5.ノンフィクション

フェルメール最後の真実

著 者:秦新二、成田睦子
出版社:文藝春秋
出版日:2018年10月10日 第1刷 10月30日 第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 これはちょっとユニークな本だった。

 本書は、これまで数多くの「フェルメール展」を企画してきた財団の理事長と事務局長の共著。フェルメールとその作品に関する解説とともに、フェルメールの作品に「旅をさせる」(所蔵する美術館から借り出す)ことの実際を、臨場感のある筆致で記したもの。

 フェルメールは寡作な画家で、真贋が問われているものも含めて、現存する作品は37点しかない。それらの作品を、いつどの展覧会に出品するかの決定に、大きく関与している人々がいる。著者が「フェルメール・シンジゲート」と呼ぶ人々で、著者もその一員だ。

 第3章「旅に出るフェルメール」の冒頭すぐの言葉を引用する。「ある土地で、フェルメール作品の数々が一堂に会するとき、その裏側では、額に汗して世界を飛び回り、各所蔵先と交渉し、無事に運び込むという悲願の達成まで、必死に努力した人間たちがいるのだ」これが本書の芯にある言葉だと思う。

 例えば、著者が「企画」を担当した、現在(2018年11月)「上野の森美術館」で開催中の「フェルメール展」では、9点のフェルメール作品が展示されている。所蔵する美術館にとっては、それぞれが宝物のような存在なので、滅多なことでは外に出さない(絶対に出さない、という作品もある)。

 だから、気の遠くなるような根回しと交渉を重ねて、それぞれの作品が海を越えて上野に集結し、展覧会が実現している。そのことがとてもよく分かった。

 冒頭に「ちょっとユニーク」と書いたのは、本書が言わば「賞味期限付き」の本だからだ。37点全部をカラーで掲載し、1ページを使った解説が付いている。例えば初来日の「取り持ち女」は、絵の説明の後、ザクセン公のコレクション→ナチスによる頽廃的美術品の烙印→ソ連軍による接収→東独に返還、という来歴が書いてある。他の作品には「盗難」から戻ってきた、なんてのもある。そして最後に「2018年に来日します」。

 これを読めば実物が見たくなる。実物を見るなら、開催中の「上野の森美術館」(2019年2月3日まで)か、その後の「大阪市立美術館」(2019年2月16日から5月12日まで)に行くしかない。次はいつ日本に来るか分からない。(もちろん、世界中に散らばる所蔵館を訪ねて回るという手はあるけれど)「賞味期限付き」というのはそういう意味だ。

 念のため。「賞味期限」が過ぎても、本書がとても興味深い本であることは変わらない。食べ物が「賞味期限」が過ぎても食べられるのと同じ。ただ、美味しくいただくなら期限内がおススメ。

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スノーデン 監視大国 日本を語る

監  修:自由人権協会
出版社:集英社
出版日:2018年8月22日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、2017年に東京で行われた「デジタル時代の監視とプライバシー ~市民によるコントロールのために~」というシンポジウムを翻訳、加筆修正したもの。タイトルになっているスノーデン氏はロシアに滞在中で、このシンポジウムでは、ネットを介して国谷裕子さんのインタービューに答えている。

 本書は、このスノーデン氏のインタビューの他に、3つの講演と1つのパネルディスカッションを収録。講演は、元アメリカ自由人権協会(ACLU)のスティーブン・シャピロ氏による「9.11以降の監視強化の動き」、日本の自由人権協会(JCLU)の出口かおりさんによる「日本の監視の現状」、国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏による「大量監視とプライバシー保護のための仕組み」。パネルディスカッションのパネリストは、講演者にJCLUの井桁大介氏を加えた4人。

 講演やパネルディスカッションの具体的な内容については、ここでは書かない。端的に言うと、日本の政府機関による国民の監視は、米国と比較しても大変危うい状況にある、ということが示されている。スノーデン氏のリークを発端に、米国では政府による監視を制限する法制度が、不十分ではあっても整備された。しかし、日本では令状を必要としない「任意捜査」を規定する法律がなく、ほぼフリーハンドを捜査機関に与えてしまっている。

