1.ファンタジー

たぶんねこ

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2015年12月1日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」シリーズの第12作(「えどさがし」は文庫オリジナルの「外伝」。これを含めれば13作品目)。5編からなる連作短編集。それぞれで完結する短編が5つまとまって、もう一つの物語を形づくっている。

 短編5編の前に「序」、後に「終」という短い章がある。連絡短編集はこれまでにもあったけれど、こういう章建ては初めてだと思う。このシリーズには、これまでに様々な新趣向があったけれど、12作目にしてまた新しい工夫。

 その「序」に、シリーズ始まって以来の出来事が描かれている。主人公の一太郎が2カ月の間病気にならなかった。これを機に一太郎の体を丈夫にするために、半年の間「必ず守ってほしい」約束をいくつか、守り役の仁吉と佐助から言い聞かせられた。「仕事をしないでゆっくり過ごす」「恋もお預け」「友達のことを心配し過ぎない」等々。

 本作の短編は、その約束の半年間の出来事。1編目「跡取り三人」一太郎と江戸の大店の跡取り息子2人との仕事探し競争。2編目「こいさがし」知り合いの若い娘が長崎屋に行儀見習いに来る。3編目「くたびれ砂糖」菓子屋に奉公する友達が、そこの小僧に振り回される。4編目「みどりのたま」仁吉が記憶喪失に。5編目「たぶんねこ」以前に居た「神の庭」に戻りたい幽霊。

 いつも通りの面白さだった。「序」の約束は守られないのだけれど、物語がそれでダメになるわけではない。約束が守られないことにだって意味はある。これまでに登場した人物や妖は数多く、それがいい感じでちょっとだけ顔を出す。このことについて、池上冬樹さんの「解説」で、米国のマーベル・コミックスとの例えがあったけれど、なかなか的を射た意見だと思う。

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弥栄の烏

著 者:阿部智里
出版社:文藝春秋
出版日:2017年7月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

  八咫烏シリーズの第6弾。これにて第一部の完結。 このシリーズの舞台は、八咫烏が、私たちと同じ人間の形になって暮らす「山内」と呼ばれる世界。ところが、前作の「玉依姫」はいきなり1995年の日本が舞台となった。そして今回は再び「山内」に物語が戻ってきた。

 こんな感じで舞台は大きく振幅するのだけれど、前作と今回は背中合わせに密接した構成になっている。前作で描かれた東京の女子高校生の志帆の物語の同じ時間に、山内の八咫烏たちには何が起きていたか?を描く。

 「大猿」の襲撃を受けた山内は戦々恐々としていた。そこに、その「大猿」の頭が堂々と禁門を通って現れる。厳戒態勢にあった八咫烏たちは、一斉に攻撃するが、矢も刃も効かない。そして大猿は八咫烏の若宮の奈月彦にこう言う「久しぶりだようなぁ、八咫烏の長よ」

 大猿は奈月彦に「山神」の居る「神域」に共に来るように言い、奈月彦はそれを受ける。この後は、前作で志帆の視点で描かれた物語を、奈月彦の視点で描きなおすと同時に、山内の八咫烏たちの動静を語る。物語に厚みが増す。

 色々な謎に答えが出て、色々な出来事に決着が着く。冒頭の繰り返しになるけれど、これにて第一部の完結。ただし、すべての答えが出て、すべての決着が着いたわけではない。私としては「描き切った」感はあまり感じなかった。まぁ、第二部が予告されているのだから当然だ。

 八咫烏シリーズ公式Twitterによると、第二部で終了の予定。つまりここで折り返し。第1巻「烏に単は似合わない」から「ずい分遠くまで来たけれどまだ半分か」と思う一方、「もっと長く読んでいたい」とも思う。来年中には第二部をスタート、が目標とか。ぜひ目標を達成してほしい。

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川をくだる小人たち

著 者:メアリー・ノートン 訳:林容吉
出版社:岩波書店
出版日:1969年6月16日 第1刷 2004年4月5日 第13刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「床下の小人たち」「野に出た小人たち」に続く、「小人の冒険シリーズ」の3作目。ちなみに「床下の小人たち」は、スタジオジブリ作品「借りぐらしのアリエッティ」の原作。

 小人のアリエッティと、そのお父さんのポッド、お母さんのホミリーの3人家族は、前作「野に出た小人たち」で、野外での放浪生活と様々な危険を潜り抜けて、親戚のヘンドリアリおじさん一家が住む小屋にたどり着く。本書はその続き。

 再会を喜び合うポッドとホミリー、ヘンドリアリとその奥さんのルーピー。ただ、暮らしに余裕があるわけではないし、細かいことで関係がぎくしゃくする。再会の喜びとその後に続く同居生活は別のもの。この辺りは、妙にリアルな微妙な距離感の親戚関係が描かれる。

