大人の経済常識

書影

著 者:トキオ・ナレッジ
出版社:宝島社
出版日:2015年10月24日 第1刷 2016年2月29日 第2刷発行
評 価:☆☆(説明)

 行動経済学を中心として、経済学の用語を多数、身近な例を使って紹介した本。「予想どおりに不合理」「経済は感情で動く はじめての行動経済学」と同じジャンル。

 伝統的な経済学は「人は常に合理的な行動をする」ことを前提にしている。それに対して行動経済学は「合理的な行動をしない」生身の人間の行動を研究対象にしている、比較的新しい(ここ20年ぐらい)学術分野だ。「人間の不合理な行動」の例が豊富だから「あるある感」があって、小ネタに重宝する。

 本書もその「重宝さ」を狙ったものだ。様々な例を、キーワードとして関係のある理論の名称とともに、短く2~4ページでまとめている。プロスペクト理論、ハロー効果、フレーミング効果、アンカリング効果、サンクコスト..。「誰かに話したくなる」ネタがたくさん身につく。

 それから「限定」とか「○○も認めた!」とかの広告に弱い人や、なぜか無駄なものを買ってしまう人がいたら、読んだらいいかもしれない。「これ、私のことだ!」という例を見つけて、お店にカモられていたことに気付くかもしれない。

 ちょっと気になったこともある。説明が不正確だったり、的外れだったりすると感じる部分がいくつかあった。例えば「フレーミング効果の好例」として、食品メーカーのキャッチコピーが挙げられていたけれど、例として適切ではない、もっと言えばほぼ関係ないと思う。もちろん私は、この分野の専門家ではないので判定はできないし、異論もあると思うけれど。

 それでさらに、著者はどんな人なのか気になった。プロフィールを見ると「…雑談ユニット。弁護士、放送作家、大手メーカー工場長…で構成される」ここに書かれている限りでは、行動経済学の専門家はいないらしい。そういうことか。ネタを仕入れたいだけの人はいいけれど、しっかり勉強したい人は違う本を選んだ方がいいと思う。

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武士道エイティーン

書影

著 者:誉田哲也
出版社:文藝春秋
出版日:2009年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「武士道シックスティーン」「武士道セブンティーン」に続く、「武士道」シリーズの3作目。神奈川と福岡、別々の高校でそれぞれに剣道に打ち込む、磯山香織と甲本早苗の高校3年生の頃を描く。

 剣道の名門校に所属する二人は、共にインターハイを目指す。それは、勝ち続ければそこに到達するのだから、誰もが目指すことなのだけれど、二人には別の目的がある。もう一度二人で勝負することだ。

 香織の学校は団体戦でのインターハイ出場が危ぶまれ、早苗の学校は強豪校で、こちらは代表に選ばれるかどうかが問題。簡単にはいかないけれど、結論から言えばその目的は達成される。二人が望んだ形であったかどうかは別だけれど。

 「こう来たのか」と中盤過ぎを読んでいて思った。「これはやられた。(剣道に絡めて敢えて「一本とられた」とは言わない)」と読み終わって思った。これまでの2作も良かった。本作はそれを基礎にしてさらに高く奥行きのある、物語の構造が構築されている。

 実は、上に書いた香織と早苗の物語は、しっかりと描き込まれてはいるけれど、本書の中の割合としてはごく一部に過ぎない。本書ではこれまでとは違って、様々な登場人物の時代も様々な物語を、本編とも言える香織と早苗の物語に散りばめてある。それぞれに深みのある物語で、質量ともに本編を凌駕している。

 私は、前作のレビューで「二人以外の登場人物にも粒ぞろいになり、先が楽しみになった」と書いた。まさにその粒ぞろいの登場人物たちが、悩んだり苦しんだりを含めて、自分たちの人生を活き活きと生きている。そしてそれがこのシリーズの物語世界と、完全に融合している。なるほど、人気シリーズになるわけだ。

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むかしのはなし

書影

著 者:三浦しをん
出版社:幻冬舎
出版日:2005年225月25日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 7編の短編を収録した短編集。それぞれの短編が「浦島太郎」や「桃太郎」といった昔話をモチーフとした物語にそれぞれなっていて、短編の扉裏のページにその昔話が短く紹介されている。短編集のには、既出の複数の作品を1つにまとめたものであることがあるが、本書は書下ろし。

