1Z.その他ファンタジー

トムは真夜中の庭で

著 者:フィリパ・ピアス 訳:高杉一郎
出版社:岩波書店
出版日:1975年11月26日 第1刷 2000年6月16日 新版第1刷 2007年2月15日 新版第11刷発行 
評 価:☆☆☆(説明)

 先日の「空色勾玉」と同じく、「NIKKEIプラス1」の「何度も読み返したいファンタジー」にランキングされていた作品。こちらは第2位。英国の児童文学で、1958年の作品。

 主人公の少年トムは、弟のピーターが「はしか」に罹ったため、病気がうつらないように、おじさんの家に預けられることになった。その家は、昔の邸宅を区切ったアパート。友だちもいない、出かけることもできない。上の階に気難しい家主のおばあさんが住んでいたりで、あれこれ面倒くさい。トムにとっては退屈極まりない暮らしだった。

 おまけに夜は眠れない。ベッドで目を明けて、1階にある大時計の音を聞いている。この大時計は、時刻通りの回数に鳴った試しがない。ある晩には、なんと13回鳴った。13時?もしかしたらこれは「あまりの時間」があるってことかも?と思ったことがきっかけで、トムは部屋を抜け出して庭園への扉を開く。

 その扉は、昼間は庭園に通じていない。狭い空き地に出るだけだ。トムは夜になると庭園へ通うようになった。そこにはモミの木や芝生や花壇、生垣の向こうには牧場まであった。そして、邸宅に住む女主人や子どもたち、女中や園丁もいる。その中で一番幼い少女のハティと、トムは友だちになり、一緒の時間を過ごす。

 「扉の向こうは別の世界」というのは、ファンタジーにはよくある設定だ(例えば「ナルニア国物語 ライオンと魔女」では、衣装箪笥が扉の役割を果たしていた)。本書ではこれに加えて、トムが毎晩行く庭園とこちら側の時間の経ち方の違いなど、「13回鳴る時計」が象徴する「時間の不思議」の料理の仕方が上手い。読み進むうちに読者は、大きな仕掛けに気が付くことになる。

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彷徨える女神

著 者:高橋浄恵
出版社:ヘレナ・インターナショナル出版
出版日:2012年6月3日 初版第1刷発行
評 価:☆☆(説明)

 出版社のヘレナ・インターナショナル出版さまから献本いただきました。感謝。

 著者は、この出版社の恐らく親会社にあたる総合リゾート運営会社の社長。本書が第一作だそうだ。左開きの横書きの装本。1行あたり十数文字ぐらいで改行される、叙事詩のような体裁。言葉や漢字の選択にも詩的なものを感じる。

 著者からの「はじめに」のメッセージの冒頭に、「本書は、私の心に木霊する虐げられし者、圧し拉がれ不条理に声を喪う者の魂の叫びを書いたものです。」とある。その言葉どおりに、登場人物の多くは虐げられ、不条理に痛めつけられる。主人公の少年カフカスは、母に殴られ「産むんじゃなかった」と詰られる。

 カフカスだけでなく、異母妹のハイヌヴェレも「罪の仔」と石を投げられ、(ちょっと普段は口にすることのない)酷い言葉で責め苛まれる。その他にも...。このブログでも何度か言っているように、私は、子どもがつらい目にあう話は、私自身がつらくなってしまうので苦手なのだ。物語の中とは言え、著者は何故に子どもをこんなに酷い目に合わせるのだろう。

 著者の目や心には、不条理で救いがたい世界が映っているのかもしれない。本書は、カフカスやハイヌヴェレに何かを象徴させた寓話で、それを語ることで「希望」や「生きる意味」を伝えているのかもしれない。しかし、私には不条理で哀しい気持ちが残ってしまった。カフカスの短いけれど幸せな時に見た草波に、生命の力強さと喜びを感じたことが救いだった。

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バガージマヌパナス わが島のはなし

著 者:池上永一
出版社:角川書店
出版日:2010年1月25日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の5月の指定図書。

 仲間由紀恵さん主演でNHKでドラマ化された(現在放送中のNHK総合では来週最終回)「テンペスト」の原作の著者のデビュー作。第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。

