極北クレイマー

書影

著 者:海堂尊
出版社:朝日新聞出版
出版日:2009年4月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 描かれているのはかなり深刻な医療崩壊だけれど、物語としては気楽に楽しめた本。

 海堂尊さんが描く物語世界「海堂ワールド」の作品の中で、登場人物が「北の案件」と度々口にする。その「北の案件」の始まりが、架空の都市である北海道極北市を舞台とした本書であるらしい。海堂ワールドの踏破に向かって、新しいシリーズを読んでみることにした。

 主人公は今中良夫。外科医になって8年目。極北大学の医局から極北市民病院に派遣された。実は極北市は観光誘致に失敗し、その際に建設したスキー場やホテルなどの負担が財政を圧迫、財政破綻を噂されている。市民病院も赤字で、財政を圧迫しているという意味では同じだ。

 物語は、極北市民病院を舞台として、その病院のありえない体たらくが次々とあらわにする。ナースステーションではカーラーを髪に巻いた看護師が煎餅をかじっている。病室では患者が床ずれを放置されている院内の薬局では勤務時間中も薬剤師がずっとテレビを観ている。事務長は院長の言うことをまったく聞かない。

 そんな病院を派遣されてきた今中が、摩擦を起こしながらも改善していく...そんな物語かと思ったらそうではない。そういうことは、今中より1か月ほど後に赴任してきた、皮膚科医がやってしまう。その皮膚科医の名前は姫宮香織。

 姫宮は、これまでの海堂作品でも登場した「超優秀なのにトンデモな」官僚で、これで作品世界がつながった。その後に、この極北市民病院での出来事は、医療と司法の対立という大きな策謀に巻き込まれ、まさに「北の案件」になる。

 続編「極北ラプソディ」を読むのが楽しみだ。

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麒麟児

書影

著 者:冲方丁
出版社:KADOKAWA
出版日:2018年12月21日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「腹が据わっている」というのは、こういうことだな、と思った本。

 幕末の江戸城無血開城を導いた、勝海舟(麟太郎)と西郷隆盛(吉之助)の会談とその前後を、勝海舟の視線で描いた物語。

 物語は、天皇が自ら発せられた詔によって、官軍五万が幕府軍を討伐するために、江戸に向けて進軍してくるさなかに始まる。幕府の軍事取扱であった勝は、官軍の東征大総督府参謀であった西郷に届けるべく、山岡鉄太郎と益満休之助の2人に書簡を託す。山岡はかつての尊王攘夷派の志士で、益満はなんと薩摩のスパイだった男だ。

 物語の進行は史実に沿っていて、その枠の中で勝と西郷のやり取りと、勝の心持ちが自由に創作される。勝と西郷、西郷に遣わされた山岡や益満を含めて、4人の主要な登場人物がとにかく熱く、そして腹が据わっている。「禅の息吹き」という呼吸法が随所に出て来るのだけれど、気力をためる時も激情を抑える時も、その呼吸法で己をコントロールする。男のドラマにしびれる。

 明治元年が1868年で、昨年は「明治150年」などといって明治維新が注目された。そうでなくても日本人は幕末-明治維新のドラマが好きなようで、この20年ほどは2年から数年おきに大河ドラマになっている。「新しい時代の始まり」を感じられるからだろう。

 その中で本書に特徴的なことがある。官軍は私利私欲から「必要のない戦い」をしている、とみている点だ。それは主人公である勝の視点が「幕府より」であったからではなく、「高い位置から俯瞰した」視点を持っていたからのようだ。その視点を持っている人は稀だった。官軍からの使いと勝の印象的な会話が、それを物語っている。

勝:おれの主人はね、日本国民なんだ(中略)このあとの国を担ってくれるはずの、全ての日本人さ。
官:で、その日本人というのは、具体的に、どの藩とどの藩の者のことをおっしゃるのですか?

