ぼくは勉強ができない

著 者:山田詠美
出版社:新潮社
出版日:1993年3月25日 発行 1996年4月5日 23刷
評 価:☆☆☆(説明)

本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の4月の指定図書。

1991年から92年にかけて文芸誌に掲載された連作短編を9編収録。
主人公は時田秀美、高校生男子。週末には男と出かけてしまう美人の母親と、散歩の途中で出会うおばあちゃんにしょっ中恋をしている祖父と、3人で暮らしている。母親は「他の子供と同じような価値観を植えつけたくない」と考えて、秀美を育てた。そのためなのだろう、秀美は学校では先生との折り合いが悪く、度々衝突する。

衝突するのは先生だけではなく、成績が学年1位の同級生や、ぶりっこ(って今も言うのだろうか?)の美少女とも衝突する。先生や優等生は、「こうあるべき」という固定的な価値観を押し付けてくるからだ。頭がよく「自分で考える」ことができる秀美は、その価値観の欺瞞や隙を察知してしまう。ぶりっこの美少女については、そのキレイな顔の下にある打算が見えてしまう。それを見逃してやることができない。

こう書くと、あちこちでぶつかる痛々しい物語を想像するかもしれないが、そういったことはあまりない。徹底した秀美目線の描写によって、理不尽な押し付けを見事にバッサリと切ってはねのける。カッコいい。読んでいて爽快感さえ感じる。しかも、先に「あまりない」と書いたが、切った刃先で自分も傷つく痛々しさが少しはあって、それが秀美のカッコよさをさらに際立たせている。

著者は「あとがき」で、「この本を大人の方に読んでいただきたい」と書いている。「時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい」とも。だからこの物語を、大人が読むとどのように感じるのかを知りたいそうだ。

分からないことを分からない、おかしいことをおかしい、と言う、「自分」を貫く秀美はカッコいい。様々な理不尽を我慢している高校生の共感を呼んだことだろう。私はノホホンとした高校生だったけれど、あの頃に読んだとしたら、共感したと思う。(今の高校生も共感を感じるかどうかは不明だけれど)。

でも、今は違う。もっと広い範囲に目が届いてしまう。例えば、成績が1番の脇山くんが、可哀想に思える。勉強を頑張ってクラス委員長を買って出る彼に、あんなひどいことをしてはいけない。
大人や世間が押し付ける「価値観」に、秀美は反発するが、秀美だって自分の「価値観」で他人を裁いてしまう。やってることは大して変わらない。考えてみれば、「自分の「価値観」で他人を裁く」のと、「自分を貫く」とは、同じ事の裏と表で、どちらから見るかで評価が変わってしまう。

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