 舞台は著者の出身地の沖縄・石垣島。主人公は19歳の綾乃。高校を卒業後、進学するでもなく就職するでもなく、ダラダラと日がな一日暇に暮らしている。することと言えば、道沿いにあるガジュマルの樹の木陰での、86歳になるオージャーガンマー(大謝さんちの次女という意味)ばあさんとのおしゃべりぐらい。日本的感覚で言えば、ニートの不良娘だ。

 「日本的感覚」とわざわざ書いたのは、本書は「沖縄人(ウチナンチュー)」「島人(シマンチュ)」の物語で、「日本人(ヤマトンチュー)」の物語ではないからだ。そして「島人」の感覚では、「勤勉」とか「真面目」とかを唱えるのは一種のタブーなのだ。

 しかし、その「島人」の感覚でさえ、綾乃は相当の変わり者。夢枕に立った神様にさえ、ユタ(巫女)になれと言われて、「ターガヒーガプッ(誰がやるかよ)」と返す。島の巫女は「(綾乃たちのように)あんな堕落した人生を送ることになるよ。」と言って、人々の行いを糾すぐらいだ。

 こんな綾乃の数々の不道徳・不謹慎な行いが、なぜか微笑ましい。それは、綾乃の心根が真っ直ぐだということが分かるからだろう。あるいは、心の奥では「できるならこんな風に振る舞ってみたい」と思っているからかもしれない。

 この物語では、暴力やセックスなどに対する様々なモラルが、ものすごく緩い。たぶん「島人」の感覚をデフォルメした世界観なのだろう。「モラルがものすごく緩い世界観のファンタジー」って斬新だと思う。

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魔法の代償(上)(下)

著 者:マーセデス・ラッキー 訳:細美瑤子
出版社:東京創元社
出版日:2012年2月24日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 「魔法の使徒」「魔法の誓約」に続く、「最後の魔法使者」シリーズ三部作の3作目、つまり完結編。このシリーズは、「ヴァルデマール年代記」と呼ばれる著者の一連の作品群の1つで、主人公ヴァニエルは、後の年代を描く作品の中では、「完全無欠にして最強」の「伝説の魔法使者」となっている。完結編の本書では、ヴァニエルが伝説化されるに至る経緯が描かれている。

 前作「魔法の誓約」の時に既に、味方の「魔法使者」が次々と命を落とし、ヴァニエルは、ヴァルデマール国になくてはならない人材となっていた。その状況は本書でも変わらず、加えて国王ランデイルが重篤な状態となり、ヴァニエルの双肩にかかる重圧はさらに大きくなっていく。

 それでも前半は、ヴァニエルに新しい恋人(ちなみにヴァニエルは同性愛者)が現れたり、父親との確執に融和が見られたりと、国のために身体と命を削るような長年の暮らしに対する、ご褒美のような平穏が訪れる。
 しかし、「完全無欠にして最強」と伝説化されるには、それなりのインパクトのある出来事があった。そしてヴァニエルは大きな代償を払うことになる。後半はそれに向けて突き進む。目を覆いたくなるようなシーンもある。

 異世界ファンタジーの世界観に、ずっぽりと浸ってしまうシリーズだった。このシリーズだけで完結しているのだけれど、恐らく「ヴァルデマール年代記」に登場する「伝説の魔法使者」ヴァニエルの実像、という意味付けをして初めて、このシリーズの本当の面白さが味わえるのだろう。「年代記」には20数作品もあるようだけれど、どうしたものだろう?

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闇の公子

著 者:タニス・リー 訳:浅羽莢子
出版社:早川書房
出版日:2008年9月15日 発行 
評 価:☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」で、少し前に話題になった本。

 英国の女性作家による「幻想文学」。英語にするとFantasyで、ハヤカワ文庫の分類もFT(ファンタジー)なのだけれど、日本語の「ファンタジー」という言葉ではしっくりこない。「幻想文学」が、この物語が持つ退廃的な怪しさと妖しさを表すのに適した言葉だと思う。