 このシンポジウムの発端とも言える出来事が、この半年前に起きている。「日本政府が秘密裏にアメリカ政府から監視技術の提供を受けていた」ことを示す文書が発見され、NHKがこれをスクープした。事実かどうかについて、日本政府はイエスともノーとも答えていない。そのことがこのスクープの信ぴょう性を高めている。

 これに関連してスノーデン氏から気になる発言があった。「日本国内で次々と進められた、説明のつかない極めて異例な法体系の変更」についてだ。「特定秘密保護法」と、いわゆる「共謀罪」。この二つの法整備は、監視技術の提供にあたって、アメリカ政府からアメリカと同等の秘密保護を求められたことと、その監視技術を効果的に活用するための準備が、その理由だと言う。この説明が胸に落ちた。そのことに一層うすら寒い思いがした。

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「南京事件」を調査せよ

著 者:清水潔
出版社:文藝春秋
出版日:2017年12月10日 第1刷 2018年4月20日 第4刷
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 本書は、2015年に放送されたテレビ番組、NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」の基になった調査内容を中心にまとめたもの。この番組は2016年のギャラクシー賞優秀賞、放送人グランプリ 準グランプリなどを受賞。著者は雑誌記者からテレビ局の報道記者に転身した人で、その調査報道によって数多くの賞を受賞している。

 「なかった」と主張する人も含めて「南京事件」や「南京大虐殺」と呼ばれる出来事について、「まったく知らない」という人はいないと思うけれど、一応説明する。それは1937年に日本軍が南京を占領した際に起こした(とされる)虐殺事件のこと。被害者の数は、中国の主張では30万人。

 この「南京事件」に、報道記者である著者は、調査報道の手法で取り組む。つまり、関係者に会って話を聞き、資料や記録を探し出して調べ、それで分かったことの真偽を確認するために、別の方法で「裏取り」する。気が遠くなるような作業だ。

 例えば。日本軍の兵士の日記を活字化した本が見つかる。その日記には「捕虜を5千人、揚子江の沿岸で機関銃で射殺した。その後、銃剣で思う存分に突き刺した。年寄りも子どもも居る。一人残らず殺す。」といったことが書いてあった。

 著者はこの本の発見後、日記を活字化した編者に会って日記の現物を確認する。続いて、日記を書いた当人が本当に存在すること、日記で当人が乗船したとする輸送船がその記載通りに運航されていたこと、などを丹念に調べる。日記にインクが使われていたので、戦場で万年筆が使われていたことまで確認している。

 帯に「これが「調査報道だ!」と書いてあるが、まさにそのとおり。日記は1人分だけではない。実に31人分もの日記が発見されている。多くの記述が合致している。相反する記述はない。戦後になって撮られた証言インタビューも残っている。誰がどう取り繕おうと「なかった」ことになどできない。

 しかし「できない」はずなのに「南京事件」は不毛な議論に陥りやすい。著者はその理由に行き着き、こう述べる。「私は「南京事件」という舞台で衝突していたのは「肯定派」と「否定派」だと思っていた。しかしその真の対立構図は「利害」と「真実」だったらしい。」

 否定する人は「あっては困る」から否定している。そんな人に証拠を示しても何にもならない。むしろ「さらに困る」ので、もっと強硬になるだけだ。

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悪だくみ

著 者:森功
出版社:文藝春秋
出版日:2017年12月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 表紙は、安倍昭恵さんのFacebookに「男たちの悪巧み」という言葉とともに投稿された写真。安倍総理と加計孝太郎さんの二人以外は暗く不鮮明に加工されている。サブタイトルは「「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞」