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ロウソクの科学

書影

著 者:ファラデー 訳:竹内敬人
出版社:岩波書店
出版日:2010年9月16日 初版
評 価:☆☆☆(説明)

 これを読んで科学に目覚める人がいる、ということがよく分かった本。同時に自分が読んでいたらどうだったか?は少し疑問。

 ノーベル化学賞が決まった吉野彰さんが、化学に興味を持つきっかけになったのが、小学校4年生の時に先生が薦めてくれたこの本だった、とおっしゃっていたので読んでみた。

 「訳者前書きに代えて」に本書の経緯が書いてある。本書はファラデーが行った「青少年のためのクリスマス講演」の講義録。クリスマス講演は、ファラデーが英国の王立研究所の所長に就任後、1826年に始めた企画で、それはなんと今日まで続いている。そして本書の元になっているのは1860年の講演。

 「ロウソクに火をつけると燃える」。しごく当たり前のことだけれど「それはどうしてか?」という問いを建てることで、科学への入口の扉が開く。

 燃えているロウソクをよく観察すると、ロウソクの先はお椀のようになって、中に溶けたロウソクが液体として溜まっている。その液体が「毛管引力(今で言う表面張力)」で芯を上る。上昇したロウの成分は熱せられて気化し、炭素と水素に分解され、それぞれが空気中の酸素と結びついて、二酸化炭素と水が生成される。ロウソクが燃えて明るいのは炭素が燃えて光るからだ。

 このことを、(1860年の)青少年に分かるように、たくさんの実験を時間をかけて(おそよ4回分の講演を費やして)説明する。ちなみに最初の「お椀のようになって..」の「お椀がどうしてできるのか?」も、炎が起こす上昇気流で説明している。徹底的に「それはどうしてか?」を追求する。だからとても時間がかかる。でもとても楽しくワクワクする。

 「文献・資料」に書かれていて気がついたけれど、本書で行われた実験の多くは、今の小学校・中学校・高校の理科や化学の授業で取り上げられている。科学の世界は日進月歩だけれど、160年前から変わらないこともある。そのことに敬意と信頼を感じる。

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べらぼうくん

書影

著 者:万城目学
出版社:文藝春秋
出版日:2019年10月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 後輩の面白い身の上話を聞いているような気になった本。

 著者が大学受験に失敗した瞬間から、予備校、大学、就職して会社員、無職を経て「鴨川ホルモー」でデビューするまでを綴ったエッセイ。初出は「週刊文春」に連載。

 「あとがき」によると、著者は「おもしろいエッセイとは、人がうまくいっていない話について書かれたもの」という価値観を抱いているそうだ。翻って自分は作家として「そこそこ、うまくいっている」わけで、エッセイ仕立てにしたところでおもしろいわけがない、とも。

 それなのに週刊誌への連載を引き受けたのは、デビューまでは「うまくいっていない」からだ。大学受験で落ちる。一浪して京都大学に合格、しかし就職活動は全滅。留年して再び落ちまくったけれど1社から内定を得て就職。しかし仕事が合わす、小説家になるために退職、無職に。その時点で、何かの文学賞での受賞はおろか応募さえしていない。もっと言えば、大学生の時に書いた作品の他には、1編の小説さえ書き終えていないのに...。

 著者のエッセイでは、私は「ザ・万歩計」が大好きだ。とにかく笑わせてもらった。爆笑。本書は「爆笑」とはいかなかった。それは著者が面白くなくなったわけではなくて、視点が少し違うからかと思う。「面白い話を面白おかしく」だけではなくて、「万城目学の意見」を感じる。

 例えば、入社式後の役員との会食で。幹部(男性)の両側には必ず女性が座るよう先輩社員が指示を出した時。著者の意見は「気色わる」。滑稽極まりない構図を嫌がらないお偉方たちは「駄目だこりゃ」だ。この会社は実名がでていないけれど、それはすぐに分かる。

 その他にも、就職活動中の面接官のみっともない有様は、いくつか企業名が実名で記されている。これ大丈夫なのか?と思ったけれど、まぁ「文春」ならそんなことは気にしないか。

 最後に。著者の京都評を。言わんとすることがよくわかるので。

 常に何かをしなくてはいけない、動かなくてはいけない、とけしかけてくる東京とは正反対の街だった。京都はいつだって何も言ってこない。

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一日一生

書影

著 者:酒井雄哉
出版社:朝日新聞出版
出版日:2008年10月30日 第1刷 2019年3月30日 第33刷
評 価:☆☆☆(説明)