 主人公は、地底の王国に君臨する絶大な魔力と美貌を誇る妖魔の王、アズュラーン。彼は、地上に姿を現しては、災いの種をまき、気まぐれに人間の運命を弄ぶ。例えば、災いを招くと知っていて、地底界の宝でできた首飾りを地上にもたらす。また、自分を拒んだ娘への意趣返しに、娘の婚礼の夜に花婿をおぞましい怪物に変えてしまう。

 「退廃的」「怪しい」「妖しい」と修飾語を重ねてきたけれど、さらに加えると「エロティック」で「不道徳」だ。こんな物語が許されていいのか?と問うてみたいが、少なくとも私は許してしまった。目を背けることなく(背けられずに?)、最後まで読んでしまった。
 物語というものはかなり時代が下ってくるまでは、エロティックで不道徳なものもたくさんあったようだ。それは、アンドルー・ラングの「ももいろの童話集」を読んだ時にも思ったことだ。日本の民話を調べてみると、教訓的な改変が後世にかなり為されていることがすぐ分かる。

 そして、この物語を読んでいると「千夜一夜物語」が思い浮かんだ。短めの話が互いに関連しながら続く形式や、砂漠の国が登場する、エロティックなシーンがある、という理由もあるが、そういう明確な特徴ではなく、語りから感じる雰囲気がそう思わせるのだ。
 と思ったら「訳者あとがき」で、「これはリー版「千夜一夜物語」だ」と訳者の浅羽莢子さんの感想が披露されていて、そう意図して訳したことが書いてあった。さらには、著者本人も「千夜一夜」を意識したものだと認めているそうだ。
 英語の文体から「千夜一夜」を読みとって、私にも分かるように「千夜一夜」っぽく訳すなんて、すごい。職人技だ。翻訳という仕事は、そこまでできることなのだ。

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ストラヴァガンザ 花の都

著 者:メアリ・ホフマン 訳:乾侑美子
出版社:小学館
出版日:2006年12月20日 初版第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「仮面の都」「星の都」に続く、「ストラヴァガンザ」三部作の3作目。つまり完結編。時空を超えて別の世界に旅することを「ストラヴァガント」と言い、これまでの2作で、21世紀のロンドンから、15歳の少年のルシアン、同じ中学に通うの少女のジョージアが、16世紀のイタリアに似た国の「タリア」の街の、ベレッツァとレモーラにそれぞれ「ストラヴァガント」している。そして、今回も同じ中学に通う少年のスカイが、タリアのジリアという都市にやってくる。

 タリアの国で行われている「ストラヴァガント」研究によると、ロンドンからタリアにやってくる「ストラヴァガンテ(ストラヴァガントする人)」は、タリアで何らかの役割を担っているらしい。実際、全2作のルシアンとジョージアは、ベレッツァの女公主暗殺事件とレモーラの競馬に絡む陰謀にそれぞれ遭遇し、その解決に重要な役割を果たしている。
 敢えて「解決」と書いたが、それは一方からの見方であって、事件や陰謀を仕掛けた、タリアの実質的な支配者である「キミチー家」の側から見れば、「邪魔」されたことになる。当然復讐の機会を狙っているわけだ。それに、「星の都」のレビューに書いたとおり、このシリーズでは、敵役のキミチー家の描写が丁寧で、単なる「悪役」として扱われているわけでない。

 と、長くなったがここまでは前2作の内容。こういう一触即発の状況で、キミチー家の若者たち4組の結婚式がジリアで行われる、というのが本書の設定。タリア中のキミチー家の者が集まり、そこにベレッツァの女公主も招待され、ルシアンも同道する。不穏な空気の中で、事件は起きるべくして起きてしまう。

 完結編だけあって、著者は大きなスペクタクルを用意していた。どうして同じ中学の生徒がストラヴァガントしてくるのかも説明された。積み残しになっていた、少年たちの恋心の行方には、著者なりに考え抜いた決着が提示された。これで完結して何の問題もない。でも、まだ読みたい。掟破りでもいいから続編を書いて欲しい。