 こうしたことを前段にして、物語は再びポッドたち3人家族を冒険に送り出す。ナイフの箱ややかんを船にした、水の上を行く冒険。危険と隣り合わせ。小さな動物も、雨降りでさえ、ポッドたちにはなかなか厳しい。でも一番危険なのはやっぱり人間。

 3作目だけれど、巻を重ねるごとに躍動感が増している。ホミリーは気ままなところがあって、時々ちょっと困った人になるけれど、よくも悪くも「真っすぐ」な人なのだと分かった。そして一番カッコいいのは、困ったときにタイミングよく現れて助けてくれる人、ということも分かった。

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鋼の魂 僕僕先生

著 者:仁木英之
出版社:新潮社
出版日:2012年4月20日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「僕僕先生」シリーズの第6弾。元ニート青年の主人公の王弁と、彼が師と仰ぐ仙人の僕僕先生の旅を描く。一行は中国大陸を南へ縦断し、雲南へと差し掛かる。

 雲南は唐の版図の外にあり、その西には吐蕃(現在のチベットの王朝)がある。つまり国境地帯ということだ。漢人、雲南人、吐蕃人と多彩な民族が行き交う。政治的には複雑な関係の上に成り立っている。こういう情勢が今回の物語の底にある。

 今回は、唐の王朝から派遣された「捜宝人」という、宝探しの専門家が新たな登場人物として加わる。彼が皇帝から探すように命じられたものが「鋼で作られた神」。神話の時代に使われたものらしい。タイトルの「鋼の魂」との関係が推し量られる。

 前作の「先生の隠しごと」では、人の心の内側まで見通せる仙人の僕僕先生が、あろうことか胡散臭い王の話に取り込まれかかって危機に瀕した。今回は、そういう危なげなことはないのだけれど、大活躍するわけでもない。出番自体少ない。

 その代わり重要な役割を演じるのが、新たに加わった「捜宝人」。このシリーズは毎回ちょっとした人情噺が埋め込まれているのだけれど、今回はこの「捜宝人」を巡るもの。それも「ちょっとした」ではなくて、なかなかにドラマチックだった。

 前作で登場した医師が今回も途中で登場したので、「おやっ」と思ったのだけれど、なんと隠された素性があった。これが次回への伏線になっているらしい。続きも楽しみだ。

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こそあどの森の物語 はじまりの樹の神話

著 者:岡田淳
出版社:理論社
出版日:2001年4月 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 久しぶりの児童文学。「こそあどの森の物語」というシリーズの中の1冊。シリーズは1994年の「ふしぎな木の実の料理法」から始まって、今年(2017年)2月に発行された12冊目の「水の森の秘密」で完結した。本書はその6番目の作品。

 息の長い人気シリーズだから知っている方もいると思うけれど、シリーズの説明を。舞台になるのは「こそあどの森」。「この森でもあの森でもその森でもどの森でもない森」。主人公はスキッパーという名の少年。スキッパーはバーバさんと住んでいる(バーバさんは旅に出ていてあまり家にいない)。

 他にはトワイエさん、ポットさんとトマトさんの夫婦、スミレさんとギーコさんの姉弟、ふたご(彼女たちはしゅっちゅう名前が変わる)、という風変わりな住人たちが、それぞれ風変わりな家に住んでいる。例えば、ポットさんたちは「湯わかし」の家、スミレさんたちは「ガラス瓶」の家に住んでいる。ここまではシリーズ全体の設定。

 本書では、この森にハシバミという少女がやってくる。ある夜にしゃべるキツネがスキッパーの家にやって来て「森のなかに、死にそうな子がいるんだ」と言う。それで、スキッパーとキツネで助け出したその「死にそうな子」がハシバミだ。

 ぜひ読んでもらいたいので詳しくは書かないけれど、ハシバミはずっと前の時代から来た少女で、スキッパーたちはその時代の出来事に深く関わることになる。この物語は、神話の時代と現代との間の、数千年の時間を越える壮大スケールの話なのだ。

 本書の特長はこのスケールの大きさだけではない。進歩発展してきた私たちに、少し立ち止まってこれでいいのか?と問いかけるメッセージが込められている。「依存」して生きてることについて、それに「無知」であることについて、「戦う」ということについて。

 児童文学に、圧倒されここまで深く考えさせられるとは思わなかった。実はシリーズの他の本も何冊か読んでいるのだけれど、本書は出色の作品だと思う。

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えどさがし

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2014年12月1日 発行 2016年10月15日 6刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」シリーズの第12作。裏表紙の説明に「初の外伝」とある。もともとこのシリーズは、長編、連作短編、短編集と、巻によってバラエティに富んだ構成になっている。短編集の中には、外伝に相当する短編はあったけれど、本書は収録された5編がすべて外伝。文庫オリジナル。