 自分は「まだまだだ」と思った本。

 2008年の本が再び注目されているのは、冤罪で長期勾留された元厚生労働省事務次官の村木厚子さんが、今年の1月にテレビの番組で「この本に救われました」と紹介したから。帯にもそう書いてあるのを見て読んでみようと思った。

 著者は酒井雄哉師。僧界の最高位である大僧正にして、荒行である千日回峰行を満行した大行満大阿闍梨となる。しかも千日回峰行を2回も満行。これは千年を超える比叡山の歴史で3人しかいないらしい。

 タイトルの「一日一生」は、「今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる」ということ。だから今日失敗したからって落ち込むことはない。今、自分がやっていることを一生懸命に忠実にやることが一番。

 「自分はまだまだだ」と思うのは「一日一生」が心に沁みないからだ。「明日はまた新しい自分」なんて、「Tommorow is another day」のスカーレット・オハラみたいだと、余計な事を思って、その言わんとすることがスッと入って来ない。

 念のため言うと、私も一応頭では分かっている(つもり)だ。著者は「繰り返し」について何度も言及している。それは7年かけて4万キロを歩く千日回峰行から得たことだと思う。4万キロを思うと途方もないけれど、一歩一歩右足と左足を交互に出すことに集中することで達成に近づく。7年も一日一日の繰り返し。村木さんは一日ずつ気をしっかりと持って164日間の勾留を耐えた。

 自分はまだまだだ。「一日一生」が心に沁みるには修練が足りない。でもたぶんそれも喜ぶべきことなのだろう。
 

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ひとりごはん 焼鳥ざんまい

書影

著 者:グリコ、福丸やすこ、ただりえこ 他
出版社:少年画報社
出版日:2019年9月23日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 食べ物とコミックって相性がいいんだな、と思った本。

 友達に教えてもらって、ちょっと興味を持ったことがあって買って読んでみた。

 本書は「ひとりごはん」という、隔月刊のコンビニコミックスの第26巻。タイトルのとおり「ひとりで食べるごはん」を描いたいろいろなストーリーが満載になっている。巻ごとに特集テーマがあるらしく、今号は「愛しの焼き鳥」「白いご飯と、おかずと。」「おうちアヒージョ」の3つがテーマで19作品を収録。

 私が「ちょっと興味を持った」のは「焼き鳥」。私が住んでいる街には、にんにくと醤油ベースのタレに浸けて食べる「おいだれ焼き鳥」が名物になっている。(「タレに浸けて」は「タレを付けて」の誤りではなく、焼き鳥の串をコップに入ったタレにドボンと浸ける。「タレを付ける」店もあるけれど)。なんとその「おいだれ焼き鳥」が巻頭カラーのマンガになっている。

 「名物」の話をしたけれど、食べ物というのは、ふるさとの味、おふくろの味、あの時食べたあの料理、などと、思い出やもっと心の深いところとつながっているものも多い。本書には、そのあたりを描いた、しみじみと心を揺らされる作品が次々と登場する。巻頭カラーの作品もそうだった。涙腺がユルユルになってしまう。

 食べ物のもうひとつの特長は、ビジュアルが映えること。描き方が上手いと生唾が出てくるほど美味そうに見える。美味そうだしストーリーは感動的だしで、これはウケるはずだと思った。

 ひとつだけ気になったこと。19作品の全部で主人公が女性。どうして?