.....と思ったら?何と、あるじゃないですか! → 「Stravaganza City of Secrets

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ストラヴァガンザ 星の都

著 者:メアリ・ホフマン 訳:乾侑美子
出版社:小学館
出版日:2005年8月1日 初版第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「仮面の都」に続く、「ストラヴァガンザ」三部作の2作目。前作のレビューにも書いたが、時空を越えて別の世界に旅することを「ストラヴァガント」と言う。前作では、21世紀のロンドンに住む15歳の少年のルシアンが、16世紀のヴェネツィアに似た都市、ベレッツァに「ストラヴァガント」してきた。今回は同じく21世紀のロンドンから、15歳の少女のジョージアが「ストラヴァガント」してくる。

 ジョージアがやって来たのは、ルシアンが来たベレッツァと同じ時代の別の都市のレモーラ。レモーラとベレッツァは同じタリアという国内にある。そして、レモーラは前作でベレッツァの支配を目論んで、ルシアンらと激しく対立していた、キミチー家が支配している。
 ジョージアは、ロンドンでの生活に問題を抱えていた。義兄からの執拗ないじめを受けていたのだ。そのジョージアの楽しみは、2週間に1度の乗馬のレッスン。彼女は馬が好きなのだ。そして、レモーラは「星競馬」と呼ばれる年に1度の競馬を中心に人々が暮らす街。彼女がこの街に来たのは偶然ではない。彼女はこの街に来て果たすべき役割がある。

 本書には、キミチー家の家系図が付いている。それは、その登場人物がやたらと多いからだと思う。前作からの流れもあり、一見すると主人公のジョージアに敵対する一族ながら、準主役級の人物も何人かいる。一般的に言って、敵役の描写は平面的になりがちだと思う。しかし本書は、章や節ごとに描く人物を変えて、キミチー家の人々にもページを割き、くっきりした人物像を浮かび上がらせている。それが、前作以上に物語に厚みを与えているし、おそらくは次作「花の都」への導入にもなっているのだろう。

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ストラヴァガンザ 仮面の都

著 者:メアリ・ホフマン 訳:乾侑美子
出版社:小学館
出版日:2003年12月10日 初版第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の、ファンタジーに詳しいメンバーさんに教えてもらった本。本書「仮面の都」に「星の都」「花の都」と続く三部作。時空を越えて別の世界に旅することを「ストラヴァガント」と言い、タイトルの「ストラヴァガンザ」は、「ストラヴァガント」をめぐる一切のことをさす。本書は、時空を越えた冒険物語シリーズの幕開け、というわけだ。

 主人公は、ロンドンに住む15歳の少年ルシアン。悪性腫瘍を患っていて、病気のためか治療の副作用か、ベッドの上で口をきくのもつらい状態だった。そんな彼がふとしたきっかけで「ストラヴァガント」した先は、ヴェネツィアに似た美しい水の都ベレッツァで、時代は16世紀ごろらしい。
 ルシアンはロンドンとベレッツァを行き来するようになる。ロンドンでは病気療養中だが、ベレッツァでは健康で活動的に動き回れる。そしてベレッツァの、これまた活動的な同い年の少女アリアンナと友達になる。

 物語は、ドゥチェッサというベレッツァを治める女公主が持つ秘密と、対抗するレーマ公国のキミチー家との確執をタテ糸に、ルシアンの二重生活と彼を取り巻く人々との触れ合いをヨコ糸に織られていく。
 アリアンナを始めとして、ベレッツァの人びとがそれぞれとても魅力的だ。特に女性たちが。アリアンナ、彼女のおばさんやおばあさん、ドウチェッサを務めるシルヴィア、みんな自分がすべきことが分かっている。楽しめた。

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魔法の誓約(上)(下)

著 者:マーセデス・ラッキー 訳:細美瑤子
出版社:東京創元社
出版日:2010年12月24日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 1年余り前に読んだ「魔法の使徒」の続編。前作で、主人公ヴァニエルは「生涯の絆」で結ばれた、最愛の人であるタイレンデルを失った。その悲しい出来事で魔法の天恵(そしつ)を開かせたヴァニエルは、それから十年あまりの間、「魔法使者」として隣国との戦いの場にその身を投じていた。本書の物語は、ようやく休暇を得て首都ヘイヴンの自分の部屋へ帰り着いたところから始まる。
 28歳になったヴァニエルは、この国で「他に代わりがいない」人材になっていた。数々の勲しが吟遊詩人によって伝えられ、生きる伝説となる。しかし、部屋に戻ってきた時には、心身ともに消耗し切っていた。戦いで味方の「魔法使者」が次々と命を落とし、5人分の防御を一人で担っていたのだ。

