1Z.その他ファンタジー

500年の恋人

著 者:スーザン・プライス 訳:金原瑞人・中村浩美
出版社:東京創元社
出版日:2010年2月12日第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 先日紹介した、ガーディアン賞受賞の「500年のトンネル」の続編。最初に断っておくが、前作のストーリーが深く関わっているので、前作から順番に読んだ方がより楽しめる。そして、この記事にはある程度前作の内容のネタバレがあることをお許しいただきたい。

 「500年のトンネル」の終盤、主人公で21世紀の女性のアンドリアと、16世紀のスターカーム一族の族長の息子であるピーアは、互いに魅かれ合いながらそれぞれの住む時代に戻る。その500年の時を隔てた別離から1年後、アンドリアは前の会社を辞めて、今は300キロ以上離れた街にあるパブで働いていた。そこに何とピーアが現れる。前作の大混乱の元凶とも言える、元上司のウィンザーと共に。
 部族間で激しい争いを繰り返し、「殺られたら、それ以上に殺り返す」復讐の成就を何よりも重んじる16世紀の世界。そこでの資源開発や観光事業のために、21世紀の不誠実かつ姑息なやり方で平和をもたらそうとして壊滅的な失敗を期したはずなのに、ウィンザーはまたもや500年の時を結ぶタイムチューブを開いたらしい。

 ウィンザーに言わせれば、以前はやり方がまずかった、今回はもっとうまくやる、ということなのだろう。実際、以前より忍耐強く、スターカームと親しくなるために大変な努力をしているという。確かにやり方を変えたようだ。それは徐々に明らかになるのだが、以前にも増して不誠実で危険なものだった...
 そして、アンドリアにはひと言いいたい。もっと良い選択があり、それが分かっていながら、なぜそうしないのか?著者の公式サイトに、第三作への言及がある。出版はまだ先になりそうだが、より良い結末を迎えることを望む。

この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。興味がある方はどうぞ

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500年のトンネル(上)(下)

著 者:スーザン・プライス 訳:金原瑞人・中村浩美
出版社:東京創元社
出版日:2003年6月27日初版
評 価:☆☆☆(説明)

 巻末の解説によると、英国の児童文学の二大タイトルである、カーネギー賞、ガーディアン賞の両方にノミネートされ、「ハリーポッターと秘密の部屋」「肩甲骨は翼のなごり」など、並みいる強豪を抑えてのガーディアン賞(1999年)を受賞した作品。
 「児童文学」というと、小学生(12歳)ぐらいまでの子どもたち向けの物語を思い浮かべるが、殺戮シーンや「大人の会話」もあり、本書はそういった読者を対象としたものではないと思う。解説に「昨今のティーンエイジャー向け書籍は..」と書かれているが、まぁハイティーン以上ぐらいと思った方がいい。

 舞台は、イングランドとスコットランドの境界あたりの街。時代は..21世紀と16世紀だ。タイトルの「500年のトンネル」とは、この2つの時代を行き来することができるタイムマシン(物語の中では「タイムチューブ」と呼ばれている)のことを指している。
 21世紀のハイテク企業が、次元の違うパラレルワールド間をつなぐ技術を開発し、16世紀で資源開発や観光事業を起こして大儲けしようと考えた。しかし16世紀側のこの地域は、多くの氏族が割拠する無法地帯。最も勢力が大きいスターカーム一族に、アスピリンを「エルフの白い小さな薬」として供給したりして、何とか事業のベースとなる平和を実現しようとしていた。

 しかし、21世紀のハイテク企業のあさましい目論見は簡単には実現しない。16世紀のスコットランドの長官が「スターカームとは決して握手をかわさぬことです」と忠告する。彼らは彼らの行動原理にのみ従い、他との約束を尊重する思考は持っていない。原題の「The Sterkarm Handshake」とは、ここでは「守られない約束」の意味なのだ。
 主人公は、21世紀から16世紀に派遣された女性人類学者のアンドリアと、スターカームの族長の息子であるピーアの2人。お互いに魅かれあい、この物語は2人のラブロマンスでもあるのだが、とにかく拠って立つ文化が違いすぎる。「殺られたら倍にして殺り返す」が当たり前だと思うピーアを前にして、アンドリアは葛藤の連続だ。「いい加減に気がついて21世紀に帰ったらどうなの?」と何度も私は思った。そして、物語は混迷の度合いを深めていく。