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美しき愚かものたちのタブロー

書影

著 者:原田マハ
出版社:文藝春秋
出版日:2019年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 ワクワクする物語。読み終わって感謝の気持ちが湧いた本。

 主たる主人公は田代雄一。終戦後の日本を代表する美術史家。東京美術学校教授、帝国美術院附属美術研究所所長などを歴任。第二次世界大戦後にフランス政府に接収された「松方コレクション」の返還交渉の任にも当たった。物語は、その返還交渉に向かう場面、それを時の内閣総理大臣である吉田茂から依頼されるエピソードから始まる。

 先に田代のことを「主たる主人公」と紹介したけれど、この物語は何人かの群像劇のようになっている。1953年と1921年を行き来しながら、さらに登場人物の回想などが挟まって時代と場所を飛び越える。その間には二度の世界大戦があり、とても壮大な物語になっている。

 群像劇を構成する人物の一人が松方幸次郎。「松方コレクション」という、傑出した美術コレクションを遺した人物だ。その数は西洋美術が数千点、日本の浮世絵が約8千点。田代は松方のアドバイザーの立場でコレクション収集に同道している。物語は、松方がどのような動機でこれだけのコレクションを収集したのかを強く印象付ける。

 私は美術鑑賞が好きで、機会があれば美術館に足を運ぶ。すると「松方コレクション」という言葉を度々目にする。国立西洋美術館がまとまったコレクションを収蔵していることも知っている。しかし、そのことについてそれ以上知ろうとは思わなかった。

 この本で多くのことを知った。松方の動機は「日本に美術館を創る」ということ。「ほんものの絵を見たことがない日本の若者たちのために、ほんものの絵が見られる美術館を創る」。そういう想いを知った。また、その想いが国立西洋美術館の設立にもつながっていることを知った。

 もちろん本書はフィクションで史実ではないけれど、著者がいつも巻末に書くように「史実に基づくフィクション」だ。読み終わってから、慎重に史実を調べてみたけれど、大きな方向性は変わらないし、私の想いも変わらない。

 私の美術館巡りは、100年前の松方幸次郎につながっている。本書の物語のような人々の尽力がなければ、気軽に絵を見に行くこともできなかったかもしれない。感謝。

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ケーキの切れない非行少年たち

書影

著 者:宮口幸治
出版社:新潮社
出版日:2019年7月29日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 いろいろなことが分かったけれど、これはちょっと重たい問題だと思った本。

 発売されたころに新聞や雑誌などでさかんに取り上げられていたので、帯のいびつな円の「三等分」とともに書名は知っていた。きっかけがあって読んでみた。

 著者は、現在は大学の臨床心理系の教授。前歴は、児童精神科医として病院で勤めた後、医療少年院に法務技官として勤務している。本書は、その医療少年院での勤務経験が元になっている。医療少年院というのは、発達障害や知的障害を持ち非行を行った少年たちの「矯正施設」のこと。

 まずケーキの話から。医療少年院で、ある粗暴な言動が目立つ少年の面接で、円を描いて「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか?皆が平等になるように切ってください」という問題を出した。すると少年はまずケーキを縦に半分に切って、その後「う~ん」と悩みながら固まってしまった、というエピソード。タイトルが「~非行少年たち」と複数になっているように、こうした少年(少女も含む)は、医療少年院に大勢いるらしい。

 ケーキが切れない理由は何かと、これの何が問題なのかと言うと「少年たちは、こんな簡単なことも分からない。ちゃんとした教育を受けられなかったこと」ではなく、ましてや「ケーキを切ってもらうような家庭環境になかったこと」なんかではない。(タイトルだけを見て考えると、こんなことを思う人もいそうだけど)

 ケーキが切れない理由は「認知機能に問題がある」からなのだ。そして問題は「この少年たちへのこれまでの支援が役に立たない」ということ。これまでの支援というのは「認知行動療法」と言って、ワークブックなどで思考の歪みを修正して対人関係スキルなどを改善するもの。しかし「認知機能」に問題があれば効果は期待できない。この点については著者からの解決策の提示がある。

 さらに発展した問題。医療少年院や児童精神科に来た少年たちは「発見された」わけで、まだ発見されていない少年たちが存在する。「認知機能」に問題があると、簡単な問題が解けない。想像ができないので、他人の気持ちがわからない。先のことを考えられないので、目標を立てられないし、それに向かって努力もできない。そんな子どもは、本来は支援を必要としているのに、「困った子」「悪い子」と思われている可能性が高い。そして「少年」はいつか「大人」になる