 首都で、友人でもある王のランデイルや、師でもある伯母のサヴィルとの短い邂逅で気力を幾分取り戻した後、ヴァニエルが向かったのは、故郷であるフォルスト・リーチ。本来なら、最も心休まるはずのその場所は、自分を認めてくれない父母や、子どもだった自分を一方的に痛めつけた武道ノ師範がいる、ヴァニエルにとっては憂鬱な場所だっだ。

 物語は、前半は故郷でのヴァニエルの暮らしを抑えた調子で描く。新しい出会いがあり、父や武道ノ師範との関係は少しずつ変化する。後半は一転して、隣国の王位継承問題や、もっと大きな災いを巻き込んでうねるように進む。青年ヴァニエルの心の内面のドラマと、大スペクタクルが絶妙な具合に融合して、両方が楽しめる。

 「魔法の使徒」のレビューにも書いたが、本書は「ヴァルデマール年代記」と呼ばれる著者の一連の作品群の1つ。そして「最後の魔法使者」三部作の2つ目にあたる。「ヴァルデマール年代記」は、ヴァルデマール国の実に約2400年間の出来事を綴る長大なシリーズだ。
 もう一つ。これも前作のレビューにも書いたが、主人公ヴァニエルは同性愛者。もちろん、それはヴァニエルの人物造形に欠くことのできないものなのだけれど、気になる人は気になって仕方ないかもしれない。しかし、登場人物たちの多くは頓着していない。読者も同じ心構えで臨めばいいと思う。

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床下の小人たち(「借りぐらしのアリエッティ」原作)

著 者:メアリー・ノートン 訳:林容吉
出版社:岩波書店
出版日:1993年8月6日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 英国ファンタジーの名作ながら、「指輪物語」や「ナルニア国物語」ほどには知られていなかったように思う。しかし、昨年末ぐらいから話題になることが飛躍的に増え、あと1ヶ月すれば状況はガラッと変わっているだろう。本書を原作としたスタジオジブリ作品「借りぐらしのアリエッティ」が、7月17日に公開されるからだ。

 アリエッティは13才の女の子、お父さんのポッドとお母さんのホミリーと3人で暮らしている。英国の田舎の古い家の台所の床下で。そう、アリエッティたちが「床下の小人」なのだ。そして彼女たちは、食べ物や家具や道具など、暮らしに必要なものは何でも、床の上で暮らす人間たちから「借りて」来る。たんすはマッチ箱、いすは糸巻き、壁の肖像画は切手、じゅうたんはすいとり紙、といった具合。だから「借りぐらし」。
 一つの家の中で暮らしていても、人間たちは小人たちのことを(基本的には)知らない。人間たちに見られると、猫を飼われたり煙で燻されたりして危険なので、小人たちは外へ「移住」しなければならなくなる。そもそも借りに行くこと自体が危険な仕事なので、それはお父さんのポッドの役目、勇気と技術が必要なのだ。

 ただ、不思議に思いながらも小人の存在を受け入れてくれる人間もいる。それは、おばあさんと子ども(おばあさんの方は、自分の幻覚だと思っているんだけれど)。この家には療養のために預けられた9才の男の子がいて、前半はアリエッティたちの暮らしぶりが描かれ、中盤以降はこの子とアリエッティたちの交流が描かれる。そしてもちろんハラハラドキドキの事件も..

 スタジオジブリ作品の原作にピッタリな物語だった。宮崎駿さんが40年近く前から企画を温めていたというのもうなずける。ほのぼのとした「借りぐらし」に起きる小さな事件や冒険、子どもとの交流、そして大きな事件が物語を盛り上げる。
 さらにキャラクターが魅力的だ。ポッドは頼もしいお父さんであり、ホミリーはやさしくも気丈なお母さん。協力して生きていく姿には、理想的な家族の絵が映る。スタジオジブリの手によってさらに磨きがかかって、どんな素敵な物語になるのか楽しみだ。

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