※右上のAmazonのリンクによると上巻は新品の在庫がないようです(2010.4.2現在)。他のネット書店も同様の状況でした。でも、出版社のサイトからは購入でき、表示される表紙の絵が変わっているので、改版による一時的な在庫切れかと思われます。
東京創元社の書籍検索ページ

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魔法の使徒(上)(下)

著 者:マーセデス・ラッキー 訳:細美瑤子
出版社:東京創元社
出版日:2009年11月20日第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 主人公ヴァニエルは16歳の少年。武人の家であるアシュケヴロン家の長男。長い鼻の面貌が特徴の家系だが、ヴァニエルは飛びぬけた美少年。そして武術よりも音楽の才能があり学問を好む。「自分のような跡取り」を望む父からは疎まれ蔑まれ、ひずんだ性格の少年に育ってしまっていた。
 そして彼は、魔法使者である伯母のサヴィルのところに、教育を受けるために半ば厄介払いの形で送られる。そこでも彼は孤立を深めるのだが、ついに「生涯の絆」で結ばれたタイレンデルと出会い、やがて二人は愛し合うようになり心の平安を得るが..。(ちなみにタイレンデルは男。つまり二人の愛情は同性愛。ちょっと身構えてしまうかもしれないが、登場人物たちの多くは頓着しない。読者も同じ心構えで臨もう)

 16歳とは言えまだ少年のヴァニエルが痛々しい。父からも母からも普通に得られるはずの愛を受けられず、家臣である武術指南には一方的になぶり倒される。そして大きな心の負担となる悲劇が、彼の秘められた天恵(そしつ)を開かせるという皮肉。
 物語の舞台となる場所が何度が変わるのだが、そのたびに「あるべき場所」に近づき、ヴァニエル自身も「あるべき姿」に近づいていく「前に進んでいる」感が読者には心地よい。異世界ファンタジーの秀作と言える。ファンタジー好きにはオススメだ。

 ところで、本書は「ヴァルデマール年代記」と呼ばれる著者の一連の作品群の1つ「最後の魔法使者」三部作の1つ目にあたる。「ヴァルデマール年代記」は、ヴァルデマール国建国の1000年前から建国後1376年までの、実に約2400年間の出来事を綴る時代と主人公を変えた、6つの三部作を含む20数作品が発行されている。
 本書は建国後750年あたりの時代で、主人公ヴァニエルは後の時代の作品で「伝説の魔法使徒」として言及される形で登場しているらしい。現在10作品ほどが日本語訳されているので、その読者は本書の発行によって「あのヴァニエルの少年時代」を楽しめる趣向となっているわけだ。

 どうらや海外には大人向けのファンタジー作品の豊かな鉱脈があるようだ(本書は色々な意味で「大人向け」だ)。今回はその鉱脈の1つに行き当たったような感触がある。しかし、日本語訳されている作品は、その多くが上下二分冊ですでに10作を超える。未邦訳作品はその倍以上ある。この鉱脈は奥が深い、さてどうするか?

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リリス

著 者:ジョージ・マクドナルド 訳:荒俣宏
出版社:筑摩書房
出版日:1986年10月28日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本書はなんと1895年に英国で出版されたもの。100年以上前だ。「アリス」のルイス・キャロルや「指輪物語」のトールキンに大きな影響を与えた、と裏表紙の紹介に書かれている。トールキンをして「ファンタジーの祖」という言い方をする方もいるが(私もどこかでそう言ったかもしれない)、さらに遡る先祖がいるということだ。
 実はこの本、20年ぐらい前に家族が買ったものなのだが、私が入っている「本カフェ」というSNSで友達に「読みましたか?」って聞かれたことから手に取ったもの。何度かの引っ越しや本棚の整理をくぐり抜けて、20年も眠り続けた本。それを読むことになったのは何かの縁だと思う。

 主人公ヴェインは、先祖代々続く屋敷を相続し、その図書室で出会った不思議な老人の導きで異世界へ足を踏み入れる。そこでは、荒涼とした大地に魔物が潜み、死者が眠る部屋がある、寒々しい世界。かと思えば、川が流れ、リンゴの実がなり、大人にならない子どもたちが暮らしてもいる。
 解説による後付けの知識を言えば、「リリス」はヘブライの伝承に出てくるアダムの最初の妻の名。異世界の人々や出来事の多くは、創世記の時代の登場人物や出来事と関連があるらしい。生と死の問題を扱うことも含めて、宗教的な意味合いを持った物語だと言える。

