだし、わざわざ断るまでもなく、これはもちろんフィクションだ。でも積み重ねられるエピソードの多くが、「グリコ・森永」で起きたとおりに使われている。だから展開には迫真性があるし、それは本書で提示した「真相」を、本当に「こうだったかもしれない」と思わせるのに成功している。

 ありゆる「真相」を提示したことで、本書が評価されたのは要因のひとつだけれど、私はもうひとつあると思う。それは「事件の後」に焦点を当てて丁寧に描いたことだ。「事件」というドラマの後にも人々の暮らしは続く。角田光代さんの「八日目の蝉」は、その暮らしを描いたものだった。そこにもドラマはある。本書にもそれはある。

 最後に。「グリコ・森永事件」の時には、私は京都に住む大学生だった。関西の様々な場所が「事件の現場」になったけれど、私がよく使っていたコピー屋もそのひとつだった。それ以上のことは特にないけれど。

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イノセント・ゲリラの祝祭

書影

著 者:海堂尊
出版社:宝島社
出版日:2008年11月21日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「チーム・バチスタの栄光」から始まる「田口・白鳥シリーズ(著者は「東城大学シリーズ」としているそうだ)」の第4作。今回はこれまでと違って医療の現場は出てこない。舞台は主に「会議室」だ。

 主人公はこれまでと同じ。東城大学医学部付属病院の講師田口公平。田口は旧知の厚生労働省のはみ出し技官、白鳥からの病院宛の依頼によって「医療関連死モデル事業モデル特別分科会」という会議に出席する。それは法律家の正論と大学病院の教授の愚痴に終始する退屈な会議だった。

 ただ退屈な会議は、その後に続くドラマの前哨戦で、白鳥が田口をこの会議に呼んだのもそのドラマへの布石だった。そのドラマというのは「死因究明」にあたっての、医療と司法のあり方に関する、守旧派、革新派などの様々な立場のせめぎ合い、といえる。本書ではそれを、会議という場での発言として描いている。

 本書はフィクションだけれど、俎上に載せられるテーマも統計的な数値も事実に即したものだ。やたらと「濃いキャラクター」が多く登場するので、コメディっぽく感じてしまうけれど、これまでのシリーズを通して、問いかけてきたものは、意外なほどずっしりと重いものだった、ということだ。

 前作「ジェネラル・ルージュの凱旋」のレビューで「シリーズの主題がよく見えてきたように思う」と書いたけれど、それは本書でより鮮明になった。ただし、これからどこに向かうのかは分からない。

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ツバキ文具店

書影

著 者:小川糸
出版社:幻冬舎
出版日:2016年4月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。この著者の作品は「食堂かたつむり」に続いて2冊目。

 主人公は雨宮鳩子、親しい人からは「ポッポちゃん」と呼ばれている。20代。鎌倉にある「ツバキ文具店」を、祖母から継いで営んでいる。ツバキ文具店には、文具屋以外にもう一つの仕事がある。代書屋。他人に代わって書や手紙を書く。雨宮家は由緒ある代筆を家業とする家系で、ポッポちゃんはその11代目だ。

 だいたいのことはメールで済ますことができるご時世でも、手紙の代書の依頼がけっこう来る。ただ「きれいな字で」という清書ではなく、手紙の文面を含めてという依頼。それも「お悔やみ」とか「離婚の報告」とか「断り状」とか「絶縁状」とか、かなり難易度の高いものばかりだ。

 来るお客たちは、もつれた事情をそれぞれに抱えている。だからこそ「手紙の代書」などという回りくどいことを頼んでくるのだ。そしてポッポちゃんの手紙は、そのもつれた事情をやさしくほぐす。文面はもちろん、文字の形、使う紙、筆記具、切手までに、心を行き届かせた手紙を作る。

 「食堂かたつむり」の料理が、お客の心を解きほぐすのと似ている。そして主人公自身も、もつれた事情を抱えていて、誰かに解きほぐしてもらうことを待っているのも同じ。読んでいる私の心もほぐれてくる感覚(元々大した事情を抱えているわけではないけれど)。

 それから本書はよくできた鎌倉ガイドになっている。主人公が訪れる神社仏閣はもちろん、食事に行くお店も一部を除いて実在する。映画化されれば「聖地」になるんじゃないの?と思っていたら、4月からNHK ドラマ10で、テレビドラマ化されるらしい。

参考:多部未華子さん主演「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」制作開始!

