姑獲鳥の夏

著 者:京極夏彦
出版社:講談社
出版日:1994年9月5日第1刷 1996年6月10日第16刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、1994年に刊行された著者のデビュー作にして、その後に現在まで続く「百鬼夜行シリーズ」の第1弾。著者はこの本の原稿を講談社に持ち込んで、出版が叶ったというから、すごい新人作家の華々しい登場、といったところだっただろう。本書は、LazyMikiさんからお薦めいただいて読みました。

 この本は傑作だと思う。おもな舞台は殿様のご典医として名を成した病院。その因習に囚われた旧家を襲う陰々滅々とした風聞の数々。そのうちには真実はあるのか、あるいは名家に対する人々の嫉妬に過ぎないのか?随所にちりばめられた伏線、それを1つに結びつけて真実を鮮やかに解き明かす結末。推理探偵小説の醍醐味が、上下段組みの430ページという決して短くない長編にぎっしりと詰まっている。映画やドラマになれば評判を呼ぶことだろう。
 さらに、この本が傑作だと思う理由は、祟りだとか憑き物だとか妖怪だとかの「非科学的」な恐怖を、認知科学のウンチクを交えて論駁していく、魅力的な登場人物、中禅寺明彦こと「京極堂」を創造したことだ。彼の存在が、長く続くシリーズを引っ張って来たことは疑いない。

 しかし、この物語は私の感覚では、かなりキワドイ。新生児の死亡、婿入りした医師の失踪、20か月も身ごもったままのその妻、という事実が、様々な風聞いや醜聞の元になっている。鬼子母神の近くという病院の立地もあって、赤子喰いだとか、その祟りだとか、いやあの家はもともと...などという、ちょっと口に出しては言えないような話題が、物語の基本部分だ。さらに、事件の背景で起きていた出来事は、これまた世間で禁忌とされていることだったりする。こういったことの1つ1つに嫌悪の情を持ってしまうと、後味の悪いものになってしまう。
 京極堂は、古書店経営という職業の他に、神社の宮司であり、祈祷師の一種である「憑物落とし」をやっている。いわば、科学の対極に位置するような人物なのである。しかし「この世には不思議なことなど何もないのだよ」というセリフが口癖で、オカルト的な恐怖を理詰めで解明しようとする理論家でもある。彼が、事件にまつわる様々な気味の悪い出来事を解き明かして説明してくれるのだが、私には「それでもやっぱり…」といううすら寒さが残ってしまった。

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5つのコメントが “姑獲鳥の夏”にありました

  1. otsukaresam

    こんにちは、オツカレさんです。
    懐かしいです♪
    弁当箱のような本が面白くって買いましたよ、京極。
    自分は「魍魎の函」が好きです。
    シリーズだったとは知りませんでした。

  2. みきです。

    はじめまして、みきと申します。

    分野が違うのですが急な訪問スイマセン。
    素敵なブログですね。参考になります~

    応援^^していきます♪ぽちぽち!

  3. YO-SHI

    otsukaresamさん、コメントありがとうございます。

    そう、このシリーズというか、京極作品は「長い」のも特長だ
    そうですね。「姑獲鳥の夏」は430ページですが、シリーズの
    他の作品と比べるとまだまだ薄い。
    それでも、読み始めにはちょっと気合いが必要でした。
    (ちなみに「魍魎の匣」は684ページです。)

    —-

    みきさん、コメントありがとうございます。

    みきさんのブログも覗かせていただきました。
    これからも役に立つ情報の掲載をお願いします。

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