 1編目は「五百年の判じ絵」。シリーズの主人公の一太郎の守り役の一人、佐助が主人公。佐助が一太郎の家である長崎屋に、奉公することになったいきさつが描かれる。2編目の「太郎君、東へ」は、利根川を根城にする、河童の大親分の禰々子の話。利根川の化身として人の姿に化した坂東太郎も登場する。この短編は「Fantasy Seller」にも収録されている。

 3編目は「たちまちづき」。妖封じで名高い高僧の寛朝が、亭主に憑いた妖を退治してほしい、という依頼を受ける。しかし亭主に何かが憑いている様子はない。4編目は「親分のおかみさん」。人はいいけれど腕はそうでもない、岡っ引きの親分、清七のおかみさんが主人公。

 5編目が表題作の「えどさがし」。一太郎のもう一人の守り役、仁吉が主人公。ところが舞台はなんと明治の街。仁吉が一太郎と暮らしていた時代から100年は経っている。仁吉たち人ならぬ身の妖は、長寿で千年を越えて生きる。だから必ず親しい人を見送ることになる。

 このシリーズが長く続いているし、人間以外にも、妖、河童、天狗、雷様、神様、川や山..と、なんでも人格化して、自由な広がりを見せている。だから登場人物が多い。それぞれが主役を張れる魅力と人物造形を持っている。その特長が、こうして「外伝」として結実したわけだ。

 いつもの主人公の一太郎は登場しないし、舞台となっている長崎屋さえほとんどでてこない。「えどさがし」なんて、時代まで違う。それでも5編全部が、しっかりと「しゃばけ」の世界観を持っている。自由に広げているようでいて、著者はしっかりとこの、世界の根っこを押さえているのだろう。

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玉依姫

著 者:阿部智里
出版社:文藝春秋
出版日:2016年7月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

  八咫烏シリーズの第5弾。このシリーズは新しい巻が出るたびに、それまでとは趣向の違う物語になっていて、毎回「そう来たか!」と思ったけれど、今回もそうだった。

 このシリーズの舞台は、八咫烏が、私たちと同じ人間の形になって暮らし、雅やかな感じが平安京を連想させる世界だった。「だった」と過去形なのは、本書は違うからだ。本書の舞台はなんと1995年の日本だ。主人公は東京に住む女子高校生の志帆だ。八咫烏からも平安京からも、ずい分と遠い。

 とは言え、当然ながら、志帆には八咫烏とのつながりがある。志帆の祖母の出身地の山内村には「神様のいる山」がある。その山の神域を挟んで私たちの世界と八咫烏の世界はつながっているらしい。志帆は、その山の神に捧げる「御供」にされてしまったのだ。

 志帆は、いきなり命の危機に瀕するわけだけれど、主人公でもあり、それを切り抜ける。その先に待っていたものは、なんと八咫烏の若宮と大猿、そしてさらに過酷な運命だった。高校生の志帆には過酷すぎるけれど、彼女はその運命に立ち向かう。本人の意思なのか、もっと大きなものの意思が働いたのか、それは分からないけれど。

 もう1回言うけれど、現代の少女の登場に「そう来たか!」という感じ。まぁどこか頭の片隅に予感はあった。もしかしたら、解説かインタビュー記事に書いてあったのかもしれない。そうでなければ「十二国記」からの連想だろう。第3弾の「黄金の烏」のレビュー記事にも書いたけれど、このシリーズには「十二国記」と重なる世界観を感じる。

 「女子高校生」「訳も分からず異世界に連れてこられる」とくれば、十二国記の陽子を思い出す。運命に立ち向かう、というところも同じだ。今後の活躍が期待される。

 念のため。十二国記との類似について書いたけれど、著者のオリジナリティに対して疑問を呈しているのではない。世の中にたくさんの物語があるので、「何かに似ている」ことは、ある意味で不可避なことだ。ただシリーズを通して読むと、著者が描き出そうとしてるものが、オリジナリティの高いものであることを強く予感させる。

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空棺の烏

著 者:阿部智里
出版社:文藝春秋
出版日:2017年6月10日 第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「烏に単は似合わない」「烏は主を選ばない」「黄金の烏」に続く、八咫烏シリーズの第4弾。出版界やファンタジー、ミステリーファンが注目するシリーズとなっている。

 八咫烏が、私たちと同じ人間の形になって暮らしている、という世界。平安京にも似たその宮廷を中心に、貴族政治が行われている。今回は、宗家の近衛隊の武官の養成所である「勁草院」が舞台。主人公は、勁草院に新たに入学してきた若者たち、茂丸、明留、千早、雪哉の4人が、章ごとに交代で務める。