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騎士団長殺し 第1部 第2部

書影
書影

著 者:村上春樹
出版社:新潮社
出版日:2017年2月25日
評 価:☆☆(説明)

 著者7年ぶりの本格長編(「本格」にどのような意味があるのかは知らない。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は「本格」じゃないのだろうか?)

 主人公は「私」。36歳の男性で職業は肖像画家。妻に離婚を言い渡され、6年間の結婚生活にピリオドを打った。物語はその後の「私」の約9カ月のことを描く。

 傷心旅行なのか「私」は東北から北海道にかけて、車に乗っての1人旅に出る。旅行から戻って、友人の父(高名な日本画家)が使っていた、小田原の山荘に住むことになる。本人は社交的な性格ではないのだけれど、そこに色々な人が訪ねて来る。谷を挟んだ向かいに住む白髪の「免色」という名の男性とか、「騎士団長」とか...。

 私は村上春樹さんの作品のファンだ。そして村上作品には「作品に込められた隠れた意味(メタファー:暗喩)を読み解く」という楽しみ方、言い換えれば「深読み」をする人が多いことを知っている。それが結構楽しいことも。例えば私も「深読み「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という記事を書いた。

 本書もそういう「深読み」の楽しみ方ができる。「穴(井戸)」「壁」は村上作品では繰り返し登場するモチーフだし、著者自身もインタビューなどでよく言及している。「免色さん」と「色彩を持たない多崎つくる」と、「対岸の家を覗く」のは「グレート・ギャツビー」と、関係があるのかもしれない。等々。

 ただ今回は、私の方のコンディションが悪かったのか、「深読み」に気持ちが乗れなかった。「らしい」展開や人物や小物が続いて、あまりに「らし過ぎる」。「村上春樹AIが書いたんじゃないの?」なんて思ってしまった。もしくは、著者自身による「パロディ」とか?村上作品の論評に頻繁に使われる「メタファー」が擬人化して登場するし、そのメタファーに「もしおまえがメタファーなら、何かひとつ即興で暗喩を言ってみろ」とか主人公に言わせるし。

 それで「深読み」を除いてしまうと、面白みを感じられなかった。ちゃんと不思議なことが起きるので、退屈せずには読める。でも何かこう薄っぺらい感じがぬぐえなかった。☆2つは、私が楽しめなかったから付けた評価。作品の価値を表すものではないので悪しからず。

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「つくる生活」がおもしろい

書影

著 者:牧野篤
出版社:さくら舎
出版日:2017年1月15日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 サブタイトルは「小さなことから始める地域おこし、まちづくり」

 著者は今の社会を「不機嫌な社会」という。駅とか電車の車内とかの人の集まる場所の多くで、暴言や暴力や言い争いが絶えない。このイライラの原因の一つが「これまで社会の主流であった人々、とくに中年サラリーマン」の自信喪失、プライドの損傷にあるとする。

 競争しても努力しても上に上がれない。それでも比較優位を得ようとすると、誰かをつぶす(落とす)しかない。..あぁ何とも暗い気持ちになる。

 ただし本書の主題は、こうした何とも暗い話ではない。この状況の一方で「新しい動き」があって、そこでは人々は上機嫌だということだ。その主役は「これまで非主流であった、子ども、女性、高齢者、障害者」だという。そうした人たちが、何かを消費するのではなく、何かを作り出し作り出すことそのものを楽しんでいる、という。