 しかし、そうした宗教的な含みを除いても本書の鑑賞はできる。この物語は「夏の夜の夢」のようなのだ。シェイクスピアのそれではなくて、夢の中の出来事がきっかけで醒めてしまうような浅い眠りの夢。異世界で、逃げ出そうとドアを開けたり、穴に落ちたりすると、夢から醒めるように元の世界に戻ってしまう。
 それに、ミミズを放り投げると蝶に変身したり、地面が盛り上がって魔物の姿になったりは、夢らしいイマジネーションの世界だ。英語の「Fantasy」に「幻想文学」という言葉を充てることがあるが、本書はまさに「幻想」そのもの。奔放なイメージが楽しめれば本書は魅力ある作品となるだろう。

この後は、書評ではなく、読んでいて思い出した本について書いています。興味のある方はどうぞ

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ウェストマーク戦記3 マリアンシュタットの嵐

著 者:ロイド・アリグザンダー 訳:宮下嶺夫
出版社:評論社
出版日:2008年11月30日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 1作目で主人公テオたちは悪役の独裁者からウェストマークの国を救い、2作目では大きな試練を乗り越えて隣国レギア王国の侵攻を押し返し、さて3作目の本書では..と期待が高まる。これまで2作それぞれ一件落着のハッピーエンドには違いない。しかし、大きな問題を抱えたままだった。それは、「君主制を残すのか、革命によって民主制を勝ち取るのか」という問題だ。ここには、著者なりの解がある。

 前作の終わりで、アウグスタ女王が代表する王室と、平民の執政官3人という統治体制に達した。君主制と民主制の中間と言うか折衷案と言うか、ひとまずの解決策には違いない。英明な女王にも恵まれ、このままで王国の平和と安定が続いてもおかしくない。しかし、多大な犠牲の上に得た平和と安定は、一夜にして崩壊してしまう。
 女王とテオ、革命家のフロリアン、今やゲリラの頭目であるジャスティン。微妙なバランスの上で成り立っていた協力関係も、結び目がほどけるようにバラバラになってしまう。事態が流動化すると、それぞれが最終的に目指すものに、それぞれのやり方で突き進んでしまう。

 今回は首都マリアンシュタットが戦禍に見舞われる、市街戦だ。前作の山岳ゲリラのあり方も凄まじかったが、今回はさらに胸を衝かれる出来事が続く。訳者あとがきによると、著者自身の戦場体験、レジスタンス支援体験に基づくものだそうだ。フィクションとして楽しむも良しだが、国のあり方、命を賭ける価値があるものはあるのかなど、深く考えさせられる物語でもある。

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ウェストマーク戦記2 ケストレルの戦争

著 者:ロイド・アリグザンダー 訳:宮下嶺夫
出版社:評論社
出版日:2008年11月30日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 ウェストマーク戦記3部作の2冊目。1冊目の「独裁者の王国」で協力して困難に立ち向かった面々が、それぞれの立場で新しい生活を始めたところから物語は始まる。巻頭に付いている地図に書き込みが増えていることで分かるように、少し舞台となる世界が広がり、そして物語は複雑さを増している。

 今回ウェストマーク王国が直面した困難は、隣国レギア王国からの侵攻だ。単純な領土争いではなく、ウェストマーク王家に対する貴族や将軍の陰謀、レギア王家内部の事情などが絡んでいるらしい。
 そして、対するウェストマーク王国側は、アウグスタ女王が率いる正規軍と、革命家のフロリアンが率いる市民軍、さらに市民軍の中には別行動をとるゲリラ部隊が、微妙な協力関係を保って迎え撃つ。前作の主人公テオは、市民軍と行動を共にする。

 「複雑さ」という点では、前作で独裁者の宰相に立ち向かうことでは一致しても「君主制を維持するのか、それも革命によって打倒するのか」という、難問を抱えたままだが、今回はさらに答えのない重い問いかけが残る。
 それは、戦争という非常時にあっての様々な行為の評価だ。戦時下の英雄も視点を変えれば残忍な殺人者に他ならない。しかし、そうしなければ仲間を祖国を守ることができないとすれば...。前作が児童書とは言え大人も楽しめるユーモアのある冒険小説だとすると、一転して本書は重い問いかけを読者に投げかける戦争小説と言えるだろう。