 「勁草院」は男子のみの全寮制。同じ年頃の男子が集団で修行する。座学あり実技あり、貴族の子と平民の子が共に学ぶ。各所の説明で「ホグワーツ魔法魔術学校」に例えられることが多いようだけれど、間違えてはいないけれど、少し違和感もある。こちらは武官専門のエリート養成所だし、女子はいないから、もっと汗臭くてきな臭い。

 趣向としては青春モノ、学園モノ。出自の違いや属するグループの違いから、お互いに反目する場面もある。主人公4人が抱える事情も、ここに来た目的も違う。そうしたものを乗り越えて成長する。私は、こういうのは嫌いじゃない。

 著者を「すごい」と思うのは、本書がそれ自体で面白い上に、この一見して趣向が違う話を(実は、全作がそれぞれ趣向が違うとも言えるけれど)、シリーズの中に取り入れて、しっかりとした位置付けが感じられることだ。前作までで、この世界を危うくする危機が描かれている。本書は、それから切り離されたような学園生活が描かれる。しかし、物語はきちんと本流へと戻っていく。あの4人は、今後、重要な役割を担うに違いない。

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ひなこまち

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2015年12月1日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」  シリーズの第11作。このシリーズは、巻によって長編あり短編ありのバラエティに富んでいるのだけれど、本作は5編からなる連作短編集。それぞれの短編が完結しながら、全体で一つの出来事を追う形になっている。

 1編目のタイトルは「ろくでなしの船箪笥」。主人公の一太郎は病弱のため出歩いたり遊んだりすることが少なく、友達と呼べる仲間もあまりいない。その数少ない友達の一人の七之助が来て、助けてほしいという。祖父から形見として残された船箪笥が開かない、しかもその船箪笥が来てから、気味の悪いことが起こるようになった、と言う。

 2編目は「ばくのふだ」悪夢を食べるというあの「ばく」の話。3編目は「ひなこまち」江戸で一番美しい娘を選んで、その娘をモデルにひな人形を作る、という趣向。4編目は「さくらがり」一太郎たちとしては珍しく、花見をしに上野へ出かける。5編目は「河童の秘薬」1編目の「ろくでなしの船箪笥」で河童を助けた、その恩返しにもらった秘薬が騒動を起こす。

 「河童を助けた」と、何の補足もなく書いたけれど、このシリーズでは、河童はもちろん、付喪神や貧乏神やらの人ならぬ妖(あやかし)が、特に説明もなく驚きもなく登場する。知らないうちに他人の夢の中に入り込んでしまったり..。つまり「何でもあり」になってしまうのだけれど、今回もその「何でもあり」ぶりが楽しかった。

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図書館の魔女 第一巻

著 者:高田大介
出版社:講談社
出版日:2016年4月15日 第1刷 6月28日 第5刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 講談社の公募文学新人賞である「メフィスト賞」受賞作品。つまり著者のデビュー作。文庫の帯に「「読書メーター」読みたい本ランキング(文庫部門)日間 週間 月間、すべて1位」と書いてあって、興味をひかれたので読んでみた。

 主人公は、山里で生まれ育った少年のキリヒト。舞台は西大陸と東大陸が狭い海を挟んで対峙する架空の世界。数多くの部族国家が鎬を削りあっているが、この100年ほどは安寧の時を過ごしている。本書は権謀術数が渦巻く世界を描いた、全4巻からなる異世界ファンタジーの1巻目。

 キリヒトは師に連れられて、「一ノ谷」と呼ばれる街にある「高い塔」に来る。「一ノ谷」とは東大陸の西端、諸州諸民族が行き交う要所にあって、この世界に覇権を布く王都。「高い塔」には「図書館」がある。キリヒトはその図書館を統べる「図書館の魔女」に仕えるためにやって来たのだ。

 これ、面白そうだ。図書館には叡智が詰まっている。図書館を観念的に捉えてそういう言い方をすることがある。しかし、本書では「図書館の魔女」は、その叡智を自分のものとしたかのようで、内政外交の意思決定に的確な意見を述べる。先代の「図書館の魔法使い」は、同盟諸州に書簡を送って同盟市戦争を未然に防いだことで知られている。

 「図書館」にこういう意味や役割を持たせた卓越性や、そこに配置した人々の意外性がとても興味を掻き立てる。どういう意外性かは、敢えて書かないけれど、およそその場に似つかわしくない個性が、それぞれの役割を演じる。正直に言って、壮大な遠回りをしている気がするが、それがいいのだろう。

 「面白そうだ」と推察の形にしているのは、まだ分からないからだ。全4巻の1巻目だから、ほとんど何も起きていない。それでもページを繰る手を止めることなく読めた。次巻以降に期待大だ。

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