 著者は(今となっては数多くの疑惑の一つになってしまったけれど)、下村博文さんが文科大臣時代の2年間に、下村氏の後援会組織主催のパーティ券200万円分を、加計学園が購入していながら、政治資金報告書に記載していない事実を明らかにしたフリーライター。本書で、大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。

 加計学園の問題については、面会した当事者の一方による文書が明らかになるも、安倍総理周辺のもう一方が「記録も記憶もない」と否定することが繰り返されている。中には「ふと思ったことを言った」、つまり「嘘ついてました」なんて人までいる。だから大体のところは「事実らしいこと」は明らかになっている。

 その既に明らかになっている「事実らしいこと」を再確認するだけなら、あまり意味がないが、本書にはまだ広くは知られていない(少なくとも私は知らなかった)事実がたくさん記されている。これは、もっと共有すべき情報ではないかと思った。

 例えば。加計学園問題は当初「第二の森友学園」と呼ばれていた。しかし安倍昭恵さんは、森友学園の小学校の名誉校長より前に、加計学園のこども園の名誉園長になっていた。昭恵さんは「見学に行ってみてはどうですか?」と、籠池夫妻にそのこども園を紹介までしている。森友学園は加計学園を倣った「第二の加計学園」だったのだ。

 例えば。2004年に千葉県銚子市に加計学園の千葉科学大学が開校。この大学の開校に当たっては、内閣官房副長官だった安倍さんが、地元との揉め事の仲裁までしたと言われる。大学側は「将来の総理がバックアップする学校です」とPR。そして加計学園は、この大学新設の時点ですでに「獣医水産学部」を構想していた。

 例えば。加計学園の小学校と米国の小学校の姉妹校提携に絡んで、安倍昭恵さんと下村博文さんの奥さんの今日子さんが、加計孝太郎さんとともに何度も訪米している。...。まだまだある。

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世界史で読み解く現代ニュース

著 者:池上彰、増田ユリヤ
出版社:ポプラ社
出版日:2018年4月 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「未来へのトビラ」という全5巻の「10代の読者におすすめの本を厳選」した選書の中の1冊。元は2014年に刊行された同名の新書で、それにルビを加えて選書化したもの。

 著者は二人。池上彰さんはもう紹介の必要がないだろう。増田ユリヤさんは、高校で歴史を27年間教えていた元教師。最近はコメンテーターとしてテレビにも出演されているそうだ。本書は、増田さんが「世界史をわかりやすく解説」、池上さんが「その世界史が現代とどうつながっているかを解き明かす」という役割分担になっている。

 テーマは4つ。「中国の海洋政策と鄭和」「中東の民族紛争とオスマン帝国」「世界の人権意識とフランス革命」「地球温暖化と産業革命」。「○○と□□」という形にまとめてみた。「○○」が現代ニュース、「□□」が世界史上の出来事。

 それぞれの「○○」と「□□」には、地域性や意義に関連があって、違和感を感じない。しかし例えば、中国による南沙諸島の実効支配を報じるのに、鄭和を持ち出すニュースは見たことがないし、イスラム国やシリアの内戦をオスマン帝国から解説するのは、専門的な番組でなければできないだろう。

 ひとつ特筆すると「オスマン帝国」は、中東情勢だけでなく、旧ユーゴ内戦などのバルカン半島情勢や、ウクライナ紛争などのクリミア半島情勢にも関係している。ということを本書で初めて知った。オスマン帝国は中世の歴史に登場するので「歴史上の国」というイメージだけれど、実際は第一次世界大戦後の1922年まで存続していた。100年前のその崩壊が現代に影を落としている。

 とても勉強になった。分かりやすくするための単純化があって、いわゆる専門家の目からは問題点が見えるかもしれないけれど、「10代の読者」がこれを知る意味は大きい。もちろん大人も知っておくべきだと思う。現代のニュースは、「今だけを切り取って欧米の視点から見た」ものに偏っている。これでは本質が分からない。