 「やっぱりそうだよね」と思った。私は、品物やサービスを消費するのは楽しいけれど、自分で何かを作る方がさらに楽しい、と思っている。仕事で子どもたちに関わることが多く、その時に「作る側の人になる」という話をすることもある。その方が将来を考える時に役立つと思う気持ちもある。

 本書に話を戻す。紹介される事例は、住民が自分たちで道路の補修工事をする長野県下條村、現役を退いた男性たちが中心となった千葉県柏市のコミュニティ・カフェ、高校生がまちづくりに取り組む、島根県海士町や長野県飯田市など。最初は「やらされている感」があったものが、自らの意思で動くようになる。どうもそこに鍵があるらしい。

 また、タイトルの「つくる生活」というのは、目に見えるモノをつくるだけではなく、むしろ目に見えない、新しい関係や文化やそのための活動をつくる、ということ。私自身は、目に見えるモノをつくることを念頭に、「作る側の人になる」という話を、子どもたちにしていたけれど、確かに目に見えないことでも、つくることの楽しさは変わらないかもしれない。

 最後に。実は「新しい動き」の事例が紹介されるのは、本書が半分以上も進んだ第3章に入ってからだ。それまでには、高齢化社会の議論とそこから抜け落ちた問題点、「言葉」についての観念的な考察など、様々な論点が提示される。正直に言って、本書の主題との関連性がよくわからない。

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RDG レッドデータガール 夏休みの過ごし方

書影

著 者:荻原規子
出版社:角川書店
出版日:2010年5月30日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「RDG レッドデータガール はじめてのお使い」 「はじめてのお化粧」に続く第3巻。

 主人公は鈴原泉水子。熊野古道に近い山深い神社で育ち、東京郊外の鳳城学園という私立高校に進学。今は1年生。成り行きもあって生徒会執行部に所属しているが、前に出るタイプでも人をまとめるタイプでもない。ただ普通の女子でもない。彼女は「姫神憑き」という、その身に神が降りる体質?なのだ。

 今回、生徒会執行部は学園祭の企画をまとめるために、夏休みに合宿をすることになった。泉水子のルームメイトの宗田真響の地元の長野県戸隠で。高校生の男女が、避暑地に行って合宿。これが青春小説ならば、恋のひとつやふたつは生まれそうなシチュエーションだけれど..そういうことは起きない。

 真響も普通の女子ではなくて、戸隠忍者の血を引いていて、神霊を呼び出したりすることができる。合宿を言い出したのは真響で、思惑があってのことだった。その思惑が大小の事件を引き起こす。さらに、戸隠は修験の地、戸隠山は霊山。泉水子たちの行いが、封じられた「たいへんなもの」を招き出してしまう...。

 今回舞台となった戸隠に、私は少し縁があって、何度か足を運んだことがある。登場する地名やお社の名前は全部わかるし、そのあたりの雰囲気も思い浮かぶ。それが楽しかったし、「あそこなら、こういうことが起きても不思議じゃない」と思う。

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キャスターという仕事

書影

著 者:国谷裕子
出版社:岩波書店
出版日:2017年1月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 著者のことは多くの方がご存じだと思うが、敢えて紹介する。「クローズアップ現代」というNHKの報道番組のキャスターを、1993年から2016年までの23年間、基本的にひとりで務めた人だ。そしてその降板にあたっては「政府からの圧力」を取り沙汰されている。

 本書は「クローズアップ現代」の10年ほど前、著者がNHKの英語放送のアナウンサーとして雇用されたところから書き起こされている。その後、総合テレビのキャスターとしての挫折、衛星放送で鍛えられた経験などが短く紹介される。残り8割「クローズアップ現代」の日々が、著者が持つ鋭い問題意識を通して様々に綴られている。