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ウェストマーク戦記1 王国の独裁者

著 者:ロイド・アリグザンダー 訳:宮下嶺夫
出版社:評論社
出版日:2008年11月30日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ユーモラスな登場人物、友情、成長、「そうだったんだ」という驚き、児童文学として子どもが楽しめそうなのはもちろん、大人も楽しめる。著者は、本書の出版社である評論社から、1970年代以降少なくない数の作品が出版されている。それでも私を含め馴染みがない場合は、劇団四季の「人間になりたがった猫」の原作者と言えば「ああそうなのか」と思う人もいるかもしれない。

 舞台はウェストマークという架空の王国。主人公は、印刷工見習のテオ。時の宰相カバルスはいわゆる独裁者で、文筆活動だけでなく印刷所までを弾圧し、テオがいる印刷工場も、警察の襲撃を受けてテオ自身はお尋ね者になってしまう。
 その後、口を開けばウソばかりのラス・ボンバス伯爵(伯爵というのもウソ)や、みなしご少女のミックル、革命家のフロリアンらと出会い。そして自分や国の「あるべき姿」のあり方について悩みながらも成長していく。
 脇役ながらラス・ボンバス伯爵が良い味を出している。どうしょうもないウソつきだけれども、ウソつきは悪人とは限らないし、ウソつきは信用できないとも限らない(普通は信用できないけれど)のだ。

 上に書いた通り、テオはこの国の「あるべき姿」について考える。それは難しい問いだ。革命家のフロリアンが目指すものはテオのそれとは違う。敵役のカバルスを倒せばみんなハッピー、というわかりやすい話ではない。「大人も楽しめる」とは「大人も悩む」ということでもある。
 本書は、「ウェストマーク戦記」3部作の1冊目。この1冊で紆余曲折を経て、役者たちが落ち着くところへ落ち着いた、というところだ。個性の際立った登場人物たちが、これからの2冊でどんな物語を紡ぎだしてくれるのか楽しみだ。

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アーサー王ここに眠る

著 者:フィリップ・リーヴ 訳:井辻朱美
出版社:東京創元社
出版日:2009年4月30日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

  アーサー王物語はあまりにも有名。名剣エクスカリバー、魔術師マーリン、円卓の騎士などなど。5世紀初めにローマがブリテン島から撤退した後、サクソン人の侵入などによる混乱を治めた伝説の王だ。聖杯伝説などと結びついて、様々な物語が生み出されているが、大筋において英明な王として描かれている。(例えば、サトクリフのアーサー王物語
 しかし本書は、それらの英明なアーサー王物語とは趣を異にする。少なくとも私はこのような描かれ方のアーサー王を知らなかった。著者はあとがきで「これによって「アーサー王の実像」を描き出すつもりもなかった。」と書いているが、わざわざこう書くのはこの物語が「アーサー王の実像」に見えてしまうからだ。

 本書の主人公はアーサーではない。主人公はアーサーの軍勢の末端にいる少女グウィナ。グウィナは戦乱の中でアーサーに近しい吟遊詩人のミルディンに拾われたみなしごだ。彼女が、自分の体験や聞き知ったことを綴る形で、その背景に軍勢の首領であるアーサーの姿が映し出される。
 ミルディンは戦乱を治めて平和を築くためには、1人の強い覇者が必要だと考え、その役割をアーサーに与えようと考えている。そのために吟遊詩人として、大幅な脚色や嘘によって作られたアーサーの英明な勲しを国中に広める。人々はミルディンが語る物語を受け入れる。人は信じたいと思うものを信じるからだ。(それが語り継がれて、私たちが知る伝説となるのだ。)

 登場人物の多くが、アーサー王物語の登場人物と相関している。ミルディンはマーリン、妃のグウェニファーはグィネヴィア、アーサーの兄のカイはケイ、甥のペドウィルはランスロットか?それぞれ伝説とは少し違う形でその役回りを演じる。
 すでに知っているアーサー王物語を思い描いて読むと面食らうが、物語としてはよくできている。2008年の英国図書館協会が贈る児童文学賞であるカーネギー賞受賞というから、英国人もちょっと異色のこんなアーサー王物語を受け入れたわけだ。

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吟遊詩人ビードルの物語

著 者:J・K・ローリング 訳:松岡佑子
出版社:静山社
出版日:2008年12月12日初版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 ご存じハリー・ポッターシリーズの著者による、魔法界のおとぎ話。最終巻の「ハリー・ポッターと死の秘宝」で、ダンブルドアがハーマイオニーに遺した本として登場する。お話が5つ収録されるこの本が「魔法界に実在するもの」で、それぞれの話に関するダンブルドアのメモがホグワーツの古文書館に残されていたという設定。本書は、著者がそれを人間界に紹介する、という体裁を取っていて、お話そのものと、ダンブルドアのメモと、著者の脚注が加わった形になっている。