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原発ホワイトアウト

著 者:若杉冽
出版社:講談社
出版日:2013年9月11日 第1刷 12月10日 第9刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 帯に「現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!」と大きな赤い字が躍っている。著者はインタビューで、この小説を書いた理由を尋ねられて「いかに国民不在で再稼働と原発推進に向かって進んでいるのかをできるだけリアルに国民の方に伝えたかった」と答えている。

 主な登場人物は3人。日本電力連盟常務理事の小島巌。関東電力の総務部長を経て連盟に出向している。元民放テレビ局アナウンサーの玉川京子。現在は再生エネルギー研究財団の主任研究員。そして、資源エネルギー庁次長の日村直史。キャリア官僚として政財界のウラにまで通じている。

 短いプロローグの後、2013年の参議院選挙の投開票日から物語は始まる。結果は「保守党」が大勝し、衆参両院で過半数を占めることとなった。その夜、小島は「これからの課題」として3項目をレポート用紙にしたためた。「再稼働」「電力システム改革の阻止」「世論対策」。

 物語はこの後、原発の再稼働を目論む小島と日村らの暗躍と、再稼働阻止に動く玉川の動きを描く。この「再稼働か阻止か」のせめぎ合いは、現実がそうであるように「再稼働」が勝つ。物語は、さらにその先を描く。「現実に起きる」と十分に想定できる未来の一つが描かれている。

 ここに書いてあることが真実だとは言わない。しかし著者は「私が直接見聞きしている事実と間接的に見聞きしている事実を元に書いた」と言っている。それに本書で描く、「総括原価方式」を基にした集金・献金システムや、デモ潰しの手法は、詳細かつ具体的で説得力がある。昨今のニュースで思い当たる節もある。

 随所に国民をバカにしたひどいセリフや場面があって、読んでいて顔をしかめてしまうのだけれど、それさえも「あり得る」と思ってしまう。すでにベストセラーだけれど、もっともっと多くの人が読むといいと思う。

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インターネットは自由を奪う

著 者:アンドリュー・キーン 訳:中島由華
出版社:早川書房
出版日:2017年8月25日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 インターネットによって、私たちの生活が便利で快適になった。しかしその裏では様々な悪弊や破壊が起きている。本書はそういったインターネットの負の側面をあぶりだす警告の書。原題は「The Internet Is Not The Answer」(インターネットは解決策じゃない/日本語のタイトルは内容をうまく表せていないと思う)。

 タイトルでわざわざ「解決策じゃない」と謳っているのは、「解決策だ」と思っている人がいて、それがある程度は世間に認められているからだ。インターネットは、「一般の人々に発言権」を与え「多様性」と「透明性」をもたらす。あるいは「社会的・経済的機会」を「平等に広く行き渡らせる」。それは違う、と著者は声高に言う。

 著者によると、シリコンバレーの企業家に、こういうインターネットを礼賛する人が多いらしい。著者自身もシリコンバレーで起業経験があり、現在も起業家や投資家を相手としたサロンを運営している。そこで出会う人々は、疑うこともなく「インターネットが世界を良くする」と考えているそうだ。

 ところが実際に起きていることは、とてもそうとは言えない。経済格差・文化格差は広がり、多様性は損なわれている。皆が知っている分かりやすい例でいうと、アマゾンが書店をドンドンと廃業に追い込んでいる。米国の研究所の調査によると、売上高1000万ドル当たりの従業員数が、実店舗のある書店では47人、アマゾンは14人。米国で2万7000人の雇用を破壊した計算になるそうだ。

 問題視すべきなのは、経済的な破壊だけではない。グーグル、フェイスブック、ツイッターは、私たちの「ライフログ」をお金に換えている。「いつ誰とどこに行ったか」「何を買ったか」「どんなことに興味があるか」。彼らの事業は「個人情報」という商品を生成する工場のようなもの。私たちは、検索したり投稿したりすることで、せっせと商品を生成する。その工場でタダ働きしているようなものなのだ。

