知事抹殺

著 者:佐藤栄佐久
出版社:平凡社
出版日:2009年9月16日 初版第1刷発行 11月26日 第3刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今、この本を紹介することに、少しためらいがある。しかし、すでに各所で話題になっているし、もっと広くもっとクローズアップされるようになるのは時間の問題だろう。
 震災と原発事故のために世の中が不安定になっている。本書は、前の福島県知事である著者が、自身の汚職事件について無実を訴える手記で、1年半前に出版された。しかしその内容は、今の不安定な現状に直接的にリンクしている。本書が真実ならば、私たちは頼れるものを失ってしまう。いや、もともとそんなものは失って久しいのかもしれない。

 汚職事件の概要はこうだ。福島県発注の工事の談合事件で、知事であった著者が「天の声」を発して工事業者を決定し、その見返りに賄賂を受け取った。その賄賂は、当該工事業者の下請け会社が、知事の弟が経営する会社の土地を市価より高く購入する、という巧妙な方法だった。

 ところが著者によると、これは東京地検特捜部の捏造だということなのだ。検察が創造したストーリーに合うように、強引な取り調べによって取った調書を積み重ねたに過ぎないという。本書出版の当時ならば半信半疑の主張だが、村木厚子さんの冤罪事件の後の今では、これが真実なのだろうと思う。それは、東京高裁の有罪判決で、認定した賄賂の額はゼロだという、前代未聞の事態からもうかがい知れる。「ゼロ円の賄賂を受け取って有罪?」司法の場では私たちと違った論理があるらしい。

 さて、本書がクローズアップされるだろう、としたのは本書の別の部分による。それは2章に分けて68ページを費やして記されている、国の原発政策との著者の戦いの部分だ。それによると、著者の知事時代の2003年に、東電が持つすべての原子炉が停止している。(上の汚職事件も、これに反発した勢力が知事を抹殺しようとした、という見方もあるらしい。)
 その発端は「原子炉の故障やひび割れを隠すため、東電が点検記録を長年にわたってごまかしていた」という内部告発だった。今、連日報道されている福島第一、第二原発の原子炉でのことなのだ。

 もちろん、今回の事故は地震とそれに伴う津波が原因だ。懸命の復旧活動にウソはないだろう。しかし、定められた点検や対策はキチンと行われていたのか?という疑問は残ってしまう。何しろ、著者が危惧し改善を求めた、東電や国の原子力行政の杜撰な体質は、今も何ら変わっていないようなのだ。今の事態は実は防げたのかもしれない、という思いが、胸の内に澱のように溜まっていく。

 「正義の砦」であるはずの検察は信頼できず、安全神話は崩壊し懸命の復旧活動を支持する心にも影が差す。確かなものが欲しい。

 ※追記(2011.4.4)
  本書は現在在庫僅少につき、入手困難なようです(Amazonも「入荷時期は未定」になっています)。しかし、著者の公式ブログによれば、増刷が完了しているようなので、近々に入手可能になると思います。

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7つのコメントが “知事抹殺”にありました

  1. 今回の福島第1原子力発電所の原子炉は、それを開発したアメリカの技術者から、既にその原子炉の脆弱性を指摘されていたそうです。東電側は補強をおこなったので安全だと云っていたらしいのですが、今回の事故ではからずも、その詭弁が明らかになりましたね。

    話が飛びますが、私の汚部屋から出てきた『原子力の恐怖』 シェルドン・シビック著 アグネ は1974年発行の本ですけれども、既に「地震と事故」について言及しています。反原発を主張する出版社ではなく、技術系の出版社から出ている本なので、水素爆発の図解などが載っていて恐ろしいです。

  2. YO-SHI

    敦さん、コメントありがとうございます。

    東電の肩を持つわけではないんですが、「詭弁」ではないんだと思うんです。

    私が聞いた範囲ですが、そのアメリカの技術者の指摘は、「炉内から冷却水が
    失われると圧力に耐えられない」というものだったと思います。
    それに対しては「減圧のための弁を取り付ける」という対策が取られ、今回、
    この仕組みは役に立ったはずです。これを開けることによって、放射性物質が
    外に出てしまいますが、原子炉の破裂は(今のところ)防止できています。

    私が気になっているのは「決められた検査や保守はちゃんと行われていたのか」
    ということなんです。「決められたとおりにやっていたら、こうならなかった」
    ということじゃないんでしょうね?という疑問が払拭できないんです。