 一つ目の作品は「かぐや姫」をモチーフとした「ラブレス」。主人公は男性が早死にする家系の男。彼の父も祖父も27歳で死んだ。「明日、隕石が地球に激突します」と言われたような感情を持って、彼は27歳を迎えた。逃げようがない怖い気持ちと、何が起きるんだろうという期待。物語は主人公の一人語りの形で語られる。

 二つ目の作品は「花咲か爺」をモチーフとした「ロケットの思い出」。主人公は、子どもの頃にロケットという名前の犬を飼っていた男。今は空き巣を生業にしている。どうやらそれで捕まったらしいことが、冒頭で明らかになっている。物語は、子どものころから捕まるまでの半生を、警察の取り調べに答えている体で語られる。

 こんな感じで、主人公が自分に起きた出来事を語る。三つ目の「天女の羽衣」をモチーフとした「ディスタンス」まで読み進めても、収録されている作品につながりはない(ちなみに「ディスタンス」はけっこうショッキングな作品だ)。ところが、四つ目の「浦島太郎」をモチーフとした「入江は緑」で、「どっかでこの話聞いたような」と思い、五つ目の「鉢かつぎ」をモチーフとした「たどりつくまで」で、その思いは確信と変わる。

 そして最後の「桃太郎」をモチーフとした「懐かしき川べりの町の物語せよ」で、著者の意図が見えてくる。この短編は98ページと、他と比べて圧倒的にボリュームがあるので、これがメインの物語なのだろう。

 それぞれの短編も独立して個性的で味のある作品が多い。上に書いたように、一冊の短編集を通しての繋がりもある。書下ろしならではの仕掛けだと思う。

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可愛いままで年収1000万円

書影

著 者:宮本佳実
出版社:WAVE出版
出版日:2015年7月10日 第1刷 9月1日 第4刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 50すぎのおっさんの私には、あまりに不似合いなタイトルですが、貸してくださる人がいたので読んでみました。ちなみに「可愛いままで」は、「女性が女性らしく、自分の大切なものを大切にしたまま」というような意味だそうだ。

 著者は「ワークライフスタイリスト」を名乗る、1981年生まれの女性。28歳の時にパーソナルスタイリストという仕事で起業し、年収1000万円を目指すことに。パーソナルスタイリストというのは、「洋服のショッピングに同行して、お客様の似合うコーディネートを選ぶ」といった、個人向けのファッションアドバイザーのような仕事。

 ここで「誰かに買い物についてきてもらうのに、お金を払う人なんているの?」なんて思った人はいないだろうか?著者のご主人だった人はそう思ったようだし、私もちょっとそう思った。「しかも年収1000万って、夢みたいなことを」と思った人は?著者の周りにはそんな人ばかりだったそうだ。...著者は年収1000万を実現した。しかも週2日の実働で!!

 著者がその目標を実現したと分かっても「それは条件が揃ってたから、うまくいったんだよ」と、自分とは違う特別な何かを探してしまう。それが人の常だと思う。著者はだから「こうやって、こうやったらうまく行きました」と、丁寧に説明してくれる。それでも「そんなうまく行くかなぁ?」と思ってしまうのも同じ。

 実際のところ、書いてある通りにやってうまく行くかどうかはわからないし、著者だって責任をとってくれるわけではない。1000万を目指さなきゃいけないわけでもない。でも本書には、いいことがたくさん書いてあった。例えばこんなこと。

 「自分の理想を書いてください」と言うと、遠慮がちなビジョンを書く人が多いそうだ。著者のコメントは「その遠慮は誰にしているのですか?」。私たちはいつからか「理想」を語る時さえ縮こまってしまうようになっている。

 最後に。本書を読み終わって痛切に感じたこと。「自分がどのようなコミュニティに身を置くか」これがとても大事。

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ローカル線で行こう!