 というような、インターネットとシリコンバレーの企業家についての、とてもネガティブな情報が満載。冒頭に書いたように「私たちの生活が便利で快適になった」ことは事実で、そのことにほとんど触れられていない本書は、その意味ではバランスが悪い。しかし、これは知っておくべきこと、意識しておくべきことだと思った。

 最後に覚えておきたい一文を。「彼らのような伝道師がおかしている間違いは、インターネットのオープンな分散型のテクノロジーが、そのまま社会の階層構造および格差の解消につながると決めつけている点である

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ギリシア人の物語2 民主政の成熟と崩壊

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2017年1月25日発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「ローマ人の物語」の著者による新シリーズの第2弾。読むのが2年ほど間が空いてしまったけれど、「ギリシア人の物語1 民主政のはじまり」の続き。

 前作では、スパルタとアテネの成り立ちと、2度にわたるペルシア戦役を描いた。そのペルシア戦役が、前480年のサラミスの海戦、前479年のプラタイアの戦いで、ギリシア諸国が圧勝して終結する。本書はそれから10数年後の前461年に、ペリクレスがアテネを率いるようになった年から始まる。

 その時ペリクレスは34歳。若くはあったけれど、家柄と才能に恵まれていた。いくつかのピンチを乗り越え、時にはそれをチャンスに変えて、アテネと、アテネを中心とするエーゲ海諸国の同盟である「デロス同盟」を治めた。対抗するスパルタとペルシアの王が、共に同年代の英明な人物であったことも幸いした。

 このペリクレスの死までが第一部「ペリクレス時代」。本のタイトル「民主政の成熟と崩壊」をなぞると「成熟」の部分。とすると、第二部「ペリクレス以後」は「崩壊」の部分になる。著者によると、アテネは50年かけて築きあげた民主政下の繁栄を、半分の25年で台無しにしてしまう。

 その第二部は、ペリクレスを代父に持つアルキビアデスを中心にして描かれる。彼も若くしてアテネの指導的立場に立つが、遠征先で本国から告発され、逃亡・亡命、さらに別の場所へと、波乱に富んだ人生を送る。その間にアテネの国力は、そぎ落とされるように弱まっていく。

 著者が描く歴史作品はやっぱり面白い。2500年前の出来事が生き生きと感じられる。エッセイなどでの政治的な発言には、私は同意しかねるのだけれど、それとこれは分けて考える。面白いものは面白いし、好きなものは好きだ。

 「分けて考える」と言った直後に恐縮だけれど、本書を読んでいて、著者の政治的な発言の背景が垣間見えた気がする。著者は「何かを成した人」を高く評価する。そして「成さずに批判した」人には特別に厳しい。

 デマゴーグ(扇動者)が現れて、アテネは「衆愚政」に陥ってしまう。そのデマゴーグの筆頭が、ペリクレスを公金悪用罪で弾劾して名を上げた人物なのだ。現代に置き換えれば「何かを成す人」は政権側の人で、その問題点を追及する野党はデマゴーグ、少なくとも著者にはそのように映っているのではないかと。

 最後に。気になった言葉を。「自信があれば、人間は平静な心で判断を下せるのである。反対に、不安になりその現状に怒りを持つようになると、下す判断も極端にゆれ動くように変わる。こうなってしまうと、民主政の危機にはあと一歩、という距離しかない。

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福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」

著 者:NHKスペシャル「メルトダウン」取材班
出版社:講談社
出版日:2017年9月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、NHKスペシャルの「メルトダウン」という6回シリーズの取材班が、福島第一原発の事故について、6年間にわたる取材によって明らかになったことを1冊の本にまとめたもの。タイトルの「失敗の本質」は、言うまでもなく、大東亜戦争時の日本軍の戦い方を研究した名著「失敗の本質」を倣ったものだ。