 繰り返し言及されるのは「言葉の力」「言葉の怖さ」だ。テレビの世界にあっては「映像」こそが最大の「情報」。しかし「映像」は複雑な問題や思想を伝えることができない。そこで重要になるのが「言葉の力」。それはニュースでは視聴者に語りかけるキャスターが担う。

 しかしその「言葉」には怖さもあると著者は言う。例えば「ねじれ国会」。ただ単に、衆参の多数党が違う状態を表しただけの言葉のはずが、「正常ではない事態」というニュアンスを含む。そうすると「正常化」しようという投票行動を、意図せず誘導することになりはしないか?著者の言葉へのこだわりはこれほどにも厳密で繊細なのだ。

 とにかく示唆に富んだ言葉がたくさんある。報道や今の社会のあり方に関心がある方は、是非読んでほしい。

 最後に「政府からの圧力」について。本書を手に取った人の多くは、そのことにも関心があっただろう。ネタバレになるけれど、そのことについては明言していない。しかし「伝える仕事」を長く続けてきた著者が、何も伝えていないとも思わない。全体ににじみ出る私たちへの「警告」のニュアンスから「圧力はあったのだ」と私は感じた。

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どこかでベートーヴェン

書影

著 者:中山七里
出版社:宝島社
出版日:2016年6月8日 第1刷 7月16日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「さよならドビュッシー」から始まる「岬洋介シリーズ」の最新刊。既刊の「おやすみラフマニノフ」「いつまでもショパン」は、比較的短い期間の時系列順の刊行だったが、本書は一気に時代を遡る。岬が高校生、17歳の時の物語だ。

 主人公は鷹村亮。県立加茂北高校の音楽科の生徒。音楽科と言っても、「楽器の演奏が得意」「音楽が好き」といったレベルの生徒たちが在籍している。そのクラスに岬が転入してきた。後に見せる音楽の才能は既に開花していて、他の生徒たちとは全く別次元の技量を持って。

 イケメンで数学もできる(頭がいい)ということで、特に女子生徒の歓待を転入当初は受けた。ただ、あまりの自分との違いを、身近にいる同世代に見せつけられると、人の心は歪んでしまう。徐々にクラスから浮き上がり、岬に対する露骨ないじめまでが行われる。そんな時に殺人事件が起きる。被害者はクラスメイト。

 なかなかスリリングな展開だった。イケメンの転校生登場の導入部。豪雨による災害の中、高校生が校舎に取り残されるというサスペンスと脱出の歓喜。一転して陰鬱なトーンに..。このシリーズは「音楽が聞こえるような演奏の描写」が特長だけれど、物語の構成も4楽章からなる交響曲のようだ。

 今回、時代を遡ったことは読者にとって意味がある。それは岬洋介の過去が語られたことだ。「さよならドビュッシー」で突然に現れた天才ピアニストは、いろいろなものを背負っていた。致命的な病、父との確執。そういうことの一端が明かされる。

 こうなってくると気になることがある。本書と「さよならドビュッシー」の間には、埋められていない断絶がある。いかにして彼は再帰を果たしたのか?それが語られることはあるのだろうか?

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復刻新装版 憲法と君たち

書影

著 者:佐藤功
出版社:時事通信社
出版日:2016年10月20日 初版 11月17日 第6刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は1955年に書かれたものを復刻した「復刻新装版」だ。著者は、その時の内閣法制局の依頼によって、日本国憲法の制定に深く関わった憲法学者。その著者が、小中学生に向けて書いた「憲法の本」だ。

 1955年というのは敗戦から10年、日本国憲法の施行から8年、という時。新しい憲法がようやく社会に浸透してきたころだ。しかしその時に既に、復古主義の改憲派と、新憲法の理念を尊重する護憲派が、激しく対立していたという。今、本書を復刻しようと考えた人がいる理由がここにあると思う。

 著者自身の説明によると本書に書いてある内容は「憲法とはどういうものだろう」「それはどいういうふうに発達してきたのだろう」「日本の今の憲法はどういうことを定めているのだろう」「なぜわたしたちは憲法を大事に守らなければならないのだろう」という4つのこと。