書影

著 者:真保裕一
出版社:講談社
出版日:2013年2月12日 第1刷 発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「デパートへ行こう!」に続く「行こう!」シリーズの第2弾。シリーズと言っても物語につながりはなく、著者のインタビューなどによると「再生物語」であることだけが共通している。「デパートへ行こう!」では「家族の再生」、本書で描くのは「地域の再生」だ。

 舞台は宮城県にある赤字ローカル線、森中町と原坂市を走る「もりはら鉄道(もり鉄)」。JRから移行した第三セクターで、年に2億円の赤字を出し「あとはいつ決断するか」と思われている。主人公は二人。ひとりは、鉄道の会長でもある森中町長に、社長としてスカウトされた篠宮亜佐美、31歳。もうひとりは、亜佐美と同年代で、「もり鉄」に副社長として、宮城県庁から送り込まれた職員の鵜沢哲夫。

 亜佐美は、新幹線の車内販売で一人で一日50万円を売り上げる「カリスマアテンダント」だった。とはいえ会社経営の経験はなく、赤字鉄道会社への若くて未経験の女性の社長の大抜擢。話題性が抜群であるというプラス面はあるけれど、監査役の銀行からは「とんでもない人事」と言われ、確かに前途多難さを感じさせた。

 物語は、電車の運行のように、快調に走り出したかと思うと、スピードダウン・停止、を繰り返す。亜佐美の手腕は、少なくとも企画力と人心掌握に関してはホンモノだった。「話題性」という武器をフル活用した、亜佐美の企画は次々と当たる。しかし、何かがうまく行くたびに、事件が起きる。最初は小さな出来事だったけれど、次第にエスカレートする。

 面白かった。「うまく行きすぎ」なんだけれど、そんなことを言わずに楽しんで読めばいいと思う。国内に赤字ローカル線はたくさんあり、その共通の問題点はたぶん「乗る人が少ない→何かを削減→不便になる→乗る人が減る」の負のスパイラル。赤字解消にためには、この回転を逆に回す必要があるのだから、亜佐美ぐらいの馬力が必要だ。

 「〇〇と似ている」という言い方は、双方に失礼なことを承知で言うと「有川浩さんの作品に似ている」。懸命に何かに取り組む人がいて、反発しながらも支える人がいて、ラブストーリーが織り込まれていて、ちょっとカッコいいオッサンがいる。そんな物語だった。私はこういうのが大好きです。

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「イスラム国」の内部へ 悪夢の10日間

書影

著 者:ユルゲン・トーデンヘーファー 訳:津村正樹
出版社:白水社
出版日:2016年6月25日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、ドイツ人のジャーナリストがイスラム国に入り、その内情を伝えた貴重なレポートだ。タイトルが示すとおり、命の危険と隣り合わせの悪夢のような10日間が、迫真のリアリズムによって記されている。

 その10日間に著者は、繰り返し繰り返しイスラム国の戦士と対話する。戦士の口からイスラム国側の言い分が話される。それはもうまったく肯定できない内容だ。著者は正面から反論する。たちまち雰囲気が険しいものになる。たくさんのジャーナリストが殺害されているイスラム国の中で...

 実は、著者がこんな危険なことをするのは、これが初めてではない。アフガニスタンでタリバンの指導者に、シリアでアルカイダのテロリストに、もっと以前から多くの過激派やテロリストと面会している。こうした行動には著者の信念が関係している。

 それは「真実を求めるには、常に双方との話し合いが必要になる」ということ。両方から言い分を聞かないと、本当のことは分からない、ということだ。これは著者の裁判官としての経験から引き出したものだ。

 紛れもない正論なのだけれど、この正論が今の世界では通じない。「テロリストとは交渉しない」が、日本を含むいわゆる西側諸国の首脳の態度。ドイツというその中の主要国にいて、テロリストの言い分を伝える著者は、激しいバッシングに会う。

 たぶん日本でも同じだろう。イラクやシリアで人質になったり、拘束されて殺害された日本人が、現にヒドイ言われ方をしている。何を恐れているのか、本書の刊行だって、いくつもの出版社から断られたそうだ(このことはとても憂慮すべきことだと思う)

 でも、私は思うのだ。著者のような人がいなければ、そこで本当には何があったのか、私たちは知りようがない。自分たちが正しいのかどうか分からない、と。

 最後に。著者の名誉のために。著者は決して無謀な冒険者ではない。今回の取材に関しても、事前にドイツ人のイスラム国戦士を通じて交渉を進めて、カリフ(イスラムの指導者の称号)による「安全で自由な通行を認める証書」を入手している。実際、その証書が彼を何度も助けることになる。