 ハリー・ポッターを全巻読み終わっていて、物語の中で少しばかり重要な位置を占める本があって、「それがこれです」って言われれば読んでみたくなるのも自然な成り行きかと思う。実際、私も図書館の書棚で偶然に発見したので、読んでみようかなぁと思って手に取った次第だ。
 その内の1編である「三人兄弟の物語」の概要は、「死の秘宝」でも紹介されているのでご存じの人もいるだろうが、「人間は死を克服しようとしてはいけない」という戒めが含まれている。他の4つのお話にもそれぞれに教訓が含まれている。心を広く持ちなさい、他人を思いやりなさい、正直でありなさい...。言葉にすると陳腐で気恥かしいが、まぁおとぎ話とはそういうものだ。

 こども向けのおとぎ話を大人の目で見て評するのは、いかにも大人げない。だから、お話そのものではなく、ダンブルドアのメモや著者が付けた脚注などについて、少しだけ言わせてもらう。メモには、魔法界の出来事、例えば中世のマグルによる魔女狩りと魔法界の反応などと絡めて、物語の解説が行われている。そして、著者はそのメモに対してさらに解説を加える。
 まぁ大人になって素直になれなくなった私が悪いのだけれど、おとぎ話そのものもダンブルドアのメモもその解説も、結局は著者が書いているのだと思ってしまうと、1人3役が白々しく感じる。特に、著者の解説に「マクゴナガル教授は、以下の点を明確にしてほしいと私に頼んだ。..」なんていう箇所を読むと特にそう感じる。例え脚注でもファンタジーに著者自身が顔を出すのは興を削ぐと思う。
 そうそう、この本の収益は、著者らが設立した弱い立場にある子供の生活の向上を目的とする英国登録の慈善団体に寄付されるそうだ。この本の出版の目的は、この寄付行為にあるのであれば、それもまた良いと思う。

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銀竜の騎士団 ドラゴンと黄金の瞳

著 者:リー・ソーズビー 訳:柘植めぐみ
出版社:アスキー
出版日:2008年3月14日初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 銀竜の騎士団シリーズの第2弾。前作の「大魔法使いとゴブリン王」のレビューでは、「大人が読んでも読みごたえがあるという類のものではない」という意地悪なコメントを付けた。無粋なことを..と断ってではあるが、「ムリな展開」「構造が単純」などと、ホントに無粋なことを書いている。
 本書は、いくらか読ませるものになっている。詳しく紹介するわけにはいかないけれども、物語の背景が、最後になるまで明かされない謎として存在している。読者をミスリードする仕掛けもある。つまり、構造が単純ではなくなった。こうなると、多少のムリな展開もあまり気にならなくなるから不思議だ。

 登場人物は前作と同じ、前作で晴れて伝説の「銀竜の騎士団」に任命された3人、魔法使いの弟子ケラック、弟のドリスコル、盗賊の娘モイラが主人公だ。年に1度の「プロミスの祭り」の日が近づき、衛兵が2人行方不明になる。そして大人たちの様子が変だ、何だかボーっとして、心ここにあらずの感じ。ケラックの師匠の大魔法使いでさえ、いつもと様子が違う。
 モイラの父の具合が特に悪く、それを助けようとして探りを入れていくと、どうも誰かがこの街の支配を目論んでいるらしい。例によって、大人は頼りにならないので、子どもたちで事件の解決に乗り出す。

 繰り返しになるが、今回はいくらか読ませるものになっている。読みながら「前よりいいじゃん!作者も少し腕をあげたかな」なんて偉そうなことを思っていたら、訳者にによるあとがきで、真相(そんな大げさなもんじゃないけれど)が明らかになった。
 何と本書は前作と作者が違うのだ。米国では2年間に12冊も出版されていて、1人の作家ではこのペースは実現しえないので、キャラクターや世界観を設定して何人もの作家が分担して書いているのだそうだ。別の言い方をすれば、このシリーズは、次々と新しい作品を提供するという企画の「商品」だったのだ。
 ということは、3作目はまた違ったテイストの物語が楽しめる、と言える一方、1作目より2作目が良かったから3作目はさらに良くなるだろう、とは言えないわけだ。作家で本を選ぶ傾向のある私としては、ちょっと悩ましい。

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