 これは実に貴重な本だと思う。ただし正直に言って面白い本ではない。子ども向けに平易な言葉で書かれているけれど、誰でもが読める本でもない。日本国憲法の話が出てくるのは、本書を半分以上も過ぎたあたりで、ここまで読むには集中力が必要だし、そのためには憲法に対する興味も必要だろう。

 それでも私が本書を「実に貴重」だと思うのは、2つの理由による。一つ目は、本書が私たちに大事なことを教えてくれるからだ。それは特に上に書いた4つの内容のうちの最後、「なぜわたしたちは憲法を大事に守らなければならないのだろう」ということ。

 このことは、もしかしたら今、憲法を擁護している人でさえ忘れているかもしれない。簡単に要約はできないけれど、敢えて言うと「人類にとっての価値あることだから」ということになる。それは「理解する」というより「感じる」必要がある。そのためには、先ほど「ここまで読むには集中力が必要」と、まるでムダで退屈な部分のように言った、本書の前半の部分が必要不可欠なのだ。

 もうひとつの理由。本書は、日本国憲法制定に立ち会った人の証言だからだ。上には「深く関わった」と簡単に書いたけれど、著者は、GHQ草案を日本に合うようにした憲法草案作りに尽力し、憲法改正担当大臣の秘書官を務めている。その人が、その時の子どもたち(私の両親の世代だ)に伝えようとしたことだ。それは世代を経て私たちに伝えようとしたことでもある。聞く価値があるはずだ。

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大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる

書影

 

著 者:井堀利宏
出版社:KADOKAWA
出版日:2015年4月10日 第1刷 2016年12月20日 第21刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 

 書店でちょっと目を引いたので読んでみた。帯には「ついに25万部突破!」「東大生が1番読んでいる本!」という惹句。どうやら売れているらしい。
 本書は東京大学の名誉教授である著者が、東大の経済学部と大学院で教えてきた講義の内容を「初めて経済学を学ぶ」人向けに解説したもの。「ミクロ経済学」「マクロ経済学」の「必ず知っておいてほしい」と思う項目が20。1項目30分として全部で10時間、ということだ。

 

 例として項目の1つ「ミクロ経済学の基本」では、「価格と需要と供給の関係」「需要曲線」「供給曲線」「需要・供給の弾力性」の4つの小項目が解説されている。「マクロ経済学の基本」では、「マクロ経済活動のとらえ方」「GDPとは何か」「GDPに含まれないものは?」「三面等価の原則」「物価指数」の5つの小項目。

 

 「タイトル通りではない」本だった。つまり「10時間では学べない」ということ。実は、私は大学の経済学部を卒業している。決して真面目でも優秀でもなかったけれど、それでも経済学を学んだことには違いない。

 

 上に例として挙げたのは「~の基本」という項目で、これはすんなり頭に入った。でも、ほかの項目はそうはいかなかった。時間をかけてかみ砕いてようやく飲み込めるものばかりで、中にはどんなにかんでも飲み込めないものもあった。

 

 小項目ごとに「30秒でわかる!ポイント」としてグラフや図があるのだけれど、30秒でわかるのは既に知っている人だけだと思う。 まぁ東大の名誉教授にしてみれば「こんなのはキホンのキ」ということで、「読んでも分からない」ということが分からないのかもしれないけれど。

 

 ただ「タイトル通りではない」ことが、必ずしも悪いことではない。これは経済学のコンパクトな参考書になる。帯を見て、「東大生は(恐らく経済学部の学生が多いだろうから)こんなの読んでちゃダメでしょ」と思ったが、見方が変わった。ある程度本気で経済学を学びたい人にはいいと思う。

 

 1個だけどうにも不思議な一文がある。「社会全体のために個人が損をする=パレート最適」と書いてあるのだけれど、「パレート最適」の説明としてこれでいいのかな?

 

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