 かの本は、旧日本軍の失敗の研究成果を、現代の日本への教訓として活用することを目的とした。同じように本書は、福島の事故を将来の日本への教訓として生かすために、あの時の真相と深層を記録する。

 取材班がまず着目したのは、1号機に付いていた冷却装置の「非常用復水器」だ。英語でアイソレーション・コンデンサー(Isolation Condenser)、通称「イソコン」。電源がなくても原子炉を冷却できる。全電源を喪失した今回の事故のことを考えると切り札的な存在だ。

 この切り札の「イソコン」が有効に働かなかったことが、最大のターニングポイントになった。1号機の冷却が進んでいれば、水素爆発もメルトダウンも起こらなかった、と考えられている。では「イソコン」は動かなかったのか?否、ちゃんと起動した。故障してしまったのか?否、予定通りに動作した。では、なぜ?

 答えをここに書くのは簡単なのだけれど、敢えてそうしない。答えだけを知ると、その原因を作った誰かの「責任」だと思うだろう。その誰かを「犯人」にしてしまうに違いない。でも、この本はそうしたことを望んでいない。本書を読めば犯人探しが目的ではないことは、はっきり分かる。

 それは、特定の誰かが「悪い」と決めたところで「将来の日本への教訓」にはならないからだ。必要なのは「なぜそれが起きたか」「どうすれば防げたか」だ。海水注入を中断させたのは「何と菅総理その人だったのです」なんてメルマガに書いた人がいた。「犯人」を特定して晒して得意がる低俗さを、本書は持ち合わせていない。

 ちなみにこの「海水注入中断」問題についても、本書にとても詳細に記されている。取材班の取材の執拗さから考えて、これがおそらく真相だ。5年半経って重要な事実も判明したのだけれど、これがけっこう切ない。

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日本会議の研究

著 者:菅野完
出版社:扶桑社
出版日:2016年5月1日 初版第1刷 6月1日 第4刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 昨年のベストセラーで、今年の初めに東京地裁で出版差し止めの仮処分が決定され(後に取り消し)、より一層話題になった本。だから「今さら」感はあるのだけれど読んでみた。(昨年の6月に購入したものの紛失してしまった。ひょっこり出てきたので)

 「日本会議」は、公式サイトによると、「教育の正常化や歴史教科書の編纂事業」「伝統に基づく国家理念を提唱した新憲法の提唱」などを行っている民間団体。それ意味するのは、「いわゆる自虐史観を改めた歴史認識や、個人より国家を優先させる」ことであり、「明治憲法の復元」。「言葉」は物事を表すのと同時に、本質を粉飾することがある。

 まぁ「日本会議」の名前を知っている方なら、これぐらいのことはご存知だろう。さらに言えば民間団体がどんな思想で活動しようと、基本的に問題視されるべきではない。問題は、この団体の主張と安倍政権の政策が気持ち悪いぐらい一致していることだ。

 実は一致しているのは当然で、第3次安倍内閣の閣僚19人のうち16人が「日本会議国会議員懇談会」のメンバー、官房副長官や首相補佐官も5人がそうだ。本書の言葉を借りれば「日本会議のお仲間内閣」なのだ。

 「たくさんいる」と官房長官が繰り返し言っていた「集団的自衛権を合憲とする学者」は3人だった、ということを覚えている人は多いと思う。それは全員、日本会議の関連団体の幹部だった。もっと見逃せないのは、最高裁の元長官も複数が団体の幹部として加わっている。

 この他にも、この国の中枢の様々な場所に、日本会議と志を同じくする人がいる。日本会議の面々はもう何十年もこの活動を続けている。その淵源をたどるとある宗教者に行きつく。本書を読めば、これらのことが説得力を持って分かる。そして背筋が凍る想いがする。

 本書を「結論ありき」だ、「トンデモ本」だと批判する方がいるのは知っている。著者の経歴や人格を問題視する人がいるのも知っている。だけれど、私は、本書に書かれていることは「事実に近い」と思う。

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