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小説 君の名は。

書影

著 者:新海誠
出版社:KADOKAWA
出版日:2016年6月25日 初版 2016年9月30日 18刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 大ヒット上映中の映画「君の名は。」の原作。映画の監督・脚本・編集ほかを務めた、新海誠監督による書き下ろしなので、「原作」というより「小説版 君の名は。」と言った方がいいかもしれない。ヒットした映画にままある公開後ではなく、8月の映画公開に先立って出版された。

 ストーリーは映画と同じ。映画をご覧になった方には、紹介する必要がないけれど、まだご覧になってない方のために。

 主人公は、山深い田舎町の糸守町に暮らす女子高生の三葉(みつは)と、東京で暮らす男子高校生の瀧(たき)の二人。ある朝、瀧が目覚めると、三葉の体の中に入っていた!そう、これまでにもいくつかの作品で扱われた「男女入れ替わり」の物語だ。

 物語が進んでいくと、この入れ替わりには大きな意味があったことがわかる。その時間・空間のスケールの拡大が、この物語の魅力。..と、ここまでは映画の宣伝のようなもの。これだけであれば映画を観たなら、わざわざもう一度小説で読むこともない。

 でも私は、わざわざもう一度小説で読んで良かったと思う。冒頭に書いた「「原作」というより「小説版 君の名は。」」という部分に通じるけれど、本書は新海監督によるもうひとつの別の「君の名は。」だと思う。何よりの違いは、本書は三葉と瀧の一人称で語られることだ。映像とセリフで進行する映画では分からなかった、あの時の三葉の、そして瀧の心情が言葉となって書かれている。

 映画を観て「良かった」と思う人にもおススメ。それから本書を読んで「良かった」と思った人には映画もおススメする。映画の映像美と音楽は、小説では分からないから。

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トオリヌケ キンシ

書影

著 者:加納朋子
出版社:文藝春秋
出版日:2014年10月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2014年の発行だけれど、現在のところ著者の最新刊らしい。表題作の「トオリヌケ キンシ」の他、「平穏で平凡で、幸福な人生」「空蝉」「フー・アー・ユー」「座敷童と兎と亀と」「この出口の無い、閉ざされた部屋で」の計6編を収録した短編集。

 「トオリヌケ キンシ」は、小学生3年生の男の子の話。「トオリヌケ キンシ」と書かれた札がある、50センチぐらいの隙間。そこに入って行くと、古ぼけた木造の家があった。

 「平穏で~」は、ウォーリーとか四つ葉のクローバーとかを、すぐに見つけることができる「超能力」を持った女の子の話。「空蝉」は、優しかったお母さんが突然、乱暴に怒鳴り散らす「バケモノになってしまった男の子の話。

 「フー・アー・ユー」は、「相貌失認」という病気で、人の顔が識別できない高校生の男の子の話。「座敷童と~」は、近所の家に突然やって来て「家の中に、座敷童がいる」と言ったおじいちゃんの話。「この出口の無い~」は、寝ている時に見る夢を自在にコントロールしようとしている浪人生の話。

 全体的に現実と空想の境界のような曖昧さが漂う。50センチの隙間は異世界への通路のようだし、「超能力」や「バケモノ」や「座敷童」が出て来る。話しかけてくる人が誰だか分からないというのも、世界を曖昧にする。最後の話は、そもそも「夢」が主題になっているし。

 ところが、読み進めていくと、どこかで話がストンと現実に着地する。ライトがついて急に明るく照らされたように。こういう「驚き」の仕込みはミステリ作家ならではの手際だ。

 最後に。どの作品も「フー・アー・ユー」の「相貌失認」のように「病気」と深く結びついている。これは、著者自身が大きな病を患ったことと関連があるのだろう。著者は、2010年に急性白血病で緊急入院し抗癌治療を受けられている。本書の短編は、表題作を除いてすべて、復帰後に「文藝春秋」に掲載した作品だ。

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アンマーとぼくら

書影

著 者:有川浩
出版社:講談社
出版日:2016年7月19日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 有川浩さんの最新刊。帯には著者自身の言葉として「これは、現時点での最高傑作です」と書いてある。ロックバンドの「かりゆし58」の曲「アンマー」に着想を得たもので、「アンマー」とは沖縄の言葉で「おかあさん」という意味。