 正直に言って、どう消化していいのか分からない。今は「知ること」で第一歩だと思うしかない。

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テミスの休息

書影

著 者:藤岡陽子
出版社:祥伝社
出版日:2016年4月20日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 信頼できる人と一緒に居られる、ということが、心の平安につながるのだと、改めて思った本。

 主人公は弁護士の芳川有仁と、芳川の事務所の事務員の沢井涼子。物語の初めでは、涼子が44歳で、芳川は4つ年下。8年前に涼子は夫と別れ、息子と2人で鶴見で暮らし始めた。同じころ芳川は大手法律事務所から独立して鶴見で事務所を立ち上げる。涼子が求人に応募して採用された。つまり2人は8年の付き合い。どうも、芳川は涼子のことを憎からず思っているらしい。

 物語は、芳川法律事務所で受けた相談を軸にして、芳川のこと、涼子のこと、そして2人のことを、語っていく。相談は例えば、突然に婚約破棄された音楽教師、殺人罪で起訴された青年、不倫相手の妻に支払った慰謝料を取り返したいという女、交通事故を起こした母親、息子の過労死の労災認定を求める父親、など。

 何とも暖かい気持ちになる物語だった。裁判になれば勝ち負けがある。勝った方がいいのは間違いないけれど、勝てばいいというものでもない。帯に「依頼人が、ほんの少し、気持ちを楽にして元の場所に戻ってくれればいい」とある。芳川の弁護はそういう弁護だ。その芳川について涼子は「人の狡さや愚かさや弱さに日々触れる仕事をしながらも、穏やかな気持ちで過ごせるのは、本心から信じられる人と向き合っているからだ」と感じている。

 主人公が弁護士と事務員だけれど、法廷のシーンはほとんどない。多くは、事務所のソファで話される相談と、芳川と涼子が並んで歩きながら話す会話で綴られる。それによって、芳川と涼子の人柄がにじみ出るように分かる。

 ちなみに本書は「陽だまりの人」というタイトルに改題して文庫化されている。「陽だまりの人」とは、恐らく芳川のことだろう。あるいは涼子が芳川にとっての「陽だまりの人」、という意味かもしれない。

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真田忍者で町おこし

著 者:くノ一美奈子
出版社:芙貴出版社
出版日:2019年9月14日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 忍者の実在を強く実感した本。

 著者のくノ一美奈子さんは長野県上田市の温泉旅館の女将さんで、真田忍者をテーマとした街の活性化の活動に取り組んでおられる。2015年から地元の新聞に連載をはじめ、本書はその連載を基に加筆修正を行って、5年間の活動をまとめたもの。

 全7章。第1章で「町おこし」のことを語り、第2章で「忍者食」を研究、第3章で「忍者の修行」を現代のスポーツにつなげ、第4章で「真田忍者のルーツ」を史書によって探求、第5章は「くノ一」の考察、第6章は「真田家の歴史」を忍者を軸にして俯瞰、第7章で「真田十勇士と立川文庫」を研究。変幻自在。「忍者」というワンテーマを入口にして、その奥に、これほどの豊饒な世界が広がっているのに驚く。

 全編にわたって興味深いことが書かれているのだけれど、特別に強い印象が残ったのが、第4章に含まれる「伊与久一族」に伝わる伝承。伊与久一族は、真田忍者である「吾妻衆」の一翼を担った家系。この文章は伊与久家の末裔である伊与久松凮氏の特別寄稿。そこには松凮氏が祖母から伝えられた伝承と、自身が身をもって体験した体術などの修行が記されている。

 「特別寄稿」を強調したのでは著者に申し訳ないけれど、これも著者の熱心な活動あっての寄稿だと思う。私はこれで忍者の実在(それも現代まで続く)を強く実感した。

 巷に流れる風聞に、外国人に「忍者って本当にいるのか?」と聞かれたら「最近はとても少なくなった」と答えると喜ばれる、というのがある。私はこれからは自信と実感を持って答えられる。「とても少なくなった」と。

 Amazonでの取り扱いがないようなので、興味を持たれた方は、出版社の芙貴出版社(TEL 0261-85-0234)にお問い合わせください。

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