  3. 片木慎一

    前福島県知事が原発に対して東京電力に対して、闘っていたとは知りませんでした。気が付けば日本には53基もの原子力発電所が運転中です。全ての原子力発電所に中立的な調査機関が立ち入り検査をする必要がありますね。そして世界中の国が今回の福島の教訓を学ばなくては、次がないですよね。

  4. YO-SHI

    片木慎一さん、コメントありがとうございます。

    これは想像ですが、福島県と原子力行政との交渉(あえて戦いとは言いませんが)は
    福島県内は別にして、他ではあまり報道されなかったんだと思います。
    首都圏の電気が福島で作られているなんて、今回の事故まで、首都圏の人も知らなかった
    のと同じ構造です。要するに興味がない。マスコミも伝えようとしない。

    それから、立ち入り検査は行われるのではないかと思います。記事に書いた内部告発の後、
    すべての原発を調査した結果「全停止」につながったんだそうです。
    つまり「前例あり」なんです。しかし、それが継続的に続くかどうかがまた問題です。
     

  5. じゅんちゃん

    気になっていた本を分かりやすく紹介していただき、是非読もうと思いました。
    「決められたことをキチンと実行する」ということが、高度にシステム化された社会の要諦だというお説に同感です。
    でも、これはなかなか難しいことですよね。私が働いてきた数十年を反省して、つくづく感じます。
    特に「監視」などの業務は、表面的にマニュアル通りにしていても、実は見えていないことがあったり・・・。
    難しい問題だと思います。

  6. noga

    日本人のことについて、もっとよく学ぼう。日本語しか知らない人は、日本についてもよく知らない。

    言語は、考えるための道具である。言語が違えば、考え方も異なる。

    日本人は、本当に礼儀正しいのか。
    我々の礼儀作法は、序列差法である。序列なきところに礼儀なし。
    日本語には階称 (言葉遣い) がある。
    言葉遣いの意味を身振りで表わせば、序列差法になる。

    日本人は、なぜ察し (勝手な解釈) を使うのか。
    意思は、未来時制の内容である。
    日本語には、時制がない。だから、未来時制もない。
    日本人には、意思がない。
    それで、勝手な解釈を利用する。

    日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
    恣意は、文章に表わせない。アニマル・子供に共通である。
    恣意は、相手により察しにより文章化される。
    本人には、その内容に責任がないが、それは本人の意向とされることが多い。

    日本語には階称 (言葉遣い) があるので、日本人は序列人間 (縦社会の人間) になる。
    義理 (序列関係) がすたれば、この世は闇だ。
    意思はなくても、恣意があるので、アニマル風に行動する。

    意思のない日本人は、天の声により行動が定まる。自分自身で考える力はない。
    問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
    だから、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要に迫られることになる。
    これは、昔からある浪花節でしょうね。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

  7. YO-SHI

    じゅんちゃんさん、コメントありがとうございます。

    「決められたことをキチンと実行する」ご指摘のとおり、これは
    難しいことです。わが身に照らして、実感としてそう思います。

    ルーティンワークになると、慣れや飽きから散漫になりがちです。
    また、キチンと実行することが、別の価値観や評価と衝突する場合
    には、どちらかを選択しなくてはならなくなります。

    どちらも厳しく戒めなくてはなりませんが、後者の方が問題が
    根深いように思います。
    検査の結果を公表するのが「キチンと実行する」ことであっても
    それが自らの評価を貶めることになったら...

    私の以前の上司が言っていました「悪い情報ほど早く知らせろ」と。

    —-

    nogaさん、コメントありがとうございます。

    「言語は、考えるための道具である」というご意見に賛成です。
    それ故、思考は利用する言語によって規制される、ということもわかります。

    一方で言語はコミュニケーションのための道具でもあります。
    nogaさんのコメントからは、残念ながらコミュニケーションしようという
    意思が感じられませんでした。道具の使い方が正しくないのではありませんか?

    道具の使い方でもう一つ。ネットやブログも道具です。あちこちで同じコメント
    をされているようですが、多くの場所に全く同じ文章をばら撒くのは、ネットや
    ブログの使い方としてマナー違反です。礼儀に反します。
    仮にどんな立派な意見を表明されても、あなたの誠実さを疑われます。

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