 主人公の名前はリョウ。東京で暮らす32歳の男性。久しぶりに母が住む沖縄に帰ってきた。里帰りの目的は「おかあさんのお休みに3日間付き合う」こと。普段は忙しさにかまけて、年に1回日帰りするだけで、実家なのに泊りで帰って来るのは久しぶりだ。

 実は、リョウの実の母親はリョウが子どもの頃に亡くなっている。だからリョウには「二人の母親」がいる。沖縄にいる「おかあさん」と、亡くなった「お母さん」。この物語には主要登場人物がもうひとり。リョウの父で、こちらも何年か前に亡くなっている。

 物語は、リョウと「おかあさん」の3日間に、リョウと父親との思い出が交錯しながら進む。父親のとの思い出とは即ち、リョウと「おかあさん」を結ぶ紐帯でもある。父親の再婚が二人を結びつけたのだし、リョウが東京の大学に進学したために、二人の共通の記憶は、ほとんどが父親がいた時のものだからだ。

 読んでいる途中に「あぁ今回はこの路線か」と思った。著者としては簡単に「近い」などと言って欲しくないかもしれないけれど「旅猫レポート」に近い。「旅猫~」では「思い出の人」を巡ったけれど、本書では、観光地を巡るという形で「思い出」を巡る。巡り終わったその先は...。これ以上は言えない。

 「観光地を巡る」という意味では「県庁おもてなし課」にも近い。リョウたちが立ち寄る、沖縄のあちらやこちらが、とても生き生きと描かれている。読めば、特に残波岬には行きたいと思うだろう。本書中の「雨の日は、よそ行きじゃない土地の顔が見られますよ」は名言だ。沖縄観光の幅がぐっと拡がったに違いない。

 有川さんが大好きな「カッコいいおっさん」は出てこない。「子供みたいなおっさん」なら出てくる。

 コンプリート継続中!(アンソロジー以外の書籍化された作品)
 「有川浩」カテゴリー

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対岸の彼女

書影

著 者:角田光代
出版社:文藝春秋
出版日:2007年10月10日 第1刷 2016年7月5日 第20刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2004年下半期の直木賞受賞作。著者の代表作のひとつ。

 主人公は2人の女性で、それぞれの物語が交互に進む。一人は横浜から群馬県の田舎町に引っ越して来た高校生の葵。もう一人は結婚して仕事を辞めて専業主婦をしている小夜子。読み始めてすぐに分かるのだけれど、二つの物語は時代が違っていて、葵はずっと後になって小夜子と出会うことになる。

 葵の物語は、同級生のナナコとの交流を描く。クラスの中で「なんとなくできたグループ」から弾き出されないように懸命になっている葵と、どこのグループにも属さずにいるナナコ。共通点はあまりなかったけれど、なぜか放課後には良く二人で過ごした。

 小夜子の物語は、葵が立ち上げた会社での小夜子の働きぶりと気持ちを描く。小夜子はふとしたことがきっかけで、働こうと決意した。そして得たのは、葵の会社の新規事業である「ハウスクリーニング」の仕事だった。

 そんなわけで、本書には4人の女性が登場する。高校生の葵とナナコ、30歳半ばの小夜子と葵。もちろん葵は一人の人物なので、正確には「3人の女性」なのだけれど「高校生の葵」と「大人の葵」が、十数年の時間が間にあるとはいえ、読んでいてもどうにも繋がらない。別の人間のように思えるのだ。

 面白かった。並行して描かれる全く違う2つの物語が楽しめた。一方は、鬱屈を抱えながらも、女子高校生らしい「友情」を育む物語。それが一転して...。もう一方は、仕事に努力や工夫をしても周囲に認められない、なかなか気の晴れないつらい物語。天井の低い廊下をずっと歩いているような気持ち。

 それぞれの物語が「読ませる」完成度の高いものだった。でも、本書の醍醐味は、2つの物語をより合わせることで浮かび上がった、ほとんど描かれていない「葵の十数年」にあるように思う。「八日目の蝉」は「事件の後」を描いた秀作だった。本書の「大人の葵」も「事件の後」を描いている。同じ着眼点だと思う。

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